フランク・デュークス インタビュー【前編】〜リアーナやポスト・マローンを手掛けるグラミー受賞プロデューサーの活動記録

フランク・デュークス インタビュー【前編】〜リアーナやポスト・マローンを手掛けるグラミー受賞プロデューサーの活動記録

カナダのトロント出身のソングライター/音楽プロデューサー、フランク・デュークスことアダム・キング・フィーニー。ドレイクやエミネム、テイラー・スウィフト、ポスト・マローンなど、そうそうたるアーティストによる世界的なヒット作で彼の名前を見ることができる。30回グラミー賞にノミネートされ、そのうち3回の受賞経験を持つフィーニーの、“フランク・デュークス”としての活動記録をここにまとめた。

Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko

自分が手掛けた楽曲は深い領域でリスナーに共鳴する

 「ポップ・ミュージックが好きで、変な方向にトガった音楽も好きなんです。だから僕が変なポップスを作ることで知られているのも自然なこと。けれど強調しておきたいのは、決して意識的に常道を外れようとしているんじゃないということです。考え抜いて作っているのではなく、シンプルにエキサイティングなものを作ろうとした結果がこれなんです」

 

 こう語るのは音楽プロデューサー/ミュージシャンのアダム・キング・フィーニー。フランク・デュークスとして2000年代初頭からよく知られている人物だ。今まで手掛けてきた作品は、どれも爆発的な勢いでナンバー・ワンをかっさらうようなヒットを記録してはいないと語るフィーニー。その代わり彼の作品は、ゆっくりと順位を上げチャートのトップ・テンに入り、長くその順位をキープする。自分がプロデュースした楽曲は、ほかのヒットを狙って作られた曲に比べて、より深い領域でリスナーに共鳴する何かがある気がするとフィーニーは言う。

 

 リアーナの「ニーデド・ミー」やカミラ・カベロの「ハバナfeat. ヤング・サグ」がその例だろう。「ニーデド・ミー」はUSビルボード・ホット100のトップ・テンに16週間にわたって居続けた。「ハバナfeat. ヤング·サグ」については、レーベル側は最初はヒットの可能性を見いだしておらず、もともとはB面としてリリースされたが、最終的にこの楽曲は2018年にもっとも売れたデジタル・シングルとなった。フィーニーは少し誇ったように、「レーベルに対しての雪辱みたいな感じもありましたね」と語っている。

 

リアーナ

リアーナ
バルバドス出身のシンガー・ソングライター。彼女のアルバム『アンチ』に収録された「ニーデド・ミー」はUSビルボード・ホット100のトップ・テンに16週間にわたって居続け、このインタビューを行った時点では、彼女のすべての作品の中でチャートに残った最長の楽曲となっている。

 

カミラ・カベロ

カミラ・カベロ
キューバのハバナ出身のシンガー・ソングライター。彼女のソロ・デビュー・アルバム『カミラ』に収録された「ハバナ feat. ヤング・サグ」は2018年最も売れたデジタル・シングルとなった。作曲には本人をはじめ、ファレル・ウイリアムスなど数多くの人物がかかわっており、これはバースを何度も作り直していたからだという。一方でプロデュースはフィーニー単独。この作品は非常に思い入れが深いという。最初はコード進行にスネアとROLAND TR-808系キック・ベースを打ち込んだだけのビートから始まった。「作業の最終日、カミラに“ファレルにHavanaを聴いてもらおうよ”と提案しました。バースのメロディをミュートした状態で曲を再生すると、ファレルがそれに合わせて何やら口ずさみ始めたんです。それが完成品で聴けるバージョンです。これだ!と皆すぐに直感しましたね。“ゴールに到達するそのときまでゴールは見えない”という良い例ですよ」とフィーニーは語った

 

 これだけの実績を持つフィーニーだが、これまで彼のインタビュー記事はほとんど存在しない。そして彼は今年からアーティスト・ネームをGingに変える。つまり、このインタビューが彼のこれまでの“フランク・デュークス”としての活動のまとめでもあることを意味しているのだ。ロサンゼルスにある彼の自宅とZoomでつなぎ、インタビューを行った。

サンプリング界への貢献こそが一番の業績だと考えている

 まずは彼のルーツの話から。フィーニーは1983年カナダのトロントに生を受けた。5歳のころにはピアノのレッスンを受け始め、後にギターやドラムの演奏にも幅を広げる。10代になると、特に1960〜1970年代のレコードの収集に没頭し、そこからプロダクションに興味を覚えることになったという。同時期にスケートボードにも没頭しており、こちらはヒップホップやDJの活動へとつながっていった。

