ハイブリッドな文化の中で生まれ育ったジャズ・ボーカリスト/セシル・マクロリン・サルヴァント 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.158

ハイブリッドな文化の中で生まれ育ったジャズ・ボーカリスト/セシル・マクロリン・サルヴァント 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.158

 セシル・マクロリン・サルヴァントは、若くして3度のグラミーを受賞し、メインストリームで称賛を得てきたジャズ・ボーカリストだ。ウィントン・マルサリスをして“こんなシンガーは、一世代か二世代に一度しか現れない”とまで言わしめた。2020年にはマッカーサー・フェローシップも受賞した。マッカーサー財団は受賞の理由を“多様な解釈力を駆使して、ジャズ・スタンダードやオリジナル曲に活気に満ちた、グローバルで黒人、フェミニスト的な感覚を吹き込んでいる”と説明した。彼女のアルバムを聴けば、その説明が大仰ではないことは分かる。特別な声の持ち主であるが、単にスタンダードを美しく歌い上げることを目的としていないのが伝わってくる。ブロードウェイの曲を丁寧に取り上げても、その曲に潜む男性と女性の関わり方、ジェンダー・ロールについての熟考がある。リリースを重ねるごとに、曲のバリエーションは広がり、歌い方も演奏も多様性を増している。

 

『For One to Love』Cécile McLorin Salvant(Mack Avenue)
グラミー賞にてベスト・ジャズ・ボーカル・アルバムを受賞した2ndアルバム。サルヴァントいわく“日記のような”作品とのこと

 

 サルヴァントは、ハイチ人の父とフランス人の母を持つ移民第一世代の子供としてアメリカで生まれた。それ故、彼女の歌にはハイチ・クレオール語もフランス語も登場する。クラシックから民族音楽まで、さまざまな音楽を聴く両親からの影響と、幼少期から学んできたクラシックの声楽がバックグラウンドにはある。フランスに渡ってバロック声楽を本格的に学び(同時に法律と政治学も学んだ)、アメリカに戻るとジャズに移行した。

 だが、モダン・ジャズを歌うシンガーというのは、彼女に対して最もかけ離れた形容かもしれない。さまざまなジャズ・シンガーから学んできたことを明かす一方で、彼女は市井の人々が奏でるローカルな音楽への関心を示してきた。ボーカル表現の豊かなソノリティや、幅広い楽曲を斬新に解釈する音楽性を持つことが評価されてきたのは事実だが、高度な自己表現が彼女の目指すところではない。

 

『Dreams and Daggers』Cécile McLorin Salvant(Mack Avenue)
ニューヨークのジャズの殿堂、ビレッジ・ヴァンガードでのライブとディメナ・センターでのスタジオ録音を収録した作品

 

 Blue Noteからのリリースで知られるジャズ・ピアニストのイーサン・アイヴァーソンは、自らが聞き手となって行ったミュージシャンのインタビューを自身のホーム・ページで公開している。その中にサルヴァントも登場するのだが、とても興味深い内容だ※1。通常のメディアに掲載されるインタビューとは異なり、ミュージシャン同士のリラックスした余白のある対話で、カリブ海のグアドループ出身の祖父とフランス出身の白人の祖母は筋金入りの共産主義者だったという話も飛び出す。ベッシー・スミスからブロッサム・ディアリーまでひとしきりお気に入りのシンガーについて話している合間に、彼女はこんな話を残している。

 「最近、本当は歌えないけど歌い手である人たちにとても興味を持つようになりました。すべての欠点を聴くのが大好きです。偉大なギタリストだったエリザベス・コットンのような人のことを考えると、素晴らしい。彼女の声は、若くてもおばあちゃんのような不思議な声で、それがとても好き。なんでこんな脱線してしまうのでしょう……」(サルヴァント)

 「いや、これこそ語るべきことなのです。アメリカ音楽の全歴史は、純粋なプロフェッショナルとは異なる種類の音楽とつながりを持つ人々によって支えられているのだから」(アイヴァーソン)

 「たぶん、より発展した形態より、フォーク・ミュージックとフォーク・アートにとても引かれる。民衆の音楽が好きで、そんなふうに言いたくはないけど、演奏できない、歌えない人たちが、代々受け継いできた歌を聴くのが好きだから。これは、自分たちの家庭やコミュニティの中で個人的なレベルで音楽と向き合っている人々であり、そこにテクニックや名人芸を吹き込むことはないのです」(サルヴァント)

