アントニオ・サンチェス 〜ソロ・アルバム『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』の制作を語る

アントニオ・サンチェス 〜ソロ・アルバム『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』の制作を語る

音楽とテクノロジーの両方を知っていることが最高の組み合わせなんだ

パット・メセニー・グループのドラマーを10年以上務め、グラミーも4度受賞するなど、現代最高峰と称されるドラマー、アントニオ・サンチェス。映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』において、ドラムのみでサウンドトラックを作ったことも記憶に新しい。彼が昨年リリースしたソロ・アルバム『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』は、ドラムだけでなくさまざまな楽器を自らの演奏で多重録音し、ミックスまで自身が手掛けた意欲作だ。本作のライブのために来日していたサンチェスに、制作について話を聞いた。

曲の提供者をあっと言わせたい

——2017年リリースの『バッド・オンブレ』の続編となる今作は、前作同様プライベート・スタジオでの多重録音により制作された作品です。ジャズ・ドラマーとして知られるあなたが、前作〜今作を作ったことにとても驚きました。

サンチェス “Bad Hombre”プロジェクトは完璧に自己完結していて、出来が良ければ僕のおかげだし、悪ければ僕のせいなんだ。ミックスも85%は僕がやったかな。エンジニアのピート・カラムがミックスの仕上げを手伝ってくれたけどね。この方法だと、曲を作ってバンドでレコーディングする代わりに、スタジオでマッド・サイエンティストになれるリッチさがある。何かが起こるまで録音ボタンを押し続けて、いろいろなサウンドや新しい音楽の作り方を発見するんだ。

——ドラム以外の楽器はどのように習得を?

サンチェス 僕は自分をマルチ奏者だとは絶対に言わない。マルチ奏者とは、ステージに上がっていろいろな楽器を弾ける人のことだと思うけど、僕にはそれができない。でもテクノロジーのおかげで、ギターで3つの音を弾いて、それからまた3つの音を弾いて、といったことを何度もやって重ねれば、クールなギター・パートが出来上がる。僕は耳が良いし忍耐力もあるので、そういう作業が好きなんだ。さまざまな楽器を使うのも好きで、たとえ1つの音だけでも曲に彩りを添えられるからね。

——今作は多くのアーティストとコラボレーションしています。曲作りはどのように行ったのでしょうか?

サンチェス 僕が書いた曲はないんだ。そこがこのアルバムのクールなところで、アルバムに参加した素晴らしいシンガーやソングライターに曲を提供してくれと頼んだんだよ。新曲でも昔の曲でもよくて、参考になるボーカルや楽器の音の提供と、曲を完全にリメイクしても良いという許可を各人からもらいたかった。それが僕のアイディアだったんだ。新たなバージョンを作って、提供してくれた本人たちをあっと言わせたかったんだよ。

——そのアイディアはどのようにできたのでしょうか?

サンチェス きっかけは、友人のシルヴァーナ・エストラーダだった。彼女がクアトロ・ギターだけでコンサートを行っていて、今作にも収録している「El Agua y la Miel」の演奏を聴いているうちに、ここにドラムやシンセ・ベースやキーボードを入れたらどんなにいいだろうと思ってね。コンサートが終わってから曲を送ってくれないかと彼女に頼んだんだ。曲をいじってもいいという彼女の許可を得たので、ボーカルとギターを別々にして、テンポが分かるようにクリックを入れるところから始めた。いろいろと音を重ねたものを彼女に送ると、とても驚いていた。“私の曲にこんなことができるなんて思ってもいなかったわ”とね。それで僕はエキサイトしてアイディアがさらに湧いて、ほかのシンガー・ソングライターたちにもストーリーを用意してもらおうと思ったんだ。

ドラムとボーカルを同等のメイン・パートに

——スタジオの機材構成について教えてもらえますか?

サンチェス DAWはAVID Pro ToolsをAPPLE iMac Proで使っている。ソフトは、NATIVE INSTRUMENTSやSPITFIRE AUDIO、SPECTRASONICS OmnisphereやKeyscape、AIR VelvetのRHODESサウンドとか、ライブラリーがたくさんある。実はNYからバルセロナに移住したばかりで、ピアノやRHODESを置けるもっと大きなスタジオを作るつもりさ。ドラム・セットは、基本的にはYAMAHAだけど、GRETCHのバス・ドラム、LUDWIGのスネア、ZILDJIANのシンバルを使うこともあるよ。

NYに構えていたアントニオ・サンチェスのプライベート・スタジオ。引っ越しのため現在の環境とは異なるが、『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』の制作はこちらで行われた。YAMAHAのドラム・セットのほか、デスクにはコンピューターのAPPLE iMac Proを用意。DAWはAVID Pro Tools、オーディオI/OはUNIVERSAL AUDIO Apollo 8、モニター・スピーカーはYAMAHA HS8をセットしている

NYに構えていたアントニオ・サンチェスのプライベート・スタジオ。引っ越しのため現在の環境とは異なるが、『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』の制作はこちらで行われた。YAMAHAのドラム・セットのほか、デスクにはコンピューターのAPPLE iMac Proを用意。DAWはAVID Pro Tools、オーディオI/OはUNIVERSAL AUDIO Apollo 8、モニター・スピーカーはYAMAHA HS8をセットしている

——マイクは何を?

