テリー・ライリー インタビュー〜「A Rainbow in Curved Air」などの楽曲制作秘話から日本での創作を語る

テリー・ライリー インタビュー〜「A Rainbow in Curved Air」などの楽曲制作秘話から日本での創作を語る

私がここにいるのは音楽をもっとやりたいから。まだ学ぶべきことがある気がしています

1935年生まれの音楽家で、1960年代に「in C」や「A Rainbow In Curved Air」などの作品を発表し、ミニマル・ミュージックの祖の一人としても知られるテリー・ライリー。2020年2月、『さどの島銀河芸術祭』の視察のために来日後、世界的にパンデミックが流行したことをきっかけに、85歳にして日本に移住。現在は、山梨県北杜市で暮らしている。今回編集部では、ライリーの自宅に伺いインタビューを行ったほか、7月20日に国立音楽大学で開催された作曲公開講座の模様をレポート。伝説的音楽家が、いかに音楽と向き合い、創作を行ってきたのか。とくとご覧いただきたい。

手書きの譜面は制約がない

——日本に移住されて3年半ほど経ちました。日本での生活には慣れましたか?

ライリー ええ。ここでの暮らしには慣れました。日本語も少しずつ学んでいますよ。

——普段の1日のスケジュールの中で、楽器に触れたり作曲を行ったりする時間はどのくらいなのでしょうか?

ライリー ビジネスやほかの活動がなければ、ずっと音楽にいそしんでいます。夜遅くまでやっているし、朝起きてからもやっていて、日々続けるようにしています。

——演奏は録音もしているのですか?

ライリー 最近は、ほぼ毎日APPLE Logic Proに録音しています。Logic Proは前身のNotatorからなので、かなり長い間使っていますよ。編集やミックスもLogic Proで行っていますが、譜面は手書きで作成しています。日本に来てから楽譜作成ソフトは使っていません。

——それはなぜなのでしょうか?

ライリー ソフト上では自分がやりたいと思うことのすべてを表わせないからです。ソフトの扱い方について高度な技術を持った人なら別ですけどね。楽譜作成ソフトだと制約がある気が常にしているんです。私のやりたいことの中には、ソフトで行おうとするとテクニック的に複雑過ぎることがあるんですが、紙に描くことはすぐにできますから。

ライリーがスケッチブックに描く譜面の一部

ライリーがスケッチブックに描く譜面の一部

ライリーがスケッチブックに描く譜面の一部。「私の興味は、楽譜を芸術作品のように見せることにあります。楽譜それ自体が芸術作品のようであるので、音楽と切り離してもいいし、音楽と共にあってもいい。もしくは、単なる絵であってもいいのです。絵を描くことは、私にとっての新たな制作方法なんです」とライリーは語る

——ご自宅にはキーボードとして、ROLAND RD-2000とNORD Nord Stage 3がセッティングされています。

ライリー カリフォルニアに住んでいた頃はグランド・ピアノがメインの楽器でしたが、今はこの2つを使っています。数カ月前に購入したRD-2000は鍵盤のアクションが良い。ピアノ弾きにとって気持ちの良い弾き心地です。簡単に扱えるのもいいですね。Nord Stage 3が好きなのは、ピアノとシンセとオルガンの3つの楽器が兼ね備わっているから。特にシンセとピアノと楽器のサンプリング音源を組み合わせて弾くのが好きです。

——Nord Stage 3の方は、カリフォルニアのスタジオから移してきたのでしょうか?

ライリー そうですね。私はスーツケース1つで日本にやってきたので、カリフォルニアからはほとんど何も持ってこなかったんです。Nord Stage 3のほか、タンブーラも後から送ってもらいました。カリフォルニアにはほかに、KORG Triton Studio、YAMAHA TX81Z、ENSONIQ TS-12、SEQUENTIAL Prophet-5などもあります。

キーボードは2台用意。写真左のNORD Nord Stage 3はカリフォルニアのスタジオで使っていたものを、日本に移住してから取り寄せている。写真右は最近購入したというROLANDのステージ・ピアノ、RD-2000

キーボードは2台用意。写真左のNORD Nord Stage 3はカリフォルニアのスタジオで使っていたものを、日本に移住してから取り寄せている。写真右は最近購入したというROLANDのステージ・ピアノ、RD-2000。ライリーは「RD-2000には本当に満足しています。本体の色が黒しかないので、いつかレインボー・カラーに塗りたいですね(笑)」と語る。その奥にあるのは、弟子の宮本沙羅が使うYAMAHA YC61。足元にはスピーカーのYAMAHA HS5を配置しているが、ヘッドフォンでモニタリングすることが多いとのこと

