【イギリス編】360 Reality Audio対応スタジオ in ロンドン 〜今月の360 Reality Audio【Vol.8】

【イギリス編】360 Reality Audio対応スタジオ in ロンドン 〜今月の360 Reality Audio【Vol.8】

ソニーの360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)は、360立体音響技術を使用した新しい音楽体験で、全方位から音に包み込まれるようなリスニング体験をもたらす。これまでの連載では日本で制作された360 Reality Audio作品に注目してお届けしてきたが、もちろん海外での制作も行われている。そこで、今月はイギリス編として、ロンドンにある360 Reality Audio対応スタジオを2件紹介。それぞれの制作環境や制作テクニックを尋ねてみた。

取材協力:ソニー

Sony Music UK Immersive Audio Studio

モニター・スピーカーはGENELEC 8330Aを合計19台設置(頭上7台+耳の高さ9台+下前方3台)。加えてサブウーファー7360Aが3台スタンバイしており、前方中央の7360Aは、前面の8330A×7台(下前方3台+前方3台、上中央1台)の低域成分を賄っている

モニター・スピーカーはGENELEC 8330Aを合計19台設置(頭上7台+耳の高さ9台+下前方3台)。加えてサブウーファー7360Aが3台スタンバイしており、前方中央の7360Aは、前面の8330A×7台(下前方3台+前方3台、上中央1台)の低域成分を賄っている

残り2台のサブウーファー7360Aは、スタジオ後方の左右の角にそれぞれ設置。左の個体で左側6台の8330A(正面左上+左側面5台)、右の個体で右側6台の8330A(正面右上+右側面5台)の低域成分を賄う

残り2台のサブウーファー7360Aは、スタジオ後方の左右の角にそれぞれ設置。左の個体で左側6台の8330A(正面左上+左側面5台)、右の個体で右側6台の8330A(正面右上+右側面5台)の低域成分を賄う

スタジオはSony Music UKのオフィス・ビルの一角にある

スタジオはSony Music UKのオフィス・ビルの一角にある

ENGINEER|クリス・ル・モンド

ENGINEER クリス・ル・モンド

【Profile】2015年にオーディオ・エンジニアリング・チームのリーダーとしてSony Music UKに入社。2019年からは360 Reality Audio制作を手掛け、オーディオ・エンジニアのマネージャーとして、イマーシブ・オーディオにおけるミキシングとマスタリングの革新的なテクニックを開発し続ける。

 Recent Works 
ハリー・スタイルズ「Watermelon Sugar」、ブラックベアー『misery Lake』、ポール・エプワース「Voyager」、ヴェンビー&ゴダード「messy in heaven」、ザラ・ラーソン「Never Forget You」「WOW」「Don’t Worry Bout Me」、ブリング・ミー・ザ・ホライズン「Teardrops」、テイト・マクレー「she's all i wanna be」(ライブ・ビデオ)、他

ステレオ・マスタリングとステムの音質を合わせる

 Sony Music UKのオフィス内に存在するImmersive Audio Studio。この場所で、アーティストから納品されたさまざまな360 Reality Audio作品のQC(クオリティ・チェック)を行いつつ、自らも制作を手掛けているクリス・ル・モンド氏をまずは紹介しよう。彼は作業の9割をヘッドホンで行う。

 「ソニーのWH-1000XM5やAUDEZE LCD-2を使っていて、WH-1000XM5のノイズキャンセリングは、立体音響の制作に重宝しています。物理的な空間が無くてもすべての音が聴こえるし、周波数特性が良く、低音がよく出ますね」

 360 Reality Audioの1曲あたりの制作時間はおよそ4〜6時間というクリス氏。ステレオに近い仕上がりも特徴的だ。

 「COCKOS Reaperを使って、ステムの音をステレオ・マスタリング・データと同じようにレベル調整するところから始めます。その後、360 Reality Audioのオブジェクトとして配置するとまた音が変わるので、再度ステレオ・マスターを確認し、オブジェクト位置を上下左右に調整して、という作業を繰り返します。曲によりますが、メタル・ミュージックなどは6時間くらいかかりますね。イントロ、バース、コーラス、ブリッジが異なるレベルでミックスされているので、すべてのセクションでレベル調整を行う必要があるんです」

