ストリーミング時代のオルタナティブ!〜その(2) オノ セイゲンが推す「DSDライブ・ストリーミング」

オノ セイゲン●サイデラ・パラディソ代表取締役。レコーディング/マスタリング・エンジニア、プロデューサーとして世界的アーティストの作品を数多く手がけるほか、自身もアーティストとして活動している オノ セイゲン●サイデラ・パラディソ代表取締役。レコーディング/マスタリング・エンジニア、プロデューサーとして世界的アーティストの作品を数多く手がけるほか、自身もアーティストとして活動している

AWA、LINEミュージック、そしてApple Musicと、今年に入って次々サービスが開始された「定額制の音楽ストリーミング・サービス」。その利便性ゆえデファクト・スタンダードになりそうな気配が濃厚だが、“いや、そんなことはない!”と、別のサービスや方法を提唱している人たちがいる。そんな人たちの声を、数回にわたって伝えていくのがこの連載だ。前回の高橋健太郎氏に続き、第2回は1ビット方式によるハイレゾ・フォーマット=DSDの第一人者であるエンジニア、オノ セイゲン氏に「DSDライブ・ストリーミング」の魅力について語っていただこう。

作り手が最高解像度のマスターを作っておくのは大前提

──セイゲンさんはご自身で定額制ストリーミング・サービスは利用されていますか?

Apple Musicはインストールしましたけど、やっぱり聴く時間が無いんです。そもそもエンジニアという職業は、一日中同じプロジェクトで音楽を聴いてますから、仕事以外の音楽を聴く時間がなかなか取れない。せいぜいYouTubeを聴くくらいです。ちなみにYouTubeの音を良くしようということを個人的にやっていて、GMLのパラメトリック・イコライザー8200で、YouTubeから流れてくる音を瞬時にEQして聴く……職業柄2秒で音が出来上がります(笑)。

──そのトリートメントでYouTubeの音も良くなるのですか?

いや、元がダメなのは良くなりませんよ。最近、YouTubeも4Kの映像が増えてきて、それらは音声も大本がハイレゾ・データだったりするから、それがダイレクトに変換されているものは音が良くなります。

──元々の音声データのクオリティが高いか低いかによって、YouTubeでの再生音も変わってくるわけですね。

そうです。同じことはダウンロード配信についても言えるんだけど、大本のファイルが24ビット/96kHz以上のスペックで作られていると、AACでダウンロード配信されても非圧縮のCDよりかなりいい。ヨーロッパでは業界のスタンダードがかなり前から24ビット/96kHzになっていますし、アップルもMasterd for iTunesでは同じようにしています。より大きい解像度のものからエンド・ユーザー向けのファイルを作るというのが大事なんです。

──ミュージシャン側が“ユーザーが聴くのはCDや配信の16ビット/44.1kHzがほとんどだから、それと同じフォーマットで仕上げればいい”と考えるのは、良くないことなのでしょうか?

作っている人はとにかく最高解像度のマスターを作っておくのが大前提。放送の世界だって、電波に乗る帯域で圧縮されるからといって、何でも48kHzでいいわけがない。放送番組用に制作したコンテンツを子会社が二次利用でブルーレイにするかもしれないし、放送局はライブラリーとしての役割も大きいわけだから、近い将来のことを考えれば現在でき得る最高のスペックで作っておくべきです。現状、エンド・ユーザーが受け取ることのできるものが最高解像度のフォーマットでないことも多いわけだけど、それは時間とともに変化していく。YouTubeのように回線の状況によって自動的に切り替えたりもできます。

「東京・春・音楽祭 2015」の協力のもと、4月5日(日)に行われたDSDライブ・ストリーミングの公開実証実験 「東京・春・音楽祭 2015」の協力のもと、4月5日(日)に上野の東京文化会館小ホールで行われたDSDライブ・ストリーミングの公開実証実験

ライブ・ストリーミングだと“演奏の実時間”で作品が出来上がる

──セイゲンさんが、現在「DSDライブ・ストリーミング」に力を入れている理由を教えてください。

最初に“音楽を聴く時間がない”って話をしましたが、実はそこがポイントなんです。人生の時間は限られていて……皆さんも実感されているように、小学生のときは時間が無限にあるような気がするけど、大人になるとそんなことはないっていうのが分かる。使える時間が有限であるというのは、聴き手だけでなく作り手にも当てはまるので、その点でライブ・ストリーミングがいいのです。リアルタイムでストリーミングされているってことは、ポストプロダクションが無い……つまり、演奏が終わったら終わり。演奏の実時間で作品が出来上がるんです。そして、その演奏が気に入ったらアーカイブとして残せばいいし、もし気に入らなければ消せばいい。

──“ポストプロダクション”というのは、現代の音楽制作では不可欠とされているダビングやミキシングなどの工程のことですか?

