NODA・MAP 第26回公演『兎、波を走る』〜原 摩利彦が音で描く世界

NODA・MAP 第26回公演『兎、波を走る』〜原 摩利彦が音で描く世界

サウンドトラックは観劇した方の追体験として、その世界を持って帰るという楽しみ方ができる

劇作家であり演出家、そして役者でもある野田秀樹が率いるNODA・MAPが、第26回公演となる新作舞台を上演した。タイトルは、『兎、波を走る』。7〜8月にかけて東京、大阪、福岡を巡って行われた本公演で、音楽プランナーとしてメイン・テーマからSEまであらゆる舞台上の音を手掛けたのが、作曲家の原 摩利彦だ。これまでも原は、『足跡姫~時代錯誤冬幽霊~』『贋作 桜の森の満開の下』『フェイクスピア』といったNODA・MAP作品の音楽を多く手掛けてきた。役者や多くのスタッフとともに作り上げる音の世界を紹介していこう。

NODA・MAP第26回公演『兎、波を走る』
作・演出:野田秀樹

NODA・MAP第26回公演『兎、波を走る』

野田秀樹による2年振りの新作舞台。現代社会を見つめる鋭い視座と圧倒的な語彙から生まれる破格のストーリーテリングによって、観客に生の演劇の快楽と予測不可能な衝撃を届け続ける野田作品。本作品は、“つぶれかかった遊園地”を舞台に繰り広げられる“劇中劇(ショー)”のようなもので、“アリス”やある世界的な“稀代の劇作家”まがいの人間までもが登場するという。

【出演者】
高橋一生 松たか子 多部未華子
秋山菜津子 大倉孝二 大鶴佐助 山崎一 野田秀樹、他

【東京公演】東京芸術劇場プレイハウス:2023年6月17日〜7月30日
【大阪公演】新歌舞伎座:2023年8月3日〜8月13日
【博多公演】博多座:2023年8月17日〜8月27日 

ワークショップでのリファレンスなどを元に練り上げる

──野田秀樹さんの作品に参加されたきっかけは?

 2015年の『東京キャラバン』というイベントが最初で、彫刻家の名和晃平さんに紹介してもらいました。そのときに、それまでダムタイプの高谷史郎さんの現場などでやってきた、その場で録音して加工するような作り方を野田さんが面白がってくれて、NODA・MAP第21回公演『足跡姫~時代錯誤冬幽霊~』(2017年)で声をかけてもらったんです。歌舞伎の要素がある作品で、“サウンドデザイン”という肩書で入りました。

──『兎、波を走る』は“音楽”というクレジットで参加されていますが、“サウンドデザイン”とどう違うのですか?

 大きな違いはメイン・テーマを書くかどうかですね。“音楽・効果”で参加した『贋作 桜の森の満開の下』(2018年)、『フェイクスピア』(2021年)、そして今回の『兎、波を走る』はメイン・テーマを含め僕が全部音楽を書いています。NODA・MAP内では音楽プランナーと紹介され、音響プランナーの藤本純子さんが実際の鳴らし方やオペレーション、劇場の機材面をカバーしてくれるので、2人体制です。

──開演前の客席に流れる客入れ曲の選定も原さんが手がけたそうですが、どのような基準で行われたのですか?

 今回の作品は、よど号事件や成田闘争の話も出てくるので1960〜70年代の曲がいいんじゃないかと野田さんからリクエストがあり、AIやメタバースなどの話も出るので、僕は2010年代ぐらいのベイパーウェーブの選曲をしました。さらに現代ということで、今年亡くなってしまった高橋幸宏さん「SARAVAH!」と坂本龍一さん「Ballet Mecanique」を入れています。開演直前にかけたのは1960〜80年代に韓国で活躍したMAENG WON-SIK & HIS JAZZ ORCHESTRAというビッグバンドの「Think About A Friend」で、実は誰にも分からないように本編への伏線を敷いているんです。客入れ曲も本編につなげるという考えは前作『フェイクスピア』からで、大滝詠一さんが亡くなられた年だったので「夢で逢えたら」を入れて、本編でも夢の話につながっていました。

──オファーを受けてからの制作の流れを教えてください。

 野田さんの作品は、稽古が始まる前にやるワークショップで試すことが本編の中にかなり組み込まれるので、稽古はもちろん、ワークショップも行かないと乗り遅れるんです。そこで役者の方の動きや舞台美術などのトライアルを見たり、リファレンス曲を聴いたりして、少ない情報を元にこちらで練り上げます。メイン・テーマは稽古初日に野田さんに聴いてもらって、そこから本格的に進めました。

五線譜のノート(左)と、『兎、波を走る』の台本(右)

五線譜のノート(左)と、『兎、波を走る』の台本(右)

メイン・テーマの元になった譜面メモ

メイン・テーマの元になった譜面メモ

──その段階ではどういった状態のデモなんですか?

 演奏者のスコアも自分で書くので、STEINBERG Doricoで楽譜を書いて音源化することが多いです。しかもDoricoのプレイバックに使っているWALLANDER Note Performerがアップグレードして、手持ちのSPITFIRE AUDIO BBC Symphony Orchestraなどのライブラリーに差し替えて再生できるので、相当いいデモが作れるようになりました。

──そこから実際の作業はどのように進むのですか?

 メイン・テーマは走らせつつ、SEとそのほかの音楽を並行して進めます。野田さんの芝居は、本をもらった段階ではつかめなくて、野田さんと役者の方たちの読み合わせで少し輪郭がつかめて、ここに音が要るなって分かってくる。1〜2週間で大体決まってきて、100個近くの必要な音のリストがやっとできます。現場にはある程度曲を持っていって、野田さんに“原君、ここちょっと何か要るな”って言われたら、野田さんが違う話をしている間にガーッと作って、オペレーターの方にかけてもらって。“こういう感じで行こう”ってなったら持ち帰って作り込むので、すごく回転が速いです。

稽古に立ち会い、どの場面に音が必要か台本に書き込む

稽古に立ち会い、どの場面に音が必要か台本に書き込む

──ということは稽古場に機材を持ち込んでいるのですね。

 APPLE MacBook ProとSOLID STATE LOGIC SSL 2+、KORGのMIDIキーボード、IK MULTIMEDIA ILoud Micro Monitorを持ち込んで、東京の滞在場所ではNATIVE INSTRUMENTS Komplete Kontrol A49を使っています。

──ソフトはどのようなものを使うのですか?

 SEと曲を並行して作るときにアプリケーションがかぶるとやりにくいので、DAWはSTEINBERG Nuendo、ABLETON Live、AVID Pro Tools、BITWIG Bitwig Studioを並行して使うんです。32ビット・フロート/96kHzで作って、劇場では藤本さんがLiveで24ビット/48kHzで再生します。ソフト・シンセはNATIVE INSTRUMENTS KompleteやU-HE Diva、SPECTRASONICS Omnisphereなどを使いました。

京都に位置する原 摩利彦のプライベート・スタジオ。写真正面と右側の2カ所に制作スペースを構築し、複数曲を並行して作業できるようにしている。写真左のアップライト・ピアノは、SHIZUKAの調音パネルで囲まれている。

京都に位置する原 摩利彦のプライベート・スタジオ。写真正面と右側の2カ所に制作スペースを構築し、複数曲を並行して作業できるようにしている。写真左のアップライト・ピアノは、SHIZUKAの調音パネルで囲まれている。

モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL906、MIDIコントローラーはNATIVE INSTRUMENTS Komplete Kontrol S88とICON Platform M+を使用。オーディオI/OはRME Fireface UCX

モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL906、MIDIコントローラーはNATIVE INSTRUMENTS Komplete Kontrol S88とICON Platform M+を使用。オーディオI/OはRME Fireface UCX

右側のデスクはモニター・スピーカーECLIPSE TD-M1を設置。画面には楽譜作成ソフトSTEINBERG Doricoが起動。ヘッドフォンはSENNHEISER HD 650。右奥は、原が「何回やってもうまくいかなかったオーケストレーションがこれですんなり理解できた」と話す書籍『The Study of Orchestration』(サミュエル・アドラー著)

右側のデスクはモニター・スピーカーECLIPSE TD-M1を設置。画面には楽譜作成ソフトSTEINBERG Doricoが起動。ヘッドフォンはSENNHEISER HD 650。右奥は、原が「何回やってもうまくいかなかったオーケストレーションがこれですんなり理解できた」と話す書籍『The Study of Orchestration』(サミュエル・アドラー著)

役者とスタッフが同じフィールドでずっとやり続ける

──「Elegy (Main Theme)」はどのように作ったのですか?