 

 「若いころ実家の地下室でAKAI PROFESSIONAL MPCを使ってビートを作るのはとても刺激的な経験でした。何もないところから何かが出来上がる魔法のような経験は、とても素晴らしいものです」

 

 2000年代の初めにはフランク・デュークスを名乗り、同時期に音楽プロデューサーのBoi-1daとコラボレーションを始める。そこから多くのアーティストたちとのつながりを得ることになった。この時期に関係を得たアーティストとして、50セントやウータン・クランのメンバー数名、それにバッドバッドノットグッドがいる。

 

 「その時々で一番エキサイティングだと感じるものに従ってきました。ビートをいろいろと作った後、“ほかのアーティストと協力したらもっと良くなるんじゃないか?”と思うようになったんです。当時ニューヨークのバンドMenahan Street Bandによるサンプルを使って50セント用のビートを作っており、これがきっかけでニューヨークに呼ばれることになりました。そこでは全く新しいプロセスを見ることができたんです。ミュージシャンが楽器を演奏して、それをビンテージ機材を使ってテープで録っていく。結果として出来上がったサウンドは、飽きるほどサンプリングしたレコードのサウンドに瓜二つでした。目から鱗の経験でしたよ」

 

バッドバッドノットグッド

バッドバッドノットグッド
フィーニーの出身地であるトロント発のインスト・バンド。即興演奏を得意とし、ジャズとヒップホップを融合したスタイルが特徴だ。フィーニーはデビュー作『Ⅲ』、ラッパーのゴーストフェイス・キラとのコラボ作品『Sour Soul』のプロデュースを手掛けた

 

 何か新しいものに接してエキサイトするといやおう無く自分もやってみたくなると語るフィーニー。このときもアナログ機材やアナログ・レコーディングにすぐにのめり込んだという。この経験により、それまで自分が大好きだった1960〜1970年代のレコードや、サンプリングをしてきたサウンドがどうやって作られていたのかを本当に理解し始めたらしい。アナログ機材を使って似たサウンドを作り始め、さらにそれをサンプリングするようになっていった。2011年にはサンプル・ライブラリーのブランドKINGSWAY MUSIC LIBRARYを設立。もともとはサンプル集の基礎として作った素材をストックする場所だったそうだが、現在ではサンプリングのお手本としてはもとより、サンプルのクオリティの指標としても存在感を放っている。ドレイクやカニエ・ウェスト、リアーナ、マック・ミラー、Boi-1da、Vinylzなど数え切れないアーティストやプロデューサーがフィーニーのサンプルを使用して楽曲を制作している。

 

 「サンプリング目的の音楽を作り、ビート・メイカーの友人とシェアするようになっていきました。KINGSWAY MUSIC LIBRARYはこうした私のサンプルを使いたい人たちのために始めたんです。これが私にとっての最初のビッグ・ヒット、ドレイクの『0 to 100 / The Catch Up』が誕生するきっかけになりました。Boi-1daが私の曲をサンプリングしてこの作品で使ったんです。これをきっかけに出版契約を結ぶことになり、初めて音楽でまとまったお金を稼ぐことができました」

 

ドレイク

ドレイク
過去にグラミーを3度受賞したトロント出身のラッパー。デジタル・シングル『0 to 100 / The Catch Up』に、フィーニーのサンプルが使用されるなど、かかわりが深いアーティストの一人

 

 サンプリング界における貢献こそが自分の一番の業績だとフィーニーは考えている。多くのプロデューサーに“なぜ自分の武器を他人に渡してしまうのか”と問われるが、彼はシェアするという考え方自体が好きなのだという。

 

 「良いサウンドのものを作るという考え方が好きですし、それが究極的には音楽制作の道しるべになったり、音楽をちょっとずつ良いものにしていくと思うんです。だから私が作ってきたサンプルの数々がヒップホップの音楽性の発展に役立ったということは、私にとって何より誇れることなんですよ。2010年以前のサンプリングに頼らないヒップホップは今よりはるかに単純で音楽性が薄かったと思います。当時は自分のサンプルを作るというのは全く新しい考え方でしたが、今では至極当然のことになりました。こうしたサンプリングを基にした音楽制作の原型は私が探求していたコンセプトから誕生したものですが、決して私が最初に始めたのではありません。こういう音楽制作の手法を見たのはニック・ブロンジャースが初めてです。彼も昔の音楽を参考にするということをしていました。ここに私が付け加えたのは、より新しいサウンドをビートの中で使えるような形で作るということです。必ずしもオールドなサウンドでなくね」

