イマーシブ・オーディオ/MADIがキーワードの最新鋭スタジオ
創立112周年を迎えた東京音楽大学(以下東京音大)。今年4月に設立された中目黒・代官山キャンパスには、約400席を備えるTCMホールやオーケストラの練習ができる特大教室など充実の設備が整っている。その中でも特筆すべきなのは、GENELECのスピーカーで統一されたイマーシブ・オーディオ環境を備えるスタジオだ。今回は、企画/提案から携わるミキサーズラボの高田英男氏、同じく構想段階からかかわりエンジニアリングも担当する梅津達男氏、そして東京音大で教鞭を執るレコーディング・エンジニアの佐野秀明氏にスタジオ設立の経緯や機材選定の理由などを伺った。
クラシックと親和性の高いイマーシブ環境
高さを感じられる音場空間が重要
中目黒・代官山キャンパス3階に設けらたスタジオ。コントロール・ルームには7chのイマーシブ・オーディオ環境が整っている。センターはGENELEC 1238AC、L/Rは1234A、サイドとハイトのL/Rは1238DFという構成で、ニアフィールド・モニターは8351A×2だ。さらにアナログ・コンソールのAPI Legacy AXSが導入されている。
まずはスタジオの設立にあたり、ミキサーズラボが携わることになった経緯を高田氏に伺った。
「東京音大の映画・放送音楽コースで教授を務める小六禮次郎先生からミキサーズラボ会長の内沼映二に相談があったほか、多方面から弊社にお話をいただきました。そこで、私と梅津も携わることになったんです」
高田氏はスタジオ設計にあたり、スタジオを設ける意義や目的を明確にするため、大学側と話を重ねたという。
「東京音大にはエンジニアリングを専攻する課程は無いのですが、演奏と録音は表裏一体。そのため、学生にはぜひレコーディングとはどういうものなのかを学んでほしいと考えました。一つは、録音した自分の演奏を聴いて、演奏内容によってどう聴こえ方が変わるのかを学ぶ機会に。また卒業後、プロの演奏家になったときにエンジニアとのコミュニケーションの取り方も重要になってくるので、その基礎スキルを磨く意味合いもあります」
梅津氏も、プロ・スペックのスタジオ環境や高音質で自身の演奏を聴くことが学生にとって重要だと言う。
「これからプロの演奏家になっていく学生たちにとって、良い音を知るというのは非常に重要なことです。これを学校という場で提供できるのは有意義だと思います。自分の演奏が録音/ミックスされるとこうなる、ということを学んでほしいですね」
スタジオの音響設計にあたり、大学側からはステレオ2chは絶対に高音質でという要請はあったが、イマーシブ・オーディオの必要性を提案したのは高田氏だそうだ。
「世界的にイマーシブ・オーディオへの関心が高まり、特にクラシック音楽はその傾向が強いと思います。音場空間の再現方法として“高さ”を用いる表現を学生の皆さんに体験してほしかったんです。天井の高い特大教室の音場を再現する必要があったのも理由の一つですね。また、打ち込み系の音楽であればサラウンドの立体感を超えたクリエイティブ空間も作り出せるので、やはり高さを表現できるモニターが必要です。後でハイト・スピーカーを足したいという要望が出ても対応するのは大変なので、基本設計としてこのような機能は入れておいた方が良いということもあるので、強く推薦しました。コントロール・ルームの容積から考えて、通常の5.1chにハイト・スピーカーを2ch追加するこのレイアウトがベストだったと思います」
では、数あるスピーカーの中でGENELECを選んだ理由はどこにあるのだろうか? 東京音大では既に、多数のGENELEC導入実績があると佐野氏は言う。
「もともと池袋キャンパスのスタジオに1035Aと1031A、教室には1032Cが導入されていたことが大きいですね。また、学生が将来プロの演奏家や作編曲家としてレコーディングすることになった場合、必ずといってよいほどスタジオのどこかにGENELECのスピーカーがあると思います。その音を学生のころから聴いたことがあるか否かは非常に大きな違いです。“このスピーカーは大学で聴いたことがある!”と思えるだけで気持ちに余裕が出てくるんですよね」
続けて佐野氏は、大学のスタジオ・モニターとしてGENELECを導入するメリットを語ってくれた。
「録音に慣れている学生は決して多くはないので、気持ちよく演奏してもらうためにも出音がシビア過ぎてはいけません。しかし、周囲の方からのアドバイスによって変化していく表現を描き出す繊細さは残さなければならない。GENELECのスピーカーはそのバランスが優れているんです。また、今は圧縮音源に慣れてしまっている学生が多いのですが、GENELECのスピーカーは圧縮音源では聴こえないような高解像度録音の細かなニュアンスもしっかり出してくれるので、良い勉強になると思います。ハイレゾで録りたい、アナログ盤を作りたいというような欲求が芽生えてくれるとうれしいですね」
