二ューヨーク生まれで、南インドのタミル・ナードゥ州で育ち、現在はカリフォルニアを拠点に活動するガナヴィヤは、ジャズと南インドの古典音楽であるカーナティック音楽を学んだボーカリスト、マルチ奏者、作曲家だ。心理学や演劇、民族音楽学などの学位を取得した研究者でもある。ボーカリストとしてのデビュー作『Aikyam: Onnu』(2018年)ではジャズやラテンのミュージシャンと共にスタンダードをタミル語でスマートに歌った。キューバ出身のピアニスト、アルフレッド・ロドリゲスの『Tocororo』(2016年)への参加でも注目された。また、ブラジル出身のベーシスト、ムニール・オッスンとのデュオ作『sister, idea』(2023年)ではポルトガル語も飛び交い、英語で歌う曲はアメリカーナのようだった。それらはルーツを意識させながらも、洗練されたボーカリストの姿を示していた。しかし、シャバカ・ハッチングスが主宰するNative Rebel Recordingsからリリースされた彼女の最新作『like the sky I've been too quiet』は、そのイメージを一変させた。
『like the sky I've been too quiet』Ganavya(Native Rebel Recordings)
シャバカ・ハッチングスのレーベルからリリースされたガナヴィヤの最新作。歌声やフルート、シンセなどによって荘厳な世界観を展開
コンテンポラリーなジャズやアメリカーナからは離れて、カーナティック音楽の構造とアンビエントのテクスチャーの融合を追求している。それは、ダイナミックなサックスからフルートや尺八の演奏に移行し、より内省的なサウンドへ進んでいったシャバカ・ハッチングスの“シャバカ”名義のデビュー作『美の恵み』の世界にも近い。実際、シャバカやカルロス・ニーニョらが『like the sky I've been too quiet』の録音に参加しているので、音楽的な影響があることは明らかだ。ほかに、フローティング・ポインツやギタリストのシャーリー・テテの参加も目を引く。ガナヴィヤは、同じくインドにルーツを持つピアニストのヴィジェイ・アイヤーが組織したリチュアル・アンサンブルにも参加し、サックス奏者のヨスヴァニー・テリーやムリダンガム奏者のラジナ・スワミナサンと共にジャズのハーモニーとカーナティック音楽のリズムが交じる中でボーカルを担った。また、昨年(2023年)末にはUKの匿名ユニット、ソー(Sault)の初ライブにもゲストとして招かれている。彼女の中で、ルーツの音楽を捉え直した新たな表現が模索されているようだ。
『美の恵み』Shabaka(ユニバーサル/Impulse!)
サックスを手放し、フルートを携えたシャバカのデビューアルバム。フローティング・ポインツやララージなどが参加
『like the sky I've been too quiet』は、リズムのない「not in an anthropological mood」でスタートする。“人類学という気分じゃない”というタイトルも興味深い。遊牧民のように移動して生きてきた彼女は最近のインタビュー(※1)で、「ディアスポラの子供たちは、この世界で生き残ったり、目立つためには、ちょっとしたユニークさがなければならないと教えられてきた」と語り、このアルバムが生まれたバックグラウンドを丁寧に説明している。
カーナティック音楽の伝統に深く根ざした音楽家の家系に生まれたガナヴィヤは、若い頃の多くの時間を南インドで過ごし、著名な指導者から発声テクニックや複雑な作曲を学んだ。ダンスやさまざまな楽器も習得してダンサーになることをまず目標としたが、練習のし過ぎで怪我をしてアメリカへ帰国した。家族への反抗心もあって音楽家になる選択はせず、学者の道に向かった。しかし、最終的に音楽に戻ってきた。「音楽活動を再開するのは本当に準備ができたと感じたときだけと誓っていた」という。以前のデビュー作に対しても、「自分の声に対して疎遠になったように感じた」と気に入ってはいないことを表明している。
昨今、アンビエントジャズと紹介されるような音楽が目立ってきたが、抽象性の高い音楽になればなるほど、その構造やテクスチャーが浮き彫りになって、説得力のある表現のバックグラウンドに関心が寄せられる。感覚的なことに直結して捉えられがちな音楽でも、そこに何らかのメソッドやコンテクストが存在することもある。このところリスナーの多くはバックグラウンドを知ることを求めているし、音楽家もそのことを共有して、表現のより所の一つとしているように感じるのだ。
例えば、アパートの部屋にいて漏れ聴こえてくるノイズについてガナヴィヤが説明することは、カーナティック音楽から学んだことを具体的に知ることができる。 「2台の飛行機が別々に動いているのが聴こえるし、車も1台、冷蔵庫のモーター音と小さな扇風機の音が1階下から聴こえる。左側にあるバスルームにも小さな扇風機がある。絶対音感を持っているわけではないのに、すべての音が頭の中で歌を形作っている。音程をとても素早く関係付ける能力は、カーナティック音楽が、そして母や祖母たちが教えてくれた」
音程を関係付けるという説明を正確に理解できてはいないが、カーナティック音楽が声楽を主体とした即興性のある演奏であり、彼女がその訓練を受けていく中で音程を関係付ける能力を習得したことは想像できる。そして、それを環境音に適用したのと同じように、アルバムの音作りにも反映したのだと思う。そこにある音の規則性と即興性との関係は、西洋音楽の和声ではなく、カーナティック音楽の音階を上がり下がりするバリエーションから来るものだ。一方、彼女が学んだジャズも、アルバムの要所要所でリスナーになじみのある音楽として伝える役割を果たしている。
カーナティック音楽からインスパイアされた歌唱スタイルで注目されたスペイン、カタルーニャ出身のボーカリスト、ピアニストのマリーナ・ハーロップが作る音楽は、彼女が学んできたクラシック音楽を相対化した。それは、ガナヴィヤにとってのジャズの存在と相似している。西洋音楽としてのエレクトロニックミュージックにカーナティック音楽を取り入れるというスタンスではないことが、彼女の音楽をユニークなものにした。音楽性は異なるが、ガナヴィヤもハーロップも和声のないリズムとメロディのみのカーナティック音楽に、装飾音のようにアンビエントを使っている。
『Pripyat』Marina Herlop(PAN)
カーナティック音楽の影響を取り入れた2022年作。ユニークな歌声と透明感のあるピアノが、エクスペリメンタルなトラックの上で混ざり合う
それは空間を埋める音響としてのアンビエントから、少しだけ能動的な聴取に向かわせる表現で、シャバカの『美の恵み』にも表れていた。また、グラミーを受賞したミシェル・ンデゲオチェロの『The Omnichord Real Book』のプロデューサーであるサックス奏者、ジョシュ・ジョンソンが一人で作った最新作『Unusual Object』も同様に、茫漠(ぼうばく)としたサウンドスケープの中で新たな道筋を描いていた。彼/彼女らは、自分の中にある確立されたやり方からいったん離れ、声や楽器の基本的な機能に立ち戻って、それぞれのバックグラウンドにある動機と向き合った。そこから再構築された音楽が今、説得力を持って響いている。
『Unusual Object』Josh Johnson(rings / Northern Spy)
LAのサックス奏者、ジョシュ・ジョンソンの最新作。卓越したサックス演奏と緻密な構成のトラック、丁寧な空間処理が見事に絡み合う一枚
原 雅明
【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサーを務め、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpの設立に関わり、DJや選曲も手掛ける。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって』