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マイク・ディーン インタビュー【前編】

マイク・ディーン

カニエ・ウェストの作品に長く携わり、5度のグラミー賞にも輝いたプロデューサー/エンジニアのマイク・ディーンが、1時間半にわたるオンラインでのインタビューに応じてくれた。カニエ・ウェストとの出会い、ミキシング手法、オリジナルの作品や膨大なシンセサイザー・コレクション、そしてこれからの夢についてなどなど、ディーンの恐ろしく幅広いキャリアをそのまま映し出したかのような、広範囲の内容にわたるインタビューを存分に楽しんでいただきたい。

Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko Photo:Jason Martinez

カニエ・ウェストとの最高のセッション

 「ミキサーとして毎日ミックス漬けの毎日を送るなんて想像できない。頭がおかしくなってしまうよ。だからミックスを少し、プロデュースを少し、レコーディングも少し、マスタリングも少し、そんなふうにやっている。楽しく面白く続けることが大事なんだ。そうすることで脳も活性化するし、ボケ防止にもなっているよ!」

 マイク・ディーンがそう列挙するキャリアの数々はその幅広さだけで壮観だが、実際に彼のこれまでの経歴を詳しく見てみると、むしろこれだけでは種類が全く足りていないということに気付かされるだろう。Wikipedia上では同姓同名の英プレミア・リーグの審判と区別するために、単に“record producer”とだけ記事のタイトルに注釈が加えられているが、実際の彼の肩書きは上記のキャリアに加えてアーティスト、ソングライター、ギタリスト、キーボーディスト、作曲家、リミキサー、プラグイン開発協力者(ACUSTICA AUDIO Gainstation)などなど、ほかにも多数挙げられる。Allmusic(www.allmusic.com)上で確認することのできる彼のクレジットはなんと1,750項目にも及んでいるのだ。そのジャンルも多岐にわたっており、ヒップホップ、トラップ、ポップ、コンピューター・ミュージック、ヘビーメタル、プログレ、映画音楽、シンフォニック・ロックなど数多い。端的に言えば、ディーンはアメリカの音楽業界で最も多面的で多忙な個人かもしれないということだ。

 「まあ、俺はワーカホリックだからね。だが、実際のところはスマートに仕事をこなしているからだと言える。例えばミックスは非常にスピーディに済ます。後から2、3回、30分少々かけて手直しをすることもたまにはあるが、基本的にこれだけだ。それにテンプレートも使わない。もらったセッションはそのまま使うんだよ。いちからセッションを作り直すなんてしたくないだろう。プロデューサーとしてその辺はよく理解しているよ」

 30年にわたり、ディーンは自身が語るように“スマートに”仕事をこなし、その結果として大量のヒット・アルバムやヒット・シングルを手中にしてきた。そこで本インタビューを行うにあたり、特筆すべきものは何かと尋ねたところ、彼がピックアップしたのはたった2作だった。

 「スカーフェイスのアルバム『The Untouchable』(1997年)と、カニエ・ウェストのアルバム『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』(2010年)は特に好きだな。カニエのときにはエレクトリック・レディ・スタジオを数カ月借りて1日中作業していたよ。思い出せる中でも最高のセッションの一つだった」

 両作ともにおいて、マイク・ディーンは多くの役割を果たしていた。『マイ・ビューティフル~』ではチェロ・アレンジ、ベース、ギター、キーボード、ピアノ、作曲、レコーディング、ミックス、プロデュースなどでクレジットされている。グラミー賞の最優秀ラップアルバム賞を受賞し、各媒体のベスト・アルバムも獲得、2010年代のベスト・アルバムの候補にもよく挙がる作品となった。アメリカとイギリスを含む数カ国ではプラチナ・ディスクを達成している。

 もともと、ディーンはカニエ・ウェストとの関係で特によく知られているが、2002年に始まったその関係を彼はこう回想する。

 「当時はヒューストンの自宅にスタジオを作っていたんだが、そこにカニエが訪ねてきたんだ。デビュー作のミックス・テープを作るためにね」

 そのミックス・テープは『Get Well Soon…』で、その後ディーンはウェストのデビュー・アルバム『ザ・カレッジ・ドロップアウト』(2003年)にもミキシングで1曲参加している。その後は現在に至るまでのウェストのほぼすべてのアルバムに関わっており、彼がクレジットされたアルバムは『レイト・レジストレーション』(2005年)、『グラデュエーション』(2007年)、ジェイ・Zとのコラボ作『ウォッチ・ザ・スローン』(2011年)、『イーザス』(2013年)、『ザ・ライフ・オブ・パブロ』(2016年)、『イェー』(2018年)、『ジーザス・イズ・キング』(2019年)、『ドンダ』(2021年)となっている。そのほとんどで中心的な役割を果たしており、これまで受賞した5度のグラミー賞はすべてウェストの作品によるものだ。

 「カニエとやったアルバムの中では『マイ・ビューティフル~』と『ザ・ライフ・オブ・パブロ』がベストかもしれないな。残念だが彼とどうやって仕事をしているかについては話せない。彼のプロセスは彼が語るべきものだから」

 ウェストが協力者たちに仕事について語ることを許可していないのは残念なことだが、このインタビュー当時のウェストとディーンは、STEMPLAYERでリリースされた『ドンダ2』の制作中だったそうで、「フルスピードで猛進中さ。毎日エンジニアを雇ってはクビにしているよ!」と語っていた。

マイク・ディーンのキャリアを語る上で外せないカニエ・ウェストの10作目。ジェイ・Z、ザ・ウィークエンド、トラヴィス・スコットら豪華なゲスト陣が参加。

プロデューサーはタイム・トラベラー

 多才なディーンは驚くべきことに56歳となった今でも、さらなる新しいキャリアを追い求めているようだ。彼いわく“シンセの神”を目指しているらしく、ジャン・ミッシェル・ジャールやリック・ウェイクマンのごとく満員の観客を前にソロ・コンサートを開くことを目指しているとのこと。

