バーナ・ボーイ【前編】グラミー受賞作『トワイス・アズ・トール』を手掛けたエンジニアが語るミックスへの取り組み

バーナ・ボーイ【前編】グラミー受賞作『トワイス・アズ・トール』を手掛けたエンジニアが語るミックスへの取り組み

ナイジェリア出身のシンガー/ラッパーで、アルバム『トワイス・アズ・トール』が2021年のグラミー最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞を獲得したバーナ・ボーイ。アフロ・フュージョン界の新たなスターとして、世界中から高い評価を受けている。クリス・マーティンなどをゲストに迎えた本作のミックス・エンジニアはジェシー・レイ・アーンスター氏。客観性を保つためにスピードを重視したミックスで、今作をプラグインのみで作り上げたという。そのミックスをひも解いていこう。

Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko

新鮮さと客観性を保つために、2時間以上同じミックスはしない

 ナイジェリア出身のシンガー/ラッパーであるバーナ・ボーイは、現在最も成功しているアフリカン・アーティストと言えるだろう。2019年リリースの『アフリカン・ジャイアント』がグラミー賞にノミネートされ、西洋各国でもその名が広まった。昨年8月にリリースされた『トワイス・アズ・トール』は2021年のグラミー最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞を獲得し、バーナにとって初のグラミー受賞作となった。今作のミックス・エンジニアはジェシー・レイ・アーンスター氏。彼はミックスを担当したカニエ・ウェスト『ジーザス・イズ・キング』で、同年のグラミー最優秀コンテンポラリー・クリスチャン音楽賞も受賞し、ミックス・エンジニアとして2冠を達成した。

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ミックス・エンジニアのジェシー・レイ・アーンスター氏。こちらは現在のスタジオで、メイン・スピーカーはSTRAUSS ELEKTROAKUSTIK SE-NF-4。メインのオーディオ・インターフェースはAVID Pro Tools HD I/Oで、GRACE DESIGN M905を組み合わせて使っている。アーンスター氏は「コンソールを使うのはやめました。基本的にはマウスとキーボードだけで、スピーカーを遮るものはありません。コンソールからの反射を気にせずダイレクトなサウンドをモニターできています」と語る

 アーンスター氏はバーナの前作『アフリカン・ジャイアント』からミックスを担当している。前作と今作ではワークフローやアプローチという点において大きな違いがあったとのことで、その経緯を語ってくれた。

 

 「前作では3曲を除く全曲、『トワイス・アズ・トール』では15曲すべてのミックスを担当しています。前作のときはまだ十分な信頼関係を築けておらず、バーナから“元のサウンドから何も変えないように”という指示がありましたね。最終的には彼と直接会って、多少自由にやってもいいという許可をもらうことができました。今作では初めから未処理のトラックとボーカルのデータをもらい、必要なことがあれば好きにやっても良いと言ってくれたんです。より奥深いミックスを好きなだけ追求できましたね。面白いことに、前作では味わいたっぷりと言えるアナログのアウトボードを大量に活用して作ったのですが、それよりも今作の方が数百億倍も良いサウンドだということです。完全にDAWの中だけの作業で完結した今作の方が、圧倒的にリアルなサウンドだと思っています」

 

 コロナ禍や自宅スタジオの改装のため、アーンスター氏はロサンゼルス中を転々としながら今作のミックスを行った。そのためAPPLE MacBook ProとAirPodsのみで作業を進めることが多かったのだが、時折自分のスタジオに戻りニアフィールド・モニターのSTRAUSS ELEKTROAKUSTIK SE-NF-3を使ってチェックしていたと言う。

 

 「SE-NF-3は現行のモニター・スピーカーの中でもかなりひずみが少なく、私が知る限りどれよりも細部が見える機種だと思います。限りなく奥深くまで音を引き出せるんです。『アフリカン・ジャイアント』リリース後に導入したところ、ミックス作業がかなり速くなり世界が変わりましたよ」

 

 バーナはアフロ・フュージョンのアーティストで、ナイジェリアン・アフロ・ビートのパイオニアと言える存在だ。ミックスにはどのようなことを意識して取り組んだのだろうか。

 

 「このジャンルで僕が特に好きなのは大量のパーカッションがあることと、その影響で中高域から高域にかけて素早いトランジェントたっぷりの要素で満たされていることです。こうした要素を前面に出して、時にはボーカルよりも際立たせることが求められます。バーナや彼のマネージャーたちからは“ボリュームがデカいのは分かっているよ。けどこれが必要なサウンドなんだ、信じてくれ。俺たちはこういうサウンドが欲しいんだよ”と何度も言われました。アーティストの意図は常に元のミックスに込められている、ということを理解しなければいけません。ですので、こうしたパーカッシブなサウンドを華々しくすると同時に、これらのサウンドに適切なEQやコンプを使い、シビランスをコントロールしつつボーカルと調和させる必要もありました。パーカッションに埋もれず、ボーカルはボーカルできちんとストーリーを語れないといけませんから」

 

 『トワイス・アズ・トール』のミックスは、セッションの上からベース、キック、ほかのドラム類、中域の楽器類、バッキング・ボーカル、リード・ボーカル、ボーカルのエフェクト・トラック、そしてエフェクトAUXトラックの順に並べられている。アーンスター氏は、まずトラックの色分けと順番の整理から行っていくとのことだ。

 

 「曲の全体像をさっとチェックできるようにするのが主な目的です。SOUNDTOYS MicroShiftやEVENTIDE H3000などを使ったエフェクトAUXトラックや、パラレル処理のトラックを準備しておいて、曲全体を素早く展開できるようにしてあります。ミキシングはスピードがとても重要ですからね。2時間以上同じミックスをしていると客観性を保つのが非常に難しく、フレッシュに聴くことができません。そのため、2時間作業したら寝かせておいて、後日続きをすることにします。内省的にやるより、皆と交わり合いつつ音楽を作り上げていくのが良いんです」

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Mac専用ソフトBounce Butler。複数のセッション・ファイルのバウンスを短時間で行うというもの。画像からは13個のPro Toolsセッション・ファイル(.ptx)をバウンスしようとしているのが分かる。ミキシングはスピードがとても重要と言うアーンスター氏には打って付けだろう

KORNEFF AUDIO Pawn Shop Compは、元のサウンドを跡形も無いほどひずませる

 ではここから、収録曲「Time Flies」を例に解説してもらおう。ケニア系アフロ・ポップ・バンドのサウティ・ソルというアカペラの名手をゲストに迎えた曲だ。アーンスター氏がこの曲を選んだのは、アルバム中で最もミックスが難しかったのと、ほかの曲とは少しだけ毛色が違うからだと言う。

 

 

 「この曲はアフロ・ビートではなく、それよりも南アフリカのスタイルが強くてボーカルのアレンジが特徴的です。最初の難関は元のミックスで強調されていたゴージャスなボーカル・サウンド。ボーカルが、ドラムにも、パーカッションにも、時にはキーボードやほかの楽器にもなり、とにかく積み重ねられているんですよ。もちろんどのボーカルも録音はしっかりとされていましたが、同じ中域のスペースを奪い合っていました。その辺りをカットして調整したり、シルキーなトップ・エンドを足して整理しています。次の難関はセッションのサイズ。バーナの曲は大抵30〜70trあります。その大部分はドラムとパーカッションですが、この曲では150近いトラックのうち約100trがボーカルです。僕のシステムでは再生が追いつかず、まずボーカルのトラックをグループに分け、それをまとめたステムを作らなければいけませんでした。これだけで45分はかかりましたね」

 

 ボーカルを整理して全体を聴いた後、実際のミックスはキックから始まった。

 

 「キックが曲中で最初に入ってくる楽器なので、ここでリスナーの興味を引かなければいけません。パワフルでパンチのあるスピーディなローエンドがありつつも、かなりタイトにしたかったんです。ビーターのすぐそばにマイクを置いてアタックを強調したような、いわばハードなゴスペル風のキックが必要かなと感じたので、STEVEN SLATE AUDIO Trigger2を使ってキックのサンプルを幾つか足しました。ビッグなサウンドにするテクニックですよ。残念ながらこのプラグインはそこまで位相が正確に合わないので、手作業で合わせる必要がありますがね」

 

 キック類はすべて“Kick”というAUXバスでまとめ、そこでFABFILTER Pro-Q3、Saturn 2、WAVES CLA MixHubを使ったという。それぞれについて話してもらった。

 

 「Pro-Q3はどうしてこんなEQカーブになったのか覚えていないのですが、きっとこれがベストなサウンドだったのでしょう! 目的のサウンドになるまでいろいろなパラメーターを動かしまくるのが僕のやり方で、時には極端な設定が最適なこともあるんです。注意深く設定に時間をかけ過ぎると、直感的で素早い判断の妨げになりますから。Saturn 2は中高域のディケイを伸ばすために使いました。キック類はどれもとても素早いトランジェントがあったので、そこにサステインを足すとより聴こえるようになったんです。CLA MixHubは今のところ、僕が一番好きなSSL SL4000Eコンソールのエミュレーションで、ここではEQを使って少々カットしています」

 

Kick AUX Bus 〜ベストなサウンドになるまでEQカーブはとにかく動かす

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キックのAUXバスの使用プラグイン。処理順にFABFILTER Pro-Q3(左上)、Saturn 2(右上)、WAVES CLA Mix Hub(下)。Pro-Q3のEQカーブはアーンスター氏本人もなぜこの設定にしたのか覚えていないとのことで、「時間をかけ過ぎると、直感的で素早い判断の妨げになりますからね」と語る

 

 キックのAUXバスには、“C-Kit”というパラレル処理のトラックがあり、サチュレーションやひずみを足している。Pro-Q3で4kHz辺りの耳障りな音をカットし、さらにKORNEFF AUDIO Pawn Shop Compを使用。PREAMPノブを最大にしてクリップさせ、それからBIASノブも上げてひずみを足しているという。

 

 「Pawn Shop Compは元のサウンドを跡形も無いくらいにひずませてくれるのが好きで、究極のアグレッシブさを演出してくれます。単純にコンプとして使うとちょっと退屈なサウンドになってしまうので、こうしてパラレルで使う方が良いですね。KORNEFF AUDIOのアナログ・エミュレーションは設計図から作り上げられていて、今のところ一番本物のひずみに近いプラグインだと思っています」

 

 

インタビュー後編(会員限定)では、 壮大なバッキング・ボーカルのミックス作業から、バーナのボーカル・トラック、そしてマスター処理と作業の全貌に迫ります。

 

Release

『トワイス・アズ・トール』
バーナ・ボーイ
ワーナーミュージック・ジャパン(配信/輸入盤)

Musician:バーナ・ボーイ(vo、rap)、ユッスー・ンドゥール(vo)、ディディ(vo)、マリク・ベナー(g)、アンダーソン・パーク(ds)、マリオ・ワイナンズ(k、p)、クリス・マーティン(vo)、ストームジー(rap)、他
Producer:バーナ・ボーイ、ディディ、レリク、テルズ、P2J、ティンバランド、他
Engineer:ジェシー・レイ・アーンスター、マット・テスタ、ジャビエ・バルベルデ、他
Studio:コーナー・ルーム、スペースシップ、ザ・ヒット・ファクトリー・クライテリア、ララビー、他

 

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