そうです。現代のレコーディングって楽器ごとにマイクを立て、それをマルチトラック・レコーダーに録って、後でああでもないこうでもないってミックスするんだけど、そんな時間があるくらいだったらもう1テイク録ればいい。本当は演奏者がちゃんとバランスを取ってさえいれば、マイク2本だけでいい音が録れるんです。ライブ・レコーディングってその場限りのスリリングさもありますが、僕が一番のアドバンテージだと思っているのは、お金と時間がかからないこと。2009年に坂本龍一さんがピアノ・ソロ・ツアーをやった際、全会場の演奏を録音して24時間以内にiTunes Musicで配信したけど、あのやり方で毎日1枚のアルバムが出来上がるわけですよ。音楽業界の人たちはみんな“お金が無い、お金が無い~”って言うけど、スタジオを何日も借りて、何種類もミックスを作って、大勢が入れ替わり立ち替わり確認に来るような、そんなお金のかかるやり方をしていませんか? そんなことができた時代はもうとっくに終わっているんですよ。

──そうは言っても、ポストプロダクション的なミックス作業がここまで一般的になっている現在、坂本龍一さんのピアノ・ソロのような音楽はともかくとして、セイゲンさんがおっしゃるような方法でレコーディングができる人がいるのでしょうか?

もちろん、DAWでしか作れない音楽があるのは承知の上です。でも、以前、故フィル・ラモーンと対談したときに聞いたんですけど、彼のレコーディング方法は常にライブ・レコーディングなんです。マルチトラック・レコーダーに録ってますけど、それはポストプロダクションで新しいものをクリエイションするのではなくて、後でボーカル無しのバージョンが欲しいとかに対応できるようにしているだけ。フィル・ラモーンだけでなく、アル・シュミットも同じやり方です。ミュージシャンがスタジオに集まって、全員でせーので演奏して、そこでのモニター・バランスで、もう音楽は完成しています。

──でも、そういったやり方は巨匠エンジニアたちの腕前だけでなく、ミュージシャン側にも高いスキルが要求されますよね?

もちろん! いい音が出ていないことにはマイクを立てても仕方が無い。演奏のレベルは当たり前として、どこに楽器を置いたらいい音がするとか、そういうノウハウも必要。だから楽器の調整とかセッティング場所は時間をかけてやってもらってもいい。音色……“ねいろ”ってやっぱり大事で、どこまで自分の音色(ねいろ)にこだわることができるかは、ミュージシャンとしてのアイデンティティです。逆に言えば、いい音さえ出ていればエンジニアはその音が一番いい音に聴こえる場所を探してマイクを置けばいい。マイクは本当に正直だからそのまま収音できるんです。

──これからのミュージシャンはとにかく良い音を出すことに秀でていなければならないわけですね。

はい、まずは良い音で楽器を鳴らすことに戻らないといけない。もちろん、シンセやサンプラーなどで作る音楽もあるけど、楽器の場合は空気を震わせて音を出すわけですから、それは経験とトレーニングしかない。

“聴き放題”だからといって聴けもしない数の音楽が本当に必要か?

──ライブ・レコーディングのアドバンテージは分かりましたが、そこで録音したものをダウンロード配信するのではなく、ライブ・ストリーミングすることに可能性を感じるのはなぜでしょう?

もちろん、ダウンロード配信でもいいと思います。でも、それだとリスナーが自分でストレージを用意する必要がある。買ったという証拠、認証ができるのであれば、ファイルはクラウドにあった方が便利です。その意味ではライブ・ストリーミングでなくて単なるストリーミングでもいい。ただ、今年の4月に東京文化会館とベルリン・フィルハーモニー・ホールで公開実験をやったとき、マイクで収音したものをそのまま流せるという当たり前のことに感動したんです。鳴っている音をDSDフォーマットに変換してサーバーに送り、リスナーがそれをネット経由で受け取ってリアルタイムに聴く……もはや録音ですらない(笑)。今、そこで起きていることをリスナーにダイレクトに伝えるっていうことが、それこそ世界初のテレビ中継をしたようなスリルがあったんです。

──ダウンロード配信でなく、ストリーミングをメインにビジネス展開するとなると、音源はクラウド上にあって、そこへのアクセス権というモデルになるのでしょうか?

