ジム・オルークやジョン・フルシアンテからも愛されるラファエル・トラルのこれまでとこれから 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.169

THE CHOICE IS YOURS:Text by 原 雅明

 長年、日本で活動をしているジム・オルークは、まだシカゴに住んでいた1990年代末から2000年代初頭にかけて、Drag City傘下の自身のレーベルMoikaiでお気に入りの音源を紹介した。最初のリリースは、ポルトガルの作曲家ヌーノ・カナヴァーロが8ビットのサンプラーと8トラックのテープレコーダーのみで制作してプライベートプレスでリリースされた『Plux Quba』のリイシューだった。このアルバムは、1990年代にオルークやマウス・オン・マーズに影響を与えたことで知られる。Moikaiは、過去のリイシューもあれば、現行のアーティストのリリースもあった。その中に、ポルトガルのギタリスト、ラファエル・トラルの『Sound Mind Sound Body』も含まれていた。トラルのデビュー作で、ギタードローン、ギターアンビエントを象徴するアルバムだ。オルークからジョン・フルシアンテまで、彼のサウンドを愛するギタリストは少なくない。

 

『Sound Mind Sound Body』Rafael Toral(Moikai / Drag City)
ジム・オルークのレーベルMoikaiからリリースされた、ポルトガルのギタリスト、ラファエル・トラルのデビュー作

 

 トラルは1980年代にポストパンクの影響を受けてギターを弾き始めたが、ブライアン・イーノのアンビエントと、ジョン・ケージやアルヴィン・ルシエのサウンドアートに興味を持ち、ギターを使った独自のエレクトロニックミュージックを作り始めた。『Sound Mind Sound Body』のオリジナルリリースは1994年だったが、同時代のアンビエントやエクスペリメンタルなサウンドとは一線を画す独特の浮遊感とメロディックな要素があった。トラル本人はイーノからの影響が大きかったと振り返っていて、エレクトリックギターの音響装置のような扱い方はイーノがロバート・フリップとフリップ&イーノで作ったサウンドも想起させるが、1990年代当時のパーソナルなサウンドスケープを描き出したアルバムだった。

 ギターによる表現に一定の達成感を得たトラルは、2000年代に入ると“Space Program”というプロジェクトをスタートさせた。ギターを弾かずにThereminや、ジョイスティックで制御した電子楽器などを用いて、身体的なジェスチャーも伴ったエレクトロニックミュージックへのアプローチだった。ポスト・フリージャズと本人が定義するように、ジャズの演奏からインスパイアされたもので、ポルトガルを拠点とするトランペット奏者のセイ・ミゲルらとコラボレーションもした。それまでのドローン、アンビエントの静的なサウンドから、エレクトロニクスによる即興演奏のようなサウンドに変化したが、一定のビートはないのにリズミカルな周期や、メロディが生成される直前のような音の羅列が感じられた。

 

『Space』Rafael Toral(Staubgold)
2000年代に入り、ギター演奏から離れたトラルのエレクトロニックミュージックへのアプローチを収録

 

 このプロジェクトの延長に、スペース・カルテットというジャズミュージシャンとのリアルなグループも結成された。また、“Space Elements”というシリーズでは、ドラム、ベース、キーボードといった通常の楽器演奏と、マイク付きのおもちゃのアンプやオシレーターをフィジカルに操作することが対置された。それらはフリーインプロヴィゼーションと言われる音楽のようだが、トラルが操作する電子機器から繰り出される正弦波やフィードバックループは時に音楽的に響き、パーカッシブな躍動感もあった。

 2018年には、『Sound Mind Sound Body』の30周年アニバーサリーエディションがリリースとなり、そこに「AER 7 E」という1992年に書かれた曲が新録で加えられた。また、その新たなバージョンである「AER 7 G」を収めたアルバム『Constellation In Still Time』もリリースとなった。1時間12分余りの「AER 7 G」は、ピアノ、ハープ、クラビネット、ビブラフォン、RHODESのピアノを伴ったハーモニーもあるアンビエントだった。トラルは正弦波のみを操作し、コンダクター的に振る舞った。日本の環境音楽もほうふつさせるようなトラルの新たな展開を聴くことができる。

