“このサイズの音像にならなければだめ”という明確な基準を持ってミックスすることが重要です
同一曲を複数のエンジニアにミックスしていただき、その個性や音作りの手法を深掘りする企画“ミックスパラレルワールド”。ここでは、ステレオだけでなくDolby Atmosといったイマーシブオーディオの作品も数多く手掛けている米津裕二郎が登場。彼は自分のミックスの最低条件として“音像が大きいこと”を掲げている。それを実現するために何を考え、どのような手順で、ミックスを進めていったのか、紐解いていこう。
- ミックスのテーマ:“音像が大きい”というのは最低限クリアする必要がある
- ポイント1:まずはボーカルを納得のいくクオリティの音像に仕上げる
- ポイント2:“テクスチャートラック”で質感を微調整
- ポイント3:ベースは“ライン感”の出る帯域に絞って処理したトラックを加える
- ポイント4:キックは重ねる音色選びと位相合わせが重要
- ポイント5:上モノの広がりが全体のステレオイメージを決定づける
- ポイント6:ミックスウィンドウを切り替えて思考をリセット
- ポイント7:最後にステムバスをNuendoに送って処理
- Mix Advice by 米津裕二郎
- 【特集】ミックスパラレルワールド〜Emerald「MIRAGE」のミックスに挑戦しよう
題材曲
Musician:中野陽介(vo、g)、藤井智之(b、cho)、磯野好孝(g)、中村龍人(k)、高木陽(ds)、藤井健司(prog、syn)、えつこ (cho/DADARAY、katyusha)、ユースケ(g/TAMTAM)、松崎和則(ASax)
Producer:藤井健司
Engineer:向啓介
Studio:世田谷REC、プライベート
◎ここから米津裕二郎の2ミックスをダウンロードできます(パスコード:mixdown2024)。記事のミックス解説と併せてお聴きください!
※ダウンロード期限:2024年3月25日まで
ミックスのテーマ:“音像が大きい”というのは最低限クリアする必要がある
この企画のお話をいただいたときにまず私が伝えたいと思ったのは、“これはミキシングではない”ということです。この企画はエキシビションであって、ミックスの本質的な部分ではないと思っています。本来のミックスとはアーティストとの対話があって完成するものなのです。それが一番楽しくて、大事な部分だと思っています。ミックスコンテストに参加される読者のみなさんには、まずはそこだけ誤解しないでほしいですね。
ミックスのテーマについてですが、今回はリクエストのないエキシビションであり、完成予想図は私の中にしかありません。まず頭にあったのは“プロのミックスエンジニアとして最低限クリアしなければならないことは何か”ということ。私はそれが、音像が大きく広がりがあるミックスであるということだと思っています。これは普段からどんな楽曲を手掛けるときにでも意識していることで、自分の中の完成品の最低条件です。
そしてその先にあるのが、クリアなのか、ダーティなのか、ローファイなのか、派手なのか、柔らかいのか……といった、特徴、人それぞれの好みの領域。この部分は、普段のミックスであれば、アーティストからの要望があったり、レコーディングを一緒にしていれば、言葉にしなくても方向性が見えてきたりするのですが、今回はそれがないため、自分の好みの音にすることに注力しようと考えました。私が好きな音は、エネルギーに満ちていて、柔らかく、しなやかな音です。
「MIRAGE」のデータを確認して感じたのは“クールで都会的。しかし熱量も帯びている”ということ。ただクールに仕上げるだけではなくて、エネルギーもある感じにしたいなと思ったので、その方向へ向かうことにしました。
ポイント1:まずはボーカルを納得のいくクオリティの音像に仕上げる
データを自分が作業しやすいように整理したら、まずはメインボーカルに取りかかります。ボーカルは、ボーカリストの素養、レコーディング時に使用した機材や場所、その日の体調など、さまざまな条件により大きくブレがある素材です。そのため、まずはボーカルを自分が納得できるサウンドにすることで、楽曲全体のクオリティの基準を作ることができると考えています。
