収集でコミュニケーションの欲求を満たしたレコード・ディガーの先駆者ハリー・スミス 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.122

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ハリー・スミスは語る 音楽/映画/人類学/魔術

ハリー・スミスは語る 音楽/映画/人類学/魔術

 

『ハリー・スミスは語る 音楽/映画/人類学/魔術』 ラニ・シン 編 湯田賢司 訳(カンパニー社) ハリー・スミス(1923〜1991年)のインタビュー集。音楽好きの間では、1926年から1933年ごろまでのアメリカの大衆音楽を収録する『Anthology of American Folk Music』を編纂した人物として知られる

 


 ハリー・スミス(1923〜1991年)のインタビュー集『ハリー・スミスは語る 音楽/映画/人類学/魔術』が、昨年翻訳出版された。
Wikipediaに“アメリカ合衆国の芸術家、画家、音楽家、評論家、学者、奇術師、詩人”と記されているスミス。彼はビートニク世代であり、ニューヨークのアンダーグラウンド・カルチャーにかかわって自らを実験映画作家やビジュアル・アーティストと位置付けていたが、音楽好きの間では『Anthology Of American Folk Music』(以下アンソロジー)の編纂者として有名だった。1952年にFolkwaysからリリースされたアンソロジーは、1926年から1933年ごろまでのフォークやブルース、カントリー、ケイジャン、ヒルビリー、ゴスペルといったアメリカの大衆音楽をコンパイルした6枚組のレコードで、スミスが個人的に収集していた78回転のSP盤の音源が収められている。このアンソロジーがアメリカでフォークの復興をうながし、ボブ・ディランら多くのアーティストの出現につながった。後にポピュラー音楽の発展に寄与したとされ、3枚組のCDでリイシューされた際にグラミーを受賞している(1998年)。

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『Anthology of American Folk Music』 V.A. (Smithsonian Folkways) バラード、ソーシャル・ミュージック、ソングの3テーマに分類された全84曲を収録する作品。1952年にリリースされたこの6枚組レコードは1997年に、3枚組のCDとしてリイシューされて、翌年グラミーの最優秀歴史的アルバムと最優秀アルバム・ノーツの2部門でグラミーを受賞した。現在ではストリーミング・サービスでも多くの曲を聴くことができる

 

 アンソロジーは忘れ去られていた音楽を学術的な観点から集めたものではなく、“古くて奇妙なアメリカ”を再発見するスミスの好奇心から生まれたものだった。僕がケイジャン音楽のトランス的な魅力に初めて気が付いたのはアンソロジーがきっかけだったが、スミスはアメリカの実験音楽と呼応するサウンドとしても提示していたと思う。

 

 このインタビュー集ではアンソロジーをまとめたスミスの意図も解き明かされていくのだが、奇人とも称されたスミスの時に脱線して質問とかみ合わない答えの中からも興味深い視点が次々と現れてきた。先ごろ残念ながら死去した名プロデューサーのハル・ウィルナー氏が聞き手となって、アレン・ギンズバーグがスミスの思い出を語る序章から始まり、年代の異なる7つのインタビューが収められている。中でも特に充実しているのが、1968年にフォーク専門誌『Sing Out!』に掲載されたインタビュー(未掲載部分を追加)。聞き手は、アンソロジーに影響を受けたフォーク・リバイバルで登場した代表的なグループ、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのジョン・コーエンだ。

 

 これを読むと、スミスはレコード・ディガーの先駆者だと分かる。彼は第2次世界大戦中の1940年ごろからSP盤の収集を始め、倒産したレコード・ショップが放出した在庫や、溶かして再利用するために廃材として売りに出されたレコードから“お宝”を掘り出していった。それらをFolkwaysの創業者モーゼス・アッシュ氏に売り込み、アンソロジー編纂後はニューヨークの公共図書館に売ってしまうのだが、彼はアンソロジーがすべてを網羅するものとは考えておらず、アカデミズムに対しての説得力を持たせながらも“聴く人が自分で歌いたくなり改良してカバーしたくなる音楽”を選択の基準にした。スミスは“人類は古いレコードを延々といじくっていたらダメなんだよ。それならラジオのスイッチを入れるほうがいい”と言い放ち、自らのアンソロジーも当時隆盛を極めたラジオの即効的な手軽さに比べて有効性が無いとした。

