小鐵徹、マスタリング/カッティングの哲学と機材を語る〜名エンジニアが考える“良い音”とは?

小鐵徹、マスタリング/カッティングの哲学と機材を語る〜名エンジニアが考える“良い音”とは?

アナログ・レコードの制作において、マスタリング済みの音をラッカー盤に刻む工程の“カッティング”。その専門のエンジニアとして出発し、日本を代表するマスタリング&カッティングの名匠となった小鐵徹(こてつとおる)氏。井上陽水、山下達郎、サザンオールスターズ、くるりなど、手掛けてきたアーティストの作品は枚挙にいとまがないが、このたび小泉今日子の7インチ・ボックス『Missドーナツ』のリリース・タイミングとしてインタビューの機会をいただけた。「同じ作品のレコードとCDの両方をマスタリングする場合も、マスターは同一。分けてやったことはないんです」と語る小鐵氏。その哲学や愛用機材について、拠点であるJVCマスタリングセンター 代官山スタジオにて聞く。

アナログ領域のみでマスタリング

 1973年、小鐵徹氏は日本ビクター(現JVCケンウッド・クリエイティブメディア)の横浜工場でカッティング・エンジニアとしてのキャリアをスタートさせた。その頃、日本にはマスタリングという概念も言葉もなかったそう。

 「納品される音源は、1/4インチ幅のアナログ・テープがほとんど。その音の通りにカッティングする“フラット・カッティング”が当時のやり方でした。レコードは、収録時間に限りがあります。それに、大きなレベルでカッティングすると溝の幅が広くなって曲数が入らなくなるから、“何分のものは、こういうレベルで”というのがマニュアル化されていたんです。やることと言えばレベルの設定くらいで、能率を上げて大量にカッティングする、一種の工場のようなイメージでした。しかし、あるとき洋楽のディレクターから“同じ曲なのに、アメリカ盤と日本盤はなぜこんなに音が違うんだ”という声が上がったんです。アメリカ盤の方がかっこ良かったわけですね。どうやらアメリカでは、カッティング前にプラスαになることをやっているらしい、という話になりました。それがマスタリングだったのです。音が違って当たり前ですよね」

 現場は俄然、マスタリングの必要性を感じはじめる。しかし経験者も指導者もいない。

 「それで私は、納品されたテープとその作品の輸入盤を切り替えながら聴いて、A/B比較してみたんです。テープの音を輸入盤へ近づけるには、どうすればいいか。分からないなりにEQやリミッターで音作りしていました。このA/B比較が、すごく良い勉強になったんです。“こういうことをすれば、こういう感じになる”という引き出しが、自分の中に増えていくわけですから。天才でもない限り、引き出しを増やしてテクニックを磨かなければなりません。そして、輸入盤を聴き続ける中で“音が良い”と感じた作品の大半が、バーニー・グランドマンさんのマスタリングによるものでした。彼は、私の心のお師匠さんなのです」

JVCマスタリングセンター 代官山スタジオにある小鐵徹氏のマスタリング室

JVCマスタリングセンター 代官山スタジオにある小鐵徹氏のマスタリング室

 アナログ・テープの時代からマスタリングを手掛ける小鐵氏。DDPマスターの作成が主流だったCD全盛期は16ビット/44.1kHz WAVのオーディオ・ファイルを受け取ることが大半だったが、昨今は24ビット/48kHzや96kHzでの納品が増えているという。

 「納品された音源はDAWのMAGIX Sequoiaに取り込み、JVC K2でD/Aしてからアナログ卓にインプットします。その卓でマスタリングを行う。私はこれを“お化粧”と言っていて、すべてアナログでやっているんです。デジタルのEQやリミッターは使いません。“この音源は、こうすればもっとかっこ良くなる”と思ったらお化粧して、卓から出た信号をK2でA/Dし、Sequoiaに録ってマスターを作ります」

 A/Dの際にアップ・コンバートするのが肝要だそう。

 「DDPマスターが主流だった頃、16ビット/44.1kHzの状態からカッティングしたものと24ビット/96kHzにアップ・コンバートしてからカッティングしたものを聴き比べてみたんです。そうしたら断然、後者の方が良かった。お客さん(アーティストやレコード会社などの依頼主)にブラインドで聴き比べてもらっても、アップ・コンバートした方が良いという結果だったので、それ以来、納品される音源が44.1kHzでも48kHzでもADコンバーターで96kHzにアップさせてからマスターを作り、カッティングしています」

 Sequoia上の音源をアナログ変換するためのDAコンバーター、卓の出力をデジタル変換するADコンバーターはいずれも音の要。それらに“K2”という機種を用いる理由とは?