ミックスをしているときにノイズに気をとられたくないため、まずはiZotope RXで適宜ノイズを消します。その後fabfilter Pro-Q 3でローカット、ディエッサーWAVES Renaissance DeEsserを複数使って処理します❶。張り出してくる中域があると音像がしぼんでしまうので、ここを抑えていくことで大きい音像のボーカルにします。
最近は一度に複数箇所を処理してくれるプラグインもあり、そういったものを使うこともあるのですが、ここでは各段階で一番気になる部分だけを処理するようにしました。
そして、音をもう少し濃くしたかったので、MAKE BELIEVE STUDIOSのEQ、MBEQ❷でひずみを足しました。左のフェーダーを上げていくことで独特のひずみが足されます。
その後、メインボーカルはダブルのトラックとともにバスに送って処理をしました。ここでもEQやコンプ、ディエッサーなどをかけていくのですが、EQは多段に分けています。
バスでの最初のEQであるPro-Q 3❸は、ボーカルをハイ寄りにするかローよりにするか、つまり楽曲内において、上に位置させるか下に位置させるかを決めるもの。このEQカーブは基本的にこの形で固定にしていて、曲ごとにかかりのパーセンテージで音の位置を調整しています。
また、ACUSTICA AUDIO TAUPE❹は音を近くするためのEQ。500Hzと10kHz付近の上げ具合で、どれだけパワフルにするかを調整しました。
最後のUNIVERSAL AUDIO Neve 1081❺は質感の微調整のために入れています。一つのEQでいろいろな処理をしてしまうよりも、切り分けて考えた方が、後から調整がしやすいですね。
ここまで目的別にEQの話をしてみましたが、実際のところ音というものはいろいろな要素が複合的に合わさって変化するものなので、私はその都度“良い音にしていく”という意識で処理をしているに過ぎません。目指すべき音像に近づけるためにいろいろ試した結果、今回はこういったチェインになった、というだけです。
ポイント2:“テクスチャートラック”で質感を微調整
私のミックスでは“テクスチャー=音の質感”が重要だと思っています。各パートの音をバスにまとめたら、テクスチャー用のAUXトラックに送り、そのトラックのフェーダーで音の質感を微調整しています。例えば、歌の音像がある程度できた後に、“もう少しだけざらっとさせよう”“もう少し詰まらせよう”といったことが、このトラックの音を少し足すことで調整できます。
今回ボーカルについては、soundtoys DECAPITATOR❻をインサートした“VoDist”、エンハンサーのOVERLOUD DOPAMINE❼をインサートした“Dolby”、UNIVERSAL AUDIO 1176❽をインサートした“C1176”の、3つのテクスチャートラックを使いました。
↓
VoDistのフェーダーを上げると、ひずみが足されるので音が少し前に出てきて、Dolbyは、高域のひずみ感をどれだけ足すかを決めています。C1176は、フェーダーを上げると音がぎゅっと濃くなるんです。普段使っているテンプレートにはほかにもテクスチャーのトラックを用意しているのですが、今回使用したのはこの3本になりました。
ポイント3:ベースは“ライン感”の出る帯域に絞って処理したトラックを加える
ボーカルがある程度決まったら、ベースの大枠を作っていきます。ベースはプレイの内容、つまりミキシングで変えることができない部分、音域や休符の多さ、音の強さなどの要素が楽曲全体の音像をある程度決定づけます。そのためミックス序盤で固めることで、その先を構築することができるようになります。
まずはアンプシミュレーターを挿し、サブハーモニックジェネレーターDENISE Bass XLでローエンドを増強。さらに小型スピーカーでもローが聴こえるようにDENISE Bass XXLをインサートしました。キックをトリガーにしたサイドチェインコンプSWEETSONICS LASERもかけています。
