ベルリンを拠点にDAWソフトウェアのLiveを開発するABLETONから、コントローラーPushシリーズの最新バージョン、“Push”が登場しました。Push 2から8年経ち、スタンドアローンでの動作やMPEに対応したパッドなど、楽器としても大幅な進化を遂げています。初代Push登場時から記事を執筆してきた筆者としてはさすがに興奮気味です。
オーディオ・インターフェースを搭載 CV/Gate出力は最大4系統可能
Pushは同社のDAW=Liveのコントローラー。パッドを押して演奏できることが特徴で、今回は2つのラインナップが登場しました。一つは従来通りコントローラーとして動作するPush(プロセッサなし)、そしてもう一つはスタンドアローンでも動作するPush(プロセッサあり)です。後者では、Linuxに移植されたLiveが動作していて、これがスタンドアローン動作を実現しています。アレンジメントビューとVST/AUプラグインが使えないという制限はあるものの、セッションビューやLiveの音源、エフェクト、ライブラリーなどは使用可能です。これは画期的と言えるでしょう。
なお、今回はPush(プロセッサあり)をレビューしますが、本稿では両機種をPush 3と表記して、“プロセッサあり”を“スタンドアローン”と呼びます。
対応するLiveのバージョンはPush 3と共にリリースされた11.3以降です。2種類のPush 3は、“プロセッサあり”がスタンドアローンで使えること以外は共通の仕様。Push 3の外観はPush 2の路線を踏襲していて、シンプルなデザインに、横長のディスプレイとその周囲にあるエンコーダー、演奏に使う8×8の格子状に並んだパッドなどを備えています。新しい操作子で目にとまったのは、本体右上に配置された、左右に動いて押し込める大きなジョグ・ホイール。例えばブラウズするときはホイールを回して項目を選び、押し込むと決定します。また右に動かすとサブメニューが出たり、左に動かすと前の画面に戻ったりして、コンピューターでいえばマウスに近い感覚で操作できます。
Push 3のパッドはPush 2より薄くなり、たたいたときの感触もスムーズ。レスポンスも向上して、MPE(後述)に完全対応しています。ディスプレイはPush 2と同等のもので、期待していたタッチ・パネルではないものの、ジョグ・ホイールがよくできているので、操作中にタッチ・パネルが欲しくなる機会は減りました。本体のサイズもPush 2とほぼ同じです。Pushは大きいという意見には同感ですが、Push 3ではセットアップを簡略化できるので、禅問答みたいですがトータルで考えれば小さくなると言えるでしょう。
リアの接続端子も見ていきましょう。Push 3は最高24ビット/96kHz対応のオーディオ・インターフェースを内蔵し、アナログ入力(TRSフォーン)は2系統。ライン/インストゥルメント/ハイゲインを切り替え可能で、アナログ入力では+4dBのライン入力からギターなどの楽器類、ガジェット系などのハイゲインが必要な機材まで幅広く対応。ファンタム電源が必要なコンデンサー・マイクを除けば、ほとんどの機材を(ダイナミック・マイクも)つなげられます。
またバランス接続対応のアナログ出力2系統(TRSフォーン)に加え、ADATオプティカル入出力も1系統備えています。これを利用すれば、別途用意したAD/DAコンバーターなどに接続して入出力を増やせます。もちろんヘッドフォン端子(ステレオ・フォーン)も装備。
オーディオ・インターフェースとしてのサウンドは柔らかめで癖がなく、ジャンルを問わず使えるキャラクター。Pushより高価格帯のオーディオ・インターフェース製品と比較してもそん色ない音質で、ローエンドがよく伸びてテンションが上がります。現場で鳴らすと映える音になるでしょう。
MIDI端子は3.5mmのTRSフォーンで用意されており、アダプターを介して5pin DINのMIDI端子と接続できます。秀逸なのは、Push 2にもあった2つのペダル端子。通常はフット・スイッチを接続しますが、設定を変えると最大4系統のCV/Gateを出力してモジュラー・シンセなどと連携できます。
さらにUSBホストになるUSB Type-A端子を備え、Push 3にMIDIコントローラーやシンセを接続可能。スタジオのハブとして、さまざまな機器と組み合わせて使える設計です。Push 3をコンピューターに接続してコントローラーとして使用するためのUSB Type-C端子も用意。
さらにスタンドアローン版では、256GBのSSDに加え、Wi-Fi機能とバッテリーを搭載。Wi-FiはABLETONの同期テクノロジー=Linkに使用できるほか、コンピューターとのファイル転送なども可能です。バッテリーは筆者の環境でテストしたところ、通常使用で3時間以上持ちました。
MPE対応プリセットでは指の動きで音色やピッチを変化できる
それでは、待望のスタンドアローン・モードを試してみます。スタンドアローンのPush 3にはLive Introのライセンスが付属しますが、Suiteなど上位エディションをお持ちの方は、Pushにオーソライズするとスタンドアローンでもその機能やPack(追加音源やデバイス)、Max for Liveが使用できるようになります。
今回は筆者がABLETON Liveで行っている、トラック数が10、シーン数が100程度のLiveセットをPush 3のスタンドアローン・モードで再現します。PushのUSB Type-A端子からUSBハブ経由で、MIDIコントローラーを2台接続(ミキサー用のNOVATION Launch Control XLとエフェクト用のDJ TECH TOOLS MIDI Fighter Twister。)。
MIDI端子はアナログ・シンセのx0xb0xに接続し、x0xb0xのオーディオ出力をPush 3のオーディオ入力に接続。なお、先述の通りスタンドアローン・モードでは、アレンジメントビューとVST/AUプラグインを使用できないため、コンピューター上のLiveでプラグインをLive内蔵のものに置き換えたLiveセットを作成し、使用するオーディオ・ファイルをファイル・メニューの“すべてを集めて保存”で収集します。
