世界トップクラスの楽曲と肩を並べても劣らない。そんなクオリティの音像を目指しました
同一曲を複数のエンジニアにミックスしていただき、その個性や音作りの手法を深掘りする企画“ミックスパラレルワールド”。ここでは、普段は自身のプロデュース曲のみミックスやマスタリングを行っているという音楽プロデューサーのRyosuke "Dr.R" Sakaiが登場。これまでにアメリカのINTERSCOPE Recordsとマネージメント契約を結んだ経験を持つなど世界的に活躍する彼だが、一体どのようなミックスになったのだろうか。そのこだわりについて、彼のプライベートスタジオ=STUDIO726 TOKYOで詳しい話を聞いた。
- ミックスのテーマ:歌を最前面に出しつつトータルバランスを奇麗に
- ポイント1:細かい処理を重ねて自然なボーカルを演出
- ポイント2:ボーカルのダブルはメインと異なる質感に
- ポイント3:個別処理+レイヤーで構築するキック
- ポイント4:ベースはローエンドを補強&ラインを強調
- ポイント5:リミッターを多段掛けして音圧を稼ぐ
- Mix Advice by Ryosuke "Dr.R" Sakai
- 【特集】ミックスパラレルワールド〜Emerald「MIRAGE」のミックスに挑戦しよう
題材曲
Musician:中野陽介(vo、g)、藤井智之(b、cho)、磯野好孝(g)、中村龍人(k)、高木陽(ds)、藤井健司(prog、syn)、えつこ (cho/DADARAY、katyusha)、ユースケ(g/TAMTAM)、松崎和則(ASax)
Producer:藤井健司
Engineer:向啓介
Studio:世田谷REC、プライベート
◎ここからRyosuke "Dr.R" Sakaiの2ミックスをダウンロードできます(パスコード:mixdown2024)。記事のミックス解説と併せてお聴きください!
※ダウンロード期限:2024年3月25日まで
ミックスのテーマ:歌を最前面に出しつつトータルバランスを奇麗に
まず自分は、基本的には自分の作品に対してのみミックスやマスタリングをするというポリシーを持っているんですが、今回は特別にこの企画に参加させていただくことにしました。というのも、この企画は以前からサンレコでよく読んでいて面白いなと思っていたんです。なので、今回はありがたくお受けすることにしました。
Emeraldの「MIRAGE」を聴いた最初の印象としては、楽器隊がテクニカルなフレーズを演奏しつつも、全体としてはポップな方向に持っていきたいのかなと感じました。なのでアーティストにとって最適なサウンドを追求しつつ、自分もかっこいいと思える音像にこだわったんです。自分がミックスする上で意識していることは、ビルボードやSpotifyのヒットチャートに並んでも埋もれないクオリティになっているか、ということ。つまり世界トップクラスの楽曲たちと比べても劣らないサウンドを目指しているんです。これはどういったものかというと、ミックスバランスが過不足なく奇麗に整えられており、なおかつボーカルが最前面に出てくる音像だと考えています。こういったところがヒットに向けて大事になってくると思うんです。特に「MIRAGE」はボーカルのメロディや歌詞がいいなと感じたので、よりそれをブラッシュアップする方向に持っていきました。
具体的な工程ですが、まずボーカルのピッチエディットから手を付け、その後ドラムやベースといったリズムセクションに移り、最後にギターやサックス、シンセなどの調整を行いました。この中で最も時間をかけたのはボーカルのエディット。曲の顔とも言えるボーカルの歌詞やメロディがより伝わるようにし、曲全体のクオリティを引き上げることに注力しました。全体として、アーティストのサウンドを尊重しつつも、プロデューサーとしてのビジョンを持って、楽曲が持つポテンシャルを最大限に引き出せるようにアプローチしています。
ポイント1:細かい処理を重ねて自然なボーカルを演出
まずはcelemony Melodyneで、メインボーカルのピッチを微調整しました。DAWはAvid Pro Toolsです。特別なテクニックなどはなく、気になったところを一つ一つ処理しています。あくまでもボーカルが自然に聴こえるようにすることが重要なので、それを意識しつつ、ボーカル全体のピッチをブラッシュアップするようなイメージです。
その次は、iZotope RX Mouth De-clickでリップノイズを除去❶。Mouth De-clickは不要なリップノイズやポップノイズを奇麗に取り除いてくれるので便利です。
ここからは、普段用いるボーカル用のプラグインチェインが登場します。まずはSLATE DIGITAL VMRを使用し、モジュールエフェクトのFG-401、AirEQ AIR、FG-Nをインサート❷。特にFG-401は、コンプのかかり具合が非常にナチュラルなのでお気に入りです。ボーカルのトラックには全部これを使っています。FG-401では−10dBほどコンプレッションしたあと、その分のゲインをメイクアップ。こうすることで、オケがどんなに盛り上がってもボーカルが埋もれにくくなるんです。ただしブレスも一緒に持ち上がってしまうため、クリップゲインでブレス部分の音量を調整しています。
次にfabfilter Pro-DSでディエッシング。そしてfabfilter Pro-Q 3で3kHz以上をシェルビングでブーストし、10kHz付近にはダイナミックEQを入れてさらにディエッシングします❸。これと同時に2kHz付近をカットし、80Hz付近にはローカットも入れています。
さらに2つ目のPro-Q 3をインサートして高域をブースト、かつ10kHz付近にはダイナミックEQを入れてまたディエッシングします❹。
これらの処理についてですが、Pro-DSではあくまで補助的にディエッシングしており、本格的なディエッシングは2つのPro-Q 3で行うという方針です。ボーカルの高域に関して言うと、プロセスの前後を聴き比べると聴感上はほぼ変わりませんが、耳に痛い成分だけが取り除かれたという結果が得られます。
そのあとの段では、SLATE DIGITAL FRESH AIRでボーカル全体に透明感と明るさを加えます❺。
さらに3つ目のPro-Q 3で微調整し、最後の段にはWAVES Vocal RIderをインサートします❻。Vocal Riderは、ボーカルトラックのレベルを自動調整してくれる便利なプラグイン。これを最終段に用いることで、ボーカルのダイナミクスを自然に保ちつつ、レベルを均一にすることができます。
このように、ボーカルのミックスでは細かな調整を重ねてバランスを整えることが大事です。聴く人に自然で心地よいボーカルを届けるということをゴールにしています。
一通りボーカルのミックスが完成したら、曲のセクションごとにボーカルトラックを切り分けて、レベルやセンド&リターンエフェクトへの送り具合を変えるというアプローチを取ります。例えばサビとAメロでは使用するトラックを分け、1〜2dBの音量差を付けたり、サビではリバーブへの送り量を多めにするなど、曲中の展開に合わせてボーカルが持つべき印象や雰囲気を変えているんです。
ちなみにセンド&リターンに使ったリバーブは、Avid DVERB❼。ここでのポイントは、ディケイタイムを7.5秒と長めに設定しているところです。しかし、このまま適用するとお風呂の中にいるような響きになってしまうため、範囲を300Hz〜3kHzの中域に限定。こうすることで、ボーカルにほどよい空気感や深みをもたらすことができるのです。
ポイント2:ボーカルのダブルはメインと異なる質感に
ボーカルのダブルトラックの処理についてですが、基本的にはメインボーカルと同じプラグインチェインを使用しています。ただし、ここではピッチ補正にMelodyneではなくAntares AUTO-TUNE PROを用いました❽。これは、ダブルトラックをメインボーカルとは違った質感にしたかったからです。AUTO-TUNE PROでは、ピッチ修正速度をやや速めに設定しており、メインボーカルと重ねることでピッチ感が強化されるようにしています。
その後fabfilter Pro-DSでディエッシングし、Pro-Q 3でEQ処理を加えますが、メインボーカルほど高域を強調していません。あくまでダブルトラックなので、メインボーカルより目立たないようにするためです。
続いてWAVES Doublerをインサート❾。さらにmathewlane DrMSを使ってサイド成分のみを強調することで、ダブルトラックに広がりや奥行き感を加えました❿。
これら2つのプラグインを駆使することで、実際にはダブルトラックが2本あるかのような効果を実現しています。普段、自分はボーカルを3本録っており、そのうちの1本をメインボーカルとし、残りの2本をダブルトラックとしてメインボーカルの左右に配置するといったアプローチをしています。しかし、今回はダブルトラックが1本のみだったので、プラグインを使用して2本あるかのように再現したのです。
