エクアドル移民の両親のもと、南フロリダで生まれ育ったロベルト・カルロス・ランゲは、大学でコンピュータアートを専攻し、サウンドインスタレーションやサウンドアートも学んだ。その後、ランゲはエプスタインの名義でソロ活動を開始。マイアミのレーベルBotanica Del Jibaroがリリースしたエレクトロニカヒップホップと言われた一連のサウンドの中で、ランゲのインストゥルメンタルのビートも紹介された。そのビートは彼の音楽の基盤の一つとなり、プレフューズ73ことギレルモ・スコット・ヘレンのユニット、サヴァス&サヴァラスにも参加した。だが、これらはランゲというユニークな表現者のまだほんの始まりに過ぎなかった。
その後、ブルックリンに移り住んだランゲは、エラード・ネグロ(黒いアイスクリーム)の名義で初のフルアルバム『Awe Owe』(2009年)を発表した。“Afro-Cuban, IDM”とDiscogsのジャンルスタイルには書かれているが、ランゲ自身の歌唱も取り入れ、ルーツにも向き合い一人で制作された本作は、ラテンアメリカの音楽とモダンなビート、サウンドアートの間を自由に行き来していた。それは、従来のフォルクローレの取り入れ方にはない絶妙なバランス感覚を表現していた。以後、エラード・ネグロとしてこの表現スタイルを深め、追求していくことになる。伝統的な曲作りよりもサウンドスケープを作るときの方がくつろげるのかと問われ、「すべて同じだと思う。歌はサウンドアートであり、言葉はただの音だ。正直、隔たりはないと思う」とランゲは答えていたが(※1)、それは彼の音楽性を簡潔に言い表してもいる。自分の声と同じようにドラムとベースを主役として強調させることも、アコースティックギターのアンビエンスを調節してフォーキーな響きを排除することも、隔たりのなさを表す手法である。
(※1)https://www.npr.org/2021/10/22/1048041763/helado-negro-creates-his-own-world-on-the-cosmic-far-in
エラード・ネグロは、スフィアン・スティーヴンスが主宰するレーベルAsthmatic Kittyから当初リリースし、より実験的な音楽性を志向するRVNG Intl.へと移り、『Far In』(2021年)からUKの老舗インディーレーベル4ADに移籍した。『Far In』はこれまでに比べてポップな装いもあり、リスナー層を広げるきっかけともなった。リリース時に、ランゲは既に40歳を迎えていたが、歳を重ねるごとに興味深いリリースを続け、輝きを増してきた。それは、彼が音楽活動と並行して、アートを制作しつづけてきたことから還元されたものが大きかったのではないかと思う。
『Far In』Helado Negro(ビート/4AD)
エラード・ネグロの4AD移籍後初の作品。サイケデリックで独特な浮遊感が癖になる、全体を通して空間処理が見事な一作
アーティストとしてのランゲの活動は、音楽やストリートと結びつきの深いペインター/インスタレーションアーティストのデヴィッド・エリスとの共同作業から始まった。クリスチャン・マークレーがキュレーションした展示で、ゴミ袋を使った『Trash Talk』というサウンドスカルプチャーを制作したのを皮切りに、エリスのモーションペインティングに呼応するサウンドの制作を手掛けた。さらに、ランゲ自身はアトランタの公共スペースのパブリックアートとして気象観測用気球を使ったサウンドスカルプチャー『Sounding Up There』を制作している。
『Far In』の背景にも、『Kite Symphony』という展示プロジェクトがあった(※2)。パートナーであるビジュアルアーティストのクリスティ・ソードと共にランゲはテキサス州マーファに滞在して、フィールドレコーディングから自生植物までを使った制作を行い、テキサス在住のロブ・マズレクもフィーチャーして図形譜から作曲した『Kite Symphony, Four Variations』というアルバムも制作された。ちなみに、本連載で以前紹介したバルモレイ(※3)もマーファのアートプロジェクトと密接に関わっている。マーファの砂漠とそこにある風、音、光が反映された展示と音楽は、『Far In』の独特の浮遊感がどこから来たものなのかを明かしている。異なる文脈を探索し、サウンドとビジュアルとパフォーマンスに対する対等でオープンなアプローチから生まれたアルバムだ。「自分にある語彙(ごい)は視覚芸術の教育によるものだ」ともランゲは語っていたが、その語彙を音楽に転用することに秀でているのも彼の特徴だろう。
