ソニーがホーム・ユース向けの単一指向性コンデンサー・マイクとして発売したC-80。世界中で歌録りに活用されているC-800G、あらゆるソースを50kHzまで捉えるC-100といったマイクの技術を継承しつつ、自宅録音にアジャストした一本だ。そのC-80の生まれ故郷と言えるのが、大分県にあるソニー・太陽株式会社。現地を訪れ、C-80の設計を手掛けた技術者の方々に取材することができたので、ここにレポートしよう。
撮影:CROSSst 岡本正人(*は除く)
ソニー・太陽株式会社について
ソニー・太陽は、1978年にソニーグループ株式会社と社会福祉法人 太陽の家が合同で設立した企業。ソニーのマイクロホンやヘッドホンの国内唯一の基幹事業所として、ハイエンド・モデルを中心に製造している。ものづくり以外の業務も手掛け、本稿で取材した磯村直也氏と時松伽子氏が担当する音響設計のほか、インクルージョン・ワークショップという、障がいの有無にかかわらず誰もが参加できるワークショップの運営や環境活動などを展開。約200名の社員のうち、約6割が障がいのある方々でありながら、熟練した技術でプロダクトを生み出している。
障がい者の雇用に積極的であるのは、ソニーが創業以来持ち続けている、多様な人々によって新しい価値が生み出されることを大切にしているからだという。障がいの有無にかかわらず、誰もが生き生きと働き、インクルージョンされた社会の実現を目指す。そういった意識のもと、邁進する企業と言えるだろう。
C-80とは?
ホーム・ユースの単一指向性コンデンサー・マイク。歌やアコースティック・ギター、ピアノなどの録音、歌唱や演奏の配信に向けており、上位機C-100を元にしつつ新設計したカプセルを採用。金蒸着ダイアフラムは、著名な録音作品の数々に使われてきたC-800Gと同等の素材を用い、近接効果を抑制すべくデュアル(2枚)構造となっている。また、オケ中で声を抜け良く聴かせるために、13kHz辺りを持ち上げた音質も特徴。
SPECIFICATION
▪電源:外部から供給(DC44~52V) ▪周波数特性:20Hz~20kHz ▪正面感度:-30dB(偏度±3dB、0dB=1V/Pa、1kHz) ▪ダイナミック・レンジ:125.5dB以上 ▪出力インピーダンス:90Ω±15%、平衡型 ▪最大入力音圧:138dB SPL以上 ▪外形寸法:40(φ)×158(H)mm ▪重量:約215g
C-100ベースのカプセルを基準にあらゆる部分を設計していった
ホーム・スタジオでの使用に向けて59,400円前後で発売中のC-80。設計の土台となった機種C-100が172,568円前後なので、大幅なコスト・ダウンがうかがえるが、音質を犠牲にしたのではない。「音質に大きく影響するところにはグレードの高い部品を採用し、影響があまり無いところは思い切って置き換えたり削減したりして、メリハリを付けながら設計しました」と話すのは、ソニー・太陽の磯村直也氏。ソニー・ミュージックスタジオのサウンド・エンジニアたちと連携しながら試作品の改善を繰り返し、音質を追求したのがC-80だ。「プロ・クオリティをホーム・スタジオに届けたい、という思いから企画した商品です」とは、C-80のプロダクト開発リーダーであるソニーの篠原幾夫氏の弁。開発の背景を伺おう。
「きっかけの一つは、ユーザー生成コンテンツ・プラットフォームの普及です。昨今は、個人が自宅で歌やナレーションを録音し、YouTubeで配信するような機会が増えています。また、ミュージシャンがホーム・スタジオで本番の準備やデモ制作をしたり、リモート作業でマイクが使われたりすることも増えました。そうした需要に応える形でC-100が好調だったのですが、もう少し価格を抑えた商品が欲しいというご意見もあったので、ホーム・ユースに向けた価格帯のものを開発すべくC-80の企画が始まったのです」
C-80の音質は、製品のコンセプトの通り、ボーカルやナレーションに適したものとなっている。
