『メメント・モリ』デペッシュ・モード by マルタ・サローニ 〜トップ・エンジニアが明かすヒット曲の音作り

『メメント・モリ』デペッシュ・モード by マルタ・サローニ 〜トップ・エンジニアが明かすヒット曲の音作り

マルタ・サローニ氏のミックス・アプローチは、世界のエンジニアの中でも特に風変わりだと言えるだろう。それは上掲の写真で確認できるテープ・マシンの数を見れば明らかである。サローニ氏はこれまで、エレクトロ、オルタナティブ・ポップ、アート系、パンク・ロックといった、革新的な音楽で幅広く辣腕を振るってきた。同時にビョーク、ボン・イヴェール、ブラック・ミディといった、メインストリームのアーティストの作品でもミックス・エンジニアやプロデューサーとして名を残しており、“The Music Producers Guild”によって過去3度にわたり評価されている。そして今春、サローニ氏はこれまでで最大の成功を収めた。それがデペッシュ・モードの15枚目のスタジオ・アルバム『メメント・モリ』である。本作は10カ国以上のヒット・チャートでトップを獲得し、全英ナンバー2と全米ナンバー14を記録。サローニ氏はレコーディングとミックスを担当した。この記事では、サローニ氏が『メメント・モリ』を手掛けることになった経緯や、プライベート・スタジオZona、そして彼女の非凡なレコーディング&ミックス・アプローチに迫っていく。

Pick up Artist|デペッシュ・モード

デペッシュ・モード

イングランド出身のエレクトロニック・ロック・バンド。1995年以降はデイヴ・ガーン(vo/写真右)、マーティン・ゴア(key、g、vo/写真左)、アンディ・フレッチャー(key)のトリオ編成で活動していたが、2022年5月にアンディ・フレッチャーが急逝。デイヴとマーティンは、すでにアンディと共に取り組んでいたアルバムを完成させることが重要と考え、プロデューサーには前作と同様ジェイムス・フォードを、エンジニアにマルタ・サローニ氏を迎えて、15作目となるスタジオ・アルバム『メメント・モリ』を完成させた。

Release

メメント・モリ
デペッシュ・モード
ソニー:SICP6511(完全生産限定盤)

『メメント・モリ』デペッシュ・モード(完全生産限定盤)
『メメント・モリ』デペッシュ・モード(輸入盤)
【左】完全生産限定盤、【右】輸入盤

Musician:デイヴ・ガーン(vo)、マーティン・ゴア(k、g、vo)、ジェイムス・フォード(syn、p、g、b、ds、perc、prog)、マルタ・サローニ(prog)、ダヴィデ・ロッシ(vln、vc)、ルアン・ホムジー(vln)、デジレー・ホズリー(vln)
Producer:ジェイムス・フォード
Engineer:マルタ・サローニ、フランシーヌ・ペリー、グレース・バンクス
Studio:Electric Ladyboy、Shangri-La、Zona、Blanco

テープ・レコーダーは“エフェクト”として使う

 サローニ氏が『メメント・モリ』をミックスしたのは、東ロンドンにあるプライベート・スタジオZona。スタジオの中で最も目を引くのは12台にも及ぶテープ・マシンだろう。

 「REVOXのテープ・レコーダーが5台あって、内訳はPR99が1台、B77が2台、A77が2台です。そのほかにはAKAI 4000DS MKIIが4台あり、うち2台はスペアと実験用にしています。後はAKAI 1721W、FERROGRAPH 5A、TEAC A-6300を1台ずつ持っています」

 これらのテープ・マシンはただの飾りで、実際には使われていないと思うかもしれないが、サローニ氏によるテープ・マシンの使い方を聞けば、2023年の考えに染まった人たちは腰を抜かすだろう。「私は常に、本来意図されているのとは違う使い方をするようにしているんです」と彼女は語る。

 「テープ・レコーダーはエフェクトとして使います。サチュレーションや、ディレイのフィードバックで色付けをしたり、ループやポリリズムを作ったりします。非常に多面的で万能な機材なので、“何だってできるんじゃないか”と思っているんですよ。PR99はXLRのイン/アウトが付いている最高グレードのバージョンで、フル・ミックスをまるっと通してアナログの質感を足したり、あるいは付属の精密なバリ・スピード機能をディレイとして使うこともあります。B77は、ループやループのオーバーダビング、ディレイを作るのに使うことが多いです。テープはB77からもう一台のB77へ伸ばして、一方は録音に、もう一方は再生に。まるで迷路か迷宮にいるように感じることがあるんですよ! 同じようなことをAKAIのテープ・マシンでもやりますが、サウンドもテープのテンションも全く異なりますね」

 こういった2台のテープ・マシンを使うという手法によりテープがたるみ、モジュレーションがかかったようなサウンドになることもあるという。

 「この手法は、「マイ・コスモス・イズ・マイン」を含め、多くの曲で採用しました。2台目のテープ・マシンから戻ってきたデイヴのボーカルが1台目の音と組み合わさり、とてもクールなエフェクトになったんです。新しいことを思い付くインスピレーションにもなるので、楽曲をプロデュースする際にもこのテクニックは使いますね。また、レコーディングでテープ・マシンを使うこともよくあるのですが、ミュージシャン達がテープ・マシンによる自分たちのタイム感とは違ったフィールに対して反応しはじめて、テープ・マシンとのデュエットが始まることがあるんです。これが常に新鮮な感覚をキープしてくれて、音楽をより面白くしてくれるんですよ」

マルタ・サロー二

 12台のテープ・マシンを除き、Zonaでサローニ氏がミックスに使用する機材は、意図的にシンプルに留められている。

 「スタジオは基本的にミニマルな状態にしておきたくて、必要な機能がまとまったコンソールを探しました。2台のSTUDERのコンソールを、メーター・ブリッジで1台にまとめています。AVID HD I/Oと統合できるようにダイレクト・アウトを改造して追加していて、完全アナログ、ハイブリッド、完全DAW完結という、さまざまな手法を駆使して制作できるようにしました。全チャンネルにEQとリミッターが搭載されているので、アウトボードは必要ありません。今後導入したいものもあるにはありますが、今は満足ですね。スタジオのすべてを完璧に把握して使いこなせていますから」

Zona

 マルタ・サロー二氏のプライベート・スタジオ。スタジオの防音やアコースティックの調整には相当手間をかけているという。

モニター・スピーカーはGENELEC 8050(外側)と同社のサブウーファーに加え、パッシブ・スピーカーのDYNAUDIO BM15(内側)とBRYSTONのアンプを使用。「BM15はとても透明感のある音のスピーカーで、前のスタジオのときから使っていますよ」とサローニ氏。中央のミキサーの上部右側には、UNIVERSAL AUDIO UAD-2 Satellite Thunderbolt OCTO Core、AVID Pro Tools|HD Native Thunderbolt、右手前にはモニター・コントローラーAUDIOLINEAR AXISが見える

モニター・スピーカーはGENELEC 8050(外側)と同社のサブウーファーに加え、パッシブ・スピーカーのDYNAUDIO BM15(内側)とBRYSTONのアンプを使用。「BM15はとても透明感のある音のスピーカーで、前のスタジオのときから使っていますよ」とサローニ氏。中央のミキサーの上部右側には、UNIVERSAL AUDIO UAD-2 Satellite Thunderbolt OCTO Core、AVID Pro Tools|HD Native Thunderbolt、右手前にはモニター・コントローラーAUDIOLINEAR AXISが見える

STUDERのミキサー2台をメーター・ブリッジで1台にまとめている。さらにAVID HD I/Oと統合できるように、ダイレクト・アウトを改造して追加しており、完全アナログ、ハイブリッド、完全DAW完結という、さまざまな手法を駆使して制作を行えるようにしているという

STUDERのミキサー2台をメーター・ブリッジで1台にまとめている。さらにAVID HD I/Oと統合できるように、ダイレクト・アウトを改造して追加しており、完全アナログ、ハイブリッド、完全DAW完結という、さまざまな手法を駆使して制作を行えるようにしているという