(※2)https://www.ballroommarfa.org/program/kite-symphony-roberto-carlos-lange-kristi-sword/
(※3)https://www.snrec.jp/entry/column/tciy165
『Kite Symphony, Four Variations』Roberto Carlos Lange(Ballroom Marfa)
テキサス州マーファでの滞在時、ランゲのパートナーであるクリスティ・ソードと共同制作した図形譜に沿って演奏された作品
そして、エラード・ネグロの最新作『Phasor』も、ランゲの探索したものが反映されたアルバムに仕上がっている。冒頭の「LFO」という曲がとても象徴的だ。“Lupe Finds Oliveros”の略だというクラウトロックをほうふつさせる曲は、ディープリスニングを提唱したアコーディオン奏者/作曲家のポーリン・オリヴェロスと、1950年代にFenderのギターアンプの回路を手作業で配線したメキシコ系アメリカ人女性、ルーペ・ロペスがテーマとなっている。純正律で調律されたアコーディオンで瞑想的な即興演奏を行い、ディープリスニングのワークショップやリトリートを実践してきたオリヴェロスと、ツイードアンプのビンテージの価値がマスキングテープのサインと共に語られることもあるロペスの間には何の接点もないのだが、音をケアするという点においてランゲにインスピレーションを与えた。また、イタリアの現代音楽の作曲家/電子音楽家のサルヴァトーレ・マルティラーノが開発したSal-Mar Constructionという電子楽器との出会いが、アルバム制作の発端となっている。アナログモジュールを使った複雑なプロセスから生まれるサウンドシーケンスに魅了されたのだという。
『Phasor』Helado Negro(ビート/4AD)
サルヴァトーレ・マルティラーノが開発した電子楽器にインスピレーションを得て制作されたエラード・ネグロの最新作
『Far In』がそうであったように、『Phasor』でも、ランゲはサウンドが生まれてくる文脈を探求し、そのプロセスを尊重している。それはあからさまな引用ではなく、自分のサウンドの中にいかに組み入れるかに腐心している。ランゲに直接インタビューする機会はなかったのだが、先日、ブラジルのピアニスト、アマーロ・フレイタスにインタビューした際に、彼が最新作『Y'Y』の制作のきっかけとなったジョン・ケージのプリペアドピアノについて熱心に話すのを聞いて、ランゲのスタンスに重なるものを感じた。昨年、『FESTIVAL FRUEZINHO 2023』で来日したフレイタスは、トリオで素晴らしい演奏を聴かせたが、滑らかなタッチと打楽器のように聴こえる硬質な響きのピアノが特に印象深かった。トリオでの演奏を経て、次のフェーズに向かうにあたって参照したのが、ピアノの弦に金属のボルトなどさまざまな素材を挟むプリペアドピアノだった。
『Y'Y』Amaro Freitas(Psychic Hotline)
ジャズピアニスト、アマーロ・フレイタスの最新作。シャバカ・ハッチングス、ジェフ・パーカーらがゲストとして参加
ただ、それは手法として取り入れただけではなく、アマゾンの熱帯雨林にある都市マナウスで出会った先住民族たちの儀式に参加して得たインスピレーションの表現手段として用いたのだとフレイタスは語ってくれた。このインタビューは、ミュージック・マガジン誌(ミュージック・マガジン刊)に掲載されるので、本コラムと併せてぜひ読んでみてもらいたい。アフロブラジリアンと先住民族の文化の探求とプリペアドピアノの実験が交わって先進的なブラジリアンジャズに至った『Y'Y』というアルバムは、音楽性は違うが、異なる文脈を自分の表現に結実させたという点では『Phasor』と重なる。そして、これらはリスナーが新たなつながりを見出す余地も残している作品である。
原 雅明
【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサーを務め、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpの設立に関わり、DJや選曲も手掛ける。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって』