【音響設備ファイル Vol.4】関西大学 ソシオ音響スタジオ

さまざまなスペースの音響設備を紹介する本連載。今月は関西大学 千里山キャンパス内に設立されたソシオ音響スタジオを訪れた。生徒のクリエイティブな才能を伸ばしたいという一心から、MADIネットワークや3Dサラウンド環境など“未来を見据えたスタジオ”に仕上げているという。そのシステム作りについてレポートしていきたい。

生徒が“良い音”を体感できる場

1886年に設立され、現在は約3万人の学生が在籍する関西大学。音楽専門の学部/学科は無いものの、ソシオ音響スタジオは社会学部の三浦文夫教授や小川博司教授を中心に作られた。その経緯を三浦教授が語る。

「社会学部のメディア専攻の中に1年前から音楽の研究プログラムを用意しまして、実際に生徒たちが音楽の企画演習や映像制作実習を体験できる場として、このスタジオを設立しました。立体音響の再生システムもあるので、“良い音とは何か”を直接体感してほしいんです」

三浦教授はあのIPラジオ・サービスradikoの考案に携わった人物。そんな教授だけに、生徒たちには作品を制作すること以上の学びを見据えている。

「実習で音楽やPVを作ったら、それをどうやってプロモーションするかという部分も生徒たちに考えてもらうようにしています。そうした一連の作業を経験しておくと、たとえ音楽業界に就職しなかったとしても、社会に出たときに見えてくるものが違ってくると思うんです。実際に兵庫県加西市に“音楽による市の活性化の5カ年提案”を行うなど、生徒には音楽を通して周囲とのかかわり方を経験してもらっていますね」

▲関西大学社会学部メディア専攻の三浦文夫教授。スタジオのプレゼン時には、生徒のバンドに入りベース演奏も披露していた ▲関西大学社会学部メディア専攻の三浦文夫教授。スタジオのプレゼン時には、生徒のバンドに入りベース演奏も披露していた
▲コントロール・ルームのメイン・デスク。デュアル・ディスプレイには左にPRESONUS Studio One、右にRME TotalMixの画面が映し出されている。デスク中央右には8本のフェーダー・モジュールがビルトイン(後述)。左にはPRESONUS StudioLive CS18AIが見えるが、これはStudio Oneのフィジカル・コントローラーとして使っているもので、音声信号は通っていない ▲コントロール・ルームのメイン・デスク。デュアル・ディスプレイには左にPRESONUS Studio One、右にRME TotalMixの画面が映し出されている。デスク中央右には8本のフェーダー・モジュールがビルトイン(後述)。左にはPRESONUS StudioLive CS18AIが見えるが、これはStudio Oneのフィジカル・コントローラーとして使っているもので、音声信号は通っていない

“モジュール方式”によるコンソールレス環境

音響システムを手掛けたのはエムアイセブンジャパン。同社の野村寿男氏はこの大学の卒業生でもあり、システム構築にはより一層熱が入ったようだ。

「スタジオはコントロール・ルームを中心に、レコーディング・ブース、サウンド・ロックという録音可能な前室があります。それら3つのブロックをハイレゾの多チャンネルで結ぶために、RMEのMADIシステムを使いました」

ご存じの通り、MADIはケーブル1本で最大64ch(96kHz時で32ch)のデジタル・オーディオ伝送が行える規格であり、オプティカル・ケーブルであれば最大2kmの引き回しも可能。このスタジオのレコーディング・ブースとサウンド・ロックの音声信号は、すべてそのMADI経由でコントロール・ルームに送られている。

「レコーディング・ブースには8chマイクプリのRME OctaMic XTCが2台があり、16ch分のマイク入力が可能です。それらを音源に近い場所でデジタル化し、劣化の無い状態でコントロール・ルームへと送ることができるシステムになっています。また、演奏者のためのキュー・ボックスにはMYMIXシステムを使っており、コントロール・ルームで作った6系統のモニター・ミックスをMADIでレコーディング・ブースのRME ADI-8QSへ送り、D/Aした音声をMYMIXの親機へ、そこからLAN経由で子機に分配しています」