最終段には、SAFARI PEDALS GORILLA DRIVEをインサートしてサチュレーションを加え、ダブルトラックに厚みや温かみをもたらしています⓫。GORILLA DRIVEはSNSでたまたま見かけたのがきっかけで、アメコミっぽいイラストに引かれて購入しました。倍音をナチュラルに強調することができるので気に入っています。
ポイント3:個別処理+レイヤーで構築するキック
ボーカル処理が一通り終わったら、ドラムのミックスに手を付けます。ドラムで一番フォーカスしたのはキックです。題材曲のマルチにはキックに関するトラックが3本あり、キックイン(キックの内側に立てたマイクの音)、キックアウト(外側に立てたマイクの音)、サブキックという内容でした。まずはキックイン/キックアウトのトラックからスタートし、最後にサブキックのトラックを加えるという順番で作業しています。
キックインのトラックに対しては、VMRのFG-401でコンプレッションをかけることから始めます。ボーカル以外においても、FG-401は自分にとってファーストチョイスのコンプですね。遅めのアタックタイムと速めのリリースタイムに設定することで、キックのパンチ感はそのまま残しつつ、ダイナミクスを自然にコントロールすることが可能です。
そのあとはWAVES Chris Lord-Alge Drumsを挿し、プリセットの“start me up”を基に、高域をブーストしてよりパンチ感を強調⓬。Chris Lord-Alge Drumsはスネアやタム、ドラムのトップやアンビのトラックにも使用しており、良いドラムサウンドを作るためのキープラグインと言えます。シンプルで直感的な操作性を持つインターフェースと、ドラムトラックのミックスに必要なエフェクトをほとんど備えるため、作業フローを効率的にサポートしてくれるんです。
キックインのトラックではローエンドが物足りなく感じられたので、SLATE DIGITAL INFINITY BASSで生成したサブハーモニクスを加えて補強しています⓭。こちらも使いやすいインターフェースが好きで、自分のお気に入りプラグインの一つです。
一方キックアウトのトラックに対する処理はキックインと似ていますが、ここではINFINITY BASSの代わりにPro-Q 3を使用して60Hz付近を7〜8dBブースト⓮。ローエンドをどのように扱うか、すなわち低域のハーモニクス(倍音)を追加するのか、それともEQでブーストするのかは、最終的には聴感に基づいて判断しています。
キックイン/キックアウトの処理が終わった時点であと少しだけローエンドが欲しいなと思ったので、仕上げに元からあったサブキックのトラックをそのまま重ねています。これでキックの完成です。
ポイント4:ベースはローエンドを補強&ラインを強調
ミックスにおいて、ドラムと同じくらい重要視しているのがベースです。ベーストラックに用いたプラグインチェインは、FG-401→WAVES C1 Compressor⓯→Solid State Logic SUB|GEN⓰→Pro-Q 3→Pro-Q 3という流れになっています。特に2番目のC1 Compressorはサイドチェインコンプとして使用し、キックが鳴るたびにベースがダッキングされるように設定しています。これによりキックとベースのすみ分けを作り、お互いの存在を際立たせています。
SUB|GENでは、ベースの低域〜ローエンドを強化。SUB|GENはソース信号より1オクターブ低い周波数を生成することができるプラグインで、最大4つの独立したEQバンドを使用可能です。ここでは20Hz、40Hz、80Hzの帯域をブーストし、若干のひずみを加えることで存在感のあるローエンドを作り出しています。
またベースのメロディラインが“おいしい部分”だと感じため、Pro-Q 3で2kHz付近を4dBブーストしてベースラインを見えやすくしました⓱。同時に200Hzや60Hzを2〜3dBほどカットしていますが、これはSUB|GENでブーストしすぎた部分の微調整です。
さらに後段ではもう一つのPro-Q 3を使用して、200Hzや60Hzを3〜4dBカットし、50Hz付近を3dBブースト。普段自分はヒップホップ系の楽曲をミックスする機会も多く、特に30Hz辺りの帯域が好みなのですが、今回はバンドサウンドなのでローエンドはそれに合うよう適切に調整しています。一連の処理を通じて、オケ中でもベースラインを際立たせられ、ローエンドも効果的に補強することができました。自分の狙い通りに、ベースの魅力を引き出すことができたかと思います。