※1https://ethaniverson.com/interview-with-cecile-mclorin-salvant/

 サルヴァントは、自分で音楽を作る以外に音楽を聴く手立てがなかった古い時代への興味も語る。曲を作ってシンガーでない友人に歌ってもらうことを考えるのも、“その歌やフィーリングに圧倒されたいからで、技術的にうまくできたかどうかは知りたくない。それは後付けでいい。多くのテクニックは最も陳腐なものだと思う”とも言う。

 このインタビューは5枚目となるアルバム『The Window』(2018年)の頃のものだが、次作の『Ghost Song』(2022年)にはこの彼女の視点がより色濃く反映されていた。伴奏のないアイルランドの伝統的な歌唱であるシャーン・ノースからケイト・ブッシュの「Wuthering Heights(嵐が丘)」へと流れて始まるアルバムは、“幽霊や記憶と一緒に踊る”というアイディアから生まれたものだ。文字通り、ゴースト・ストーリーを集めたソングブックだが、“今までの作品とは違い、折衷的なキュレーターとしての自分の性格を反映したものに近づいている”と彼女はプレスで説明している。

 

『The Window』Cécile McLorin Salvant(Mack Avenue)
ピアニストのサリヴァン・フォートナーとのデュエット・アルバム。スティーヴィー・ワンダーの名曲「Visions」などを含む全17曲を収録した作品

 

『Ghost Song』Cécile McLorin Salvant(Nonesuch)
ケイト・ブッシュのカバーを含む2022年作。エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』は、パンデミックの最中にサルヴァントの心の芯を強く打った作品とのこと

 

 『Ghost Song』はポップなアルバムではないし、ポップスを志向しているわけではない。共同プロデューサーでもあるサリヴァン・フォートナやアーロン・ディールのピアノ、小川慶太のパーカッションなどの演奏も、ジャズ・ミュージシャンの柔軟性の高いテクニックがもたらしたものだ。ただ、歌が中心であり大切に扱われていて、その歌には“家庭やコミュニティの中で個人的なレベルで音楽と向き合っている人々”に対する想像力が働いていると感じ取れるのだ。だから、ともすれば仰々しい表現になりかねない古謡も民族音楽の演奏も、違うニュアンスで聴かせることができている。それが、彼女の表現を特別なものにしていると思う。そのことは、最新作である『Mélusine』でより一層顕著になる。

 『Mélusine』は、ヨーロッパの民話に登場する、上半身は女性で下半身は蛇、背中に竜の翼が付いた水の精霊メリュジーヌの伝説を下敷きにしている。その姿はハイブリッドな文化の中で生まれ育ったサルヴァントとのつながりを想起させもするが、“私がやろうとしていることは、物語を語ることよりも秘密を明らかにすることに近い”と彼女は言う。フランス南部のオック語で歌われる12世紀の民謡やシャルル・トレネのシャンソンなどにオリジナル曲が混じる構成で、ピアノとチェレスタ、アフロキューバンのパーカッション、バロックのリュート、エレクトロニクスのパルスが交錯し、異なる文脈の入り混じった世界を丁寧に解き明かしていくように進む。壮大な物語とは無縁の、微細な寓話の寄せ集めのような世界だ。

 

『Mélusine』Cécile McLorin Salvant(Nonesuch)
フランスの神話、ハイチのブードゥー教、アポクリファの要素が組み合わさった、サルヴァントの最新作

 

 『Mélusine』は、一つの分かりやすいイメージを提示しているわけではないので、最初は取っ付きにくいアルバムかもしれない。しかし、人が音楽を演奏する背景にある動機がそこには確かに表れていて、魅了されるものがあるのだ。

セシル・マクロリン・サルヴァントが5年ぶりに来日!

Cécile McLorin Salvant Duo featuring Sullivan Fortner
セシル・マクロリン・サルヴァント・デュオ・フィーチャリング・サリヴァン・フォートナー

会場:COTTON CLUB
出演:Cécile McLorin Salvant(vo)、Sullivan Fortner(p)
日程:2023年6月27日(火)/ 28日(水)
時間:【1st.show】開場5:00pm / 開演6:00pm【2nd.show】開場7:30pm / 開演8:30pm

◎料金 / 予約等詳しくは下記ウェブサイトをご覧ください:

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって

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