 「横浜工場時代に社内のマスタリング・エンジニアたちが集まって、AD/DAコンバーターの試聴会を開いたんです。マスタリング前の音源を複数のAD/DAコンバーターに通して、元の音とどれくらいニアリー・イコールになるか、という観点で比較しました。その結果、最もニアリー・イコールだったのがK2です。かっこ良い音になるとか、太く聴こえるとか、そういうコンバーターではいけないんです。音の調整は卓ですべきであって、コンバーターは送り出しの音とニアリー・イコールになるものでないといけない。K2は、日本ビクターの桑岡俊治さん、ビクタースタジオの金井実さんの2人の技術者が主導で開発したので“K2”なのですが、“自社の機材だから選ぶ”ということはしません。我々は、さまざまなお客さんからご依頼をいただくので、あくまで公正に判断してK2を選ぶことにしました」

2ミックス送出側にあるラック。上からSTUDER A 727(CDプレーヤー)、JVC K2(DAコンバーター)、Sync Generator、Rubidium RF Distributer(以上クロック・ジェネレーター)などを収める

2ミックス送出側にあるラック。上からSTUDER A 727(CDプレーヤー)、JVC K2(DAコンバーター)、Sync Generator、Rubidium RF Distributer(以上クロック・ジェネレーター)などを収める

考えをすぐ音にできる機材でないといけない

 アナログ卓も、ビクターの技術者が作ったもの。「1970年代から1980年代にかけてだったと思いますが、私の所属した“日本ビクター レコード事業部”の事業部長が横浜工場へ視察にいらした日がありましてね」と、小鐵氏は続ける。

 「GMLやSONTECのEQ、NEVEのリミッターなど、世界中で評判の機材を導入するというのが、その頃のビクターのスタイルだったんです。しかし事業部長いわく“こんなのは、お金を出せばできること。ビクターの独自性はどこにあるんだ?”。鶴の一声で方針が変わりました。ハードウェアを担当する社内エンジニアたちはヤル気満々で、新しいオリジナルの機材を作りはじめたんです。彼らの作ったものを毎回、試聴して詰めて、みんなで良いものにしていきました。その1つが、私の使っている卓です」

小鐵氏が長年、愛用しているアナログ卓JVC PC-77(JVC Kotetsu Custom)。パネル下段の左から3列目にINPUT LEVEL CONTROLノブ(黄色)があり、小鐵氏はこれでマスターのレベル感を設定する。下段中央のMONITOR LEVEL CONTROLノブ(緑色)はモニター音量の設定に使い、各スピーカーに合わせて一定の値に。上段には、左からEQ、フィルター、トーン・コントロール、リミッター、カッティング・レベルの設定ノブなどを配置

小鐵氏が長年、愛用しているアナログ卓JVC PC-77(JVC Kotetsu Custom)。パネル下段の左から3列目にINPUT LEVEL CONTROLノブ(黄色)があり、小鐵氏はこれでマスターのレベル感を設定する。下段中央のMONITOR LEVEL CONTROLノブ(緑色)はモニター音量の設定に使い、各スピーカーに合わせて一定の値に。上段には、左からEQ、フィルター、トーン・コントロール、リミッター、カッティング・レベルの設定ノブなどを配置

マスタリングにおいて重要な働きを担う卓のEQ。写真左の白色/赤色のEQは、各帯域でQ幅を5種類から選べるもの。その右の青色と緑色のEQは、2種類のQ幅を切り替えて使えるようになっている。写真右には、ローパス&ハイパス・フィルターやハイ&ローのトーン・コントロールなどが見える

マスタリングにおいて重要な働きを担う卓のEQ。写真左の白色/赤色のEQは、各帯域でQ幅を5種類から選べるもの。その右の青色と緑色のEQは、2種類のQ幅を切り替えて使えるようになっている。写真右には、ローパス&ハイパス・フィルターやハイ&ローのトーン・コントロールなどが見える

 現在も、卓を使ってアナログ領域のみでのマスタリングを行う小鐵氏。「Sequoiaを使いだした頃にデジタルのEQやリミッターを試してみたんですけど、すぐ嫌になってしまって」と振り返る。

