テキサス州ダラス出身のシンガー・ソングライター、ゲイル。インタビュー後編では、彼女のメジャー・デビュー・シングル「abcdefu」の制作手法について、Pro Toolsのセッション画面とともに紐解いていく。
Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko
インタビュー前編はこちら:
打ち込みギターのメカニカルさがモダンに聴こえた
続いてナッピは「abcdefu」のプロダクションについて詳細に語ってくれた。
「普段新しい曲をもらったとき、あまりデモは聴きたくないんです。とりあえず1回聴いて、この曲をやりたいかやりたくないかを決めます。実際にやると決まってセッション・ファイルをもらうと、それをダイレクトにPro Toolsに取り込み、素早く作業に取り掛かるんです。最初のリアクションと直感が恐らく一番正しい反応ですからね。ささっとアイディアをまとめ、その方向性を気に入ってもらえたらアレンジを煮詰めたり、より良いサウンドを探す作業に入ります」
ナッピが作った「abcdefu」の最初のバージョンは、サンプルのエレキギターとARTURIA Mini Vを使ったシンセ・ベース、それにドラムと、オリジナルのアコースティック・ギターとボーカルが入っていた。
「この曲の場合、打ち込みギターのメカニカルな感じが逆にモダンに聴こえたのでそのまま残しました。普段は初期の打ち込みを後から自分で弾き直すこともあります。ドラムの打ち込みをする際は、なるべくサウンドをグリッドに合わせるんです。ドラムはプロダクションのときはグリッドに合わせてやる方が好きなんですよ。もっとリアルなフィーリングが欲しいと思ったら何をどうすれば良いのかは分かっていますから。レイドバックしたフィールが欲しいときは8分音符を少しビートから遅らせれば良い、みたいな感じでね」
サンプリングのネタは、何年もかけて集めているという。また、NATIVE INSTRUMENTS Kontaktも頻繁に使用するそうだ。
「Spliceはサンプル集めに最適な場所です。ソフト・シンセは、SPECTRASONICS Omnisphere、XFER RECORDS Serum、LENNARDIGITAL Sylenth1などを使います」
「abcdefu」に見られる一般的なロックのフィールとエレキギターのイメージは、今どきのROLAND TR-808を多用したエレクトロニック・アレンジに満ちたポップ・ミュージックのシーンからは少々異端にも思える。ナッピは頭の中では常にロックなプロダクションにならないように戦っていると語った。
「僕は昔ロックをやっていましたし、リスナーもギターの音は何千回も聴いて慣れてしまっています。もちろん今でもロックは好きですが、それよりもどうやってそんなサウンドを出しているのか想像もつかないような音楽を作る方がもっと面白く感じるんです。最近聴きたいと思う音楽はどれもこういう面白い音楽ですし、これがより新鮮な感覚を保つことにもつながっています。けれど、やっぱり僕はロックを作るのがもともと得意なんだと思います。ロックを聴いて育ちましたし、この曲を初めて聴いたときもロックらしいプロダクションが必要だなとすぐに思いましたからね。歌詞も不安と怒りがメインなので、ハードなプロダクションが必要だったんです」
ゲイルも「abcdefu」をよりエッジーな感じにしたかったらしい。彼女自身もロックな女性になりたいと思っているという。
「僕が採った方向性が結果として彼女の方向性ともマッチしていたというわけです。当時は全く別の曲がメイン・リリース用として同時進行していたんですが、彼女には全く響いていなかったみたいですね。ちなみに僕はそちらには全くかかわっていません」
自分でたたいたドラムをループにして使った
ゲイルと彼女のチームはナッピが最初に採った方向性に非常にエキサイトしていたようだ。その後、追加のボーカル・トラックの処理やドラムのレコーディングも任されたという。
「プロダクションのこの段階ではすべてのサウンドをできる限りベストなものにすることに注力しました。ドラムは大半のサウンドを入れ替えたんです。キックを差し替え、デモで使っていたフィンガー・スナップのサウンドはTR-808のスネアに置き換えました。それからハイハットを足したり、パーカッションを少し追加して飾り気を出しました。普段自分の仕事で自ら生ドラムをたたくことはめったにないんですが、今回は自分でドラムをたたき、APPLE iPhoneで録音してビートを作りました。iPhoneのマイクのサウンドが実は結構好きで、ミックスした音をいったんiPhoneに送って、それを聴きながら演奏したと思います。そうして録ったデータは後でカットして1小節単位でループにして使いました」