 グループの楽曲を手掛けた際には、そのライブ・パフォーマンスの様子を反映させることもあったという。

 「ライブ映像で、あるメンバーが映っていた次の瞬間には、別のメンバーが歌いはじめてカメラが切り替わり、そちらに注目が移りますよね。それをまねしたくて。ポップ・ミュージックにありがちな正面から来る感じではなく、周りにバンドがいる感じにしました。また、ボーカルを左前、右前、後ろ中央の3カ所に配置し、後ろだけ少し音量を小さくして、大きな会場の後方でボーカルの一部が聴こえるような効果を出しました。私はL/C/Rでオブジェクトを配置するのが好きで、キックやドラム・ループなども3個ずつ置いたりしています」

 同じオブジェクトの複数使いはクラブ・サウンドにも活用。

 「クラブにいるような気分にさせる必要があるハウス・ミュージックでは、キーボードやベースなど同じ音色のオブジェクトを複数用意し、広げて配置しています。そうすることでステレオ感を得ることができ、ヘッドルームの空間をフルに使ったパワフルなサウンドを得ることができるのです」

 最後にクリス氏は、360 Reality Audio制作を志す読者へのメッセージをこう語ってくれた。

 「私は、どのミックスをやるときも少なくとも1つは今までと違うことをやるようにしています。だから、常に学ぶことができるんです。どのようにしたら曲の感情的な表現を高められるかを想像し、前面だけでなく、側面や上下もクリエイティブに使うことで面白いミキシングができると思います」

ARK360°

これまでに2,000曲以上もの360 Reality Audioの制作を手掛けてきたARK360°のスタジオ全景。GENELEC 8330A×13台(頭上5台+耳の高さ5台+下前方3台)を備える。そのほか、スタジオ内にはグランド・ピアノやエレピ、オルガンなど鍵盤楽器が多数置かれていて、ミュージック・ビデオの撮影などに使用されることもあるという

これまでに2,000曲以上もの360 Reality Audioの制作を手掛けてきたARK360°のスタジオ全景。GENELEC 8330A×13台(頭上5台+耳の高さ5台+下前方3台)を備える。そのほか、スタジオ内にはグランド・ピアノやエレピ、オルガンなど鍵盤楽器が多数置かれていて、ミュージック・ビデオの撮影などに使用されることもあるという

プロジェクター・スクリーンの向かって右側に置かれた作業デスク。左奥にはオーディオI/OのRME MADIFace XTがセッティングされているのも見て取れる

プロジェクター・スクリーンの向かって右側に置かれた作業デスク。左奥にはオーディオI/OのRME MADIFace XTがセッティングされているのも見て取れる

ARK360°はノース・ロンドンに位置するThe Crypt Studio内にあり、教会として使われていた建物の一角に位置する

ARK360°はノース・ロンドンに位置するThe Crypt Studio内にあり、教会として使われていた建物の一角に位置する

ENGINEER|デヴィッド・シンプソン/リッキー・バーバー/アンソニー・レオン

ENGINEER デヴィッド・シンプソン/リッキー・バーバー/アンソニー・レオン

【左:デヴィッド・シンプソン】クリーン・バンディット、リアム・ギャラガー、エド・シーランなどのセッション・エンジニアを務めるほか、360 Reality Audioでは、デュア・リパやリアン・ラ・ハヴァスなどの作品を制作。Youth Music CharityやLevi'sと組んで、若手ミュージシャンにレコーディングの経験を提供する。

【中央:リッキー・バーバー】ライブ/スタジオ・ミュージシャンとして活動を開始し、映画への楽曲提供や、CMやテレビ、映画、音楽などの録音技師としても活動。デイヴ・スチュワートの出版社アンクシャス・ミュージックと契約後、1999年よりレコーディング・スタジオThe Crypt Studioの運営を行う。2018年にはARK360°を結成し、360 Reality Audioの制作を手掛ける。

