ゲイル(GAYLE)プロダクション・レポート【前編】TikTokが火付け役となったデビュー作「abcdefu」の制作秘話

ゲイル(GAYLE)プロダクション・レポート【前編】〜TikTokが火付け役となったデビュー作「abcdefu」の制作秘話

テキサス州ダラス出身のシンガー・ソングライター、ゲイル。彼女のメジャー・デビュー・シングル「abcdefu」は、コロナ禍において人々の共感を集め、30カ国以上でビルボード・ホット100のトップ10入りを果たした。楽曲のプロデュースは、リトル・ミックスなどを手掛けてきたピート・ナッピ。ロックに軸足を置きつつも、打ち込みギターのメカニカルな感じを生かしモダンなサウンドに仕上げている。そのテクニックを掘り下げて行こう。

Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko 

怒りとロックに満ちた作品がリスナーの琴線に触れた

 2020年末、音楽プロデューサーのピート・ナッピのもとに16歳の無名シンガーからボーカルとアコースティック・ギターのレコーディング・データが届いた。彼女の名はゲイル。この曲のプロダクションを依頼してきたのだ。当時ナッピやクライアントは単なるルーティン・ワーク、数ある仕事の中の一つとしてとらえており、マスタリングはAIマスタリング・サービスのLANDRで自動で行われた。

 この曲がリリースされたのは、その後数カ月が過ぎた2021年8月13日。ゲイルにとって初めてとなるメジャー・レーベルからのリリースだったが、誰もこの曲が話題になるとは思っていなかったし、ましてや2021〜22年のウィンター・シーズンのヒット作になるなどとは誰一人想像していなかった。しかし怒りとロックに満ちた10代のアンセムは人々の琴線に触れ、「abcdefu」は世界を席巻することになった。特に新型コロナ・ウィルスのパンデミックによってフラストレーションがたまった若者には強く訴えかけるものがあったのだろう。今までに無かったような形で放送禁止用語の数々が散りばめられたさまは非常に新鮮だ。TikTokでの流行に始まったブームは次第にメインストリームにも浸透し、今年1月の半ばまでにはアメリカを含む30カ国以上でビルボード・ホット100のトップ10入り、イギリスを含む10カ国以上ではナンバー1を獲得するまでになった。

ゲイルの楽曲を手掛けるときは常にボーカルを大きくする

 人生を変えるレベルの成功を体験することになったピート・ナッピ。近年はUPSAHL、アン・マリー、リトル・ミックス、マディソン・ビアー、サーティー・セカンズ・トゥ・マーズ、イアン・ディオール、マイク・シノダの作品でその名を見ることができる。アメリカ東海岸北部ロングアイランドにある祖母の家からZoomによるインタビューに応じてくれた。

 「息つく間もない毎日ですよ! けれど素晴らしい音楽が作れていて最高です。普段からスマホはなるべく触らないようにしていますし、TikTokもやっていないのでこの曲がバズり始めたときも友人から聞かされるまで何が起きているのか全く知りませんでした。こんなに大成功するなんて誰も想像していなかったと思います。しかし、ゲイルが才能に満ち溢れていて、いずれ成功する人物であろうことは彼女に相対すれば誰でもすぐに分かるでしょうね。この曲もとてもクールですし。それでもここまでの大成功になるなんて予想できませんでした」

 ナッピは「abcdefu」を手掛けることになった経緯を、2020年12月8日というロックダウン真っ最中の出来事から話してくれた。ソングライターのカーラ・ディオガルディが経営するアートハウス・エンターテインメントと契約を交わすことから始まったという。

 「カーラはゲイルが14歳のころから付き合いがあったようで、彼女はゲイルと契約を交わし、アトランティック・レコードとの仕事も取り付けました。このときは数曲を同時進行で制作中で、「abcdefu」はその中の1曲です。僕のところに来る前に幾つか違うバージョンのプロダクションが行われていたのですが、どれもしっくりこない仕上がりでした。そこで白羽の矢が立ったのが僕です。ちょうど忙しかった時期で、いつもならリリースの経験も予定も無い無名のシンガーの案件は断っているところです。けれどカーラが“この子は違うから!”と言うので、その仕事を引き受け、ひとまず3時間ほどで一通りの作業をしました。その後しばらくこのことは忘れていたのですが、数週間後に友人からこの案件についてリマインドされましてね。とりあえず作ったデモを送ってみると、カーラからは“この形でやってくれる?”と返事をもらいました」

 プロダクションについて、ゲイルからは幾つか注文をもらったという。

 「曲を通してエレキギターを入れてほしいこと、それから全体をもっとロックで、かつモダンでクールにしてほしいと言われました。それからボーカルをもっとデカくしてほしいと言われたんです。今では彼女の曲を手掛けるときは必ずボーカルを非常に大きくしておくようにしています。リクエストが来るのは分かり切っていますからね。2020年のクリスマスまでにはアレンジを終えて、サビのコードを少し変え、生ドラムを足し、全体のサウンドをベストなものに差し替える作業を終えていました。けれど最終的に出来上がったのは最初のデモにそっくりなサウンドでしたよ」