ノートを見ているサロー二氏。デスク左手前にはTEACのテープ・レコーダーA-3340Sが見える

ノートを見ているサロー二氏。デスク左手前にはTEACのテープ・レコーダーA-3340Sが見える

テープ・エコーWATKINS Copicat

テープ・エコーWATKINS Copicat

テープ・レコーダーFERROGRAPH 5A

テープ・レコーダーFERROGRAPH 5A

レコーディングは“ほぼ”エフェクト込みで行われた

 サローニ氏とデペッシュ・モードの関わりは、デイヴ・ガーンとソウルセイヴァーズのアルバム『Angels & Ghost』(2015)のミックスを手掛けた、ダントン・サプルのアシスタントを務めたことに遡る。その後2020年には、続作の『Imposter』でミックスを担当。さらに、アークティック・モンキーズやフローレンス・アンド・ザ・マシーンの作品で知られるプロデューサー、ジェイムス・フォードのプロジェクトでも何度かミックスを担当したことが、今回の『メメント・モリ』を手掛けるきっかけとなった。

 「昨年の春にジェイムスから、“俺と一緒にデペッシュ・モードの新アルバムのレコーディングをやってみる気はないかい”と連絡があったんです。もちろん返事はイエスでしたが、その後すぐにアンディ・フレッチャー(デペッシュ・モードのキーボーディスト)が亡くなってしまい、しばらくはどうなることか待つのみでした。最終的にはアンディへの敬意を込めて、新作のプロジェクトを進めることになったんです」

 そして昨年の7月には、マーティン・ゴアがカリフォルニアのサンタ・バーバラに設けているスタジオ、エレクトリック・レディボーイに赴くことになったという。

 「マーティンのスタジオはとにかく素晴らしいですよ。必要なものはすべてそろえられていて、インスピレーションをかき立てられる最高の場所でしたね。U字型のカスタム・ラックに機材類が完璧に整理されていて、片側にはプリアンプやダイナミクス、ひずみ系のアウトボード、もう片側にはエフェクト類が並んでいました。モニター・スピーカーはBAREFOOT SOUND、コントローラーはSOLID STATE LOGIC Nucleusが導入されていましたね」

 エレクトリック・レディボーイでの制作において、チームのメンバーは皆、サローニ氏が提案した新しいアイディアにとてもエキサイトしてくれたという。

 「自分のクリエイティブなプロセスにはテープ・マシンが不可欠だと思い付近のスタジオを探したところ、Wiggle WorldというLAの素晴らしいスタジオを見つけることができ、テープ・マシンを3台も借りることができたんです。OTARI MX5050とAKAI、SONYの製品で、すべて1/4インチの2トラックのモデル。まるで昔からの親友に再会した気分でしたね! これらでひたすらループを作っていたのですが、そうしているうちに、この作品にかなりハマるんじゃないかと思うようになりました。皆もとても気に入ってくれていて、2回目のセッションをするときには、マーティンがREVOX A77をわざわざ2台買ってくれていました」

 サローニ氏いわく、レコーディングの時点ではテープ・マシンは多くのエフェクトのうちの一部でしかなかったそうだ。

 「デイヴのボーカルは、NEUMANN U 87をAPIのマイクプリとコンプレッサーTELETRONIX LA-2A、それからEQのMANLEY Massive Passive Stereo Equalizerに通して録りました。空間系エフェクトは大部分をテープ・マシンで作り出していましたが、そのほかにもマルチエフェクトのEVENTIDE H3000やEclipse、フェイザーのMUSITRONICS Mu-Tron Bi-Phase、サンプラー/マルチエフェクトのPUBLISON Infernal Machine 90、サチュレーターのOVERSTAYER M-A-S、コーラスのROLAND SDD-320 Dimension D、エコー&リバーブのURSA MAJOR Space Station SST-206、そしてAMS RMX16やLEXICONのリバーブも使いました。DANGEROUS MUSIC Liaisonでチェインを組んだりミックスしたりしましたね。デイヴはエフェクト込みの状態で歌うのを好んでいたので、彼がスタジオに来る前に一連のものは仕込んでおいたんです。“この空間なら自分自身を表現できそうだ”と、気に入ってくれていましたよ。最終的には、ボーカルのドライ音とエフェクト音を別々にAVID Pro Toolsに録音しました」