続いてベースのトラックを複製して、Pro-Q 3でライン感が出てくる帯域に絞ってひずませ、さらにPro-Q 3で必要な帯域だけに絞り、元のトラックに加えています。これはよくやる手法で、ベースラインの聴こえやすさの加減を調整しているんです❾。
ポイント4:キックは重ねる音色選びと位相合わせが重要
ボーカル、ベースがある程度決まったら、すべてのトラックを流しながら作業します。その中で最初に取りかかるのはキックです。
キックはほかのサンプルを重ねるためにMIDIを生成します。今回は元のキックに3つの音色を重ねました。キック専門のソフトシンセSINEE CHOP SUEY❿はキックのロー感全体を補強するもので、サンプラーWAVES CR8のWA Modern Kick_01⓫はキックのキット感を補うもの、同じくCR8のTechno Kick 5⓬は、ローの長さを足すために追加しています。元の音が“ドッ”という感じで短めだったので、“ドゥン”となるように、リリースを長くしたかったんです。元のキックもKilohearts DISPERSER⓭でローエンドを少しディレイさせています。
そして重ねた3つのサンプルについては、元音と重なったときに位相が合うように選んで調整しています。ケアをしないとリリースの途中で位相がぶつかって一瞬打ち消し合ってしまい強いローが出ません。“元音をどれだけ遅らせるか”と“どういった音を重ねるか”というところが、恐らく序盤で一番時間がかかる部分だと思います。
位相で特に問題になるのはローエンドのリリースの部分。SINEE CHOP SUEYは帯域がアタックの部分とリリースの部分とその間の部分の3つに分かれていて、それぞれの長さやピッチを調整できるため“この部分は逆相で音がぶつかるから、ちょっとピッチを下げよう”といったことをして、元のキックとうまく重なるようにしています。CR8のTechno Kick 5は、ピッチをTUNEで調整して、位相がぶつからないようにしました。
キックができたら、そのままドラム全体の音作りをします。曲の持つホットな部分をドラムが担ってくれると感じたのでバンドらしいルーム感が出た方が良いだろうと思い、トップマイクのフェーダーを結構上げましたね。
ポイント5:上モノの広がりが全体のステレオイメージを決定づける
上モノこそ、ラフミックスが欲しいですね。アーティストとのコミュニケーションがない状態では、聴こえてきてほしい音がどれなのか、データを見ただけでは伝わってきませんでした。そのため今回は、とりあえずすべて鳴らしてみて、“このパートをもっと聴きたいから上げよう”という調整をひたすらやり続けました。
シンセは数がかなり多かったので、一部のパートをローファイにするなどして、個性を出しています。また多くのパートにステレオイメージャーmathewlane DrMS⓮を挿して、音像を広げました。上モノの広がりは、楽曲全体のステレオイメージの広さを決定づけます。シンセだけでなく、ピアノなどもコーラスでちょっと広げていたりしますね。
自分のミックスを完成させたあとに、すでにリリースされているオリジナルミックスを聴いたのですが、上モノのバランスが全く違っていたので驚きました。“この音がもっと聴こえないといけなかったのか……!”というような点が多くありましたね。ま、仕方がありません、私はエスパーになる気はないのです。
ポイント6:ミックスウィンドウを切り替えて思考をリセット
私のミックスウィンドウは、基本的に個別のパートのトラックはすべて右側に、バスはすべて左側にまとめています。個々の音をトリートメントするのはもちろんですが、バスにまとめてからもいろいろと処理をしていて、この2つは同時進行です。個別のトラックで処理した方がいいのか、バスで処理した方がいいのかを、その都度判断して進めています。
また、Pro Toolsのマーカー機能を使って、すべてのトラックが表示される基本の設定以外に、オーディオトラックのみが並んでいる“Simple”、VCAトラックのみが並ぶ“VCA”という表示設定を用意しています⓯。
これらの画面を切り替えながらバランス調整することで、ある程度ミックスができた後でも、思考を切り替えることが可能です。ずっと同じ画面だと、一度決めたパラメーターを動かすことに抵抗が生まれることもあるので、画面を切り替えることでさっきまでの自分にとらわれずにフレッシュにミックスをすることができます。
