佐藤宏明(molmol)氏のルームチューニングで再認識した“モニターの精度”の重要性
STUDIO TORCHは、エンジニアの米津裕二郎氏、熊坂敏氏、滑川高広氏がシェアするスタジオ。今回は、スタジオ設立の火付け役となった、米津氏に話を聞くことができた。ルームチューニングを手掛けた佐藤宏明氏のおかげで、モニター環境の重要性を痛感したという米津氏。詳しい話を伺おう。
佐藤氏のスタジオ“EELOW”の音に感動した
“エンジニア3名のシェアスタジオ”という点がトピックの一つであろうSTUDIO TORCH。実際に使用しはじめたのは2023年前半とのこと。まずは設立の経緯を尋ねた。
「私は、元々prime sound studio formに、現在は青葉台スタジオに所属していますが、ミックスの仕事を日々違う部屋で行うことに限界を感じてきていました。常に同じモニターで聴くことはできないし、環境を自分好みにしていくこともできないんです。そこで、これから先仕事を続けていくにあたり、自分の拠点を作る必要があるなと思い至りました。“本当はもっと時間をかけて作業できたらもっと良くなるかもしれないけど、商業スタジオだと自分の都合だけでは提案できない”といったジレンマを感じていたのも理由です」
米津氏と同じタイミングで、先輩エンジニアである熊坂氏も同じようなことを考えており、“それなら一緒に造ろうじゃないか”と、スタジオ構築の計画が動き出したという。
「最初は、ミックスの仕込みやリモートチェックができればいいという話だったんです。でもお客さんが来てくれる場所の方が活用の幅があるし、歌は録れた方がいいねという話になり、規模がどんどん大きくなっていきました」
STUDIO TORCHは、メインルームと録音ブースとしても機能するサブルームから成り、それらをつなぐ廊下は休憩ができるラウンジになっている。
「正直、プロユースのスタジオで仕事をしていた身からすると、“プライベートスタジオって限界があるよね”と思い込んでいたんです。でも、佐藤さんが施工業者を入れずご自身で作られたスタジオ“EELOW”の音を聴かせてもらったらめちゃめちゃ良くて。“今まで聴いたことのない音だ!”と衝撃を受けました。生き生きしていてしなやかで、“圧倒的にこれが正しい音だ……”と感動したんです」
その後、佐藤氏のルームチューニングを見学させてもらったという米津氏。「実際に見て“佐藤さんに頼めば何の心配もないな”と確信して、お願いしました」と話す。
「佐藤さんは、吸音材や拡散材を置くのか置かないのかを、1つずつ実際に音を聴きながら判断していきます。壁や天井のパネルは、場所によって入っている吸音材の枚数が違いますし、壁や天井から吸音材までの空気層の距離も1cm単位でずらしては聴いてを繰り返しました。スピーカーの位置も同じように検証を重ねています。真っ当なことを重ねるということがいかに重要か思い知らされました」
米津氏は、「佐藤さんが“悪いミックスは正しく悪い音で聴こえること”にこだわっていたのが印象的でした」と続ける。
「佐藤さんは、“良いミックス”と“悪いミックス”の差が大きくなるようにチューニングされるんです。私は今までミックスを“どれだけ良いか”という基準で聴いていたので、これが本当に“目からうろこ”でした。結果この空間では、良いミックスは広がりのある大きな音像で、悪いミックスは点のように小さな音像で奥行きも全くなく聴こえます。自分がミックスする際も“やってはいけない処理”がすぐに分かりますよ。ミックスにおいて、いかに環境が大事かを痛感しましたね」
話は機材に移る。スピーカーはATC SCM25A Proが導入されている。
「作業する人ごとに機材を大きく変えるのは大変だから嫌だね、と話していたので、メンバーが使い慣れているものを置くことになりました。オーディオインターフェースもAVID Pro Tools|MTRX Studioを共用していて、あとはそれぞれが作業する際に自分の機材を持ってきています」
Dolby Atmosは音の新鮮さをそのまま届けられる
米津氏はDolby Atmosのミックスの際にも、このスタジオを使うという。
「常設にはしていませんが、天井には留め具を付けていて、Dolby AtmosのミックスをするときだけNEUMANN KH 80 DSPを持ってきて組んでいます」
ここで、米津氏がDolby Atmosを手掛けるようになったきっかけを尋ねてみた。
「もともと音での表現であればなんでも好きで、サウンドインスタレーションにもずっと興味があり、アーティストの展示作品を手伝わせてもらったりもしていました。私にとってステレオは、仕事における一つのフィールドでしかないと思っていて。その制約の中で良いものを作ることが仕事の大部分を占めていましたが、自分の仕事を音楽のステレオというものにこだわる気はありませんでした。そんなところにDolby Atmos Musicが出てきたんです。Dolby Atmos Musicの一番の面白さは、過度なリミッティングが行われることなくリスナーへ音を届けられることだと感じています。音の新鮮さをそのまま届けられるので、とてもやりがいがありますね。未来への発展性も楽しみなフォーマットです」
現在、ステレオ作品のみならず数々のDolby Atmos作品のミックスがSTUDIO TORCHで行われているそう。今後ここからどんな音が生み出されていくのか、期待に胸が膨らむばかりである。
仕事の息抜き、何してます?
長いスパンで見たら、キャンプに行ったり旅行したりすることが息抜きになっています。普段の息抜きは、自宅に帰って猫を撫でることと、新しいプラグインを買うことですかね。新しい製品は新しい発想をくれるんですよ。いつも“明日取りかかる曲に使えるかもしれないな”とわくわくしていますね。
Profile
米津裕二郎:アーティスト作品、CM楽曲、劇伴、リレコーディング・ミキサーなど幅広く活動中。イマーシブオーディオにも意欲的に取り組んでいる。2023年7月より青葉台スタジオに移籍
Recent Work
『パレットは透明』
yama
(ソニー)