ナイジェリア出身のシンガー/ラッパーで、アルバム『トワイス・アズ・トール』が2021年のグラミー最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞を獲得したバーナ・ボーイ。アフロ・フュージョン界の新たなスターとして、世界中から高い評価を受けている。クリス・マーティンなどをゲストに迎えた本作のミックス・エンジニアはジェシー・レイ・アーンスター氏。客観性を保つためにスピードを重視したミックスで、今作をプラグインのみで作り上げたという。そのミックスをひも解いていこう。
Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko
インタビュー前編はこちら:
ローカットでベースのローエンドをタイトに、スネアはゲート・リバーブで曲になじませる
アーンスター氏は、速く曲を良いフィーリングにするために、ベースの処理をキックと同時に行ったと言う。その内容を聞いていこう。
「キックは既にサブベース帯域を占有していたので、ベースにはローカット・フィルターをかけました。Pro-Q3を使って60Hzでロールオフしています。逆効果に感じるかもしれませんが、実はベースにローカットを使うのはタイトなローエンドを作る良い方法なんです。その後にKUSH AUDIO RedDIを使ってローエンドを豊かにしつつ、中域に美しい倍音を足して生き生きとしたサウンドに仕上げました」
ベースのトラックには“JJ8”と“S Bass”というAUXトラックへのセンドがあり、JJ8ではCLA Mix Hubのマイクプリ・ゲインを最大にしつつローカット・フィルターを120Hzまで上げているそうだ。
「まるでギターのオーバー・ドライブみたいなサウンドにしました。それからPOLYVERSE Widerで低域のサウンドを左右に広げて3D感を出しています。2trあるS BassというAUXバスはどちらも同じ役割で、ローカット・フィルターをかけたコーラス処理です。片方はAIR Chorus、もう片方はVALHALLA DSP Valhalla Space Modulatorを使っています。それぞれ違った味付けのコーラスですよ。これら2trを合わせることによって、ベースにスパークリングでキラキラした3Dのようなサウンドを付加しているんです」
次にほかのドラム・パートとパーカッションの処理について話してもらった。まずはスネアからだ。
「メインのスネアにはSaturn 2でサチュレーションを足し、それ以外のスネアにはKUSH AUDIO Omega Transformerを使ってハイエンドを調節しました。スネアに並んでスナップのトラックもありますが、これはモノラルかつ中域の2〜3kHzが過多だったので、METRIC HALO ChannelStripを使ってカット。それからMicroShiftを使って左右に広げることで、クールなサウンドになったと思います」
これらのトラックには“DVerb”というAUXトラックへのセンドが用意されているが、そこではAVID D-VerbではなくRevive IIを使っている。
「1980年代風のありがちなノンリニア系ゲート・リバーブですが、うまくなじませることでスネアのディケイがミックス全体を邪魔することなく効果的に働きます。ところで曲の終わりにかけてスナップがそれまでより倍の音量になりますが、これは間違えてステムを複製してしまった結果出来上がったサウンドなんです。もちろん修正したのですが、バーナのチームの誰かがクライマックスに向けてとても美しい流れだと言ったので、そのまま残すことにしました」
ドラム・フィルのトラックにはKORNEFF AUDIO Talkback Limiterを使用。これは1980年代にピーター・ガブリエルやフィル・コリンズがSSLコンソールのリッスン・マイクのコンプを使って行っていたテクニックをまねたもので、うごめくようなパワーのあるサウンドが作れるそうだ。
「ティンバランドが追加したすごいグルーブがあって、1分07秒くらいからはっきりと聴こえるものです。これが最初はタイトでクリック感も強過ぎたので、Pro-Q3で492Hzのレゾナンスをカットし、中高域と高域を足してからSaturn 2を使いました。スタイルをBroken Tubeにしてよりひずませ、サステインを強調しつつトップエンドを和らげる効果があります。最終的にCLA MixHubでトップエンドを再度持ち上げて生命感と存在感を足しました」
Drum Fill 〜エキサイティングな効果を与えるリッスン・マイク・コンプレッサー
ドラム・フィルのトラックの使用プラグイン。KUSH AUDIO Omega Transformer(左)、FABFILTER Pro-Q3(中央)、KORNEFF AUDIO Talkback Limiter(右)。Talkback Limiterは1980年代にSSLコンソールのリッスン・マイクのコンプを使ってやっていたテクニックをまねたもの。「アフロ・ビートのプロダクションでは多用しますね。こういう類のジャンルでは大体フィルが別のトラックになっているので、このテクニックを使ってパワーのあるエキサイティングな効果を足しています。とどろくようなサウンドを作り出せますよ」とアーンスター氏