プロダクションが完成すると、ゲイルと彼女のチームからさらなるリクエストが届いたという。“今のサウンドが皆とても気に入っていまして、ミックスもお願いできませんか?”というオファーだったが、ナッピにとっては両手を上げて歓迎できる申し出というわけでもなかったという。
「自分の曲のミックスをするのは大嫌いなんですよ! めちゃめちゃ難しいんです。けれど最近は自分が手掛けた曲をミックスする機会がとても多く、プロダクションよりもミックスの方に時間を使うことも少なくありません。しかし「abcdefu」では大した時間を使ったかどうかすらあやふやなんです。普段の僕のミックス・セッションは大量のプラグインを使うことが多く、BLUE CAT AUDIO Blue Cat’s Patchworkを使って各トラックに限度以上のプラグインを使うこともあります。けれどこの曲の場合そんなことはしませんでした。僕にとっては非常に少ないプラグインの使用量だったんです」
「abcdefu」はプロダクションを進めながらミックスも同時進行で行っていたという。皆に気に入ってもらえたサウンドだったので、そこからほとんど手を加えなかったそうだ。
「ミックスに集中し過ぎると周りが見えなくなってしまい、“こんなに手をかけたのになんでこんなひどいサウンドになってしまったんだろう”という結果になってしまうこともあります。要は考え過ぎの状態ですね。今回はそうした沼に陥る前にさっと終えることができたので、僕にとっても良い教訓でした。「abcdefu」はベスト中のベストなミックスではありませんが、まさに程良くハマったミックスだったんです」
ボーカルを加工してサビの瞬間の盛り上がりを演出
「abcdefu」のミックス・セッションはフォルダー・トラックが活用されよく整理されている。
「実はこのインタビューのためにセッションを整理したんです。普段はトラック名すら付けないので、僕のセッション・ファイルにはAudio1、Audio2といった名前のトラックが大量に並んでいるだけなんですよ。もちろん他人に送る必要があるときにはきちんと名前を付けて整理しますけどね。最近はフォルダー・トラックを活用しまくっています。作業が速くなりますから。オーディオ・トラックをルーティングするバスとして使用しています。そこら中にAVID EQ3 1-Bandが使われていますが、これはボリューム調整目的で入れています」
生ドラムのトラックやスネアのフォルダー・トラック内を見るとさらに複雑な処理の跡が確認できる。
「生ドラムにはPLUGIN ALLIANCE Elysia Phil’s Cascadeを使ってそこかしこにひずみを足しています。スネアのフォルダー・トラックにも大量のサチュレーションを足しました。音楽デュオのディスクロージャーがスネアにアナログ・テープのプラグインを使っている動画を見てそのまねをしたんです。こうやって誰かのまねをしつつ、そこから自分なりにアレンジするということをよくやります。この曲ではこの方法がうまくいきましたね。スネアのフォルダー・トラックにはWAVES API 2500、IK MULTIMEDIA T-RackS Tape Machine 80、SONNOX Oxford Inflator、FABFILTER Saturnも使い、それからEQで70Hz以下をカットしました」
ベースとキーボードのトラックには何もインサートされていないが、ギターには大量の処理を行っているのが分かる。
「アコギにはSOUNDTOYS Microshiftでスペース感を出し、SOUNDTHEORY GullfossでEQしました。エレキはWAVES NS1でノイズ処理を施し、STL TONES ToneHubのギター・プリセットを使い、XFER RECORDS Serum FXをさらにかけています。ギターのプリセットは、友人のザック・セルヴィーニがSTL TONESのファンでして、彼のものを使っています」
サウンド・エフェクトは、スウィープ音やライザーなどに加え、叫び声などの声ネタも使われている。