 最初にメイン・テーマを作るときは、作品の結末は聞いてないんです。でもコラボレーションするときは“どうしましょう”ってディレクターと向き合うんじゃなくて、野田さんがどこを向いているか考えながらやる方がうまくいくというか。今回はメインのメロディに対して違うコード付けを4パターンくらい作りました。最初にユーフォニアムで吹いたメイン・メロディをチェロとビオラが同じメロディ、異なるコードで受け継ぎます。次のバイオリンで大きく歌うところは最初のコードと一緒で、次の松さんの歌が入るところはまた違うコードです。メイン・テーマを作るのは、どの作品もめちゃくちゃしんどいですね。できてからも吟味に時間がかかって。でもだんだん自信が付いていきます。

──曲中でのテンポ感の変化はどのように付けましたか?

 小節とか拍単位でテンポを変えています。最初はデモをループで流して、稽古中に台本を見ながら8小節の区切りを書いていって、大体の流れをつかむ感じです。

──結末が分かってから曲が変わることもありますか?

 プランとして最初と最後は違うアレンジでいこうと思ったんですが、鳴らしてみたら同じ編成でいけました。野田さんの舞台は場面がバンバン変わって1場面で最初の1メロディしかかからなかったりするので、曲の後半を使うと印象が変わるんです。以前『贋作桜の森〜』の稽古中に野田さんから、“音楽的に構成するのはもちろん分かるけど、芝居は“ここ”ってところで一番良いところをバンッと出すことも必要なんだ”ってポロッと言われたことがあって、それがすごく残ってて。それ以降は、音楽的な構成と芝居で必要な構成をしっかり見分けて、1曲作ってどこでもいいから使ってくださいというのではなく、一番良い状態の構成で渡しています。

──「Elegy (Main Theme)」「Vocalise」で聴くことのできる松たか子さんの歌声は本当に素敵ですね。

 舞台の面白いところとして、役者とスタッフが同じフィールドでずっとやり続けているので、松さんには稽古場で直接お願いできました。母と娘の言葉にできない気持ちと、娘に対する子守歌に近い語りかけには、歌詞がない「Vocalise」をぜひお願いしたかったんです。松さんが歌うメロディは3回出てきますが、それぞれ少しずつ違って、口を閉じ気味でつぶやくようなところから、少し広がっていくようにお願いして、見事にやってくださりました。松さんの声は最後の最後、幻想の中で一瞬母と子が会える瞬間に当てました。

アナログ・シンセのMOOG Moog One

アナログ・シンセのMOOG Moog One

祖母から受け継いだというRUBINSTEINのアップライト・ピアノ

祖母から受け継いだというRUBINSTEINのアップライト・ピアノ

遊ばせてもらいながら自分の音楽を拡張できる

──舞台で音を鳴らす上での工夫はありますか?

 メイン・スピーカーと舞台奥のスピーカーのどちらに音像を持っていくかなどのプランを立てますね。藤本さんとはだいぶ一緒にやってきたので、最近はあまり打ち合わせをしなくても判断してくれてます。野田さんの芝居はマイクを付けないんで、セリフと音域が当たる場合は、オクターブを下げたり楽器や音色を変えたりしますね。生楽器はエンジニアの原真人さんに奇麗に録ってもらっているので、あまりエフェクトはかけず自然な状態で鳴らしました。ストリングスが重なり合う「Mirrors」は、デモでもう少し盛り上がりが後ろにあったのを、高橋一生さんの“安明進”という重要な告白に向けて展開するように作り変えていて、稽古場ではエモーショナルになりすぎるかと思ったんですけど、劇場だと小さい音でも繊細に聴こえたので、音量を下げればOKでした。

──レコーディングはいつ行われたのですか?

 舞台初日の約2週間前にAVACO STUDIOのRecording 301で録りました。録音初日には野田さんに来てもらって、作品についての思いを話してもらいました。それがあると、すごく気持ちが上がって演奏がぐっと引き締まるんです。

AVACO STUDIOでのレコーディング初日には、野田秀樹が奏者に対して作品に対する思いを語った

AVACO STUDIOでのレコーディング初日には、野田秀樹が奏者に対して作品に対する思いを語った

──オーケストラはどのような編成で録音したのですか?

 今回ドヴォルザークのシンフォニーの「Largo」を編曲したので、少ない編成だと良くないと思って、ストリングスだけでも8-6-4-4-2の比較的大きい編成にしました。「Elegy (Main Theme)」はストリングスとブラス・セクション、クラリネットも入れた編成です。作品の最初の一生さんのセリフが一つの冒険譚(ぼうけんだん)の始まる船出みたいな感じで、ブラスの伸びやかな音色が浮かんできたので、メインのメロディはユーフォニアムで吹いてもらいました。レコーディングのときは、僕がブースに入って指揮をして、奏者とコミュニケーションを取っています。パート譜を分けたりするのは稽古場でNODA・MAPの制作の方も手伝ってくれましたね。面白いのは、そこで一生さんが“今回のスコア?”みたいに話しかけてくださったり、松さんと“何人編成でストリングス録るの?”“30人です”“めっちゃ多いじゃん!”みたいな会話もできるんです。

レコーディングでは原がブース内で指揮を執る

レコーディングでは原がブース内で指揮を執る

──役者の方から音楽についてお話はあるんですか?