そのほかの楽器や上モノの処理は、割とあっさりです。ギターやシンセ類は空間系エフェクトで広がりを演出したり、後半に登場するサックスのソロセクションではボーカルのアドリブにAvid Black OP Distortionでひずみを足して存在感を出したりといったことを行っています。いずれにおいても言えるのは、エフェクトの効果を確認するときは、その楽器を単独で鳴らしてオン/オフするだけでなく、必ずオケ中でオン/オフして確認することが重要です。
ポイント5:リミッターを多段掛けして音圧を稼ぐ
マスターには、基本的に以下7つのプラグインを挿しています。一段目はWAVES VU Meterです。次にTONE PROJECTS UNISUMで帯域ごとのコンプレッション量を微調整し、Cradle The God Particleとfabfilter Pro-L 2で音圧を段階的に稼いでいるところがポイントです。また、Plugin Alliance BRAINWORX BX_Masterdesk Proを使ったサチュレーションにより、音像を前面に押し出すことにも注力しています。
iZotope Tonal Balance Controlもインサートしており、プリセットは低域重視の“Bass Heavy”に。また最終段にはWAVES WLM Plus Loudness Meterを使用しています⓲。自分はショートタームのラウドネスに注目し、サビなどのピーク部分で−5~−6LUFSになるようにしているんです。この状況で音がひずんでいないかどうかをチェックして、もしひずんでいたらミックスに問題があると判断します。曲のラウドネスは世界的なヒットチャートに合わせるためにも重要で、SpotifyやApple Musicでの再生時にほかの曲に負けないよう、十分な音圧を確保することを意識しています。
書き出しの際のビット/サンプリングレートは、24ビット/48kHzを標準としています。海外ヒップホップシーンでは16ビット/44.1kHzで書き出す人も多いのですが、これはおそらく音の密度感が関係しているのでしょう。各国のカルチャーや好みによって、この部分にも大きな違いがあるようですね。
Mix Advice by Ryosuke "Dr.R" Sakai
あらゆる環境でモニターしよう
大前提として、自分と相手(リスナー)はリスニングするときの環境が違いますよね。相手は音楽鑑賞用の高級ヘッドホンで聴いているかもしれませんし、スマートフォンに付属するイヤホンかもしれません。はたまた、コンパクトなBluetoothスピーカーという場合もあるでしょう。良いミックスとは、リスニング環境が違ってもバランスが取れている、そして自分が意図したミックスの趣旨が伝わるものだと考えています。そのためには、まず自分のモニター環境を整えること、そしてあらゆる環境でミックスチェックを行うことです。前者においては、特にサブウーファーの導入を勧めます。日本のスタジオはサブウーファーを導入していないところもいまだに多く、海外のエンジニアとのやり取りでは、そういった環境の違いから認識のズレが生じやすいんです。後者においては、自分はミックス段階からモニター環境を変えることがあります。今回のミックスでは、このスタジオだけでなく、自宅スタジオにあるスピーカーのreProducer AudioやGENELEC、サブウーファーのYAMAHA HS8Sを使って作業しました。AKGやFOCAL、AUDEZEのヘッドホンやAppleのイヤホン、スマートフォンのスピーカー、カーステレオでもチェックしています。とにかくさまざまな環境でモニターして、変なピークがないように処理することが大切です。
【Profile】ちゃんみな、milet、AK-69、Ms.OOJA、UVERworld、東方神起、SKY-HI、BE:FIRST、Novel Coreなど、数多くのアーティストを手掛ける音楽プロデューサー/トラックメイカー。アメリカの名門レーベルINTERSCOPE Recordsとの間で契約を交わした経験を持つ。2021年からはDr.Ryo名義でアーティストプロジェクトをスタートした。レーベルMNNF RCRDSの主宰者でもある。
【特集】ミックスパラレルワールド〜Emerald「MIRAGE」のミックスに挑戦しよう
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