京都を拠点に活動する作曲家の原 摩利彦は、舞台や映画音楽などのさまざまな音楽を手掛けているほか、アート・コレクティブ=ダムタイプのメンバーとしても活躍している。そんな彼の3年ぶりのソロ・アルバム『PASSION』が6月5日にリリースされる。笙や能管、サントゥールなど非西洋の古典楽器と自身が演奏するピアノや電子音、フィールド・レコーディング素材を繊細にミックスした意欲作だ。今回は京都のプライベート・スタジオに居る原にオンライン取材を行い、アルバムの制作過程について聞いた。
Text:Mizuki Sikano
ピアノを低域まで存分に鳴らして
表現の幅を広げることができた
ーアルバム制作にはいつごろから着手しましたか?
原 厳密に言えば、舞台音楽などのために制作していたフレーズを発展させたりもしたのですが、本格的に制作を始めたのは2019年の1月ぐらいです。2019年の8月ごろにはほとんど完成していましたね。
ーコンセプトを決めてから作曲を始めたのでしょうか?
原 1曲目の「PASSION」というピアノ曲が完成したときに、全体のコンセプトや方向性が決まりました。“Passion”には“情熱”という意味のほかに“受難”という意味もあるんです。自分の身の回りに起こることをすべて受け入れた上で、音楽家として前進していく思いをテーマにしています。
ーピアノ曲や古典楽器の音をミックスしたものからビートまで、あらゆる音楽性が凝縮されていますね。
原 笙や能管やサントゥールといった非西洋の古典楽器や、ドローンのサウンドをピアノと混ぜた音楽を作りたいと考えたんです。なので、笙、能管、サントゥールの演奏を最初にレコーディングして、そのオーディオ・ファイルを自宅のAVID Pro ToolsやABLETON Liveで編集しながら作曲を進めました。能管は吹くたびにピッチが変化したりするので、その楽器の個性やニュアンスなどを生かすためにも、古典曲を演奏してもらって、録音しています。
ー笙や能管、サントゥールを作品に用いるのは今回が初めてだったのですか?
原 サントゥールは今回が初めてです。邦楽器は舞台音楽で何度か取り入れましたが、ソロ作品では初めてのことですね。笙を演奏してもらった井原季子さんや能管の栗林祐輔さんとは、以前に一緒に音楽制作をしたことがきっかけで今回オファーすることにしました。
ー録音はどのように行いましたか?
原 サントゥールの録音は、都内のスタジオを借りて、マイクのDPA MICROPHONES 4099-DC-1を持ち込んで行いました。笙と能管、そしてピアノのほとんどは主にzAkさんのスタジオST-ROBOでPro Toolsに録っています。マイクは演奏する僕の背後にSCHOEPS MSTC 64 Uを1本と、響板に向けてSENNHEISER MKH 800 Twinを2本、その後ろで上からEARTHWORKS QTC 40を2本、低音を録音するためにSONY ECM-100Uを2本の計7本設置してもらいました。マイクプリはRUPERT NEVE DESIGNS Portico 50 24 QuadとUNIVERSAL AUDIO 2-610、GORDON Mod el 3の3機種を使用しています。zAkさんに録音していただいたことで、低域まで存分に鳴らしたアレンジで、表現の幅を広げることができました。
ーフィールド・レコーディングの音も使用していますね。
原 今回は自分以外にもシルヴァン・ショヴォー、ホエル・アレハンドロ・アルゲイエス・ロドリゲス氏、宍倉慈さんたちに頼んで録音してもらいました。フィールド・レコーディングは自分で行うのが当たり前だと最近思い込んでいましたが、そうである必要は無いと思ったんです。また、フィールド・レコーディングには、音が特徴的でなくとも“この場所で録音したもの”と言われると聴者の印象が変わったりする側面もありますよね。音の価値の見出し方は人それぞれですが、さまざまな場所に居る他者の音を作品に取り入れるのは面白いことでした。ホエル氏はメキシコで活躍している映画のサウンド・エンジニアなのですが、彼はメキシコの砂漠で5.1chで録音してくれたんです。僕の方で2ミックスにしましたが、自分一人だったら行わなかった録音方法や録れなかった場所の音を取り入れることができました。
ーインターネットを通じて別の場所の空気感を共有する、現代人的な視点とも通じていると感じます。
原 そういった文化の影響は、自分でも意識した部分と結果的に通じた部分と半分ずつあります。その場所に住んでいる人の空気感は当初から欲しいと考えていました。また自分で一つの音楽をすべて作ることができる時代でも、完全なる孤独ではなく人とのかかわりを大事にしながら作りたかったんです。メキシコの砂漠で収録した音は、離れた場所とはいえ同じ地球上の音であり、僕らとつながっているじゃないですか。この感覚はインターネットの文化とも通じている部分だと思います。
ーご自身でのフィールド・レコーディングはどのように行いましたか?
原 ハンディ・レコーダーのSONY PCM-D10に入力して録音しています。コンパクトですが、奇麗な音で録音できるので最近はよく持ち歩いているんです。2019年8月にアルバムの仕上げをするために2週間ローマに行って、ピアノが常設されているアパートを借りた際にも使用しました。「Via Muzio Clementi」のデモ録音はコンデンサー・マイクの4099-DC-1をPCM-D10に入力して録ったんです。午前中は市内を観光して、アパートに帰って作曲してからまた夜になると外へ出る……最高の日々でしたね(笑)。
ー確かに「Via Muzio Clementi」は明るい前向きな響きを感じます。
原 Gメジャー・コードから始まるのですが、アパートの窓を開けたときの風や太陽の光が差し込む素朴な情景を表現するために用いました。この単純な幸せを音楽にしたいと思ったんです。加えて、このアパートがムツィオ・クレメンティ通りに位置していたことも理由の一つかもしれません。“クレメンティはここに居たのか”って考えると、彼のようにシンプルなコードから始めてみてもいいのかなと思ったので。
ー「65290」などのビートはどのように作りましたか?