 一生さんには今回の曲のデータを送ってほしいと言われたり、松さんからは、曲に対してセリフのタイミングをこうしてるけど、曲との当たりはいいのかという話などありました。舞台はセリフの速さなどによって少し尺が揺れますが、一生さんも松さんも音に対しての感覚が素晴らしいので、最も良いところは逃さないという印象があります。

──作品を通して、音楽が担う役割の大きさを感じました。

 野田さんの作品は、メインの話は重くても、それ以外で自由に楽しんで書けるのが面白くて。例えば、一生さんが舞台の外へ逃げる映像と一緒に流れる「Escape」は、古い白黒映画のようなイメージで、スル・ポンティチェロという奏法を使って、少しピッチが危ういところから始まり、どんどん展開させました。サントラには入っていない、秋山奈津子さんが歌う「子供なんているもんか」は、ト書きに“子守歌のように聴こえない子守歌”とあったので、秋山さんが読み合わせで歌ったメロディを採譜してアレンジしました。

グランド・ピアノを演奏する原

グランド・ピアノを演奏する原

──「Imjin River(イムジン河)」のアレンジもすごいですね。

 コル・レーニョというバイオリンの駒(ブリッジ)をたたく奏法をダブルで入れてます。ゲームに見立てた場面なので最近のリアルなゲームの音を考えてPolar Mのディストーション・ギターを入れたり、ブラスも入れて、なおかつ舞台では爆撃音などのSEがたくさん入るので電子的な厚みも付けつつ大きい音をバンバン入れました。

──サウンドトラックとしてまとめる上で意識することは?

 舞台だと使われるところが限られますが、独立した音楽としても成立するように作っているので、フルで聴けるのがサウンドトラックのいいところだと思います。芝居は消えゆくものなので、観劇した方の追体験としてもサウンドトラックは良くて、観劇後にその世界を持って帰るという楽しみ方ができるし、自分も本当に本当に一生懸命作るので、誰でもアクセスできる状態で残しておきたいという気持ちがあります。

──最後に、『兎、波を走る』の音楽を作り終えて、どのようなお気持ちかお聞かせいただけますか?

 野田さんの作品は6回目で、やっぱり信頼を感じるんです。その中でこちらも一生懸命作りますし、遊ばせてもらったりもしながら自分の音楽を拡張できて、芝居にも良いフィードバックができるところがうれしいですね。昔、野田さんがインタビューで“原君は遊んでいるのが良くて、それがなくなったら良くない”ということを言っていて、“遊び”は挑戦みたいな感じだと思うんですけど、それをずっとやれているので楽しいです。飛躍する空間や時空の表現も含め、そこに人がいる“舞台”だからこそできることがあって、野田さんと知り合ってからその演劇の魔力に魅了されています。その中で音の世界を全部任せてもらえるのはうれしいですね。

Release

『《兎、波を走る》Original Soundtrack』
原 摩利彦
(ADAGIA)
ADG-012 / ADCD-01

Musician:原 摩利彦(p)、松たか子(vo)、須原杏(vln)、大嶋世菜(vln)、伊藤彩(vln)、沖増菜摘(vln)、白須今(vln)、加藤由晃(vln)、高橋和葉(vln)、河邊佑里(vln)、荒井桃子(vln)、新井桃子(vln)、銘苅麻野(vln)、根本理恵(vln)、佐藤帆乃佳(vln)、波多野敦子(vln)、名倉主(vln)、三輪紫乃(vln)、小林万理能(vln)、渡邊達徳(vln)、角谷奈緒子(viola)、河村泉(viola)、飯野和英(viola)、大辻ひろの(viola)、秀岡悠汰(viola)、武市華奈(viola)、関口将史(cello)、多井智紀(cello)、吉良都(cello)、竹下花音(cello)、千葉広樹(contrabass)、西嶋徹(contrabass)、最上峰行(english horn)黒川紗恵子(cl)、新井秀昇(euphonium)、國井沙織(horn)、岡田彩愛(horn)、直井紀和(trombone)、若林毅(tuba)、Polar M(g)
Producer:原 摩利彦
Engineer:原真人、原 摩利彦
Studio:AVACO、プライベート

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