坂本さんから一番影響を受けたことは“作者としての揺るぎなさ”。自分が美しいと思ったものはやるという姿勢です
2023年3月28日に坂本龍一さんが他界されて、1年を迎えた。この追悼企画では、ソロ作品を中心に坂本さんと共作したミュージシャンやクリエイター、制作を支えたエンジニアやプログラマー、総計21名の皆様にインタビューを行い、坂本さんとの共同作業を語っていただいた。
エレクトロニカシーンで頭角を現した後、ホウ・シャオシャンやジャ・ジャンクーらアジアを代表する監督の映画音楽を担当するようになった半野喜弘。近年は映画監督としても活躍しており、2019年の『パラダイス・ネクスト』では坂本龍一に音楽を依頼した。そんな半野から見た坂本のすごさとは?
クセナキスについての話をした2週間後に、「半野君、演歌やったことある?」
——半野さんが最初に坂本さんと会ったのはいつですか?
半野 1998年くらいですね。ある日、僕の家にFAXが届いたんですよ。「アルバムを聴きました。あなたの才能を世に出す手助けをさせてもらえないか」みたいな文面で、末尾に“坂本龍一”って名前が携帯電話番号と一緒に書かれていた。てっきり友達のいたずらだと思ってその番号に電話して、「こんないたずらするのは誰だよ?」って電話口で言ったら、「坂本です」と。「いや、だから誰?」みたいなことをしばらく繰り返している内にラジオやテレビで聞いたことのあるボソボソ声だってことに気づいて、「すみません、坂本龍一さんですか?」って(笑)。それが最初で、その翌週くらいに坂本さんがやっていたラジオ番組に出演して一緒にセッションをしました。
——それは即興のセッションだったのですか?
半野 はい。あまりビートは出さずサンプラーを使って、ノイズや電子音、フィールドレコーディングした音とか、いろいろな音の断片を加工したものを再生し、それらにリアルタイムでエフェクトをかけていくっていう、かなりエクスペリメンタルなセッションでした。
——そのセッションをやった後、折に触れて一緒に演奏するようになったのでしょうか?
半野 はい、2000年代に入ってからは坂本さんとhoonというユニットをやったりもしました。ただ、自分的に転機となったのは、2000年にTVドラマ『永遠の仔』の劇伴を任されたことですね。主題歌とメインテーマを坂本さんが書かれて、残りの劇伴を全部僕がやるっていう分担でした。
——当時、半野さんは既にホウ・シャオシェン監督の『フラワーズ・オブ・シャンハイ』で映画音楽の制作経験はありましたが、TVドラマの劇伴はまた違うものだったのですか?
半野 ええ。映画って編集された映像を見てから音楽を作るんですけど、TVドラマって撮影前に作らされるんです。脚本に“主人公の悲しみ2バージョン”とか書いてあるんですけど、いや、全然分かりませんけどっていう(笑)。
——劇伴について坂本さんが音楽監督的に半野さんに指示を飛ばすということは?
半野 なかったですね、全部任されちゃった感じ。でも、それが自分にとっては良かったです。それまでのクラブミュージック的なものから、エクスペリメンタルっていうか、より抽象性の高い音楽に興味を持ち始めていた時期でもあったので。
——坂本さんに導いてもらった感じでしょうか?
半野 そうですね。だから音楽的に何か教えてもらったっていうことではないんです。僕が坂本さんから一番大きく影響を受けたことって、“作者としての揺るぎなさ”。西洋美術的な観念で言うと、アーティストが自立するためには、ある1つの方法論なりスタイルを突き詰めていくっていうのが創作の主軸になるんです。これをやると自分のアーティスト性からはブレるよねとか、自分の作品の価値が下がるよねっていうのを、西洋美術ではジャッジメントしながらやる。美術だけじゃなくて現代音楽もそうで、複雑な無調の曲を作ってた人がある日突然キーがCの曲を発表したら堕落したって言われますよね。僕が感じた坂本さんの揺るぎなさっていうのは、そんなことに縛られたくないっていう生き方。自分が美しいと思ったものはやるっていう姿勢。端から見たときに柔軟性とも取れるし、何かあの人いろんなことやっちゃうよね~とも取れて、称賛と批判の両方を受けるけど、坂本さんは当然そのことを分かった上で、そんなシステムに自分の人生を当てはめるのではなく、自分の人生の方に創作の在り方を引き寄せる力強さがあったんです。
——アーティストとしてかなり精神力が強くないとできないことですよね。
半野 なかなかできない……やるのはちょっと怖かったりします。だからすごい冒険家なんだと思います。クセナキスについての話をした2週間後に、「半野君、演歌やったことある? この間やったんだけどさ、やった方がいいよ。めっちゃ難しいから」みたいなことを言うわけですよ。
——同じ人とは思えないですね。
半野 ですよね。すべてに対してすごく平等な人なんです。もちろん好き嫌いはあったでしょうし、ご自身の主義主張もあった。でも、それらに上下はないって考えていたんだと思います。自分の興味に対して自分が柔軟でいられることが、坂本龍一というアーティストの一番の特徴なんだと思います。
坂本さんの独特な和音が響くと、登場人物として坂本龍一という人がそこに居る
——映画音楽を多数手掛けている半野さんから見て、坂本さんの映画音楽のすごさはどんなところにあるのでしょうか?
