東京オリンピックの延期が決まった3月24日、YouTube Liveにて新生音楽(シンライブ)というライブ・ストリーミングが行われた。演奏を行ったのは、シンガー・ソングライターの高野寛と原田郁子(クラムボン)。新型コロナ・ウィルス対策として多くのアーティストがライブを自粛し、無観客によるライブを配信する形式が多い中、彼らの配信は映像と演奏が合わさることによる独特の質感がある“作品”となっていた。新生音楽は、映像ディレクター石原淳平氏が率いる映像作家集団GRAPHERS' GROUPと高野が中心となって始まったプロジェクトだ。4月12日には第2弾の新生音楽 MUSIC AT HOMEも行われ、17組ものアーティストが自宅で撮影した演奏動画を紹介する配信によるフェス形式が採られた。刻々と変化する世の中で、映像と音楽でできることを追求する新生音楽。高野、原田、石原氏の3名に、このプロジェクト、そして現在彼らがライブ・ストリーミングに感じていることを聞いてみた。
演奏を撮るだけでなく
ドキュメント性を大事にしたい
—まずGRAPHERS' GROUPの成り立ちについて教えてください。
石原 もともとは(映像制作会社)ディレクションズの部活動みたいな感じで僕が勝手にやり始めたことなんです。シンガー・ソングライター/ギタリストの君島大空の演奏を僕なりに収めたいという気持ちから始まりました。僕はドキュメンタリーや音楽教育番組のフィールドにいますので、そういう立ち位置からどういうふうに撮ることができるのかを考えましたね。ただミュージシャンの演奏を撮るだけでは面白くないですし、どうやって差別化をしていくのかを考える中で、ドキュメント性みたいなものを大事にしたいと思いました。例えば、スタジオで初めて出会ったミュージシャン同士がどんなセッションをしてくれるのだろうか、などそういうことに興味が湧いてきて。
—それがYouTubeで公開している動画“First Sessions”ですね。通常のライブ演奏動画とは違った感覚がありました。
石原 映像があるから録れる音というものがあると僕は思っています。ラフだったり、生々しいものでも、映像があることで成立するという場合もある。数年前に、鈴木慶一さん(ムーンライダーズ)に「映像表現と音楽表現の境界線を走っていくよね」と言われたことがあって、それがものすごくうれしかったんです。僕自身、映像と音楽だけでなく、ドキュメンタリーやファンタジーの境界線を駆け抜けていきたいし、GRAPHERS’S GROUPもそんなチームでありたいと思っています。
—今回の新生音楽を行うことになった経緯は?
石原 3月上旬に君島大空と斎藤アリーナの「時と間」という動画を公開したんですが、そこで一段落ついた感じがしていました。 次のステップが見当たらないなと思っていたとき、世の中の雲行きが怪しくなってきて。そんなとき、高野さんが “ミュージシャンがこれからどういうふうに生きていくべきなのか、生きていけるのか”ということをSNSで考えているような様子があって、それを見てすごく共感したんです。僕らが行ってきた映像と音の録り方と生配信を組み合わせれば何か新しいものができるのではないかと思い、高野さんにお声がけしたところ、今回の新生音楽が実現しました。
—高野さんと原田さんは、あらためて今の状況をどう思われていますか?
高野 状況の変化がとにかく早いですよね。新生音楽に至る前、2月22日に僕と原田さんは一緒にライブを行いました。そのときは客席同士の距離を取って演奏しましたが、「もしかしたらこういうライブもそのうちできなくなってしまうのかな」 なんてMCで話していたんです。そうしたらその翌週に自粛要請が出て、ライブを開くことに批判も集まるようになって。1週間の変化がとても大きかった。そのタイミングで僕が思ったことをnoteに書いたのですが、それに石原さんが反応してくれて。どういう形でライブ配信をやろうかと話したとき、原田さんとのライブの感触がとても良かったので配信でもご一緒できないか、ということになったんです。
原田 2月の高野さんとのライブはギリギリ行えましたが、その後は世の中の状況が日に日に厳しくなってきて、ただただ唖然としてしまいました。先の予定はどんどんと無くなっていくし、それがどこまで続くのかも見えないですし。そんな中で、高野さんは人一倍早くSNSで思いを語って、それを読んだ石原さんがすぐにメッセージを送った。出会うべくして出会ったお二人だと思います。
高野 この数年、僕は活動の大半がネット上になっていました。もちろんライブは継続していましたが、告知を自分から発信したり、曲ができたらすぐにnoteやSoundCloudにアップすることをずっとやってきていて。それが今、なるべく人と会わない方がいいというふうになってくると一番有効な手段になった。妙な感じですけどね。
“無観客ライブ”という言葉は
観客が居ることを前提としている
—GRAPHERS' GROUPはアーティストの演奏を独自の視点から切り取った動画を作っていたわけですが、新生音楽ではライブ配信を行いました。そのきっかけは?
