ニラジ・カジャンチのプライベートスタジオ|Private Studio 2024

ニラジ・カジャンチのプライベートスタジオ|Private Studio 2024

白を基調とした未来的な空間 国内屈指のDolby Atmos専用スタジオ

三浦大知、Hana Hope、あんさんぶるスターズ!!など、多岐にわたるアーティスト作品を手掛けるエンジニアのニラジ・カジャンチ氏。ステレオフォーマットだけでなく、Dolby Atmosミックスにも積極的に取り組み、約1年で280曲以上もの楽曲を制作している。今回訪れたSTUDIO PEARLは、氏がDolby Atmos専用スタジオとして開設。スタジオ造りやDolby Atmos作品制作について、詳しく話を聞いた。

一生忘れられない体験ができる空間に

 スタジオに入ってまず驚いたのが、スピーカーやスタンドのみならず、細部に至るまで色彩感覚が統一されていたことだ。まずはそのコンセプトから伺っていこう。

 「僕はスタジオを造るときに、その部屋をイメージして名前を決めるところから始めています。今回は“PEARL”と名付けて、なるべく白で物をそろえたいと考えました。白という色は、未来的な、未来に続いていく力を持っている色ですからね。白のスピーカーとなるとメーカーも数社に限られてくるんですが、その中からGENELECを選びました」

 GENELECを採用した理由の一つに、キャリブレーションシステムのGLMを使える点があったとのこと。

 「すごく簡単にキャリブレーションできて、音の調整を幾らでもできます。あとはこの部屋に合うサイズを選びたいなと。The Onesシリーズの中でも大きな8351Bと8361Aを聴き比べてみたら、音の広がり、レンジ感は8351Bの方が僕の耳に合っていました。8361Aはワイドレンジではあったけれど、すごくフォーカスされた音に感じたんです。エンジニア1人だけが座るならいいですけど、単なるリスニング部屋ではないですから。クライアントと一緒にミックスチェックできるようにと考えるとスイートスポットを広げたかったので、広がりのある出音の8351Bに決めました」

 9ch分の8351Bのほか、ハイトの6ch用に8341A、サブウーファーの7380Aを2台セット。「もちろん機材へのこだわりはありますけど」とした上で、こう続ける。

 「ある程度上位5%の機材であれば、そんなに差はありません。機材を重視しているのではなく、お客様がここに来たときにどう感じるのか。そこをコントロールしたいんです。照明はもちろん、ティッシュボックスからゴミ箱、ペンに至るまですべて僕が選んでいます。空間のプロデュースなんです。お金を払って数時間来てもらっているので、その数時間が一生忘れられない時間であってほしいですね」

 9.1.6chというスピーカー構成にも、確固たる理由がある。

 「5.1.2ch、7.1.4ch、9.1.6chのそれぞれでミックスされている曲の違いを知りたいんです。それぞれにどんな違いがあるのか、パンニングや空間作りをどうしているのかなどの分析をしたかった。その分析をするためには、自分がマックスのシステムを作っておかないとできませんから。大体のスタジオは7.1.4chでセッティングしているところが多いと思いますが、海外の友人のエンジニアたちは上を6chにしている人も多いです。9.1.6chで作られた音を、全く同じスペックで聴いて勉強するための環境ですね」

STUDIO PEARLのデスク周り

STUDIO PEARLのデスク周り。コンピューターはApple Mac Proで、モニターコントローラーはGRACE DESIGN m908を使用する。“PEARL”という部屋のコンセプトに合わせて、部屋の色合いを白に統一。壁の色をオフホワイトにしているのも、スピーカーがより映えるようにという意向だ。そのほか、照明やデスク、スタンドからティッシュボックスなどの小物に至るまで白を基調としている

フロアの9chのスピーカーは、GENELECの3ウェイ・モニタースピーカーThe Onesシリーズの8351B

フロアの9chのスピーカーは、GENELECの3ウェイ・モニタースピーカーThe Onesシリーズの8351B。クライアントも同席しての作業を見越しており、音の出方がワイドなモデルを採用したそう。スピーカースタンドはZaor Croce Stand

サブウーファーはGENELEC 7380Aを2台用意

サブウーファーはGENELEC 7380Aを2台用意。「白いサブウーファーがあったら買っていましたね。サブウーファーを入れないと低域をコントロールできないと考えていて、ステレオでも一つのスピーカーに対して、一つのサブウーファーを用意しています。本当はスピーカー15台に対してサブウーファーも15台入れたいくらいです。そうもいかないので、大容量でパワーのある7380Aを2台にしました」と語る

天井の6chのハイトスピーカーは、GENELEC 8341A

天井の6chのハイトスピーカーは、GENELEC 8341A。フロアと同じ8351Bを検討したが、本体重量と、リスニングポイントに対してツイーターが15cm近くなってしまうことを懸念してサイズの小さな8341Aをチョイスしている

入口と反対側、部屋の左からSTUDIO PEARLを見たところ

入口と反対側、部屋の左からSTUDIO PEARLを見たところ。照明や壁の位置もスタジオを造るにあたって新たに施工されたものだ。ニラジ氏は「スタジオを造るときには、自分自身がどういう部屋で音楽を作っているのか……そのモチベーションをコントロールするために、皆さんお金をかけていい部屋を造っているんだと思います。音が良いとか悪いとかは別にして、単純に自分が楽しいかということが大事なんですよ」と語る