インドの民族楽器タンブーラは、ライリーが26年間にわたり師事していたパンディット・プラン・ナートから譲り受けたもので、来日後にカリフォルニアから取り寄せている

インドの民族楽器タンブーラは、ライリーが26年間にわたり師事していたパンディット・プラン・ナートから譲り受けたもので、来日後にカリフォルニアから取り寄せている。「私の魂の一部だから、日本に来てからとても恋しかった。演奏するためには床に座らなければならないので、最近は沙羅に弾いてもらっています」とライリーは語る

マルチトラック録音の「A Rainbow in Curved Air」

——そもそも音楽を始めたきっかけは何なのでしょうか?

ライリー 物心ついた頃から音楽に対する情熱がありました。1935年生まれなのでテレビはもちろんインターネットもありませんでしたが、ラジオの前に陣取ってできるだけたくさんの音楽を聴いていました。主にポピュラー音楽でしたね。フランク・シナトラが出てきた頃、ポップ・ミュージックのスタンダード・ナンバーが現れた頃から聴いていました。

——最初に触れた楽器がピアノだったのですか?

ライリー 4歳のときにバイオリンを始めましたが、第二次世界大戦が始まって父親が海軍に入隊したため、南カリフォルニアに移住しました。だから私のバイオリンのレッスンはそこで終わっています。3年後にピアノが手に入り、勉強しはじめました。ラジオから流れる曲を耳で聴いて弾くことが好きでしたね。あとは、いとこがピアノ弾きだったので、彼が自分の知っている曲を教えてくれたんです。

——その後、いつ頃からミュージシャンとしての活動を?

ライリー プロとしての最初のコンサートは、1964年にサンフランシスコ・テープ・ミュージック・センターで行った「in C」のプレミアです。私がお金をもらったのはそれが初めてでした。確か100ドルほどもらったと思います(笑)。

——あなたの作品にはさまざまな要素がありますが、その一つとして電子楽器が欠かせない存在だと感じています。もともと電子楽器に興味はあったのでしょうか?

ライリー 最初に触れたのは電子オルガンです。シンセが出てきたのは私がNYに住んでいた頃で、1967年だったかな。ドン・ブックラ(BUCHLAの創始者)とは仲のいい友人で、彼は西海岸で電圧制御によるシンセを作っていました。その後、ボブ・モーグのMOOGも有名になりましたが、私は電子オルガンを弾くことへの興味の方が強く、その頃に鍵盤が2段式のVOX Super Continentalを買いました。私にとって初めての電子オルガンでしたね。これでコンサートを行ったり、ツアーに持っていったりしていましたよ。

——電子オルガンのサウンドがふんだんに取り入れられた1969年の楽曲「A Rainbow in Curved Air」は、当時としては珍しいマルチトラック録音による作品です。マルチトラックによって表現できることに変化はありましたか?

ライリー 私がCBS(現ソニー)と契約したときにはまだCBSにステレオのレコーダーしかなかったので、ステレオでレコーディングするつもりでした。CBSで最初にレコーディングしたのは「A Rainbow in Curved Air」B面の曲、テープ・ディレイとソプラノ・サックスによる「Poppy Nogood and the Phantom Band」でしたが、スタジオに行くと彼らが手に入れたばかりという4トラック・レコーダーがありました。次に「A Rainbow in Curved Air」のレコーディングに臨んだときには、真新しい、まだ誰も使ったことがない8トラック・レコーダーがありました。偶然にも、私が最初の使用者になったんです。あの曲にはまさにマルチトラックが必要だったので、どうやってスタジオで録音しようかと思っていたところだったんです。8トラック使えたのは本当に幸運なタイミングでした。頭の中ではマルチトラックのためのパートが既に出来上がっていましたからね。

——8トラックあったことで、「A Rainbow in Curved Air」で表現したいことが最大限に収録されたと?

ライリー そうですね。ミキシングの最中にもさらに2~3つのチャンネル加えました。確かAMPEX製のレコーダーだったと思います。

日本で購入したオーディオ・インターフェースのFOCUSRITE 18I20

日本で購入したオーディオ・インターフェースのFOCUSRITE 18I20

マイクは、NEUMANN TLM 102をセッティング

マイクは、NEUMANN TLM 102をセッティング

最近導入し、よく使用しているというヘッドフォンのSONY MDR-MV1

最近導入し、よく使用しているというヘッドフォンのSONY MDR-MV1

好きな曲を素材に別の曲を作りたかった

——1967年の楽曲「You’re No Good」や、1960年代にテープ・レコーダーを使って行ったオールナイト・コンサートなど、活動の初期ではテープ・ループも多用されていますね。

ライリー テープ・ループを作りはじめたのは、舞踏家のアンナ・ハルプリンのダンス・カンパニーのために音楽を作るようになってからです。1959年か1960年の話ですね。

——「You’re No Good」は、今では当たり前となったサンプリング的な手法を採られていますが、どのような機材で制作したのでしょうか?