 

 フィーニーがこう語る一方で、オールドなサウンドは彼にとって重要なリファレンスであり続けた。彼にとって一番影響を与えたレコードは何かと尋ねるとこう答えが返ってきた。

 

 「たくさんあり過ぎますね。例えばブラジルの作曲家アルトゥール・ヴェロカイが好きなんです。彼が1972年に作ったレコード『アルトゥール・ヴェロカイ』は、MFドゥームにより2004年にサンプリングされたことで一挙に注目を浴びるようになりました。それ以来さまざまなところで使われています。私にとってはこのアルバムこそが作曲やアレンジ、プロダクションの金字塔です。しかし、私は自分の好きなオールド・ミュージックを単に再現しているわけではありません。過去の音楽を作っているのではなく今の音楽を作っているんですから。常に自分が好きなものをよりモダンによみがえらせることを意識しています。これが注目を呼び寄せる秘けつですよ。誰も昔と全く同じものを聴きたいなんて思っていませんからね」

 

 フィーニーにとっての次の転機が訪れたのは2015年のこと、音楽プロデューサーのルイス・ベルとポスト・マローンとの出会いがきっかけだった。ポップス界でのプロダクションへと門戸が開くきっかけとなり、その後300曲を超える作品でその名を残すこととなるのである。ちなみにそのうち30曲はプラチナ・ディスクとなった。

 

 「ルイスとポストに出会ったとき、私は既にそれなりの立場にいたと思います。そのころに、プロデューサーの中にはドラムを作るのに長けている人がいたり、あるいは特定のタイプの曲を作るのに特化している人がいることに気付きました。そうこうする間に本当のプロダクションというもの、すなわち全体像を見下ろして把握し、適材適所に人材を配置して最終的なサウンドがどうなるのかをコントロールするというすべを知らないうちに学んでいたんです。プロデュースと曲作りは私にとって全く新しい冒険で、しかもとてもエキサイティングな経験でした。当時は誰かと共同で曲作りをした経験はほとんどありませんでしたが、それまでに曲を制作、演奏しながらプロダクション上の重要な意思決定をするということを自然に行っていたので、思考の転換はとてもスムーズでしたよ」

 

ポスト・マローン

ポスト・マローン
ニューヨーク州出身のラッパー/シンガー・ソングライター。レコーディング・プロデューサーやギタリストとしての顔も持つ。彼のアルバム『ハリウッズ・ブリーディング』に収録された「サークルズ」は、イギリスで2度、アメリカでは5度のプラチナ・ディスクを記録し、2019年の世界的ヒットを飾った。さらに2021年のグラミー賞では、レコード・オブ・ザ・イヤーとソング・オブ・ザ・イヤーにノミネートもされている。同曲ではポスト・マローンがドラム、フィーニーがギターとベースをプレイし、そこにマローンがフリー・スタイルでボーカルを足していったという。最終的に音楽プロデューサーのルイス・ベルがプロダクションを、ビリー・ウォルシュが歌詞を少し付け足す形で完成された。当時、世に出ているほかの作品と毛色が違ったことからレーベルは及び腰であった。しかしフィーニーは、制作を始めた当初からこの曲が特別なものになることを確信していたという

 

 フィーニーにとって、ほかのアーティストの曲を誰かと共同で書いたり、プロデュースする、という新たな仕事はすぐになくてはならないものになった。そのうちにアーティストのプロジェクトやアルバム全体にエグゼクティブ・プロデューサーとしてかかわるようになったという。

 

 「単にビートやサンプルを作るだけの存在ではなく、一人前のレコード・プロデューサーとしてしっかりした地位を築くことができたと思っています。どんなレベルのどんなアーティストに相対したとしても満足のいくものを提供できるということですから。これまで本当にさまざまな人々といろいろなことをやってきて、その過程でたくさんの手法を見つけてきました。そのどれもが私にとってはかけがえのないものです。KINGSWAY MUSIC LIBRARYで作り上げてきた数々のサンプルと同じくらい、今まで手掛けてきた作品を誇りに思っています」

 

 

インタビュー後編(会員限定)では、 ロサンゼルスに所有するスタジオの機材や制作環境の話題を中心に、アーティストGingとしてのこれからについて語っていただきました。