サンチェス SENNHEISER、NEUMANN、SHURE、バス・ドラム用にELECTRO-VOICE RE20などかな。アウトボードがあまりないのは、スペースの問題だね。ミックス系のプラグインは、SOUNDTOYS、低音を効かせるREFUSE SOFTWARE Lowenderのほか、LEXICON 480L系のリバーブもある。プラグインはいろいろ使っているよ。

YAMAHAのドラム・セットには、スネアにSHURE SM57を、ハイハットやシンバルにはNEUMANN KM 184などのマイクをセット。ディスプレイの右下にあるYAMAHA EAD10は、マイク付きのセンサーをバス・ドラムのフープに取り付けて使うドラム用モジュール。ステレオ録音が可能で、内蔵エフェクトによりドラム・サウンドの加工もできる。サンチェスいわく「EAD10のプリセットを変えながら同じドラムを10トラック分重ねると、すごく変わった音になるよ」とのこと

YAMAHAのドラム・セットには、スネアにSHURE SM57を、ハイハットやシンバルにはNEUMANN KM 184などのマイクをセット。ディスプレイの右下にあるYAMAHA EAD10は、マイク付きのセンサーをバス・ドラムのフープに取り付けて使うドラム用モジュール。ステレオ録音が可能で、内蔵エフェクトによりドラム・サウンドの加工もできる。サンチェスいわく「EAD10のプリセットを変えながら同じドラムを10トラック分重ねると、すごく変わった音になるよ」とのこと

——録音する順番はどのパートから行っていますか?

サンチェス 曲によるけれど、「El Agua y la Miel」は彼女のボーカルとギターだけだったんで、そこにドラムとベースを加えて、さらにボーカルの下に入れられるピアノのハーモニーを考えた。構成の順番を変えたりもしたけど、ボーカルをカットするようなことはしたくなかったんだ。

——ほかの曲についてはいかがでしょうか?

サンチェス デイヴ・マシューズの曲(「Eh Hee 2.0」)だと、オリジナルはとても直線的な4分の4拍子だったけど、僕はクレイジーなリズムのアイディアが好きなので、4分の9拍子や4分の7拍子、8分の6拍子の部分も作った。曲によってまちまちだったけど、“ドラムとボーカルを同等なメイン・パートにする”というのは考えていたよ。あとは史上最強の部類に入るアルバムにもインスパイアされていて、ピーター・ガブリエル『So』、U2『ヨシュア・トゥリー』、ティアーズ・フォー・フィアーズ『シャウト』『シーズ・オブ・ラヴ』などが大好きでね。今作もビッグなサウンドにしたかったんだ。

——具体的にはどのようなサウンドに?

サンチェス 一般的な曲では、ドラム・セットは大抵1つだけだよね。じゃあ、“ドラム・セットを10にしたらどうかな?”と思って、さまざまなドラムをたくさんレコーディングして重ねたんだ。同じものを5回録って重ねたこともあって、モンスターみたいなドラムになったよ。ドラム・セットをプロダクション・ツールとして使いたくて、さまざまなサウンドの録音やコンプの使い分け、左右へのパンニングなどで、より興味をそそるものにしたんだ。

デスクには、MIDIキーボードのNATIVE INSTRUMENTS Komplete Kontrol S88のほか、DAWコントローラーのAVID Artist Mixも用意。シンセはSEQUENTIAL Prophet Rev2 Moduleのほか、デスク左にMOOG Sub Phatty、右にMatriarchを配置している

デスクには、MIDIキーボードのNATIVE INSTRUMENTS Komplete Kontrol S88のほか、DAWコントローラーのAVID Artist Mixも用意。シンセはSEQUENTIAL Prophet Rev2 Moduleのほか、デスク左にMOOG Sub Phatty、右にMatriarchを配置している

トム・ヨークからのインスパイア

——ドラムだけでなく、各パートともにリズムが工夫された曲ばかりで面白いです。DAW上での波形編集や、タイミングを前後にずらすといった調整は行いますか?

サンチェス やるやる。変わったことをやってみて、どうなるのかを見るのが好きなんだ。新しいことを発見するための最善の方法は、試してみること。妻のタナ(・アレクサ)と一緒に作った「Trapped(Red Room)」では、シンバルの波形を細かく切ったところ、“プシュッ”っていう音に変わったので、曲の至るところに入れた。ドラムの逆再生も好きで、ちょっとした部分で使っていたりする。こういった手法は、トム・ヨークの曲にインスパイアされて行うようになった。ジャズだけでなく、ありとあらゆるタイプの音楽から影響を受けているよ。

——DAWならではの手法も取り入れているのですね。

サンチェス テクノロジーはミュージシャンにとって素晴らしいものだ。特に音楽のことを本当に知っているとね。音楽のことはそれほど知らないけど、テクノロジーのことはよく知っているミュージシャンもいて、彼らは彼らですごいことをやっているけど、最高の組み合わせは音楽とテクノロジーのことをよく知っていることだと思う。音楽とテクノロジーの間に障壁はないんだ。

——ミックスも自身で手掛けていますが、エンジニアリングは自己流で学んだのでしょうか?