バッキング・ボーカルを左右に広げた上で、オートメーションでパンに動きを付ける
アーンスター氏いわく、パーカッションはほとんど打ち込みで、タイミングやグルーブは元から非常に噛み合っていたとのこと。ただ、それらの音がまるで違う世界にいるかのような雰囲気であることが問題だった。
「ボーカルがミステリアスな雰囲気を醸し出しつつ、シンセがそれを強調している中で、ドラムとパーカッションが最前面でかなりくっきりと主張していたんです。とてもバラバラに感じたので、DVerbというAUXトラックに、Revibe IIを2つ足し、気に入ったプリセットを選んで使いました。ドラムに直接リバーブをかけると後ろに下がり過ぎてしまうので、AUXトラックを足してボーカルと同じ場所でパフォーマンスしているようにしたんです」
数分のミックスで既に良い雰囲気になっていたと言うアーンスター氏。ここからどのようにボーカルを輝かせるかが重要だったのだが、その調整にはとても時間がかかったようだ。
「この曲で本当に重要なのはバッキング・ボーカルで、それらをしっかりとあるべき場所で輝くサウンドにしつつ、全体をまとめることが必要でした。ほぼすべてのバッキング・ボーカルにはCLA MixHubを使っています。それぞれローカットしつつEQとコンプを適宜かけるなど、まるでアナログ・コンソールを扱うようにCLA MixHubで目的のサウンドに仕上げました。大量のバッキング・ボーカルのために、いちいち各トラックに複数のプラグインを使わなくて済みますしね」
“Welelel”というバッキング・ボーカルのトラックには、プロデューサーのディディから指示があったという。
「ワイドにするだけではなく、左右に動かすことで全体を取り巻いているような効果を出したいというビジョンを聞いていました。WAVES S1 Stereo Shufflerを使い、ワイズを目一杯広げ、それからパンをオートメーションで動かしました。このアイディアは素晴らしかったと思います。その後にはバッキング・ボーカル用のエフェクトとしてAVID Mod Delay 3、VALHALLA DSP Valhalla Delay、WAVES H-Delayをそれぞれ別々のAUXトラックに並べました。Valhalla Delayは4つ立ち上げ、16分音符、8分音符、4分音符、2分音符で分けています。H-Delayはピンポン・ディレイですね。各トラックは“bgv plate”というVALHALLA DSP Valhalla VintageVerb を使ったトラックと、“bgv rverb”というFABFILTER Pro-Rを使ったトラックへセンドしています。これらはすべてBGV FXバスでまとめました」
Backing Vocal 〜左右に広げてさらに動きを付けた、全体を取り巻くようなサウンド
Welelelというバッキング・ボーカルのトラックに描かれたオートメーションと使用プラグインのWAVES S1 Stereo Shuffler。左右に広げた上で、パンにオートメーションを描いて動きを付けたという。単にワイドにするだけでなく、左右にパンを動かすことで全体を取り巻いているような効果が生まれているとのことだ
リード・ボーカルにはコンプを使わず、フレーズごとにクリップ・ゲインで調節
壮大なバッキング・ボーカルの作業を終え、ようやくメイン・ボーカルであるバーナのボーカル・トラックに取りかかる。
「バーナのボーカルは、コンプを足さずにフェーダーでボリュームをコントロールしました。コンプレッションによる副作用に悩まされずに済みますしね。それぞれのフレーズでクリップ・ゲインを使って調節しました。EQでは、周波数ごとのレベルをリアルタイムで整えてくれるSOUNDTHEORY Gullfossを使っています。非常に気に入っているので、アルバム中のバーナのボーカルほぼすべてに挿しましたよ。それからPro-Q3を不要な帯域をカットする目的で使用し、ACUSTICA AUDIO Amber3でゴージャスなトップエンドを足しています」
Main Vocal 〜フレーズごとに区切ってゲインを調整、コンプによる副作用を防ぐ
メイン・ボーカルとなるバーナ・ボーイのボーカル・トラックの編集ウィンドウ。オーディオ・トラックが細かく区切られている。アーンスター氏いわく「既にレコーディングで調整済みのボーカルには、コンプを足すよりもフェーダーでボリュームをコントロールした方がコンプレッションによる副作用に悩まされずに済みます。それぞれのフレーズでクリップ・ゲインを使って調節しました」とのこと
ここからさらに、SOUNDTOYS Devil-Locを使った“Devil”というAUXトラックへ送り、パラレル処理でディストーションをかけている。ボーカルがちょうど良いバランスであっても、より温かいボディが欲しいときに使うテクニックとのことだ。
「リード・ボーカルにはリバーブを使わずディレイのみをかけて、そのディレイに対してリバーブをかけてバッキングとなじませています。そうすることでリバーブにプリディレイが足され、リード・ボーカルが最前面でリスナーに訴えかけるイメージを損なわず、アンビエント感を足せるんです」