原 XLN AUDIO XOというビート・メイクのためのプラグインを使ってサンプルを選びました。自分の持っているサンプルがAIによって分類されて、UIに表示されるんです。AIのアシストを受けて音色選びをするのは楽しかったですね。
ストリングスはピッチを変更すると
独特のフィーリングを生み出せます
ーストリングスも随所に散りばめられていますが、どのように音色を作り込んでいるのでしょうか?
原 ハード・ディスクの中にストリングスを加工したものやドローンの音など10年分のサンプルを保管していて、そこから引っ張り出して使っています。それに加えて、SPITFIRE AUDIOのソフト・シンセで演奏したものもありますね。ストリングスはピッチを変更することで出てくる独特のテクスチャーがあって。これが自分が思う一番気持ち良いストリングスの音だったんです。ピッチ編集用のプラグイン、SERATO Pitch‘n Time ProをPro Tools上で使いました。生演奏の修正作業にも使用していますが、大幅にかけるとエフェクトのように使うことができます。例えば「MIDI」の冒頭では、ストリングスのサンプルにそのサンプルをリバーブをかけた状態で4度と5度下げたものと、さらに1、2オクターブほど下げたものを重ねてハーモニーを作ったんです。それらに個別でオートメーションを描いてレベル調整をしました。そうすることで生音では演出できない独特のフィーリングを生み出せたんです。
ーそうして作り込んだサンプルを合わせて、ご自身でミックスをしていく際にはどういった点を気遣いましたか?
原 古典楽器やドローンの音がピアノと一体化させるのではなくて、それぞれの動きを尊重しつつ空間に配置したかったんです。感覚的にはDJのような感じで、違う時間が流れているものを横につなげて流していくようなイメージでミックスをしました。例えば舞台でも、音楽とSEとほかのさまざまな独立した音をホールなどの空間でミックスさせますよね。この合わさり方を2ミックスでも表現してみたかったんです。ミックスはPro Toolsで行っています。各パートの密度感を生かして演出するために、できるだけレベルを細かく変化させて、鳴らしっ放しにはしないようにしていますね。また、自宅のスピーカーをMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL906に変えたことで、奥行きがよく分かるようになり、ミックスもしやすくなりました。
ーRL906で聴く音の印象はいかがですか?
原 低域も膨らまず、全帯域が落ち着いて聴こえてくるのでとても気に入っています。スピーカーを新しくしてから、ミキサーやケーブルにも注意を払うようになったんです。ライブ用と自宅のモニター・コントロール用のミキサーとしては、SOLID STATE LOGIC Sixを導入しました。音は色付けが無くて、すっきりしていますね。Sixは良い音質ですし、ライブで操作するときには安心感もあって気に入っています。フェーダーのストロークがとても長いので、リハーサルのときは0dB辺りで調整したけれど、本番ではレベルをもう少し上げたいと思ったときにも微細な調整が行いやすかったです。
ーマスタリングはヨハン・ヨハンソンの作品も手掛けているフランチェスコ・ドナデッロ氏にご依頼したのですね。
原 普段は自分でマスタリングをする機会もあるのですが、 アルバムの最後の仕上げはほかの方に任せたかったんです。最初に完成したものを聴いたときは、ピアノのアタックが少し強くなった印象で違和感を覚えたりもしました。しかしそう思った理由は“自分のピアノはこういう音”と自分で思い込んでいたからだとも思うんです。彼の仕事によって、僕が見えていなかった部分に光を当ててもらえたと感じています。
ー今後はどのような活動を予定していますか?
原 『PASSION』でピアノとアンビエントを深めることができたので、また違った音楽性にもアプローチしていきたいです。オーケストラが演奏してくれる機会はまだ決まっていませんが、そのときのために『Landscape in Portrait』や『PASSION』のオーケストレーションを始めています。ほかにもビート・アルバムをリリースしたいですね。コロナ・ウィルスの影響を受けて、こちらの準備が整えばライブ・ストリーミングも行ってみたいです。
ー今は自宅で『PASSION』を聴く方も多いと思いますので、お勧めの聴き方があれば教えてください。
原 僕の曲は、大音量で聴くと音の重なりや細かい変化が生き生きと聴こえてきますが、小さい音で聴くと“寝やすい”と言われることが多いんです。そういった二面性は、“Passion”という言葉が持つ“情熱”と“受難”の要素にも通じていると思います。聴こえ方が変化するように試行錯誤をしながら音作りをしたので、周りの許す範囲でレベル調整をして、家で両方を楽しんでいただきたいです。
『PASSION』
原 摩利彦
ビート:BRC-619
- Passion
- Fontana
- Midi
- Desierto
- Nocturne
- After Rain
- Inscape
- Desire
- 65290
- Vibe
- Landkarte
- Stella
- Meridian
- Confession
- Via Muzio Clementi
Musicians:原 摩利彦(k、prog)、井原 季子(笙)、栗林祐輔(能管)、 岩崎和音(santur)、他
Producer:原 摩利彦
Engineer:zAk、フランチェスコ・ドナデッロ
Studio:プライベート、ST-ROBO