 シンセ、ドラム、ギター、ストリングスにも、同じようなチェインをテープ・マシンを使って組んだという。

 「ストリングスはドライ音を一切使っていません。リック・ルービンのスタジオ=Shangri-Laに出向いて、ダヴィデ・ロッシのストリングス、ジェイムスのドラム、それから追加のボーカルを録りました。テープ・マシンなど大量の機材をエフェクトとして使いましたね。それと、Shangri-Laのトイレをストリングスのエコー・チェンバーとして使いました。レコーディングはほとんどエフェクト込みで行いました。より面白くてほかと違うサウンドを作りたかったんです」

シンセやエフェクター類が置かれたラック

シンセやエフェクター類が置かれたラック。1段目には、YAMAHA Reface CS、BOSS RE-20 Space Echo、SOMA LABORATORY Lyra・4、二段目にはBUCHLA LEM4 218 Snoopy、リズム・マシンACE TONE Rhythm Ace FR-3、3段目にはアンプ・シミュレーターTECH 21 SansAmp PSA-1.1、MELLOTRON Mellotron M4000D Mini、STRYMON BigSky、4段目にはOBERHEIM OB・3、リズム・マシンKEYNOTE Auto-Rhythm Mark XX、5段目にはROLAND TR-77、MFB 501、最下段にはACE TONE Top-1が並んでいる

特別なリファレンスは設定しなかった

 エレクトリック・レディボーイでの2カ月半にわたるレコーディングを終えたサローニ氏は、自身のスタジオZonaに戻り、アルバムのファイナル・ミックスに取り掛かった。

 「自分のコンソールやスピーカーを使うのを心待ちにしていました。体になじんだ環境なので、確実にすべてのサウンドが混ざり合うようにできますからね。できたミックスは随時ほかの皆に送っていて、彼らからコメントが返ってきたら、そのミックス・ファイルを次の曲のミックス・セッションに取り込み、常に聴き比べられるようにしていました。各々の曲だけでなく、アルバム全体についてもなじむようにしたかったんです」

 さらに、どんな場所やデバイスで聴いても良いサウンドの作品にしたいという意識もあったという。

 「APPLE AirPodsや小型のスピーカーでも、クラブやスタジアム、もしくは超巨大なフェスの会場でも、良いサウンドの作品にしたいと思っています。例えば「ゴースト・アゲイン」の場合は、キックを最前面に出しつつ、すべてがクリアに聴こえるようにしました。ローミッドとローエンドにごちゃごちゃした要素があってはならないんです」

 『メメント・モリ』のミックスにあたり、「このプロジェクトはそれ自体が独特な存在なので、特別なリファレンスは設けませんでした」とサローニ氏。続けて彼女は、「私は“レトロなサウンド”は、あまり好きではないのです」と語る。

 「音の世界のプロフェッショナルの1人として、意味なくレトロ・サウンドにするのは、現代のテクノロジーに対して失礼だと考えています。デペッシュ・モードは1980年代に大ヒットしましたが、当時は誰もがそのサウンドをモダンだと思っていたはずです。ところが今の技術なら、当時対処するのが困難だった帯域を作り出すことができますよね。クリエイティブなチョイスの結果である場合を除き、今ある技術の進歩を最大限に活用することは非常に重要だと思うんです」

 ここまでのインタビューで、テープ・マシンをはじめとするさまざまなエフェクトを駆使して新しいサウンドを追求したレコーディング、そしてサローニ氏のミックスに対する姿勢が見えてきた。続いては、『メメント・モリ』収録の「ゴースト・アゲイン」のファイナル・ミックスを、使用されたプラグインの画面とともに解説しよう。


◎続いては…『メメント・モリ』に収録されている「ゴースト・アゲイン」のファイナル・ミックスについて解説!

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