大量のプラグインを使うためコンピューターを自作した

 ナッピはこれらの作業をすべてLAにある彼のホーム・スタジオで行った。現在作曲やプロダクションの作業はAPPLE MacBook Proや自作コンピューター上のAVID Pro Toolsで行なっている。

 「高校のとき、音楽理論の先生が学校を説得してPro ToolsとDIGIDESIGN Control|24を導入したんです。今考えれば意味不明な決定ですが、ともかくこうして13歳のときからPro Toolsに慣れ親しむことになりました。高校を卒業した後はボストンのバークリー音楽大学に入学し、そこでフィルム・スコアリングを専攻、それに指揮も学びました。カーラに出会ったのもバークリーです。彼女の会社と契約したのは前述した通りですが、それから彼女はユニバーサルとの出版契約も手引きしてくれました。その2年ほど後、シンガーのイーサン・トンプソン、DJのサマンサ・ロンソンと一緒にオーシャン・パーク・スタンドオフというバンドを結成し、ハリウッド・レコードと契約を交わしました。残念ながら2年程前にこのバンドは解散してしまいましたけどね」

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「abcdefu」を手掛けたピート・ナッピ。写真は、LAにある彼のホーム・スタジオで撮影されたもの。モニター・スピーカーはFOCAL SM9とAMPHION One18を使用。オーディオI/OはRME Babyface Pro FSを使用している。自作のWindowsのコンピューターにはAVID Pro Toolsがインストールされている

 ナッピのスタジオで特に異色の存在と言えるのが自作のコンピューターだろう。大量のプラグインを使う制作スタイルのため、よりパワーのあるマシンが欲しかったという。

 「これまでの制作はすべてMacBook ProとPro Toolsで行っていましたが、ロックダウンの最中にバグの数々や予期せぬクラッシュに悩まされるようになったんです。テンポを変えるだけで謎のホワイト・ノイズが出たり、セッションを開くたびにソフト・シンセのルーティングが勝手に変わったりね。ときには再生すら不可能になって全部再起動しなきゃいけなくなることもありました。なので“とにかく何でも良いから動くマシンが欲しい”と思うようになったんです。手に入るベストなパーツを組み合わせてWindowsのコンピューターを自作することにしました。Windowsを使うのは人生で初めてでしたよ。リサーチを重ねてなるべくMacから違和感無く移行できるようにしました。今でも多少のトラブルが発生することはありますが、Macを使っていたときよりは安定しています」

 UNIVERSAL AUDIO UAD-2のDSPカードを除いて、コンピュータを作るのにかかった費用は1,600ドル程度だという。

 「これで10,000ドル以上するMacBook Proをしのぐパワーがありますからね。CPUのAMD Ryzen 9 5950Xのパワーはすさまじいです。Pro Toolsにはシングル・コア性能の方が重要ではありますが、16コアの存在感はすごいですよ」

 Pro Toolsに対しては、長年使用しているが故に良しあし両方の印象を持っているという。

 「13歳のときから使っていますし、多くの素晴らしいことができるすごいソフトだと思っています。けれども同時に大量のフラストレーションを抱えているのも事実です。気分が乗っているときに急にトラブルが発生することもありました。プラグインを間違った場所に移動してしまった際に取り消しが効かないということもありますね。レコーディングとエディットには最高のDAWですが、そのほかの要素ではほかのDAWに遅れを取っている部分もあります。ほかのDAWを試したことはあるんですが、残念なことに僕のPro Toolsの操作は速過ぎるんですよ。裏も表も知り尽くしてしまっているので、ほかのDAWへ転向するのがとても難しいんです」

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ナッピのホーム・スタジオに備わるシンセやアウトボード類の一部。上からアナログ・シンセMOOG Sub Phatty、マイクプリのAUDIENT ASP800、CHANDLER LIMITED TG2-500、リミッターのINWARD CONNECTIONS The Brute、オーディオI/OのMOTU 828X、パワー・コンディショナーFURMAN M-8DX、CHANDLER LIMITED LTD-1、コンプレッサーのTUBE-TECH CL 1Bが並ぶ。ほかにもNEUMANN U67、M149 TubeやADVANCED AUDIO CM800Tといったマイクなども取りそろえ、特にCM800Tについてナッピは「SONYの優れたマイクC-800Gを手本にしたもので、素晴らしいサウンドなので毎日のように使っています」と語っている

 

 

インタビュー後編(会員限定)では、「abcdefu」のPro Toolsセッション画面を公開。制作の手法について詳細に語っていただきます。

Release

『abcdefu』
ゲイル
(ワーナーミュージック・ジャパン)

Musician:ゲイル(vo)
Producer:ピート・ナッピ、サラ・デイヴィス、デイビッド・ピッテンジャー
Engineer:ピート・ナッピ
Studio:プライベート

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