グランドピアノに向かうときは必ず坂本さんの気配を感じています
2023年3月28日に坂本龍一さんが他界されて、1年を迎えた。この追悼企画では、ソロ作品を中心に坂本さんと共作したミュージシャンやクリエイター、制作を支えたエンジニアやプログラマー、総計21名の皆様にインタビューを行い、坂本さんとの共同作業を語っていただいた。
クラシック・ギターの弾き語りというスタイルで2010年に19歳でデビューした青葉市子。唯一無二な歌声は坂本龍一を魅了し、ラジオ番組でのセッションやコンサートでの共演など、数は多くないが特別な現場を共にしてきた。その濃密な時間は青葉に何を遺したのかを語ってもらうことにしよう。
テネシーで訃報を知らされて、その日のライブで「3びきのくま」を歌いたいと思った
——坂本龍一さんの存在を知ったのはいつでしょうか?
青葉 高校生の頃でしょうか。たまにテレビに出てくる人……芸能人みたいな感じで知っているくらいでした。私は本当に師匠の山田庵巳さんの音楽だけを集中して聴いてきた人間なので、他の音楽家のことをほとんど知らなかったんです。
——坂本さんの曲もご存じなかった?
青葉 はい、知らなかったです。私がデビューしてすぐ、細野晴臣さんが青山CAYでやっていた『デイジーワールドの集い』というイベントに呼んでいただいたのですが、そのときも細野さんの名前は知っていましたが曲は知りませんでした。
——そんな青葉さんが2012年リリースの3rdアルバム『うたびこ』で、坂本さんが大貫妙子さんと2010年に作った『UTAU』の「3びきのくま」をカバーしたのはなぜでしょう?
青葉 『UTAU』というアルバムが好きだったんです。というのも師匠が『音のブーケ』という大貫妙子さんのトリビュートアルバムに参加して「夏色の服」をカバーしていたんですね。それを聴いて大貫さんのことが好きになり、その道筋で『UTAU』と出会いました。『UTAU』を聴いて、いつもスタッフさんが話している“サカモトさん”ってこの人なんだと、ようやく一致しました。『UTAU』に収録されている「3びきのくま」は、もともとは坂本さんの「koko」という曲に大貫さんが歌詞をつけられたものだそうで、私は最初は鼻歌程度に歌っていたのですが、だんだん自然に歌うようになって、コンサートでちょっとずつ演奏するようになり、アルバムに収録することになりました。
——「3びきのくま」のどういうところが好きだったのですか?
青葉 大貫妙子さんのことが好きだったので、最初はメロディというより歌詞から入った感じでした。歌詞の世界観を想像しながら曲と結びつけていくという聴き方をしていました。実は「3びきのくま」は『うたびこ』をリリースしたころはよく歌っていたのですが、その後はしばらく歌わなくなっていました。自分が新しいアルバムをどんどん出していったので、その中の曲を歌うようになったからですね。それが昨年坂本さんが亡くなられたとき、私はアメリカツアーに出ていてテネシーで訃報を知ったのですが、その日のライブで歌いたいと思ったのが「3びきのくま」でした。ツアーはアメリカの後はヨーロッパを回るものでしたが、その全公演で「3びきのくま」を歌おうと決めました。歌っているうちに本当にこの曲の素晴らしさを再確認して……何て言うんでしょうか、地球の歌というより地球の外に出て地球を見ているような曲、ふるさとを感じるような曲なんだなと感じるようになりました。坂本さんとはもうおしゃべりすることができなくなってしまいましたが、それだからこそ、そういうふうに聴こえるようになったのかなとも感じてます。
「不和リン」の音楽的においしい部分を一緒に開拓してくださいました
——「3びきのくま」が収録された青葉さんのアルバム『うたびこ』は、坂本さんも気に入ってくださったらしいですね。
青葉 はい、それで何か一緒にやろうということになり、最初はUstreamのイベントに参加し、その後、2013年の元日に放送されたNHK-FMの『坂本龍一ニューイヤー・スペシャル』のセッションに参加させていただきました。
——坂本さんのほかに、細野晴臣さん、小山田圭吾さん、U-zhaanさんも参加されたスペシャルなセッションで、後に“青葉市子と妖精たち”名義で『ラヂヲ』というアルバムにもなりましたね。このセッションにお誘いいただいたときはどう思われましたか?