 ディーンは50数台のハードウェア・キーボードを所有しており、YouTubeに投稿された動画の数々では複数を同時に演奏している様子を見ることができる。また、彼による“シンセの神”を標榜する作品として、『4:20』(2020年)と『4:22』(2021年)、『SMOKE STATE 42222』(2022年)というスタジオ・アルバム、それに『Echoplex』(2021年)というライブ・アルバムを発表している。ディーン自身はこれらを”サイケデリック・シンフォニー”と呼んでおり、リラックスした状態で聴くのがベストだそうだ。「シンセの神になりたいとはずっと考えていたんだよ!」とディーンは熱く語る。

 「何年も温めていたアイディアなんだ。俺はギターも弾くし、カニエやトラヴィス・スコットのライブではギターのほかにシンセも弾く。俺の曲には大量のギターが入っていて、ソロも聴けるし、クレイジーな音を奏でているだろう? 俺はリードもリズム・ギターも両方やるんだ。先月カニエと一緒にライブしたときは、ギターが全体を通して叫びまくっているような感じだった。だが、アルバムではシンセを少しだけ大きめにするんだ。今の俺のソロ・アルバムではシンセが大量に入っているだろう。ギターも弾いているがね。プロダクションは今後ももちろん続けるが、プロデューサーよりもソロ・アーティストとしての活動を狙いたいと思っているんだよ」

マイク・ディーンのオリジナル・アルバム。“シンセの神”を目指している彼の大量のシンセサイザー・コレクションを駆使したプログレッシブな作品。

 ここからは、マイク・ディーンがいかにして無名のテキサス人からヒップホップ、トラップ、ポップスを発展させる立役者となったのか、そして今やシンセの神を目指すまでになったのかを見ていこう。

 ディーンが生まれたのは1965年、バヨウという街で、ディーンの言葉を借りるなら”人里離れた僻地”だった。ここは実際にはテキサス州ヒューストンからそう遠くない街だ。若かりし頃にサックス、ピアノ、それにバスーンの演奏をはじめ、その後、真剣にクラシック・ピアノに打ち込むようになり、さらには学校のオーケストラにも参加したとのこと。10代の頃は学内のバンドでハードロックやプログレを演奏し、学外ではソウル、ファンク、ブルースやカントリーのカバー・バンドもやっていたそうだ。

 そして、まだ10代の頃、Pファンクのキーボーディスト、バーニー・ウォーレルがトーキング・ヘッズへ参加するのに伴い、その代わりとしてディーンに誘いの声がかかった。だが彼はこれを断り、地元のグループであるセレーナ・イ・ロス・ディノスに入ることを選んだ。その理由を彼は「こっちの方が金になったからな!」と語る。彼はこのグループの音楽監督になり、同時にまだ若かりし頃のセレーナのプロデューサーも務めるようになった。1980年代半ばまでこの活動は続けたそうだ。

 ピアノ・バーでの仕事も続ける傍ら、1980年代の終わりには同じく地元のグループ、デフ・スクワッドに参加する。ここではサンプラーやリズム・マシンを使う試みを始め、同時にヒップホップの制作も行うようになった。新興の地元音楽レーベル、ラップ・ア・ロットともつながりを持ち、そこでレーベルのプロデューサーだったジョン・バイドゥと知り合うことになった。

 レーベルでの活動と進化を続ける彼自身のスキルにより、ディーンはテキサス・ラップの発展におけるキーパーソンとなった。サザン・ラップ、もしくはダーティ・サウス・サウンドと呼ばれる音楽の勃興に深く関わり、スカーフェイス、ゲトー・ボーイズ、ドゥ・オア・ダイ、フィフス・ワード・ボーイズ、UGK、ザ・ドッグ・パウンドなど多くのアーティストの制作を手助けしている。また、コ・プロデュースを担当したスカーフェイスのアルバム『The Diary』(1994年)と『The Untouchable』(1997年)はプラチナ・ディスクとなった。

 2000年代になるとニューヨークに移住し、”ディーンズ・ハウス・オブ・ヒッツ”という屋号でスタジオを開く。

 「実態は俺のアパートで、まあまあクレイジーな場所だった。今までの俺のスタジオはすべて自宅内に構えていて、俺とやりたいっていうアーティストとはそこで仕事をしてきたんだ」

 ちなみに、前述した2002年のカニエとの出会いは、スカーフェイスのアルバム『The Fix』の作業中だったとのこと。その後、ディーンはロサンゼルスにもスタジオを2つ構え、トラヴィス・スコット、キッド・キューディ、ビヨンセ、ジェイ・Z、マドンナ、ザ・ウィークエンド、フランク・オーシャン、2チェインズ、ナズ、クリスティーナ・アギレラ、セレーナ・ゴメス、ゴリラズ、ポップ・スモーク、ラナ・デル・レイ、FKAツイッグスなど非常に幅広いアーティストの作品に携わるようになった。そんなディーンが掲げるモットーはこうだ。

 「プロデューサーは時代にとらわれて止まることがあってはならない。常にタイム・トラベラーとして未来に生きていないとダメだ」

 そして、彼はW.M.A.というDJネームを持ち、この名を使って新しいレーベルも始めたところだ。

ザ・ウィークエンドの「スターリー・アイズ」をマイク・ディーンがリミックス。エモーショナルなシンセ・ソロを堪能できる仕上がりとなっている。

 

インタビュー後編(会員限定)では、 マイク・ディーンがロサンゼルスに所有するスタジオを写真とともに紹介。スタジオを埋め尽くすシンセサイザー群は必見です!

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