 「どうしても音がデジタルくさくなってしまうからです。近年はデジタル・プロセッサーのクオリティも高まっていると思いますが、長年この卓を愛用しているから、ほかのものを使う気になれないんです。というのも、お客さんが立ち会ってくださるとき、ご要望を聞いたら即座に意図を汲み取って手を動かし、音として具現化できなければならない。私は、それを“同時通訳”と比喩しています。お客さんはビフォー/アフターを比較しているわけでしょ。でも音作りに時間がかかっていたら、人間の集中力なんてそう長く続くものではないので、分からなくなりますよね。だから、考えをすぐ形にできる機材でないといけないんです」

卓の出力を受ける側にあるラック。上からANTELOPE AUDIO OCX HD(クロック・ジェネレーター)、K2(ADコンバーター)、Digital K2(クロック・ジェネレーター)、JUNGER AUDIO D01(ダイナミクス)、JVC MC-DA192B(192kHz 24bit JVC Kotetsu Custom/DAコンバーター)、TASCAM CD-RW2000(CDレコーダー)×2を設置。そばにあるのは、APPLE Mac ProのハードウェアにWindowsをインストールしたコンピューターで、Windows用DAWであるMAGIX Sequoiaの音質を好みに寄せるべくカスタムした一台だ

卓の出力を受ける側にあるラック。上からANTELOPE AUDIO OCX HD(クロック・ジェネレーター)、K2(ADコンバーター)、Digital K2(クロック・ジェネレーター)、JUNGER AUDIO D01(ダイナミクス)、JVC MC-DA192B(192kHz 24bit JVC Kotetsu Custom/DAコンバーター)、TASCAM CD-RW2000(CDレコーダー)×2を設置。そばにあるのは、APPLE Mac ProのハードウェアにWindowsをインストールしたコンピューターで、Windows用DAWであるMAGIX Sequoiaの音質を好みに寄せるべくカスタムした一台だ

楽曲ごとに“おいしいレベル”がある

 最近マスタリング&カッティングした作品の一つ、小泉今日子『7inch BOX Missドーナツ』は、さまざまな時代の楽曲を収録している。音作りは、どのように行ったのか?

 「全42曲、時代も背景も音質も、それぞれ異なるものです。だから僕は、各曲の“おいしい音”や“おいしいレベル”を作るという考えでマスタリングしました。統一感を持たせようなんて思わなかったので、曲によってEQなどの設定はさまざまです。同じようにはいきませんよ」

 この“おいしいレベル”について、小鐵氏は説明する。

 「僕は、レコードにおいてもCDにおいても、楽曲それぞれにおいしいレベルや音圧というのがあると思うんです。それをいかに設定するかが、最も難しい。音圧が高ければいいとか、そういうものではないんです。我々が扱うのはあくまで音楽ですし、リスナーの方々が聴くのも音楽。爆音を聴きたいわけではありません。少し前のアメリカでは、多くのエンジニアがCDにレベルを詰め込んでいました。最近はアナログ・ブームと言われていますが、その要因の一つとして、リスナーがCDの過剰な音圧に辟易したというのがあると思います。バーニーさんは“大事なのは音圧ではなく音質です”と、おっしゃっていました。全く同感です」

 小鐵氏は、どのようにしてレベルのコントロールを行っているのだろう?

 「卓にMONITOR LEVEL CONTROLというノブがあり、それを絶えず一定にしているんです。だから、納品された音源を一聴しただけで、レベルの大小が分かる。そうやって聴いてみて、“このくらいが心地良い”と思えるレベルに設定します。“おいしいレベル”ですね。設定は卓のINPUT LEVEL CONTROLノブで行い、大きすぎると感じた場合は自分の耳に心地良く聴こえるところまで下げる。ただ、リミッティングしすぎて羊羹(ようかん)のような波形になった音はひずんでいる場合があり、卓でレベルを下げても奇麗な音にはなりません。お化粧するにも限界があるため、私はレコーディング・エンジニアの方に“レベルを入れすぎず波形がきちんと見える音をください”と言っています。レコードでもCDでも、レベルはこちらで何とでもなりますから」

 しかし小鐵氏は、このようにも話す。「どんな音源が納品されてきても、それなりの対処はします」と。

 「だからレコーディング・エンジニアの方には、後の工程のことを考えて、やりたいことを断念しないでほしいと言っています。例えば、逆相成分はレコードの場合、針跳びの原因になりますが、入っていても対処できるんです。その方法は、企業秘密ですけどね(笑)」