「サビの頭部分のボーカルを素材として使い、ピッチを上げさまざまなディストーションやリバーブで加工するということをよくやります。こうすることでサビになった瞬間にさらにエキサイティングな雰囲気を演出することができるんです」
SLATE DIGITAL Fresh Airでメイン・ボーカルにキラキラした質感を与える
続いてボーカル・トラックについての説明が続いた。少しばかり古くも感じられるロック的なプロダクションがチーム全員に歓迎された一方、歌詞に使われている言葉のチョイスには多少の疑義があったそうだ。
「ボーカルは3バージョンありました。ABCDE F*ck Youというのがメイン・バージョンで、それ以外はABCDEFUバージョン、ABCDE Forget Youバージョンです。最終的には2番目のバージョンが採用され、そこにメイン・バージョンからほんの少しパートを引っ張ってきて足しました」
ナッピが扱っていたボーカル・データは録ったままのデータだという。これはゲイルやサラ・デイヴィスと一緒に曲を書いたデイビッド・ピッテンジャーから受け取ったものだ。
「ボーカルを扱うときは、まず最初にWAVES NS1でノイズ処理をします。ボーカル・トラックに最初に挿すコンプレッサーにはJOEY STURGIS TONES Gain Reductionをずっと使っていますが、もう少しおとなしくてサチュレーションが控えめな感じが欲しいときには別のものを使うこともあります。その後にはKSHMR Essentialsを使います。この2つの組み合わせは低レイテンシーかつ良いサウンドが得られるのでボーカル録りのときも使っています」
ボーカル・トラックのうちの何本かにはVALHALLA DSP Valhalla VintageVerbとNATIVE INSTRUMENTS Raumを使っているが、リバーブはWAVES CLA EpicとUADプラグインのCapitol Chambersでいろいろ試すことが多いという。
「WAVES H-DelayやANTARES Auto-Tune EFXを使っているトラックも何本かあります。バッキング・ボーカルの幾つかにはSerum FXを使いました。それとメイン・ボーカルのフォルダー・トラックにはSLATE DIGITAL Fresh Airを使ってキラキラした感じを少し足しています」
マスター・トラックには9つのプラグインが使用されている。普段マスターにはもっとプラグインを使うそうだ。数は多いがどれもかかり具合はほんのわずかだという。
「最近使う数は減らすようにしているんですよ。先ほども言った通りやり過ぎない方が良いこともしばしばですから。NOMAD FACTORY A.M.T. Max Warmは曲全体をウォームにしてくれるリミッターの一種です。Fresh Airの後に使っているOEKSOUND Soothe2は高域で変なサウンドが発生しないように使いました。FABFILTER Pro-L2とOxford Inflatorは音量を稼ぐためのものです。実はこの作業は休暇でハワイに居るときにAudioMoversを使ってAPPLE iPadでやりました。この曲はゲイルの活動を軌道に乗せるためのものだったので、誰もこんな大ヒットになるなんて思っていませんでしたからね。マスタリングはLANDRで自動でやりました」
このところはTikTokで勢いに乗った作品がチャートをにぎわせることが増えてきている。少数のアーティストやエンジニアたちによって長らく独占されてきた現代のヒット・チャートだが、この動きが将来的に今の状況を完全に変えることになるのか気になっている人も居るかもしれない。未来のことは分からないが、いずれにせよ今後ゲイルとナッピのサウンドを聴く機会はどんどん増えていくに違いない。
インタビュー前編では、 ゲイルのデビュー・シングル「abcdefu」を手掛けたピート・ナッピのホーム・スタジオを公開!楽曲を手掛けることになったきっかけや、コンピューターを自作するに至った経緯などを語っていただきました。
Release
『abcdefu』
ゲイル
(ワーナーミュージック・ジャパン)
Musician:ゲイル(vo)
Producer:ピート・ナッピ、サラ・デイヴィス、デイビッド・ピッテンジャー
Engineer:ピート・ナッピ
Studio:プライベート