高野 ミュージシャンのライブが無くなるということに対しての危機感は、やっぱり僕らの中にあります。実際、僕は3月と4月のライブが一切無くなりました。じゃあ代わりの仕事をどうしたらいいのかと悩んでいたら、石原さんが生配信でマネタイズする方法を何とか考えてみようと言ってくれたんです。
石原 3月初旬のころは“ライブ・ストリーミングでお金を取っていいのか?”という雰囲気がすごくありましたよね。なぜお金を払いたくないのだろうかとか、逆にどうしたら払いたくなるだろうかということを考えていたのですが、それはライブ・ストリーミングにどういう価値を感じてもらえるのかがポイントなのではないかと思いました。否定をするわけではないのですが、僕は“無観客ライブ”という言葉がとても気になるんです。それは、“もともと観客がいるはずのライブなのに”という言葉じゃないですか? つまり、観客がいるライブには勝てないと宣言している気がするんです。そこで、新たな価値を感じてもらえるような見せ方をしようと挑戦しました。考えたのは“レコーディングをオープンにする”ということ。レコーディングのようなライブをストリーミングで生々しく、ドキュメンタリー的に見せる。そうやって新しい価値を作っていかないといけないんじゃないかと思うんです。
—映像と音の組み合わせ方で新たな価値を生み出したということですね。
石原 例えば、映画のラスト・カットで鼻歌を歌いながら砂浜を歩いている男の映像があるとします。その鼻歌は、音だけでは成立しないと思うんです。でも、映像とともにあれば、最高の音楽に聴こえたりする。自分の隣で恋人が歌ってくれる鼻歌や、ミュージシャンが歌を録音する前に音程を取っている様子など、それらはリラックスしていてとても美しいものです。今はもしかしたらそういう音楽や映像が求められているのかもしれない。
高野 そういう雰囲気は強まっていますよね。アーティストが自宅でスマートフォンから配信したり。ライブで一体になるようなコミュニケーションだけでなくて、ネットなどを通じてつながる感覚で共有できるものもある。今はそういうコミュニケーションの方が切実に伝わるのかもしれないです。
ライブとは気持ちの矢印が逆で
自分の中に降りていくような感覚
—新生音楽での高野さんと原田さんのライブは、中継場所となったスタジオ、echo and cloudの雰囲気もあり、とてもリラックスした映像になっていましたね。
石原 あのスタジオで初めて撮ったのが君島大空と斎藤アリーナのセッションです。今回の新生音楽と同じく、2人にはヘッドフォンをしてもらい、コンデンサー・マイクで歌ってもらいました。そのときはマイクのゲインを結構上げていたので、会話をする場面ではめちゃくちゃ小さな声になっていたんです。それを僕らスタッフもヘッドフォン越しに聴いていて、“これは面白い”と感じた。ラインで出力されたものを共有するというつながり方に興味を抱いたんです。アーティストがヘッドフォンで聴いている音と、ブラウザー越しに見ている人たちがヘッドフォンで聴く音がシンクロしていく……ライブとは違った面白さがあるなと。新生音楽のとき、原田さんが“叫びたい”とおっしゃっていましたが、それはスタジオ・ライブではなく“オープンにしたレコーディング”という環境だったからなのかなと思いましたね。
高野 恥ずかしいみたいな感覚にもなるんですよ。なんとも形容しがたい心理ですね。
原田 うん……気持ちの矢印がライブとは逆なんじゃないかなと。録音のときは、バンド編成であってもみんな自分と対峙しながら録っていくんです。どんどん内側に降りていく感覚というか。今回も、1曲終わった後に感じるものはあるんだけど、それは漫画でいう、“心の声”のようなもので。配信を見てくれた友人から“MCの声が小さかった”と言われたのですが、“確かに”と思いました。ライブでは会場という空間があって、目の前に集まってくれた人たちがいて、だからこそ1人では出せないエネルギーが湧いてくるし、気持ちの矢印も外へ向いていく。でも新生音楽のときは“むしろ逆でいい”と言われているようでもあって。静かにドキドキしてるというか。配信を見てくれた方も不思議な感覚だったんじゃないかと思います。