スタジオに導入されたGENELECモニターは、SAM(Smart Active Monitoring)システムを備えたモデル。ラージはもちろんサラウンド、ニアフィールドもSAMで統一されている。高田氏は導入理由をこう語る。
「以前、ある特殊な環境でなかなか音がまとまらずに困っていたのですが、SAMモニターをGLMソフトウェアでチューニングしたところすぐにまとまったんです。現在のSAMは細かな設定が行え、非常にチューニングの幅が広がりましたね。モニター・スピーカーはスタジオの顔と言っても過言ではないので、そういう意味ではGENELECは最適解の一つだと思います」
SAMモニターにしたことで、ラージとニアフィールドのつながりも良いと梅津氏は証言する。
「ラージ・モニターで調整した音を8351Aで聴いてもニュアンスは変わらないですね。ラージ・モニターでこうだから、8351Aだとこうなるだろうと考えながら作業しなくて良いので、大変扱いやすい。このスタジオではピアノやバイオリンなどの生楽器をマイクで録音することが多いので、楽器とマイクの距離が重要になってきます。そのような場合でもブースの中で聴いた生音とモニターで聴いた音が合致するので、大変重宝していますね。また、8351Aには同軸の良さを感じます。ソロはもちろんアンサンブルであっても、位相のずれや変に誇張されてどこかの帯域だけが伸びるということが無く、バランス良く一つにまとまって聴こえるんです」
MADIは200mの距離があっても
ロスの少ない接近感のあるサウンド
東京音大のシステムでさらに注目したいのは、RMEのMADIシステムが導入されている点だ。TCMホールや特大教室など、学内の施設からRMEの8chマイクプリ/AD、Micstasy Mなどを経由してMADI(オプティカル)でスタジオへ。そこからコントロール・ルーム内にあるRME M-32 DAでパッチしてアナログ信号としてLegacy AXSに立ち上がる。MADIを採用した理由を佐野氏が教えてくれた。
「大学という一つの建物の中とはいえ各施設からどうしても距離はあるので、一番ロスの少ない方法を考えたときにMADIが最適解でした。アナログの回線も並行して引いているのですが、大学施設なのでどこからどのようなノイズが入るか分かりませんからね」
MADIは狙い通り音質のロスが少ないと梅津氏は言う。
「ホールからスタジオまでだと200m近い配線距離がありますが、音に接近感のあるロスの少ない音だなと強く感じます。アナログ回線も引いていますが、コントロール・ルームまでマイク・レベルで送ってスタジオ内のプリアンプで増幅するというのは現実的ではないですから。もちろんアナログにはアナログの良さがあり、MADI伝達のためにAD/DA変換したことによる音質の変化は当然出てきてしまいます。しかし、音そのもののエネルギーが損失していないという絶対的な良さがあるので、これからMADIを使ってどのようにして音楽を作っていくかが課題だと思います」
Designer’s Interview
豊島政実
学生が気持ち良く演奏できるライブな空間を意識しました
今回のスタジオ設立にあたり、豊島総合研究所所長の豊島政実氏が音響設計を監修している。豊島氏はこれまでにアビイ・ロードやタウンハウス、ビクタースタジオ、ワーナーミュージックスタジオなど国内外250以上のスタジオを設計。現在も江蘇州大劇場録音スタジオなど幾つものプロジェクトに携わっている。ここでは豊島氏に中目黒・代官山キャンパスのスタジオについていただいたコメントを紹介しよう。
インテリア・デザインは戸田建設、建築音響は日建設計、音響内装工事はソナが担当。私は音響仕様の提示とそれを達成するためのアドバイス、スタジオ機器と建築との調整などスタジオ工事全体を音響設計の面から管理するという立場で携わりました。
システムに関しては、ミキサーズラボの高田さんが担当し、私はスピーカーの配置が可能か音響的/建築的にチェック。響きの良いTCMホールと特大教室も併設しているので、大空間の音を表現するためハイト・スピーカーが必要だと高田さんが大学側に提案されました。これにより高精細度の映像と融合した最先端音響の研究が可能となったんです。この設備でどのような空間を表現するかは、これからの研究課題であり、エンジニアの技量も要求されますね。