このほかに、“Throw”というトラックではリード・ボーカルのトラックを複製し、そこでのエフェクトはウェットを100%にして使っている。この曲の場合はValhalla Delayで、一部分だけエフェクトを使いたいときに、センドやミュートといったパラメーターのオートメーションを描いていると作業スピードが下がるので、それを避けるためとのことだ。
「そのさらに下には“time adjust”と“s mod”というトラックがありますが、これは2つ合わせてH3000のエフェクトを再現しています。“time adjust”ではAVID Time AdjusterでL/Rchのタイミングをほんの少しだけずらしました。片方にCLA MixHubで多少のひずみを足して、もう片方にはAVID Lo-Fiを使っています。“s mod”ではValhalla Space Modulatorを使った後にCRANESONG Phoenix IIをDark Essenceモードで激しくドライブさせました。モノラルのボーカルをワイドで包み込むような美しいボーカルに変えてくれる素晴らしいエフェクトですよ。これらのトラックはすべて“SHIFT M”というバスにまとめています。それから“Lead Vocal All FX”というバスにPro-Q3を使って、ボーカル全体のエフェクトに必要無いトップとボトムをカットしています」
マスターバスにはCRANESONG Phoenix IIで、中域にハーモニック・ディストーションを加える
各トラックのミックスを終え、マスター・バスの処理に移る。
「まずACUSTICA AUDIO Sand3を使い、それからPawn Shop Compを使いました。どちらもコンプとしては動作させておらず、ほんの少しだけSSLのバス・コンプのようなVCAのカラーを足しています。Pawn Shop Compでは真空管のサチュレーションを加えました。その次はWAVES Abbey Road TG Mastering Chainで、これは非常に位相が正確なステレオ・スプレッダーを備えています。それを+2にセットしつつ少しだけEQを調整しています」
その後段にはFABFILTER Pro-MBを用意し、60Hz辺りのローエンドが少々ぼやけていたのをタイトにしたとのこと。アタックとリリースをどちらもスローにして、サブベースが曲のテンポに合わせて呼吸をするように押し引きされている。また、ACUSTICA AUDIO Purple2で16kHzをブーストしつつ10kHzを抑えていて、これが曲全体のトップエンド処理の大部分となっている。
「その次がPhoenix IIで、キックがクリップするくらい……それこそブレイクビーツやドクター・ドレーが1990年代にやっていたようなサウンドになるくらいドライブさせて、そこから少しだけ戻しました。中域にハーモニック・ディストーションを足し、より生命感を出すことができます。最後にFABFILTER Pro-Lを使って2〜3dBほどレベルを稼ぎ、そこからSIRAUDIO TOOLS StandardClipを使ってさらに1.6dBを稼ぎました。この2つのリミッターはリファレンス・ミックスと比較するためだけに使っていたので、マスタリングに送る際にはオフにしています。ADPTR AUDIO Metric ABも使ってリファレンスと僕のミックスを比較しています。このプラグインは普段から多用していますよ!」
Master Bus 〜生き生きとしたひずみを加えるアナログ・エミュレーション
マスター・バスに使用しているKORNEFF AUDIO Pawn Shop Comp。キックのAUXバスでも使用している。アーンスター氏は「KORNEFF AUDIOのアナログ・エミュレーションは設計図から作り上げられていて、今のところ一番本物のひずみに近いプラグインだと思っています」と語る
CRANE SONG Phoenix IIはマスター・バスと“time adjust”と“s mod”というエフェクト・トラックで使用している。5種類のキャラクターを選択できるテープ・エミュレーション・プラグイン。「中域にハーモニック・ディストーションを足し、より生命感を出すことができます」とアーンスター氏
インタビューの中でアーンスター氏は、影響を受けたミックス・エンジニアとして、ランディ・ストウブ氏、エリック・バレンタイン氏、クリス・ロード=アルジ氏らの名前を挙げた。今回の成功により、アーンスター氏も彼らのようなトップ・エンジニアの仲間入りを果たしたと言えるだろう。
インタビュー前編では、 どのようなことを意識してミックスに取り組んだのか、トラックの整理や最初に取り掛かったキックの処理について伺いました。
Release
『トワイス・アズ・トール』
バーナ・ボーイ
ワーナーミュージック・ジャパン(配信/輸入盤)
Musician:バーナ・ボーイ(vo、rap)、ユッスー・ンドゥール(vo)、ディディ(vo)、マリク・ベナー(g)、アンダーソン・パーク(ds)、マリオ・ワイナンズ(k、p)、クリス・マーティン(vo)、ストームジー(rap)、他
Producer:バーナ・ボーイ、ディディ、レリク、テルズ、P2J、ティンバランド、他
Engineer:ジェシー・レイ・アーンスター、マット・テスタ、ジャビエ・バルベルデ、他
Studio:コーナー・ルーム、スペースシップ、ザ・ヒット・ファクトリー・クライテリア、ララビー、他