【右:アンソニー・レオン】2004年から活動開始。ロバート・グラスパーやクロノス・クァルテット、エド・シーラン、フォールズらを手掛ける。プロダクション・サウンドのレコーディングも行い、『ザ・バットマン』『インディ・ジョーンズ』など映画音楽にも携わる。360 Reality Audioではデュア・リパやビッフィ・クライロ、アーロ・パークスなどを担当。

 Recent Works 
ザ・ヴァクシーンズ「Back In Love City」、アーロ・パークス「Green Eyes」、クリーン・バンディット「Tears(feat. Louisa Johnson)」、リアム・ギャラガー「Stand By Me(MTV Unplugged Live at Hull City Hall)」、他

足りないステム・データは試行錯誤しながら自作

 続いて紹介するのは、これまでに2,000曲を超える360 Reality Audio作品を生み出してきたARK360°だ。創立者の一人であるリッキー・バーバー氏と、エンジニアのアンソニー・レオン氏、デヴィッド・シンプソン氏に話を聞いた。

 ARK360°は、2018年に設立。現在の稼働体制と、若手の育成に対する取り組みをリッキー氏は語る。

 「ARK360°で活動するエンジニアは、フリーランスも含めて20名程度です。スタジオで制作する人もいれば、ヘッドホンで作業してスピーカーでの確認だけスタジオで行う人も居ます。メンバーは流動的ですが、私たちは多くの人に360 Reality Audio楽曲の制作手法を伝えて訓練してきたんです。昨年はスタジオに若いアーティストを集めて360 Reality Audioのワークショップも行いました。新しい音楽のデザインに挑戦したり、過去の楽曲を再解釈したり、アルバムを制作したりと、クリエイティブなイベントでしたね」

 続けて、デヴィッド氏が制作の流れをこう教えてくれた。

 「オリジナルのステレオからステムを準備して、ステムを取り込んですべてがそろっていることを確認します。それらを360 Reality Audioの制作用ソフトウェアで配置し、アーティストやレーベルへ確認します。そのほかにも細かい作業は当然ありますが、大まかにはこの3段階のプロセスです」

 ステムは完全でない場合も多いとリッキー氏が続ける。

 「スネアやバック・ボーカルが無いなど、一部が無いこともありますし、場合によってはオリジナルのステム自体が無いこともあります。そのときはゼロから全部を作り直す必要があって、これが面白くも難しくもあるんです。マルチトラックからミックスするのですが、1970〜80年代の曲だと、アウトボードでミキシングされているので、どのようなアウトボードで作られたのかは分かりません。そこで、いろいろな機材やプラグインを買って、オリジナルの音と近づけるために試行錯誤します。これは、エンジニアの腕の見せどころです」

10個のコーラス・オブジェクトで空間を広げる

 この数年のコロナ禍をきっかけに広まったライブの新たな楽しみ方は、360 Reality Audioにとってはチャンスとも取れるようだ。リッキー氏がこう語る。

 「ロック・ダウン期間中に多くの人がライブ・ストリーミングを体験し、360 Reality Audioが面白い取り組みだと分かってもらえるようになったと思います。360 Reality Audioと映像があれば、そこにいるかのような臨場感も味わえるのです」

 360 Reality Audioに対するアーティストの理解が深まると、より深い表現ができる。その事例をアンソニー氏が語る。

 「例えば、複数のバック・ボーカルを1組のステレオ・オブジェクトにまとめて配置するということはよくありますが、あるアーティストでは、要望を伝えてコーラスだけで10個くらいのオブジェクトを提供してもらうことができました。それらを広げて配置することで、空間の広がりが表現できるんです。ステレオ・ミックスの歴史では、さまざまなテクニックが開発されてきました。リバーブを使って距離感や奥行きを出すのもそうです。しかし360 Reality Audioでは、本当に近くにある内部空間のようなものから包み込むような空間、未知の空間まで、より多様な表現ができます。私たちがアーティストに360 Reality Audioの技術を紹介することで、彼らが新たな可能性に気付くこともあるのです」

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