入口からSTUDIO PEARLを見たところ

入口からSTUDIO PEARLを見たところ

コーナーにある照明も、もちろんニラジ氏によるセレクトだ

コーナーにある照明も、もちろんニラジ氏によるセレクトだ

トラブルによるタイムロスは本当にもったいない

 システム周りについては最低限必要なものをセレクトしている。コンピューターはApple Mac Proのみで、Dolby Atmos RendererとAvid Pro Toolsを1台で動かしている。入出力系統はすべてアナログ接続だ。

 「音質もですがトラブルがないことも大事で、アナログでつなげておけば絶対に音は出ます。デジタルだとソフトウェアがコントロールしているため、何かあったときにトラブルシューティングのポイントがありすぎる。そのタイムロスは本当にもったいないと思っています。機材が減るとトラブルがなくなり、トラブルがなくなると機材のことを一切考えなくて済む。自分のマインドを、最短でストレートに反映できて効率がいいんです」

 ワークフローの効率を考えた上で、Dolby Atmosミックスを行う際はかなりの時間をかけているとも語る。

 「ステレオはこれまで50年以上の歴史と経験がある。でもDolby Atmosは、AppleのOSが変わる度に出音が変わっているように、テクノロジーが日々進化してゴールがまだまだ動いている状況です。1曲ミックスしたら、1週間かけて毎日いろんな環境で聴いてみて、環境ごとの平均点を上げるためにすごく時間をかけています。ステレオだったら1曲あたり2、3時間でミックスできる自信はありますが、Dolby Atmosの場合はまだまだ確認作業が必要ですね」

GRACE DESIGN m908は、最大22.2chのサラウンド/イマーシブフォーマットに対応するモニターコントローラー

GRACE DESIGN m908は、最大22.2chのサラウンド/イマーシブフォーマットに対応するモニターコントローラー。STUDIO PEARLでのチャンネル数に応じたアナログ出力が可能な点も採用したポイントだったという。「スピーカーのソロやミュートなどの操作が、一つのボタンで素早くできる。ほかにいろいろな機能も付いていますが、ここではステレオのミックスをしないので一切使ってないです。Avid Pro Toolsのカードを挿せて、オーディオI/O代わりにもなる。m908とスピーカーがあれば仕事はできます」と語る。その下のラックには、バイノーラルを確認するためにモニターコントローラーのDANGEROUS MUSIC SOURCEもセットされている

デスク下のラックにはGRACE DESIGN m908のメインユニットと、AVアンプのJBL SDP-58を格納

デスク下のラックにはGRACE DESIGN m908のメインユニットと、AVアンプのJBL SDP-58を格納。ニラジ氏いわく、「作品を分析するために、AVアンプは絶対必要です。ほかにも聴き比べてみたところ、この部屋に合っているのがSDP-58でした。映画館にいるように音がすごく広くて、スイートスポットを広げたいという考えと一致したんです。9.2.6chまで対応しているのも決め手でした。Dante接続にも対応していて、現状は使っていませんが、今後どうしても必要となった場合も見越しています」

リアの8351Bは縦置きにしており、「後ろのスピーカーは立てなきゃいけないだろうと感覚的に思っていてそうしていたんですが、Dolby At mosの規格としてもこの置き方が正しい形でしたね」とニラジ氏

リアの8351Bは縦置きにしており、「後ろのスピーカーは立てなきゃいけないだろうと感覚的に思っていてそうしていたんですが、Dolby Atmosの規格としてもこの置き方が正しい形でしたね」とニラジ氏

 「音楽に詳しくないリスナーでも、それぞれの再生環境でステレオと何かが違うと思ってくれたらうれしいです。その“何か”を考える必要はなくて、感じてもらえればいいんです」と語るニラジ氏。最後に、これからDolby Atmos環境の構築を検討している方へ向けたアドバイスをいただいた。

 「完璧な部屋を作る必要はありません。ちゃんとしないといけないって思っているから、ハードルがすごく高いイメージがありますけど全くそうではないです。スピーカーも何だっていいので、まず始めてみてDolby Atmosの何が楽しいかを探してみてほしい。Dolby Atmosを楽しめば、音の分離、処理の仕方、レベルなど、ステレオの感覚や考え方も良い方向に変わっていくし、ステレオがどれだけ小さいキャンバスかも感じさせられます。最初から完璧を目指さずに、まずは興味を持って軽い気持ちで楽しんでほしいですね」

 

仕事の息抜き、何してます?

 音がない“無”の時間が、自分にとって一番大切な時間です。ずっと仕事をして音にフォーカスし続けていると、耳を使わないで、頭の中で耳で感じたことを処理する時間が必要なんです。一切音を聴かないで、音のことを考える時間を毎日作っています。その時間を大切にしていれば、スタジオに来たときに作りたい音を一瞬で制作できるんです。


 Profile 

ニラジ・カジャンチ

ニラジ・カジャンチ:NYやLAでエンジニアとして活動し、ボーイズIIメンやマイケル・ジャクソンらの作品に携わる。日本移住後は三浦大知、安室奈美恵、氷川きよし、小曽根真、Hana Hope、Newspeak、T-SQUARE、あんさんぶるスターズ!!などを手掛ける

 Recent Work 

『Be Nothing』
Newspeak
(ワーナーミュージック・ジャパン)

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