「ボーカルもナレーションも人の声なので、それが明瞭に聴き取れることを目標にしてカット&トライしました。実際に音を聴きながら、電気回路の調整や筐体の構造、材料などの吟味を繰り返し、音質を作り込んだのです。技術的な面では、デュアル・ダイアフラムとしつつ単一指向性を確保する新規のカプセル構造が大きな工夫点です」
そのカプセルは、C-100の25mm径のカプセルをベースにしている。C-100には高域用カプセルとメインのカプセルがあり、後者が25mmのもので、前面&背面の計2つから成る。一方、C-80では高域用のカプセルが使われず、メインの方は前面のみの1つとなっている。C-100が背面のカプセルを持つのは指向性の切り替えに対応するためだが、C-80はホーム・ユース向けなので、そのシチュエーションで最もよく使われるであろう単一指向性に絞ったのだ。これにより部品の数が減り、コスト・ダウンにもなっている。
かくてC-80は、カプセルを基準に設計された。「カプセルを完成させてからほかの部分に着手したわけではないので“あちら立てればこちらが立たぬ”というケースもありましたが」と磯村氏は振り返る。
「高域用のカプセルが無くても、上の方の伸びが聴感的にC-100に劣らないようにする、というのをポイントとして音作りしました。方法はアナログで、例えばダイアフラムへ蒸着させる金属にいろいろな材料を試してみたのが一つ。さまざまな用途に対応するマイクを目指し、癖が無く素直でナチュラルな音質を突き詰めました」
声の芯や力強さを重視しつつ近接効果を抑える構造
カプセルの中心にあるダイアフラムは、薄膜の高分子フィルムに金メッキを蒸着させたもの。C-800Gのダイアフラムと同等で、C-100から変更された部分でもある。「ボーカルやナレーションに向けたマイクという点から材料を見直したところ、C-800Gのダイアフラムと同等のものを使うのがベストだろうと判断したのです」と篠原氏。
「ダイアフラムには、“材料の物性に由来する音”というのがあります。それが声などの入力信号に乗ってくるので、マイクの音作りは材料に影響されます。C-100はハイエンドの伸びや空気感を重視するため、それにマッチした材料を選んでいます。C-80に関しては、空気感よりも声の芯や力強さを重視し、C-800Gと同等のものを選択しました」
C-80のダイアフラムは、カプセルの前面と背面に1つずつ配置されている。つまり合計2つから成るデュアル・ダイアフラム構造だ。「プロフェッショナル向けのマイクによく使われる構造で、近接効果を抑制する働きがあります」と言う篠原氏に続き、磯村氏が解説する。
「指向性カプセルに近づいて歌ったり話したりすると、近接効果によって低域が膨らむ傾向にあるので、それをできるだけ抑制した方がよいだろうと考えました。プロ向けのマイクであれば、ボーカリストの方がマイクとの距離を変えながら歌って低域の量感をコントロールするので、近接効果を抑える仕様には良し悪しがあると思います。しかしC-80が想定するユーザーの方々にとっては、そういったマイキングを求められるより、距離がある程度変わっても一定の音で録れる方が扱いやすいのではないかと考えたのです。そこでカプセルの背面にもダイアフラムを配置し、デュアル・ダイアフラム構造としました」
オンマイク時も低域が膨らみにくい(=モコモコした音になりにくい)ため、ナチュラルな音質に寄与する構造だ。
ダイアフラムの周囲に配された絶縁構造体も、音質に影響を及ぼす部分。スーパー・エンジニアリング・プラスティックのポリエーテルイミド(PEI)を使用し剛性を高め、不要共振による音のひずみを回避している。「プラスティックの多くは、部品としての精度を出しにくいものなのですが」と前置きしつつ、篠原氏が語る。
「ポリエーテルイミドは、剛性や寸法精度が高いのです。コンデンサーを形成するにあたって、絶縁体が低剛性で変形してしまうと、所定の性能や特性が出せなくなります。きちんと形成するための材料選びは重要で、カプセルそのものの性能を左右することでもあります」