聴きたいときにクラウドから再生したりローカルに落としてこれるのが便利。自分でも情けないのは、名盤のリマスターCDを買って“いつでも聴ける”っていう安心感があって封も開けてないCDが何枚もあること。だから3回だけ聴ける権利を売るとか、10回か10曲の回数券でもいいかもしれない。これも最初の“時間がない”という話につながるんですけど、その曲をあと何回聴きたいですか?っていうテーマが絡んでくる。“聴き放題”って実は“食べ放題”と同じ問題を抱えている。無限に食べ物や音楽があっても、あなたはどれくらい食べられますか? どれくらい聴けますか? 聴けもしない数の音楽、聴けもしないほど膨大な時間の音楽が本当に必要でしょうか?

──限られた人生、残された時間で聴き切れないくらいの曲数が提供されていても仕方が無いということですね。

当たり前ですが、60分のアルバムを聴くには60分必要なんです。音楽や食べ物のように人間に絶対必要なものは、これからは量より質であることを確信してます。聴き放題15万曲とか、食べ放題90分とかがはやっていますが、本当に好きな音楽に向き合って聴くなら相応の対価を支払うべきです。コンテンツ制作者、著作者、ミュージシャンにお金が回らなくなったら新しい音楽は生まれません。なのでDSDライブ・ストリーミングでは、プレミアムなコンテンツに対してのアクセス権を適価で販売しようと考えています。本当にいい音楽を聴きたい人に満足なサービスを提供する……もっと言えば、人間が生きるのに必要なのは、いい音楽とおいしい食事です。僕は“music (and food) make people happy”というキャンペーンやっていますが、もし、当たり前の日常生活が変わってしまうと、その本質はもっと切実なものとして迫ってきます。病気で入院したり、ましてや戦争なんかに巻き込まれたらと思うと、時間というものがいかに大切かが分かるでしょう。

──DSDライブ・ストリーミングのビジネス展開ですが、そもそもベルリン・フィルハーモニーは自分たちで“ベルリン・デジタル・コンサートホール”という会員制のコンテンツ配信をやっているわけですから実現性が高いですよね?

ええ、彼らは8年も前からHD映像とAACで配信して、世界中から会員を集めていますね。ベルリンだけでなく、ほかの著名なオーケストラも自分たちで始めちゃおうというのは自然な流れです。技術的にも自分たちでできる時代になっていたんですね。ベルリンの試みは成功していて、公演のチケットが売り切れてもホールの席数以上の売上を得られる。このやり方はスタンダードになると思います。

──そのベルリン・フィルハーモニーがDSDライブ・ストリーミングに興味を持ったのは、やはり音質が理由なのでしょうか?

そうです。やっぱり音色(ねいろ)。クラシックのように演奏自体とその音色が重要な音楽の場合、DSDでAD/DA変換するだけというのは一番のアドバンテージになります。

──公開実証実験を終えて、彼らからはどんな感想が寄せられましたか?

詳細はここで言えませんが、“オンラインの映像と音は、ここ数年でさらに急激に品質が向上するでしょう。5~10年の間には、4Kストリーミングや、より高品位なオーディオ配信も視野に入ってくるものと予想しています”とインタビューでは答えていますね。つまり4Kの映像とDSDが合わさったものを目指すことになると思います。

──DSDライブ・ストリーミングはクラシックに限らず、音色が重要なほかの音楽にも有効ですよね?

はい、ジャズやクラシックに限らず、どんな繊細な音もそのままを流せるのがいいところです。先日、FMラジオ局のJ-WAVEで「RADIO SAKAMOTO」のサイマル放送という形で実験しましたが、音色にこだわるテレビやラジオ番組も、DSDライブ・ストリーミングをサイマルやオン・デマンドという形で行うといいと思います。

──DSDライブ・ストリーミングのこれからの予定を教えてください。

現時点ではIIJ、コルグ、ソニーと一緒に公開実証実験している段階。先日の1ビット研究会でアナウンスされましたけど、DSDライブ・ストリーミングを聴くためのPrime Seatというコルグのソフトは、今後の検証を作業をへて、順次他のメーカーのDACにも対応する方向になりました。また課金については、サブスクリプションとか1本ごととかといったシステムを用意することになると思います。われわれはこのサービスでコンテンツ制作したり原盤権を持とうということは考えていません。あくまで演奏者や原盤を作る人、番組制作会社にやりやすい環境を用意するつもりです。

DSDライブ・ストリーミング公開実証実験でのシステム図 DSDライブ・ストリーミング公開実証実験でのシステム図。「東京・春・音楽祭 2015」の模様は、2015年10月23日までオンデマンドで配信中。聴取方法については特設サイトにて確認を