と野村氏。さらにエムアイセブンジャパン代表の村井清二氏がこう付け加える。ちなみに村井氏も関西大学出身者だという。

▲音響システムを手掛けたエムアイセブンジャパン代表取締役の村井清二氏。関西大学社会学部の卒業生でもある ▲音響システムを手掛けたエムアイセブンジャパン代表取締役の村井清二氏。関西大学社会学部の卒業生でもある
▲音響システムを手掛けたエムアイセブンジャパンの野村寿男氏。氏も関西大学社会学部の卒業生だ ▲音響システムを手掛けたエムアイセブンジャパンの野村寿男氏。氏も関西大学社会学部の卒業生だ
▲音響システムのルーティング図。レコーディング・ブースおよびサウンド・ロックでの演奏は、それぞれの部屋でRME OctaMic XTCでMADIに変換され、コントロール・ルームに送られる。スタジオ内にアナログ・ケーブルを引き回すことなく、MADI用のオプティカル・ケーブルで伝送を行うため、電位差ノイズなどに悩まされる心配が無いという。レコーディング・ブースにはモニター・システムのMYMIXを導入しており、コントロール・ルームからの信号はMADIで送られる ▲音響システムのルーティング図。レコーディング・ブースおよびサウンド・ロックでの演奏は、それぞれの部屋でRME OctaMic XTCでMADIに変換され、コントロール・ルームに送られる。スタジオ内にアナログ・ケーブルを引き回すことなく、MADI用のオプティカル・ケーブルで伝送を行うため、電位差ノイズなどに悩まされる心配が無いという。レコーディング・ブースにはモニター・システムのMYMIXを導入しており、コントロール・ルームからの信号はMADIで送られる

また、DAWソフトとしてはPRESONUS Studio Oneとサラウンド再生用にSTEINBERG Nuendoをインストール。特にStudio Oneの選択理由について三浦教授はこう説明する。

「プラグインを挿す際などレスポンスが速いため、時間が限られた授業で使うのに最適ですね。無償版のStudio One Freeも十分なクオリティなので、生徒たちは自宅でそれを使い、スタジオのStudio One Professionalで作業を詰めるというワークフローも可能です」

さらに注目してほしいのは、この規模ながら大型コンソールが無い点。その点について村井氏が語る。

「実はコンソールはあるんです。私たちが“モジュラー方式”と呼んでいるもので、MADI機器とTotalMix、そして仮想フェーダーを組み合わせたものです」

メイン・デスクをよく見ると、8本のフェーダーがビルトインされていることが分かる。村井氏が続ける。

「これは花岡無線電機さんに特注で作ってもらったTotalMix用のコントロール・フェーダーで、アナログ信号は通っていません。多くのスタジオは、卓が一番大きな投資ですよね。しかしこの“モジュール方式”は、MADI機器とTotalMixとフェーダーを組み合わせた仮想卓ですから、フェーダーに不具合があったら1本ずつ取り替えればいいですし、新しいオーディオI/Oが出たら買い換えればいい……このシステム自身が古くなることはないんです。大規模な改修予算無しに運用できるのがモジュール方式の大きなメリットです」

▲デスクにビルトインされた花岡無線電機によるカスタマイズ・フェーダー。アナログ信号は通っておらず、TotalMixのコントロール用だ。これによって“仮想卓”を実現している ▲デスクにビルトインされた花岡無線電機によるカスタマイズ・フェーダー。アナログ信号は通っておらず、TotalMixのコントロール用だ。これによって“仮想卓”を実現している
▲デスク下のラック。上からモニター・スイッチャー類、RME MADI Router、AD/DAコンバーターのADI-8 QS×2、オーディオI/OのMadiface XT。Madiface XTはメイン・パソコンにつながっており、ブースからMADIで送られた信号などはコントロール・ソフトのTotalMixで管理している ▲デスク下のラック。上からモニター・スイッチャー類、RME MADI Router、AD/DAコンバーターのADI-8 QS×2、オーディオI/OのMadiface XT。Madiface XTはメイン・パソコンにつながっており、ブースからMADIで送られた信号などはコントロール・ソフトのTotalMixで管理している

理論計算と手動調整による3Dサラウンド環境

3Dサラウンド環境もこのスタジオの特徴で、コントロール・ルームのスピーカーは7.1.4chという配置。音響設計を手掛けたソナの中原雅考氏はこう語る。

「授業で使うスタジオということで、多くの生徒が同時に良い音で試聴できる環境を考えました。そのためにサラウンド用のスピーカーを壁に埋めて、リスニング・エリアを広く確保しています。スピーカーはメインの7本と天井の4本がKSDIGITAL製で、モデルは異なります。サラウンド用スピーカーはモデルを統一するのが理想的ですが、今回は両モデルとも再生周波数がほぼ同じフル・レンジであり、クロスオーバーにFIRフィルターが使用されているので位相干渉問題も回避できています。また、4本のサブウーファーはPRESONUS製を使っています。低域特性のコントロールは非常に難しいのですが、我々はいわゆる古典的なモード理論と周波数特性のシミュレーション技術を結び付けた“モード合成理論”を用いて、部屋の響きがどういった位相で重なり合って低域特性を作っているかを解析し、適切な音響措置をしています」

