
ボーカル・レコーディングを
円滑に進めるプロの技
最近、作曲の初期段階からAVID Pro Toolsで行うというクリエイターの話をたくさん聞いております。フレーズをMIDIでスケッチして即座にオーディオ化できるのはもちろんですが、セッション・データでやり取りすることで、クリエイター自身がミックスの方向性やそこでのギミックをエンジニアにそのまま伝えることができ、完成時にイメージにブレが少ないとのこと。クオリティとスピードの共存はプロにとっての永遠の課題です。今回は地味なテーマではありますが、楽曲のクオリティを上げるためにとても大切な、ボーカリストやミュージシャンに最高のパフォーマンスをしてもらうための準備について説明いたします。
録音前の準備段階が
出来上がりのクオリティを左右する
スタジオでのレコーディングがPro Toolsになってもう久しい昨今、皆さんはボーカルや楽器をレコーディングするとき、どんな下準備をしているでしょうか。事前資料としてシンガーにラフな2ミックスと歌詞を送付するだけで済ませていませんか?それだけではプロとしては失格です。私のプロデュースしている現場では、ボーカリストに複数のオーディオ・ファイルと歌詞割りの分かる譜面ををあらかじめ渡しています。

こうしておけばアーティストやシンガーがDAWを持っていなくとも、各パートを正確に確認できる資料を事前に渡すことで、事前の練習がはかどり、レコーディング・スタジオに入ってからの確認作業が省け、レコーディングがスムーズに行えるようになります。その分、ニュアンスのディレクションに集中できる時間が増え、出来上がる音楽のクオリティを底上げします。
相手がギタリストやベーシストであれば、コード譜と一緒に該当パートを大きくミックスしたガイド用ラフ・ミックスを準備することもあります。
モニター・ミックス・バランスによって
パフォーマンスの良しあしが決まる
さて、曲が出来上がってレコーディング、となったときによくあるのが、インスト(マイナス・ワン)の2ミックスとガイド・メロディ、クリックのオーディオ・ファイルだけ送られてくるケースです。それだけでも歌は録音できますが、シンガーのより良いパフォーマンスを引き出すことはできません。これは楽曲としてバランスの良いミックスと、良い歌を歌うためのヘッドフォンのモニター・ミックスは別物だからです。私の現場では以下のデータを準備するように指示しています。

●キックのみ
●キック以外のドラム&パーカッション、リズム・ループ(クロマチックで無いもの)
●ベース
●ギター
●そのほかのオケ(重要なパートは任意に分ける)
●メイン・メロディ&ハモリのMIDIデータ
●仮歌各パート(エフェクトは無し=ドライに)
通常の歌モノのポップスで、例えばシンガーのノリが悪い場合には、モニター用ミックスでキックを少し上げてあげれば頭拍がはっきり受け取れるようになり、大きなグルーブをつかみやすくなります。音感が良い人の場合ですと、ベースをEQで明るくするなどの調整で、コードのルート音を感じやすくなって歌のピッチが良くなる人もいます。実際にシンガーに送っている音と同じ音をヘッドフォンで聴いてみて、歌いやすいか、ノリやすいか、音程が取りやすいかを慎重に確認します。
ガイド・メロディやクリックも
後から調整しやすい形で用意する
正しいメロディを歌うために重要なのがガイド・メロディ。この音色のチョイスがクリエイターによって個性があるのですが、例えばピアノ曲のガイド音色にピアノを選ぶと、どれがオケのピアノでどれがガイドのピアノか分からなくなってしまったりします。また、クリエイターによってはハモリの和声分がメイン・メロディと同じオーディオ・ファイルになっていて、独立して確認できないことなどもあります。
その場合は事前にMIDIでデータをもらい、Pro Toolsに付属するAIR Xpand!2などでガイド・メロディを鳴らすようにします。ヘッドフォンで聴き取りやすい音色にも変更でき、現場での急なメロディの修正にも対応可能です。またテンポ・マップやマーカーもそのままインポートできるので、後のロケートも楽にできるようになります。

クリックは、MIDIからインポートしたテンポを元にPro Tools側で準備します。オケに埋もれない音色を選ぶことが重要ですので、リム・ショット系とカウベル系を準備し、現場で選択してください。この際、MIDIでクリックを作ると発音揺れが発生する場合があるので、必ずフリーズさせるなどしてオーディオ・クリップとして用意しましょう。
準備ができたら、同じものをもう1トラック用意し、片方を8分音符ずらします(アウトプットは共通にしておく)。この準備をしておくことで、フェーダー操作だけで、一般的な4分音符のクリックに加え、ダンサブル〜ロック曲に最適な8ビートを感じられるように裏拍のクリックを、しかも強弱の加減が可能な状態で用意できます。シンガーやミュージシャンが一番気持ち良くパフォーマンスできるバランスを探してください。ベストなモニター環境が作れると、驚くほどシンガーやミュージシャンの表現力を引き出すことができますよ!

商業スタジオのキュー・ボックスは6〜8chやそれ以上など、さまざまな種類がありますが、エンジニア/プロデューサー・サイドで演奏しやすいミックスを作った上で、さらにシンガー/ミュージシャン自身に歌いやすい/演奏しやすいバランスを自分で構築してもらうことが大事です 。キュー・ボックスが無い環境であっても、コミュニケーションをしっかり取り、より良いパフォーマンスができるバランスになるように根気良く対応することが非常に大事です。

いかがでしたでしょうか? Pro Toolsも道具ですから、正しく使えなければいけません。エンジニア/プロデューサーとしての目線を持ち、ベストな環境を作る努力をすれば、アーティスト本来のポテンシャルを超えたパフォーマンスを引き出すことも可能です。それこそが真のプロの仕事だと私は考えております。皆様の音楽制作のお役に立てれば幸いです。
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*AVID Pro Toolsの詳細は→http://www.avid.com/ja
佐藤純之介
1975年生まれ、大阪出身。松浦雅也氏の雑誌連載をきっかけに音楽活動を開始、YMOやTM NETWORKにあこがれ1990年代後期より音楽制作の仕事を始める。2001年に上京し、レコーディング・エンジニアとして活動した後、2006年ランティスに入社。音楽プロデューサー・ディレクターとして、多数のアニメ主題歌やアーティストの音楽制作に携わる。1991年からのサンレコ読者。
※サウンド&レコーディング・マガジン2019年12月号より転載