半野 映画音楽ってとても特殊な立場にあるものなんですよ。そもそも映画には脚本があって、美術があって、そこで芝居があって、それを撮影するもの。要するにリアルなものにしようってことをみんなで一生懸命やっているんです。でもその論法でいくと、音楽って必要ですか?って話になっちゃう。リアルな場では普通、音楽って鳴ってないですよね?……僕たちの人生の恋愛の中で、見つめ合った瞬間にピアノが流れたことなんて1回もないはずです。つまりリアルを追求する映画において、音楽はそのリアルをフェイクにする役割。すごく奇妙な存在なんですよ。だからこそ影響力が大きく、映画の見え方がすごく変わってしまうということが映画音楽の大前提としてあるんです。映画音楽を作る人には、映画の世界なりスタイルなりにアジャストして音楽を作っていくタイプもいますが、坂本さんはアジャストするのではなく、自分の側に引き寄せるタイプだと僕は思っています。坂本さんとしては合わせているつもりなんでしょうけど、あまりにも自身の美学が強いから、僕には坂本さんの映画音楽は出演俳優の一人だっていうくらい大きな魅力を持ってそこに“居る”感じがします。坂本さんの独特な和音が響くと、スクリーンには映っていないけど登場人物として坂本龍一という人がそこに居るっていうくらい強烈な個性を持っている。それでいてその映画にもきちんと貢献しているっていうことが驚きに値しますし、素晴らしいと思います。
——近年の『レヴェナント:蘇えりし者』で顕著なように、坂本さんの映画音楽は初期の『戦場のメリークリスマス』での冗舌な感じから、音楽が鳴っているのか鳴っていないのかよく分からないものへと変化してきましたよね。
半野 そうですね、それは時代の変化……映画音楽が気配として映画を支えるものになってきたっていう流れもあると思います。デヴィッド・フィンチャーやポール・トーマス・アンダーソン辺りが大きく変えてきたと思うんですよね。
——どうしてそのように変わっていったのですか?
半野 それは以前よりも映像の情報量が多くなったからだと思います。カットの数だったり、VFXやカラーグレーディングの進化によって、ワンカットにおける人間の目の網膜への情報量が50~60年前から比べると格段に多くなった。なので、音の情報量も多いと本当にトゥー・マッチなものになってしまう。坂本さんの場合、自分の音楽的な興味とそういった時代の流れの両方が一緒になって、『レヴェナント:蘇えりし者』のようなスタイルになったんだと思います。『御法度 – GOHATTO –』……いや、『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』辺りからそういう兆候はあって、メロディを使って何かを語るというより、聴こえるか聴こえないか分からないような周波数の音やシンプルな和音を鳴らすだけで、このシーンが感動的であることは十分に表現できるって考えたと思うんです。そこは映画音楽を作る者としてすごく共感できるんですが、実際にやるとなるとすごく大変なんです。なぜって、最終決定権を持ってる人が同じような美学を持っていないとOKにならないから。プロデューサーや監督が、派手な曲でもっと感動させてほしいとかって言い出すことがままあるんですよ。
——そうおっしゃる半野さんも、ご自身が監督された2019年公開の映画『パラダイス・ネクスト』では、音楽を依頼した坂本さんに対してダメ出しをされたと伺っています。
半野 はい(笑)。車で走るシーンと車が燃えるシーンという2つのシーンの音楽をお願いしたんですが、僕が欲しかったのは坂本さんにしか作れないメロディとハーモニーだったんです。でも、坂本さんから上がってきたのは抽象化された、あまりメロディックじゃない曲だった。僕がそのシーンで欲しかったのはそういう映画の何かを支える音ではなく……正直言うとそのシーンに坂本龍一が欲しかった。そこにがっつり坂本龍一が立っていてほしかったんです。
——それこそ出演依頼のような?