中目黒・代官山キャンパス以前にも、アビイ・ロードで映画音楽用のスピーカー配置の実験を行ったり、ジャカルタにある映画制作会社、ミトラフィルムのDolby Atmos用天井スピーカーの配置角度調整などイマーシブ・オーディオの設計にも携わってきました。今回、これらと大きな違いはありませんでしたが、大学のスタジオということで、コントロール・ルームに学生が30人近く入ることを想定したレイアウト、音響、空調、照明などの設計が必要でしたね。メイン・ブースは特にクラシック音楽の学生が気持ち良く演奏/収録できるようにライブな空間になるように意識しました。また、GENELEC 1238DFは特性が良い上に小型なので、壁や天井に設置しやすく自由度が高いことに驚きました。
新たにStudio Oneを導入し拡充されたカリキュラム
スタジオの音響設備もさることながら、中目黒・代官山キャンパス設立後の大きなトピックの一つに、学生指導用にPRESONUS Studio Oneが導入されたことが挙げられる。以前から講義の一環としてMAKEMUSIC FinaleとCYCLING ’74 Maxも使用されており、音楽ソフトウェアの指導に力を入れている印象を受ける。ここでは作曲家で東京音大准教授の土屋雄氏に、各ソフト導入の経緯や講義でどのように使用しているのかを聞いていこう。
Studio Oneで学生の吸収速度が向上
Finaleはオリジナル教材で指導
東京音大には作曲を学ぶコースがあるが、近年ではピアノやバイオリンなどの楽器を専攻する学生の間でも、自分のプロフィール用にある程度音源の編集能力が問われるようになってきているという。しかし、そのような需要はあるものの、なかなかDAWソフトを講義の中に組み込むことは難しかったと土屋氏は言う。
「DAWを駆使して音楽を作るクリエイターでなければ、どうしても敷居が高い印象が学生の中にあったんです。そのため講義に導入するのはためらっていたのですが、Studio Oneであれば直感的に操作できるということで導入することになりました」
実際に取り入れてみたところ、教員の予想以上に学生の吸収スピードが速く、土屋氏も期待を寄せている。
「扱いやすい上に機能も十分備わっているので、Studio Oneが使えるようになればほかのDAWソフトにもある程度応用が効くと思います。学生が使いたいときに学内のどこでも使えるように、大学としてアンリミテッド・ライセンスを取得しました」
一方Finaleは、1990年代から作曲専攻用に導入されたという。2005年ごろより、楽器を専攻している学生からもFinaleを学びたいという要望が出始め、2008年から作曲専攻以外の学生に向けたマルチメディア演習という講義で扱い始めたそうだ。
「コンピューターでパート譜を作成したり、作曲専攻でなくても作編曲をする必要があるという学生が多かったんです。現在では、学生や若い作曲家のほとんどがノーテーション・ソフトウェアを使って記譜しますからね。Finaleは図形のような譜面にも対応しているので、非常に柔軟性が高くなっています。いくつかあるノーテーション・ソフトウェアの中でFinaleを採用している理由としは、草創期からあったことと、教員を含め専門家が使っている割合が高かったので導入しやすかった、という2点が大きかったと思います」
講義の中ではどのように教えているのだろうか。
「僕が作った独自のテキストを使っています。チュートリアル方式で、実際の楽譜を入力していくという指導方法です。楽譜を書くだけでなく、そこにコードや和声記号、歌詞を入れたり、論文の中に楽譜を挿入する方法なども教えています。ソフトウェアはどんどんアップデートしていくので完ぺきにマスターすることは目標にしていませんが、講義を最後までしっかり受講した学生は全員使えるようになります」
Maxでまずは音を鳴らすことにフォーカス
授業から目覚め進路をシフトする学生も
一方Maxは、ダイナミック・ルーティング、モジュール、同期システムの構築を中心に指導しているという。土屋氏いわく指導方法には工夫が必要だそうだ。
「プログラミングになじみの無い学生が少なくないので、楽しいと思ってもらえるようプログラム実習的な部分は避けて、まずは音を鳴らしてみるというところにフォーカスしています。Finaleに比べると習熟度にはどうしても個人差がありますが、興味を持つと爆発的に成長していきます。Maxの授業から何かが目覚める学生もおり、中にはクラシック音楽から進路をシフトする場合もありますね」
伝統は大切だが、時代の流れを意識していくことも重要だと土屋氏は言う。今後はスマートフォンのアプリを作るというような講義を行うことも視野に入れていると展望を語ってくれた。