 

 スミスはレコードから見つけ出した音楽に非常に魅了されてはいたのだが、レコード収集は、彼が書物や骨董品、奇妙なオブジェなどの収集、あるいは録音に勤しんだ(マイクの扱いの天才だとギンズバーグは讃える)のと同じように、“物を収集することによって、どうにかしてコミュニケーションを取りたいという欲求を満たそうとしていた”と自己説明する。人は誰でも自分の文化的な背景に従ってコミュニケーションを取ろうとしている、とスミスは考えたのだ。レコードはそれぞれの持つ背景を映し出し、共通する何かを教えるという。

 

 このスミスの視点は、民謡を採集した1882年オーストラリア生まれのピアニスト/作曲家、パーシー・グレインジャーの話を思い起こさせた。音楽学者の柿沼敏江氏は著書『アメリカ実験音楽は民族音楽だった』で“素朴(プリミティブ)な音楽は訓練されていない現代人の耳には複雑すぎる”というグレインジャーの言葉とともに、その特徴を紹介している。グレインジャーはEDISON BELL社からフォノグラフ(ろう管録音機)を借り受け、イギリスに渡ってイングランドやスコットランドの民謡の採集を続けた。彼は第一次世界大戦を機にアメリカに移住し、ニューヨークで卓越した演奏能力を持つビルトゥオーゾ・ピアニストとしてコンサート活動を行ったが、デンマークなどに赴いてフィールド・ワークも続けた。

 

 “プリミティブな人々の生活においては、会話や動作、服装などの日常的なものの中に芸術的な刺激や関心が強烈に刻印されている”と述べるグレインジャー。彼はフィールド・ワークで方言や冗談、態度や服装まで綿密に記録していったという。同時代に同じく民謡に関心を抱いたバルトーク(1881年ハンガリー生まれ)が民謡を“単純な美”とみなして自身の前衛音楽に加えたのとは対照的に、グレインジャーはいかに民謡のような複雑な音楽を作るかを模索し、自分でデザインした洋服を着用したり、音程や拍の制約から逃れて、後のアメリカ実験音楽の先駆けともなるフリー・ミュージックを構想したりした。

 

 スミスが収集物に見出したコミュニケーションを取りたいというプリミティブな欲求と、グレインジャーがフィールド・ワークで知ろうとした生活に組み込まれる複雑な民謡の探求は、共に民俗音楽と芸術音楽の境界をあいまいにする。そして興味深いのは、そうした欲求と探求心は今もなお有効な視点をもたらすこと。音楽が“改良してカバーしたくなる”誘惑をもたらすのは、今もコミュニケーションを誘発するからだ。そして音楽のフィールド・ワークはインターネットの世界においても有効である。SP盤時代の音楽だけではなく、アーカイブされ始めたこの数十年のオブスキュアな音楽に何を聴くのか、その指針を与える。

 

 スミスのインタビューには“ディガー”という言葉が登場する。これはヒッピー文化のメッカであったサンフランシスコのヘイトアシュベリーに形成された、ディガーズというラジカルなコミュニティ・アクション・グループを指す。ディガーズは無料のコンサートや食事の提供など、私有財産の無いビジョンを共有した。レコードをディグすることは、資本主義社会においてはちょっとした投資行動になり得る。スミス自身はそうして日銭を稼いだ先駆者でもあるのだが、ディグられてアーカイブされた音源が今デジタル空間を中心に共有されてもたらしているのは、新たなコミュニケーションと聴取の可能性だということもスミスのインタビューは教えてくれているのだ。

 

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『The Harry Smith Project: The Anthology Of American Folk Music Revisited』 V.A. (Shout! Factory) 2006年に発売された『Anthology of A merican Folk Music』へのトリビュート企画盤。ベック、ベス・オートン、ウィルコをはじめ、ルー・リードやヴァン・ダイク・パークなどが参加している

 

The Harry Smith Project Live (July 2, 1999 - April 26, 2001)

The Harry Smith Project Live (July 2, 1999 - April 26, 2001)

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