 

『Constellation In Still Time』Rafael Toral(Room40)
デビュー作『SOUND MIND SOUND BODY』収録曲の新バージョン「AER 7 G」を収めた2019年作

 

 2024年には、『Spectral Evolution』がMoikaiからリリースとなった。オルークのレーベルの22年ぶりの新譜だ。そして、トラルがギターの演奏に戻ったアルバムでもある。『Sound Mind Sound Body』のドローンとアンビエント、“Space Program”の即興、『Constellation In Still Time』のハーモニー、そのすべての要素が入っていて、なおかつジャズのスタンダードも下敷きとなっている。ジョージ・ガーシュウィンの「I Got Rhythm」のリズムチェンジや、デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンのジャズハーモニーが具体的に参照されているのだ。10代の頃からビリー・ホリデイのファンで、彼女のボーカルの後ろのオーケストラの動きにも魅了され、その作曲、コード進行、アレンジの機能に崇高さすら感じてきたというトラル自身の言葉を紹介しよう※1

 「自分には作曲技術がないから、ジャズの作曲はできないと分かっていた。だから、いろいろなジャズミュージシャンが何度も使っているよくあるコード進行や構造を用いたハーモニーの抽象化をしようと思ったんだ。リズムチェンジは、ジャズの中で最もどこにでもある構造のひとつだ。チャーリー・パーカーだけでも同じコード進行の曲がいくつもあった。終止形のII-V-I進行のような他の進行も、本当の進行ではないものも使った」

 「1930年代に理解されていたジャズハーモニーに当時の音楽の基本的な構成要素を使い、抽象化された形によってアプローチしようと考えたんだ。このレコードをかけると、どこかで聴いたことがあるようなコードが聴こえるよ」

※1https://toneglow.substack.com/p/tone-glow-125-rafael-toral

 

『Spectral Evolution』Rafael Toral(Moikai)
Moikaiの20年ぶりのリリースとなるトラルの最新作。ギターや自作の電子楽器などで荘厳なサウンドスケープを展開

 

 クリーンなトーンのギターのコードから始まるイントロも、鳥のさえずりのように響く音響も、低域を作るドローンも、一定のハーモニーに導かれていることがわかる。それは古典的なジャズハーモニーから来たもので、コード進行とその上に展開されるメロディが存在する。ただ、トラルは土台となるコードにユニークな発想で電子楽器を組み入れた。

 「コードから電子楽器が生えてくるようなサウンドにできると思ったんだ。結果的には、そう簡単にはいかなかったんだけど(笑)。粘り強さとスタジオのトリックを駆使して、電子楽器同士を会話させることができたよ。これらの電子楽器は、文化よりも自然に近い形で機能する野生の存在として理解するような考え方にインスパイアされた。つまり、オーケストレーションやアレンジメントの論理というよりも、熱帯雨林のような生命の論理で機能しているということだ」

 確かに、『Spectral Evolution』はオーガニックなサウンドにも聴こえる。一音一音に必然性があるように何かに導かれているが、それは譜面の論理ではなく、自然の摂理に従っているように響く。ジャズハーモニーが出発点にあったのは確かだが、そこからトラル独自のアプローチで、実験ではなくてリスナーや文化と深い繋がりを持つ契機を探り、丁寧に作品という形にしていった。ジャズから派生したECMのようなサウンドとも、アンドレ3000やシャバカ・ハッチングスの現在のサウンドとも親和性があると言っても的外れではないだろう。これは、間違いなくトラルの新たな代表作である。

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサーを務め、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpの設立に関わり、DJや選曲も手掛ける。早稲田大学非常勤講師。近著Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって

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