青葉 やるぞ!って思いました。U-zhaanさんと小山田さん、そして細野さんとはその前からも交流がありましたけど、坂本さんとご一緒するのは新しいことでしたので、ちょっとピリッとしました。坂本さんはものすごくシャキってされる方なんです。U-zhaanさんや小山田さんは和気あいあいとしながら演奏できちゃう先輩方なんですけど、坂本さんははっきりとした切り替えのスイッチが入る感じがあって、演奏する私たちだけでなく、その場に居るスタッフの人たちも一緒にシャキっとしましょうという合図ができる方なんだと感じました。ミュージシャンだけが楽しんで何かを作るのではなく、現場にいる人が自分事として立ち会えるような空気を作れるのが素晴らしいなと。それまで仲良くさせてもらっていた先輩方とまた違う魔法をかけてもらえる感じでしたね。
——プロジェクト全体の指揮者としての役割ができる方だったのですね。
青葉 ただ、私がそれにおじけづいてしまった瞬間もあって、細野さんに「ど、ど、どうしたらいいですか……?」って聞いたら、「好きにやって。じゃないと音楽が煌めかないから」と言ってくださって、とても和ませてもらいました。そのひと言のおかげで「奇跡はいつでも」と「Smile」をリラックスして演奏できましたね。
——『坂本龍一ニューイヤー・スペシャル』の収録で坂本さんと一緒に音を出されたとき、何か特別な感じを受けましたか?
青葉 ピアノの音が本当にきれいだなと思いました。それまで私はギターが好きでずっとギターを弾いていたので、ピアノを弾く人やピアノの曲は自分から掘るほどは開花されていませんでした。それが坂本さんの奏でるピアノは一音ポーンと弾かれた音がどこまでも高く昇っていくようで、とても奇麗……絶品だなと。このセッションのときは、確か私の1stアルバムの「不和リン」という曲を最初に演奏したと思うのですが、自分がデビューするとも思ってないときに書いた曲なのであまり意図がない……意志はあっても意図が無い曲なんです。ギターと歌だけですべてが完結していると思い込んでいた曲の中から、坂本さんは音楽的な本当においしい部分というか、こことここの音がぶつかるとこんなに幅が広がるんだよということを、一緒に開拓してくださいました。この曲の中にこんなに美しいハーモニーが隠れてたなんて、と本当に驚いてしまいました。
——『坂本龍一ニューイヤー・スペシャル』の収録は、リハーサルを何度もやってから本番の録音を行ったのでしょうか?
青葉 ほとんどリハはやっていなくて、坂本さんは初見で弾かれているように見えましたし、セッションでしか生まれてこない初めての感覚というのをあえて残されてるんじゃないかなと、今になって振り返ると思います。
——青葉さんはそのような即興的な演奏は得意だったのでしょうか?
青葉 そうですね、好きでした。七尾旅人さんはじめ、周りの先輩方と一緒に即興的な演奏で遊ぶということをよくやっていましたので。坂本さんもそういうところを見てくださっていたと思うし、ご自身も、作り込む音楽の美しさももちろん知りながら、予定調和じゃない音って言うんでしょうか、この子たちから何が出てくるんだろう?みたいな部分を楽しんでくださってたように感じます。
「Perspective」の日々のぜいたくみたいな歌詞を、坂本さんの声と一緒に歌えたのは特別にうれしかった
——青葉さんが参加された『坂本龍一ニューイヤー・スペシャル』が放送された年の暮れに、EX THEATER ROPPONGIで「細野晴臣×坂本龍一」コンサートが開催され、青葉さんもゲスト出演されましたね。
青葉 はい。あのときは坂本さんから「美貌の青空」と「Perspective」を歌ってほしいと言っていただきました。「美貌の青空」は『UTAU』に入ってたのでインプットされていたんですけど、「Perspective」は知らなくて、どんな曲?っていうところから入っていって……で、リハで歌っていたら坂本さんが「僕も歌おうかな」とおっしゃって、周りのスタッフの皆さんが“ぎょっ”としたのを覚えています。普段どれだけ坂本さんが歌わないかということを私は知らなかったので、本当に珍しいんだなと思うと同時に、とてもうれしかったです。本番のステージで一緒に歌わせてもらったときは、それはそれはあたたかく豊かな時間でした。「Perspective」は歌詞も素朴で美しい曲じゃないですか。特別なことばかりに目を向けていたら“歯を磨く”とか暮らしの中の煌めきが分からないというような、本当に日々のぜいたくみたいな歌詞が並んでいて、それを坂本さんの声と一緒に歌えたのは特別にうれしかったですね。
——結果的に青葉さんが坂本さんと一緒に音を出したのは、それが最後だったのでしょうか?