半野 そうですそうです(笑)。それくらいの存在感を持つ音楽が欲しかった。なぜならその2つのシーンは実音を消して、音楽だけしか鳴らないシーンの予定だったから。もし、セリフがあって実音もあるシーンだったら違ったかもしれないですけど、音楽と視覚だけの場合は音楽が100%だっていうくらい強いものでいいんです。
——ダメ出しをされたあと、坂本龍一さんから望み通りの曲が届いたのでしょうか?
半野 2回ダメ出しして、3テイク目がE-Mailで送られてきたんですけど、その冒頭に「あのね」って書いてるんですよ。僕の感覚で坂本さんから来たE-Mailに「あのね」ってついているときはやばいとき(笑)。「これをボツにしたらマジで俺キレるからね 坂本」って感じの文面で(笑)、怖くてしばらく曲のファイルを開けられなかったです。このテイクが気に入らなかったら坂本さんとの関係が終わる……とか思いましたけど、でも、僕は立場としてはその作品の監督なので、私情でもって違うものにOKを出したら監督として失格なんです。本当に祈る気持ちでファイルを開きましたけど、幸い望んでいたものの120%くらいの曲が流れてきて、めちゃくちゃ感動しました。
坂本さんの美学にかなった音がスタイル以上に貫かれている
——映画音楽以外で、半野さんが一番好きな坂本さんの音楽作品はどれでしょうか?
半野 正直どれも大好きなんですけど、坂本さんと知り合う前によく聴いていたのは『1996』で、最近の作品で好きなのは『out of noise』と『async』……この2枚は流しているとちょっと気持ちがハイになるっていうか違うとこに持って行かれるので、映画の脚本を書くときにずっとこの2枚をかけています。
——『1996』は坂本さんが自曲をピアノ、バイオリン、チェロというクラシカルなトリオ編成で演奏されたアルバムですね。
半野 僕は1990年代のはじめのころにコンピューターとサンプラーを使ってトラックを作る人として音楽活動を始めたんですけど、センスだとかなんとかって言いながらも、どこかで偽物なんじゃないかっていう思いがあったんですよ。この方法で音楽を作り続けたら音楽家ではいられないんじゃないかと。自分が好きだなと思う音楽家って、自分で0から音を作り上げている人なんですよね。『1996』を聴いて、クラシックでもないし、いわゆるポップスでもない……もちろんドビュッシーの要素もあればモンポウの要素もありますけど、でも、どういうバランスで最終的にアウトプットされるのかっていう部分までを考えると、坂本龍一さんにしかできない音楽なんです。いろんなものの影響を受けているようにも見えて、実はものすごく純度が高い。それは坂本さんの美学の純度の高さだと思っていて、セオリーとか方法論以上に、坂本さんの美学にかなった音っていうものがスタイル以上に貫かれていると思う。その美学に引かれて『1996』をよく聴いてたっていうか、すっごいなぁーって思っていました。
——美学が貫かれているという点では、『async』は坂本さん自身が「あまりに好きすぎて発売まで誰にも聴かせたくない」とおっしゃるほどでした。
半野 『async』は、社会が勝手に音楽と呼んでシステム化したものの外に音楽的美学を求めた作品だと思っています。坂本さんからしたら水の音も、大好きなピアノの響きや残響と同じように自分の美学にかなう音楽だったんでしょう。自らがコントロールできない自然の中に、自分の美学が共鳴するものを見つけ、それをすくい上げ、重ね合わせ、心を震わせるものにしていく。その作業の一つの頂点というか集大成が『async』なのだと思います。坂本龍一さんという人は本当に最後まで自分の中にある美学を音にするっていうことを追い求めていたんでしょうね。
【半野喜弘】1968年生まれ。1990年代末、Multiphonic Ensemble名義でのエレクトロニックミュージック作品がヨーロッパで脚光を浴び、ホウ・シャオシェン監督『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(1998年)の映画音楽を担当。以降、パリと東京を拠点に映画音楽からオーケストラ作品、電子音楽など多岐にわたる作品を生み出す。坂本とはキャリア初期から共演を重ね、テレビドラマ『永遠の仔』の音楽を共同制作(2001年)。現在は映画監督としても活躍中で、最新作は『彼方の閃光』(2023年)