ポイント7:最後にステムバスをNuendoに送って処理
私のミックスはPro Toolsでのミックスの後段でステムバスをリアルタイムにsteinberg Nuendo⓰へ送って処理しています。Nuendoを使うのは音が良いから。また別のソフトにマスターの重い処理を担わせることで、CPUの負荷を分散させることができます。
ここでほぼリリースレベルの音量感まで持っていき、ミックスを進めていきます。そうすることでクライアントと最終的な仕上がりを共有して調整をしていけますし、私の時点で満足できるところまで仕上げておくことで、マスタリングエンジニアの手により、楽曲をさらなる高みに運んでもらえます。
Nuendo内ではステムバスをボーカルとインストのバスにそれぞれまとめ、インストはLEAPWING AUDIO STAGEONEでステレオイメージを広げました。それとインストにボーカルを少し埋めるために、Techivation M-Blender⓱でボーカルをトリガーにしたサイドチェインコンプをインストにかけています。
最後はボーカルとインストをさらにまとめて、トータルの処理をしています。メインのコンプはMcDSP ML4000⓲を使用していて、ほかにはiZotope OzoneのImagerで高域だけ広げたり、Maximizerで少しだけ音圧を上げつつトランジェントを強調する“Transient Emphasis”でキャラクターを付けたりしています。
また、トータルEQとしてMcDSP ROYAL Q Equalizer⓳をインサートしていて、ローエンド、中低域、中高域、ハイエンドを2dBずつくらい上げています。トータルEQは、個別のパートにEQするのとは異なり、曲の形を大きく変えることが可能。パンチとレンジ感を演出しています。
この後にも、リミッター、トランジェントシェイパー、サプレッサー、ディエッサーなどいろいろなプラグインを挿していますが、すべては目的の音像に近づけるための微調整を積み重ねているだけですね。
普段マスタリングエンジニアには、最後に一番音量を上げているACUSTICA AUDIO ASH ULTRAだけをオフにして納品します。最終的に32ビットフロート/48kHzで書き出したのは、指定がないなら自分のワークフローとして48kHzの方がやりやすいからです。
Mix Advice by 米津裕二郎
音像を大きくしていくための心得
“このサイズの音像にならなければだめ”という明確な基準を、自分の中に持っておくことが重要ですね。最初に処理した歌の音像が小さいままだと、その先に鳴らすものもそこに合わせてしまうので、全体が小さい音像のミックスになってしまいます。最初に大きな空間をイメージしておけば、その空間に適した大きさの歌を作ろうということになるんです。このイメージができないと、ミックスがどうしても対症療法的なものに陥ります。だからこそ自分の中に絶対的な基準を持っておくことが必要ですね。
どんな素材だとしても、到達させるゴールの位置はいつも同じなんです。現状の素材の状況と、目的地との距離が測れるようになることが重要だと思います。その距離が分からないと、ケアが足りなかったり、処理が過剰になってしまったりしてしまいます。“こういう素材ならこうなるでしょ”と思い込むのではなく、音を聴いて、楽曲を俯瞰して見ることで、何をすべきかを感じ取れるようになるとよいのではないでしょうか。
【Profile】アーティスト作品、CM楽曲、劇伴、リレコーディング・ミキサーなど幅広く活動中。イマーシブオーディオにも意欲的に取り組んでいる。2023年7月より青葉台スタジオに所属。近作はsnsで発信中。
Instagram : yujiroyonetsu
【特集】ミックスパラレルワールド〜Emerald「MIRAGE」のミックスに挑戦しよう
5人のエンジニアによる題材曲のミックス音源、ミックスコンテスト用の音源素材のダウンロード方法はこちらのページで!(音源ダウンロード期限:2024年3月25日まで)