青葉 はい、最後だと思います。私がツアーをバリバリやるようになった時期でしたし、坂本さんもご病気をされてお休みされたりしていたので。テキストのやり取りはしていました。「どこかでお茶したいですね」って送ると、坂本さんから「明日ニューヨークに戻るからタイミングが合わず残念……」と。でも必ずいつかと返してくださったので、それを受けて「隣町のNY」という曲をすぐに書いて録音し、ファイルを送ったんです。「すぐ書いちゃうんだね」って返事が来て(笑)。
——坂本さんとの特別な交流を経て、今、一番好きな作品は何でしょうか?
青葉 一番は選べないです。先ほどもお話しましたように大貫妙子さんとの『UTAU』はずっと好きですし、最後の作品となった『12』もとても好き。あと、昨年『AMBIENT KYOTO 2023』を見に行って『async』の良さも感じました。
——『12』や『async』は青葉さんが普段やってらっしゃる音楽とはちょっとタイプが違いますよね。アンビエント的でメロディの要素は希薄ですが、そういうタイプの音楽にも魅力を感じるのですか?
青葉 私はコンサートやアルバムでは弾き語りのスタイルを採っていますけど、普段の暮らしの中で奏でる音楽は、“曲”っていう形のものじゃないことの方が多いんです。スケッチ的に音を出す……家の中を歩いてピアノの横を通るとき、そのついでに音を出したりとか、生活の中に音楽が散りばめられている瞬間が好きなんですよね。「さあ、弾くぞ!」っていう音よりも何気なく触れたときの音楽。なので『12』や『async』みたいな作品にも近さを感じます。
——今年2月16日に青葉さんが銀座のヤマハホールで行ったコンサートを配信で拝見したのですが、グランドピアノを弾かれていましたよね。弾いているのは確かに青葉さんなのですが、途中からなぜか坂本さんが弾いているかのように聴こえてきました……そこに坂本さんがいらっしゃるんじゃないかと。
青葉 ヤマハホールは、昔、私のマネージャーさんが坂本さんに『うたびこ』のCDを渡してくださった場所でもあるんですよね。それを覚えていたので、コンサート中に坂本さんのことを思い出してました。きっとここにも彼はいるって。
——実際に青葉さんのピアノの弾き方が、一つ一つの音の響きを確かめるような、まさに坂本さんのようにご自身で響きを聴きながら演奏しているような印象でしたので、聴き入ってしまいました。
青葉 うれしいです。2月のヤマハホールもそうですけど、グランドピアノに向かうときは必ず坂本さんの気配を感じています。ピアノにというよりかは、音の中にすごく存在を感じています。そういう意味ではお亡くなりになったという区切りも無く、坂本さんはずっと居続けているし、誰かの区切りのない音の中に編み込まれている。それを私たちは引き継いでいくのだと思います。そう思うと音楽という存在は本当に偉大だと感じられますね。肉体で奏でられる期間っていうのは限られているけれども、音の響きっていうのは今までずっと……それこそ宇宙の振動からずっとつながっていて、始まりも分からない、終わりも分からない。ほんの一滴、私たちがいるというだけのこと。その中でどんな遊びができるだろうかという方に意識を持っていきたいと思っています。私が坂本さんとご一緒させていただいていたのは、23歳頃のことでした。当時の対談を収録した映像を見ると、私は本当に何にも話せていない……音楽だけが独り歩きして人間がついてきていないんです。今、ようやく環境問題や、これから人間たちがどうやって生きていくといいかとか、そこに音楽がどうやって寄り添うと効果的かとか、夢を語るのではなくじゃあどうしようかという具体的な話まで楽しくできる年に自分がなったのに、そこに坂本さんがいらっしゃらないのは、本当に寂しいですね。手繰り寄せ、学び、受け継いでいきたいと強く感じています。
【青葉市子】1990年生まれ。2010年に1stアルバム『剃刀乙女』を発表以降、これまでに7枚のオリジナルアルバムをリリースし、最新作は“架空の映画のためのサウンドトラック”『アダンの風』(2020年)。歌とクラシックギターを携え、国内外で活動中。坂本との共演は、2013年元日OAのNHK-FM『坂本龍一ニューイヤー・スペシャル』、同年末のEX THEATRE ROPPONGIでの細野晴臣×坂本龍一公演など。坂本龍一+テイラー・デュプリー『Disappearance』(2013年)では青葉の心音がフィーチャーされた