ライリー 2チャンネルのパッシブ・ミキサーと、REVOXのテープ・レコーダー2台だけです。MOOGもあったので、イントロの長い部分はMOOGを使いました。

——ループという発想が主としてあったのでしょうか?

ライリー アイディアはあったんですが、どうやればいいのかは分からなかったので、自宅にある機材を使いました。本当に好きな曲を素材にして、別の曲を作りたかったんです。

——楽曲の終盤の混沌(こんとん)とした展開は、今聴いてもみずみずしさを感じます。

ライリー あの曲はフィラデルフィアのディスコから、踊れる曲を作ってほしいと言われて作りました。後半をカオティックにしたのは、踊れないようにするためだったんです。ディスコではみんなあれで踊ろうとしたようですが、結局無理だったので使われませんでした(笑)。

——現在ではサンプリングによるループを手軽に作成できるようになるなど、音楽制作環境も大きく変化しています。

ライリー 原始的なテクノロジーにはいつも引かれるものがあるので、もしテープ・レコーダーがあれば今でも使いたいと思うでしょうね。昔はテープ・レコーダーを使ったチャンス・オペレーション……例えば、音楽のあるセクションをレコーディングして、それを聴かずにただテープをカットしてループさせるということもよく行っていました。ほんの数回テープをカットして、好きなように貼り付ければいいんです。最初は自宅にテープ・レコーダーが1台しかなかったので、もう1台借りたりと、かなりローテクでした。「You’re No Good」を作るまでは、テープ・レコーダーから別のテープ・レコーダーに直接送ってミキシングを行っていましたよ。

——テープ・ループの手法は、現代の音楽にも大きな影響を与えていると思います。

ライリー テープ・ループは、当時の電子音楽でやれることの一つでした。友人のリチャード・マックスフィールド(アメリカの電子音楽家)のような洗練された人は、サイン波のトーン・ジェネレーターか、もしくは自然音を録音したものからループを作っていましたが、当時はやれることの可能性がそれほどなかった。新たなサウンドの音楽を作るためにできたことの一つが、テープ・ループだったんです。

ピックアップを内蔵するエレアコ鍵盤ハーモニカのSUZUKI Hammond Pro-44HPV2

ピックアップを内蔵するエレアコ鍵盤ハーモニカのSUZUKI Hammond Pro-44HPV2

ディレイ/リバーブ・エフェクターのEARTHQUAKER DEVICES Avalanche Runは、バイオリニストの勝井祐二を通じて手に入れたエフェクターとのこと

ディレイ/リバーブ・エフェクターのEARTHQUAKER DEVICES Avalanche Runは、バイオリニストの勝井祐二を通じて手に入れたエフェクターとのこと

音楽は情熱から生まれるもの

——あなたの代表作とも言える「in C」は、どのようにしてできたのでしょうか?

ライリー 「in C」を作る前、私は2年間ヨーロッパで暮らしていました。そこで過ごしていた最中、私は常に反復をベースにした曲を書こうとしていて、タイプの異なるさまざまな曲のスケッチを試みていました。ヨーロッパ滞在の最後の方にチェット・ベイカーと出会い、そこでライブ・ミュージシャンと共に反復するループを作るというアイディアが浮かびました。彼のバンドの音源を、各パートをカットしてループにして、コラージュのようにして別の形にしていったんです。その手法を、エレクトロニクスやテープ・ループの力を借りず、ライブ・ミュージシャンと一緒にやりたかった。その後私は、昼は大学院に通い、夜はサンフランシスコのクラブでピアノを弾いていたんですが、仕事に向かうバスの中で曲作りをしていたら、「in C」が頭の中で鳴りました。とてもエキサイトしましたね。素晴らしい光景で、あんな経験をしたことはそれまでありませんでした。

——当時は“ミニマル・ミュージック”というジャンルや呼び方自体がまだ明確に存在していなかったわけですが、受け入れられるか不安ではなかったですか?