サンチェス そうだ。友達がPro Toolsのレッスンを何度かしてくれて、それから自分でも試行錯誤してみた。すべては耳から学んでいて、いろいろ試しながらどのサウンドが良いかを見極めたんだ。でも、僕はエンジニアじゃない。自分の好きなレベルに調整するだけで、あとはカラムがサウンドをブーストしてくれる。ただそうするとすべてが変わるから、彼のミックスに対して、彼が使ったのと同じプラグインを用意してプロジェクトを開き、すべてのレベルを再度調整するんだ。僕がミックスを手掛けなかった頃と比べると、この方がずっと速い。以前はエンジニアがミックスしたものに対して、“57小節目から59小節目までのベースを下げてくれ”といったことをいちいち指示していたんで疲れたよ。自分でミックスを覚えて速くなったんだ。

——特にミックスに時間をかけた曲はありますか?

サンチェス 全部さ(笑)。特に「Trapped(Red Room)」はドラムが好きで、誇りに思っている曲だ。大きなYAMAHAのドラム・セットと、もう一つ古いビンテージ・キットがあり、両方で同じフレーズをたたいて、面白いサウンドを見つけようとした。きちんとミックスしたいドラム・パートがたくさんあったから、すごく時間がかかったんだ。あとは、パンニングもだね。「I Think We’re Past That Now」は、イントロで5~6トラックのドラムを細かく切って、いろいろな方向から聴こえるように調整した。サビの激しいインダストリアル・ロック風なドラムは2回録っていて、一つのドラムはLchに、もう一つはRchに配置した。そうすると、モンスターのようにヘンテコなドラム・セットの音になったんだ。

——ドラマーだからこそできる独特の手法だと思います。

サンチェス 僕はこういったことをするのが好きでね。各曲に4~5種類のドラムがあり、それぞれを16チャンネルで録ったので、頭がおかしくなりそうだった。ベースは5~7種類、ピアノとギターもたくさんあって、1曲で150トラックはあったかな。わけがわからなくなったけど、パンデミックの最中だったから時間があってよかったよ。

——今回の来日で行われたライブでは、各曲が録音とはまた違った一面を見せていましたね。

サンチェス ライブではトラックの一部を流して、すべてクリックを使ってやっている。トレント・レズナーのボーカルをタナが歌っていたりと、彼女は女性/男性、英語/スペイン語の歌をすべて覚えないといけなかった。あと、アルバムにはソロがほとんど入っていない。僕がクレイジーなピアノ・ソロを弾いたりできないからね。でもライブではみんなが少しはインプロバイズできるようにしたくて、ユキ(BIGYUKI)が、僕が、タナが、インプロバイズできる曲はどれにすればいいかを考えた。だから、アルバムからの要素が入ってはいるものの、ライブは全くの別物なんだ。いろいろな曲の広げ方を見つけるのは楽しいプロセスだったよ。

——『Bad Hombre III』も、ぜひ楽しみにしています。

サンチェス 僕もだよ!

6月6日にブルーノート東京にて行われたライブの模様。メンバーは写真左から、BIGYUKI(k)、サンチェスの妻でもあるタナ・アレクサ(vo)、レックス・サドラー(b)、アントニオ・サンチェス(ds)で、『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』収録曲から8曲が演奏された

6月6日にブルーノート東京にて行われたライブの模様。メンバーは写真左から、BIGYUKI(k)、サンチェスの妻でもあるタナ・アレクサ(vo)、レックス・サドラー(b)、アントニオ・サンチェス(ds)で、『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』収録曲から8曲が演奏された

Release

『SHIFT(Bad Hombre, Vol.Ⅱ)』
アントニオ・サンチェス
Warner Music Group Germany

Musician:アントニオ・サンチェス(all)、デイヴ・マシューズ(vo)、パット・メセニー(g)、アナ・ティジュ(vo)、タナ・アレクサ(vo、k、claps)、ベッカ・スティーヴンス(vo、g)、トレント・レズナー(vo)、アッティカス・ロス(syn)、マロ(vo)、ペドロ・アルテリオ(g)、ニコール・ズライティス(vo)、ジュリア・アダミー(vo、b)、リラ・ダウンズ(vo)、ミシェル・ンデゲオチェロ(vo、b)、シャラ・ノヴァ(vo)、シルヴァーナ・エストラーダ(vo、cuatro)、キンブラ(vo、g)、ロドリーゴ・イ・ガブリエーラ(g)
Producer:アントニオ・サンチェス
Engineer:アントニオ・サンチェス、アラン・モウルダー、ピート・カラム、ニック・ハード、他
Studio:Meridian、他

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