この作業が終わったら、LiveセットをPushに転送します。Liveのブラウザーに表示された“Push”のラベルに、いま作ったセットをフォルダーごとドラッグ&ドロップするだけで転送完了。
Wi-Fi 経由で転送するので結線する必要もありません。このLiveセットをPushで開くと“内部で動いているのもLiveだから”といわんばかりに、そのままの音で再現されました。外部機器との連携も再現され、Launch Control XLは設定不要でPushのミキサーをコントロールできます。コンピューターがないと視点の移動が減って音に集中できるし、レイテンシーも低くて動作も軽く、Push 3の豊富な入出力のおかげでセットアップも簡単です。
スタンドアローンをライブ以外で使うなら、曲のモチーフやループ作りもいいでしょう。さまざまな楽器の音をPush 3にサンプリングしたら、コンピューター上のLiveに転送して、アレンジメントビューやプラグインを使って仕上げるワークフローができます。
また、Liveの機能や設定の中には、MIDIマッピングなどスタンドアローンのPushからはアクセスできないものもあります。こうした設定は、いったんPushからLiveにLiveセットを転送してLive側で設定し、その後、再びPushに戻すと、PushのLiveセットにもその設定が反映されます。一通りスタンドアローン・モードを試してみると、Pushですべての作業を行うよりも、LiveとPushを組み合わせる使い方が向いていると感じました。
Push 3の登場とともにLiveもバージョン11.3になり、MPE対応の内蔵デバイスが増えました。MPEとはMIDI Polyphonic ExpressionというMIDIの規格で、ノート単位でプレッシャーやピッチ・ベンドなどの多次元コントロールを可能にするものです。Push 3のパッドもMPEに完全対応していて、パッド上を指でスライドすると音色が変わったり、パッド間をまたいで横方向に指をスライドさせると、そのノートだけにピッチ・ベンドがかかったりと、新しいパッド表現を実現しています。
Push 3用のMPEプリセットも追加されており、操作に対する音の変化はプリセットごとに異なります。例えばドラムのプリセット”MPE Kit-DarkPlateVerb”のスネアでは、パッドを押す位置によって打法が変わり、パッドの下の方を押せば“スネアのみをたたく音”、上の方では“ロールの音”、真ん中を押せばこの2つのスネアがミックスされ、表現力豊かなドラムのサウンドを生み出せます。
一方、シンセのMPEプリセット”MPE Dub String”では、パッド上で指を縦方向にスライドさせるとフィルターが開閉したり、“MPE Metallic Keys”ではパッドを押し込むとモジュレーションがかかります。パッド・シンセやストリングスの音色で試すとMPEの面白さが分かるでしょう。
また、Live 11.3ではLiveの全エディションに新しいシンセのDriftが追加されました。これはアナログ・シンセを模したインストゥルメントで、使いやすさと音の良さがお気に入りです。Liveユーザーの方はDriftを素の状態で音を出し、Shapeと書かれたパラメーターを上げてみてください。“いいね”になるでしょう。
ここまでPush 3をテストしてきました。Push 2と見た目こそ似ているものの、中身は大きく進化していて、Pushが一つのフォーマットとして完成した印象を受けました。一方、スタンドアローンのソフトウェアは、ブラウザーなどこなれていない部分もあり、今後のバージョンアップに期待です。
そして、気の早い読者の中にはどちらのPush 3を購入するか迷う方もいるでしょう。Push 3を制作時のコントローラーとして使うなら“プロセッサなし”でも十分だと思います。
一方、Push 3をABLETON製のグルーブ・ボックスとして使いたい方は、スタンドアローンがお勧めです。マシン・ライブの司令塔にもなるし、Suiteと組み合わせると、音源が豊富で拡張性の高い楽器になるでしょう。
価格はPush 2より高くなったものの、物価高なご時世で機能が増えたことを考えると、安い方だと思います。最初に“プロセッサなし”のPush 3を買っても、2023年末にはスタンドアローンにアップグレードするキットが発売予定なので、末永く使える一台になるでしょう。
KOYAS
【Profile】電子音楽シーンで活躍するアーティスト/プロデューサー。PCとハードウェアを組み合わせたライブ、イベント/レーベルの運営、ABLETON認定トレーナー等、その活動は多岐にわたる。
ABLETON Push
Push(プロセッサあり):258,000円/Push(プロセッサなし):128,000円/アップグレードキット:138,000円(2023年末発売予定)
SPECIFICATIONS
▪パッド:64個(MPE対応、XYセンサー/RGBバックライト搭載) ▪プロセッサー(スタンドアローンのみ):INTEL Core I3-1115G4(8GB RAM) ▪バッテリー(スタンドアローンのみ):リン酸鉄リチウム電池(2〜2.5時間の再生が可能) ▪ストレージ(スタンドアローンのみ):256GB SSD ▪アナログ入出力:2(TRSフォーン) ▪デジタル入出力:16(ADATオプティカル) ▪ヘッドフォン:1(ステレオ・フォーン) ▪MIDI:3.5mmTRSフォーン端子 ▪USB:Type-C(コンピューター接続用)、Type-A(MIDIデバイス接続用) ▪フット・スイッチ/CV/GATE出力:2(TRSフォーン) ▪外形寸法:380(W)×44.5(H)×318(D)mm ▪重量:3.95kg(スタンドアローン)、3.1kg(プロセッサなし)