続いて同じくソナの土倉律子氏が説明してくれた。

「L/Rスピーカーの開き角は60度、Lss/Rssのスピーカー配置はITU-Rの規格に準拠しています。天井のスピーカーは十分な高さを確保しており、Dolby Atmosなどの推奨にも適合しています。各スピーカーは同心円状に並ぶように計算/設計し、音響のディレイは電気的な調整に加えて、手作業により数mm単位で各スピーカーの前後配置を吟味しました。吸音/拡散に関しては、フロントには音響スリットを用いて必要最小限の反射を与え、サラウンドに関しては吸音と反射の2種類の穴底処理が施されたMLS拡散パネルで適度な拡散音を付加して、チャンネル間の音像が自然につながるようにしています。三浦教授から、“コントロール・ルームもブースとして利用する可能性がある”とリクエストをいただいていたので、響きを少し残した音響設計になっていますね」

考え抜かれた音響設計に加え、紺の壁面は関西大学のカラーを反映したもの。意匠にも抜かりは無い。

▲音響設計を手掛けたソナの中原雅考氏(右)と土倉律子氏(左) ▲音響設計を手掛けたソナの中原雅考氏(右)と土倉律子氏(左)
▲コントロール・ルームのスピーカー・レイアウト。 7.1.4chの3Dサラウンド環境で、Dolby Atmosなどのスピーカー配置に準拠。スピーカーを壁に埋め込むことでリスニング・エリアを広く取った設計だ ▲コントロール・ルームのスピーカー・レイアウト。 7.1.4chの3Dサラウンド環境で、Dolby Atmosなどのスピーカー配置に準拠。スピーカーを壁に埋め込むことでリスニング・エリアを広く取った設計だ
▲メイン・スピーカーはKSDIGITAL ADM25。周波数特性35Hz~24kHzのフル・レンジ・モデルで、内蔵DSPにより調整が可能 ▲メイン・スピーカーはKSDIGITAL ADM25。周波数特性35Hz~24kHzのフル・レンジ・モデルで、内蔵DSPにより調整が可能
▲サブウーファーはPRESONUS Temblor T10。床から数十cmの高さに設置することにより、コントロール・ルーム内の後ろの席にも同じ低域特性で伝達するように調整された ▲サブウーファーはPRESONUS Temblor T10。床から数十cmの高さに設置することにより、コントロール・ルーム内の後ろの席にも同じ低域特性で伝達するように調整された
▲ネット越しなので見えづらいが、天井に設置されたスピーカーはKSDIGITAL D-808 ▲ネット越しなので見えづらいが、天井に設置されたスピーカーはKSDIGITAL D-808

ほかにも高速インターネット回線など充実した設備を誇る本スタジオ。演習や講義での使用が主だが、それ以外にも有効利用する方法を探りたいと三浦教授は語る。

「例えば「関西大学日本ポピュラー音楽アーカイブ・ミュージアムプロジェクト」というものを行っていまして、1970年代くらいからのポップス系音楽の映像をデジタル・アーカイブ化する研究もしています。外貸しのような運営はしませんが、大学関係者を中心として関西の音楽産業に寄与するような使い方ができたらと思っています」

▲DWのドラム・キットが用意されたレコーディング・ブース。気持ち良く演奏するためにデッド過ぎない音響にしているそう。右手前に見えるのがMYMIXの子機 ▲DWのドラム・キットが用意されたレコーディング・ブース。気持ち良く演奏するためにデッド過ぎない音響にしているそう。右手前に見えるのがMYMIXの子機
▲スタジオの前室であるサウンド・ロック。狭いながらもボーカル・ブースとして使用することができる。当然ながらこの部屋の信号もMADIでコントロール・ルームに送られる ▲スタジオの前室であるサウンド・ロック。狭いながらもボーカル・ブースとして使用することができる。当然ながらこの部屋の信号もMADIでコントロール・ルームに送られる