 マスターはカッティング室のSequoiaで再生され、ビクター製のDAコンバーターを経てカッティングされる。

 「テスト・カットしたものは、マスタリング室でお客さんに聴いてもらいます。それでリクエストをいただいたら、お化粧し直して再びカッティングする。カッティング室にも同じEQが入っていますから、マスターに追加のイコライジングを施して新しくカッティングできるんです」

カッティング室にある卓。NEUMANNのフレームSP 75に、インプット・レベルやフィルターのモジュール、マスタリング用の卓と同等のEQなどが搭載されている

カッティング室にある卓。NEUMANNのフレームSP 75に、インプット・レベルやフィルターのモジュール、マスタリング用の卓と同等のEQなどが搭載されている

カッティング・マシンはNEUMANN VMS 70(写真左)で、カッティング・アンプはSAL74(同右)

カッティング・マシンはNEUMANN VMS 70(写真左)で、カッティング・アンプはSAL74(同右)

テスト・カットしたダブ・プレートの再生などには、VICTORのレコード・プレーヤーTT-81を使っている

テスト・カットしたダブ・プレートの再生などには、VICTORのレコード・プレーヤーTT-81を使っている

モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL901K(外側)とYAMAHA NS-10M(内側)を使用

モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL901K(外側)とYAMAHA NS-10M(内側)を使用

 マスタリング室もカッティング室も“システムの素のクオリティを高める”という観点で造られているという。

 「音の入り口から出口まで、一貫して良い機材やケーブルを使っています。例えば、中に1点、性能の低いケーブルがあると出口のクオリティが落ちます。逆に、一部だけ良いものでも意味がない。一点豪華主義は通用しないんです。私のシステムでは、レコード・プレーヤーで再生した音をフラット・カッティングしてかけてみると、元のレコードとまずニアリー・イコールです。かつて、1970年代から1980年代にかけてはレコード業界も右肩上がりでした。若いエンジニアにも個室が与えられていて、カッティング室長から“自分のやりたいことをやりなさい。必要な機材は、どんどん買ってやるから”と言われていたんです。もう皆、我先にと新しいものを買うわけですよ。良い意味での競争ですよね。そうする中でモノの良しあしとか、機材とケーブルの相性なんかを学んでいきました。あの時代があったからこそ、今、良い環境を手にできているんじゃないかと思っていますね」

Recent Work

小泉今日子『7inch BOX Missドーナツ』

『7inch BOX Missドーナツ』
小泉今日子
ビクター:NKS-747~67

 国内屈指のラップ・グループで、小泉今日子の盟友でもあるスチャダラパーが全面プロデュースした7インチ・アナログ・レコード・ボックス。21枚組/全42曲の大ボリュームとなっており、マスタリング&カッティングを小鐵徹氏が手掛けている。価格は44,000円で、VICTOR ONLINE STOREにて500セット限定販売中。シリアル・ナンバー入り。

  • Disc1 私の16才/素敵なラブリーボーイ
  • Disc2 ひとり街角/春風の誘惑
  • Disc3 まっ赤な女の子/半分少女
  • Disc4 艶姿ナミダ娘/渚のはいから人魚
  • Disc5 迷宮のアンドローラ/ヤマトナデシコ七変化 Disc6 The Stardust Memory/常夏娘
  • Disc7 魔女/なんてったってアイドル
  • Disc8 100%男女交際/夜明けのMEW
  • Disc9 木枯しに抱かれて/水のルージュ
  • Disc10 Smile Again/キスを止めないで
  • Disc11 Good Morning-Call/短篇)夏のタイムマシーン *
  • Disc12 快盗ルビイ/Fade Out(short version)
  • Disc13 学園天国/見逃してくれよ! *
  • Disc14 La La La... */丘を越えて *
  • Disc15 あなたに会えてよかった */自分を見つめて *
  • Disc16 1992年、夏 */優しい雨 *
  • Disc17 My Sweet Home */月ひとしずく *
  • Disc18 BEAUTIFUL GIRLS */オトコのコ オンナのコ *
  • Disc19 Nobody can, but you */for my life *
  • Disc20 潮騒のメモリー */T字路 *
  • Disc21 この涙の谷間 */やつらの足音のバラード *

*=初アナログEP化曲(特典除く)

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