C-100由来のディスクリート・プリアンプ、フィルム・コンデンサーを信号経路に採用
音質に影響する部品は、ほかにもある。C-800GやC-100にも採用されたショック・ダンパーが一例だ。2本の金属支柱の間に硬いゴムを挟んだもので、カプセルを下から支えつつ、マイク・スタンド経由で伝わる振動を軽減。下端はフレームにネジ止めされている。磯村氏が解説する。
「単に防振するだけなら、カプセルを柔らかいゴムで吊って浮かすのが一番だと思います。しかし、そうすると音の芯や力強さが損なわれてしまいがちなので、防振と音質のバランスを考慮して、このショック・ダンパー構造を採用しました。これだけでも、音がものすごく変わってきます」
ショック・ダンパー付近の基板には、ディスクリート仕様のトランジスター・プリアンプが収まっている。ソニー・太陽の時松伽子氏に聞いてみよう。
「C-100のプリアンプ回路をベースにしつつ、C-80に最適化させるための課題を見つけるところから始めました。その後、定数を変えたり回路構成を少し変更したりして、徐々にアップデートしていった形です」
C-80の固有雑音値は12.5dB SPL以下。C-100の方は単一指向性時に19dB SPL以下なので、約6.5dBの低減に成功している。篠原氏は「そこも、時松が説明したプリアンプ回路の工夫によるものです」と言う。
序盤でお伝えした通り、C-80はコスト・ダウンを実現しつつ、音質にかかわる部分にはハイグレードな部品を採用している。先述のショック・ダンパーしかり、信号ラインに使われたフィルム・コンデンサーや金属皮膜抵抗器も見逃せない。「コンデンサーという部品において、フィルム・コンデンサーは非常に高価なものです」と篠原氏が説明する。
「信号ラインには交流の信号を流します。ただ、何らかの原因で直流が発生した場合、要所にディスクリート回路を組んでいるためカットしなければなりません。そのためにフィルム・コンデンサーを使っています。やはり安価なセラミック・コンデンサーとフィルム・コンデンサーでは、音質が全く違うからです。1台あたり10個近く使用し、かなりのコストをかけていますが、C-80は音質を重視する商品でもあるので努めて採用しました」
金属皮膜抵抗器については、時松氏がこう説明する。
「ノイズ低減のために採用しています。信号ラインの部品は音質に影響するので、電気的な性能を確保するために素子や定数を調整しながら試聴を繰り返し、カプセルや筐体と合わせたときにバランスの良い組み合わせにしました」
C-100やC-800Gの技術を受け継ぎつつ、オリジナルなモデルとなったC-80。「使い勝手を重視して筐体をコンパクトにまとめたので、まずは身近な録音に使っていただき、良さを体感してもらえたらと思います」という磯村氏の言葉の通り、取り回しの良さにおいても自宅録音で活躍する一本と言える。歌録りやポッドキャストのナレーション録音などに使われ、優れたコンテンツが世に出るのを願うばかりだ。
C-80製造セル
C-80製造セルは、総合的な組み立て、組み立てたもののヒアリング(オーディオ特性やハム・ノイズ、異音などの確認)、ショック・マウントの組み立て、梱包の4セクションから成る。ヒアリングのセクションには、検査対象のC-80とともにリファレンスの個体が用意されており、問題が見つかった場合は無響室での再測定を行うこともあるという。
C-800G製造セル
C-800Gも一台一台、手作業で製造されている。工程に沿って各部品を専用のテーブルに並べており、一台組み上げると、次の個体のための部品テーブルが出てくるようになっている。
C-100製造セル
C-100もハンドメイドだ。写真では高域用/メインの2系統のカプセルが見える。このように、手作業を主として作られているプロダクトが、世界中のレコーディングの現場で使われていると思うと感動の念さえ覚える。