テイラー・デュプリーが語る坂本龍一との制作 〜12Kへの共感と『Disappearance』

テイラー・デュプリーが語る坂本龍一との制作

坂本さんは聴衆を“指揮”していた。彼が最初の音を弾くと誰もが耳を傾けていた

 2023年3月28日に坂本龍一さんが他界されて、1年を迎えた。この追悼企画では、ソロ作品を中心に坂本さんと共作したミュージシャンやクリエイター、制作を支えたエンジニアやプログラマー、総計21名の皆様にインタビューを行い、坂本さんとの共同作業を語っていただいた。

 アンビエントレーベル、12Kを主宰するテイラー・デュプリー。共にニューヨークを拠点にしていたというだけでなく、音楽的に坂本と共鳴した彼は、連名でのアルバム『Disappearance』(2013年)を制作したほか、ライブでも数多く共演を重ねてきた。

坂本さんは自分より若い最先端のアーティストと連携し、自分自身で新しい道を切り開いた

——最初に坂本さんとあなたが一緒にクレジットされているのは、イラク戦争を契機に坂本さんが始めた、世界中のミュージシャンが連歌のようにつなぐプロジェクト、CHAIN MUSIC(2003年)だと思います。

デュプリー そのプロジェクトの前に、坂本さんが12KのCDをオーダーしてくれていて、彼が私たちのレーベルに興味を持ってくれていることを知りました。それで、お互いニューヨーク在住ということで親しくなり、CHAIN MUSICへの参加依頼が来たのだと思います。その後も、12Kのタイトルをリリースすると、坂本さんはよく購入してくれたり、私に“聴かせてほしい”と連絡をくれたりしました。ですので、彼がほとんどの12Kの作品を聴いていることは分かっていました。彼は非常に多くの種類の音楽に精通していて、そのおかげで彼自身の作品は非常に豊かで深く、情報に富んだものになったと思います。

——それ以前に坂本さんの作品を聴いたことは?

デュプリー YMOは知っていましたが、そこまで深く聴き込んでいたわけではありません。『戦場のメリークリスマス』のサントラももちろん知っていました。アメリカでも大きなヒットでしたから。しかし、私はあまりこうしたタイプの音楽を聴いていませんでした。大きな契機となったのは、カールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)とのコラボレーションで、新たなリスナーに向けて新しい坂本龍一の音楽を彼自身が再発見し、また、私の関心を引くものでした。自分より若い最先端のアーティストと連携し、自分自身で全く新しい道を切り開くという、非常に大胆かつユニークな行動だと思いました。

——続いて、2006年の坂本作品のリミックス集『Bricolages』で、「World Citizen」のリミックスを手掛けられました。

デュプリー 私はデヴィッド・シルヴィアンの大ファンで、子供のころから彼の音楽をよく聴いていたので、彼がボーカルを務めたこの曲のリミックスは私にとって特別でした。また、自分の音楽ではボーカルを扱うことがないので、とても楽しい機会でしたし、デヴィッドとも親しく交流することになりました。

——当時と今とで、あなたの音楽のスタイルや使用している機材も少し変化しているように思います。

デュプリー 2005年に、私はブルックリンから郊外へと引っ越したばかりでした。2006年ごろの私のスタジオは、CLAVIA(現Nord)Nord ModularとSymbolic Sound Kymaを中心にしていました。現在も使っているRoland JUPITER-8、そして当時はOberheim XpanderとWaldorf Microwave XTもありました。DAWはMOTU Digital Performerでした。

最後の作品『12』に最も共感する。その空間と静寂には何かがある

——2013年には坂本さんとあなたの名義で『Disappearance』がリリースされます。

デュプリー 残念なことに、『Disappearance』が坂本さんと私で一緒に作ることができた唯一のスタジオアルバムになってしまいました。時間ができたらもっと作ろうと話し合っていました。彼は非常に多忙を極め、晩年はもちろんそこに闘病が加わったのです。『Disappearance』は、坂本さんのスタジオで制作しました。自分の機材を持ち込んでセットアップし、彼の楽器や機材を使って一緒に即興演奏し、できる限りのことを録音したことをはっきりと覚えています。

——また、その時期には坂本さんとライブで共演する機会も増えていきましたね。

デュプリー はい、私たちにとっては、長時間のスタジオセッションを行うよりも、一緒にライブで演奏する時間を見つける方が簡単でした。ライブそれ自体が新しい作品だったので、すべてのパフォーマンスを必ず録音するようにしました。即興ですからね。もちろん、私は坂本さんと一緒に演奏するのがとても楽しかった。彼は私とは違って、聴衆を指揮していたので、彼の存在に本当に感謝しています。

——“指揮”とは?

デュプリー アーティストとしての彼の歴史と評判を、観客は尊重していて、彼がステージに立つときは、畏敬の念を抱くでしょう。彼が最初の音を弾くと、誰もが耳を傾けています……明らかに。そして彼と一緒にステージに立った私自身もそれを感じていました。私は坂本さんのために、そして彼と一緒にできる限りのことをして、彼の存在に敬意を表したいと思っていたのです。彼はまた、非常に聴き上手で、これは即興演奏やコラボレーションにおいて最も重要なことです。私たちはお互いに余白を残し、とてもうまく組み合わせることができました。

——坂本さんはこの時期から、音楽のスタイルが晩年目指していた方向へと大きくシフトしているように思います。同時に、あなたの音楽も徐々に形を変えていったように感じますが、どうお考えですか?

デュプリー アーティストは常に新しい方向性とインスピレーションを求め、多くの人が見ようとしない場所を常に見て、聴こうとしない部分を聴いています。私たちは常に成長し、自分自身に挑戦することを目指しています。これがアーティストであることの意味です。坂本さんはじっとしていることや同じことを繰り返すことに興味がなかったと思います。彼は新しいサウンドと新しい方向性に魅了され、情熱を持ってそれらを追求したいと考えていました。音楽家であれ、画家であれ、彫刻家であれ、アーティストであるならば常に敏感であるべきで、同時に新しい段階へ向かって進んでいくべきだと思います。

——最後に、あなたにとって坂本さんのベスト作品は?

デュプリー 実は、彼の最後の作品である『12』(2023年)に最も共感しています。少なくとも今、私の意識はそこにあります。私は『async』(2017年)や彼とのコラボレーションの多くを本当に楽しみましたが、『12』の空間と静寂には、何かがあります。彼の最後の作品であることを知っているために、私にとって特別な場所を占めているのでしょう。彼の最期の日々だけでなく、彼の永遠の精神を感じます。

【テイラー・デュプリー】1971年生まれ。1997年、ニューヨークにてエクスペリメンタル/アンビエント・ミュージックを中心としたレーベル、12Kを立ち上げる。12Kからは坂本とデュプリーの共演作『Disappearance』(2013年)や、坂本とクリストファー・ウィリッツの『Ocean Fire』(2007年)などをリリースしてきた。また、坂本とデュプリー、さらにILLUHAを加えたライブ共演も多数。音楽家としてだけでなく、マスタリングエンジニアや写真家/デザイナーとしても活躍中

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