石原 ドキュメンタリー作家っぽいことを言うと、少しの気恥ずかしさみたいなものがないと見てもらえないと僕は思っているんです。堂々としているよりも、少し追い込んであげることで出てくるフレッシュさが必要というか。そのフレッシュさは、新しい発明でなくても既存の組み合わせから生まれる。例えば、今回のような“レコーディングだけどライブ”というものとか、そういう組み合わせや組み替えによる発見はとても大切です。
—しっかりと組み上げた楽曲演奏というよりも、2人がその場で音を紡いでいくような感覚は新鮮でした。
高野 リハでガッチリと曲を固めて配信するというケースもあると思いますが、原田さんとのライブは1日しかリハをしていませんでした。初めてやる曲もあったりして。打ち合わせ通りにやっていないこともあったり、僕たちもドキドキ感はすごくありました。また、“今日はすごく良いライブだった”という実感を持って家で録音を聴くと“あれ?”ということもよくあるんですが、今回はその逆でしたね。“今日はどうだったのかな?”という感覚でしたが、アーカイブを見返してみて、自分で見入ってしまったし、録音のラフ・ミックスを聴いても楽しめた。これまでと全然違った不思議な感覚です。
原田 ライブ中に自分の見ていた景色とアーカイブの映像はまた全然違っていて。6台のカメラが音に反応してスイッチングをしていく……映像と音楽のどちらかじゃなくて、混ざり合った塊としてのライブ感がありました。
小さな拍手を集めていく
そんな時代になったのかもしれない
—YouTube Liveを使った配信でしたが、それ以外のプラットフォームは検討していましたか?
高野 幾つかの配信サービスは話に出ました。有料チケットなのか投げ銭なのかを考える必要もありますよね。チケット制にすると、ファン・クラブ的に閉じられたイメージになってしまいます。そういうものではなく、今回は開かれたライブにしたかった。
石原 ファン以外の人たちにも届く場所になりたいっていうことは思いました。特に僕らがやろうとしていることは口で言っても伝わらない。気恥ずかしさや、ムズムズしたりドキドキする感覚は、実際に見て体験してもらわないと分かってもらえないですから。だから視聴者にとって慣れ親しんでいるYouTubeにした方がよいだろうとなったんです。もちろん手数料が高かったりなどデメリットはありますが、認知度とサーバーの安定度は変えがたいものですからね。
高野 新しく出てきたサービスもありますが、やはり映像が途切れがちだったりと、安定感への課題はありそうです。
—YouTube LiveではSuper ChatやSuper Stickersによる投げ銭での収益となりますが、新生音楽ではオリジナル・グッズも販売していますね。
高野 ファン以外の人を巻き込むという意味でも、いろいろな収益の選択肢を設けていた方が良いと思います。これは意図していたわけではありませんが、僕のnoteの方に投げ銭をしてくださった方もいました。
石原 僕のnoteに投げ銭をしてくれる人もいましたね。すごくうれしかったです。僕らが実現しようとしているものに対して拍手をしてくれている感じで。今はそういう小さな拍手を一生懸命集めないといけない時代になったのかもしれません。前売りチケットが売れて、ドンとお金が入ってくるというイメージだと、この流れは切り抜けられない気がしています。
高野 今はアイディアをどんどん出していくしかないですね。配信ライブの流れはまだ始まったばかりだからみんなも食い付いてくれるし、協力もしてくれるけど、これが普通になっていったときにどうなるのかは分からない。僕らがやっていることが参考になるのか分かりませんが、それぞれに合ったやり方は絶対にあるはず。みんなで模索して情報共有をし、ちょっとずつ成功例が増えていけば希望が見えてくると思います。