ライリー そういうことはあまり心配しません。自分自身を満足させられるか、私が聴きたいものにすることを考えています。「in C」はあの時代に合った曲でした。人々が新しいコンセプト、新しい音楽だということを何とか理解してくれたんで、最初のレビューはとても有名な音楽評論家による実に驚くべきものでした。そのおかげで「in C」は軌道に乗り、世間の関心を集めることができました。

——先日、東京都立川市の国立音楽大学でワークショップ形式による「in C」の公開講座が行われました(編注:後編の記事でレポートを掲載)。学生たちへの指導が的確で、みるみる演奏が良くなっていくのに驚きましたが、演奏を聴いて“こうした方がいい”というのはすぐに分かるのでしょうか?

ライリー 「in C」は常に変化します。決まったオーケストレーションはないので、私はまず彼らがやっていることを聴いた上で、彼らに演奏の助言をしないといけなかった。これは私にとっても楽しいことです。今回はグルーブを見つけることがそれでしたね。

——うまく演奏するにはやはり練習も大切ですか?

ライリー 音楽は練習から生まれるのだと思っている人がいるかもしれませんが、実は音楽は情熱から生まれるものであって、その情熱が練習させるんです。私はピアノの教則本を使ったことは一度もないのですが、それは情熱を傾けられないからです。例えば、その音楽が大好きだというだけの理由でバルトークをひたすら弾くというのが私にとっての練習でした。だから、プレイを楽しまないといけない。音楽学校で学ぶのは、“このスケールのエクササイズをやりなさい”といったことですよね。そうすると機械的になり、自分のプレイを聴かなくなるし、覚え方が無味乾燥すぎて音楽への気をそいでしまう。演奏を楽しむべきなんです。

ライリーと宮本沙羅は、毎日のように向かい合ってセッションを行っているそう。ライリーいわく「私がインドでパンディット・プラン・ナートから学んだ曲やアプローチを、そのまま沙羅に伝えようとしています。口頭伝承で、表記された音楽ではないので、耳で聴いて、師匠のサウンドを再現しようとするしかないのです」とのこと。またライリーは、昨年の5月から月に1度、鎌倉でラーガの授業を行っている

ライリーと宮本沙羅は、毎日のように向かい合ってセッションを行っているそう。ライリーいわく「私がインドでパンディット・プラン・ナートから学んだ曲やアプローチを、そのまま沙羅に伝えようとしています。口頭伝承で、表記された音楽ではないので、耳で聴いて、師匠のサウンドを再現しようとするしかないのです」とのこと。またライリーは、昨年の5月から月に1度、鎌倉でラーガの授業を行っている

多くの日本の都市でプレイしたい

——作曲において心がけていることはありますか?

ライリー 私の好きなタイプの音楽は、作曲においてパフォーマーがオープンであるもの。つまり、アンサンブルやミュージシャンのバックグラウンドによって、さまざまな方法でプレイできるものです。組立てキットのようなもので、演奏者にさまざまなパターンを与えて、それをどうまとめるかは彼らが決める。例え同じ曲であっても、アンサンブルやミュージシャンによって異なる印象を与えるような楽曲であってほしいんです。

——世界中のリスナーが今でもあなたの音楽を聴き続けています。このような状況は想像できましたか?

ライリー そういうことはあまり考えていません。それが起こりつつあることには気づいていて、私が編み出したテープ・ループなどのテクニックが、ロック・バンドや商業音楽に使われるようになった。かなり幅広いタイプのミュージシャンの間にあれだけ早く広まったことには驚きました。

——10月には、『さいたま国際芸術祭2023』『AMBIENT KYOTO』『久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.10』など、多数のコンサートを予定されています。その元気の源はどこにあるのでしょうか?

ライリー 音楽です。すべては音楽から生まれています。私がいまだにここにいるのは、まだ音楽を、もっとやりたいからです。学ぶべきことがもっとある気がしています。

——最後に、今後の目標というのはありますか?

ライリー 目標があるかどうかは分からないですが、生き続けたい。そして音楽を続けられるのなら、なおうれしいです(笑)。日本人は、私のこれまでのファンの中でも最高なので、今の目標は、生きている間にできるだけ多くの日本の都市でプレイすること。そして、日本のミュージシャンやファンとの交流を続けることです。エキサイティングな国だし、皆さん音楽に対して好奇心旺盛で、情熱を持っていて、それは私にとっても合っている。音楽をもっとプレイして、もっと交流することこそ、私が日本でできる最高のことですね。

 

テリー・ライリー


続いては…国立音楽大学で行われたワークショップ形式による「in C」の公開講座をレポート!

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