無観客ライブやスタジオ・ライブの配信を行うにあたり、その施設がライブ・ストリーミングに対応したシステムを持っているのかどうかによって、配信のクオリティやコストも大きく変わってくる。ライブ・ストリーミング対応スペースの一例として、ここでは小社リットーミュージックが運営するRittor Baseを紹介しよう。
Photo:Takashi Yashima
ライブ/録音/配信に対応する
PAとレコーディングの中間地点
楽器の街として全国にその名を知られる御茶ノ水。駅から徒歩1分と好立地のビルにあるRittor Baseは2019年3月のオープン以来、ライブやトーク・イベントなど、さまざまな催事を行ってきた。音楽専門出版社として最高の音へこだわったのはもちろんのこと、多様な表現ができるスペースとしての設備をしっかりと備えている。まず音に関わるシステムについて、Rittor Baseの國崎晋ディレクターに聞いた。
「ライブと録音、そして配信にも対応できる、“PAとレコーディングの中間”と呼べるような環境作りを心掛けています。床材にローズウッドを使い、日本音響エンジニアリングの音響拡散体AGSを埋め込み+可動式で用意し、まずは楽器がしっかりと鳴るように設計しました。それに加え、コンピューターを使うミュージシャンにとってもパフォーマンスがしやすいようにデジタル環境も整えています」
卓には96kHz動作のデジタル・ミキサー、ALLEN&HEATH SQ-5をチョイス。背面に備えたSLinkポートを介した独自プロトコルでのネットワーク接続のほか、オプション・カードを加え、Dante接続も行える。
「SQ-5のI/OボックスであるDT168とはDante、キュー・ボックスのME-1はSLinkで接続しました。Rittor Baseでは、基本的にミュージシャンにはME-1のイア・モニターで演奏してもらっています。やはり、モニター用にスピーカーを鳴らしてしまうと音が混ざってしまい、クリアさが失われるのです。ブースでレコーディングするように、みんなにはヘッドフォンでモニターしてもらい、楽器の音がしっかりとセパレートできるようになっています。もちろん、スピーカーを置いてわざと混ぜるようなマイキングをすることも可能です。“PAとレコーディングの中間”と言える特徴の一つですね」
スピーカーはGENELEC S360。ツィーターにコンプレッション・ドライバーを採用したモデルだ。
「スタジオ・モニターのクオリティのPAスピーカーを探していましたが、なかなか見つかりませんでした。そのとき、思い付いたものがポスプロ用のスピーカー。ラージ・モニターのサウンドかつコンパクト、というのが狙い目だろうと。サブウーファーには同社の7380Aを設置しています」
サラウンド/イマーシブ・オーディオを
仮想スピーカーで実現
Rittor Baseでは、立体音響やイマーシブ・サウンドのイベントも数多く行ってきた。メイン・スピーカーのS360のほか、Rittor Base内の天井と床にはキューブ型のスピーカーが8基用意されている。
「ここ数年、イマーシブ・オーディオの波が来ていますが、それを体験できる場所というのはメーカーのショールームなどがほとんどで、あまり数はありません。ある程度の人数を入れて、みんなでイマーシブ・オーディオやサラウンドを体験できる場所にしたかったんです。5.1chや7.1ch、22.2ch、Dolby Atomosなどさまざまな形態がありますが、それらすべてに対応しようとすると、通常はそれぞれに合わせた数のスピーカーを設置しなければなりません。しかし、ここはイベントだけでなく撮影などでも使うので、撤去のしやすさや目立ちにくさなども考慮する必要がありました」
多目的であるが故に、設置する機材の見栄えなども考える必要は出てくる。そんな中、採用されたのはアコースティックフィールドの立体音響システムだ。
「CODA AUDIO D5-Cubeというスピーカーを8基設置し、プロセッサーを使ったスピーカー・レンダリングで仮想スピーカーを作り出すことで、ほとんどのサラウンドやイマーシブ・オーディオのフォーマットが再生できます。また、HPLというバイノーラル・エンコーディングのシステムも入っているので、ライブ・ストリーミングで視聴者にヘッドフォンで立体音響を体感してもらうことが可能です。さらに、D5-Cubeでは立体音響だけでなく立体リバーブでの空間シミュレーションも行えます。電子音楽家のKatsuhiro ChibaさんがCYCLING'74 MaxのパッチでChiverbというリバーブ・エンジンを作っているのですが、そのRittor Base専用のバージョン、Cubic Chiverbを制作してくれました。アコースティックフィールドの立体音響システムと組み合わせることで、物理的な空間を超える音場を作り出すことができます」
次は配信用機器を見ていこう。カメラはメモリー・カムコーダーのSONY PXW-Z90、リモート操作が可能な旋回型のSRG-360SHEを導入。これらのカメラは、HDMIよりも長距離で安定して伝送できるSDIの同軸ケーブルで同社のスイッチャーに接続されている。
「スイッチャーはMCX-500で、これはSDカード・レコーダー、エンコーダーとしても動作します。通常であればそれぞれを別途用意する必要がありますが、経由する機材が多くなるとトラブルの原因にもなりますし、あまり数多く置きたくなかったんです。また、MCX-500のオーディオ入力がXLR端子ということもポイント。前段までこだわって音声系統を用意したので、スイッチャーの受け側がプロ仕様であることにもこだわりました」
ワンソース&マルチユースで
ライブ・ストリーミングに活路を
前述の通り、Rittor Baseは最初の構想時点からライブ・ストリーミングに対応することが想定されていた。しかし、この新型コロナ・ウィルスの影響により、その在り方は変わってきたという。
「こういう事態になる前は、配信を有料で行うというのは考えていませんでした。配信はあくまでも“こんなことをやっている場所があるんだ、今度行ってみたいな”と視聴してくれた人に感じてもらえるように、という宣伝のつもりだったんです。しかし、2月末くらいからアーティストのライブが無くなり始め、みんなが無料での配信ライブを行っているのを見て、とても危機感を覚えました。このままではみんな食べていけなくなると。無料での配信の波があった中、有料配信というお手本を作らないといけないという使命感に燃えたんです」
そうして行われた配信イベントの一つが、3月7日の『The Wind-Up Bird Orchestra Live Streaming Event – 舞台「ねじまき鳥クロニクル」の音楽より』。村上春樹の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』が舞台化され、その公演で大友良英、江川良子、イトケンの3人の音楽家が生演奏をする予定だったのだが、新型コロナ・ウィルスの影響を受け、舞台が公演期間途中で中止となってしまった。そこで企画されたのがRittor Baseでの配信。ライブ・ストリーミングはVimeoで行い、視聴券はイベント・コミュニティ管理サービスのPeatixで発売した。
「Vimeoでライブ・ストリーミングをする場合、投げ銭などの機能は無いのですが、アーカイブのレンタルや販売ができます。例えば、YouTube LiveではSuper Chatを使い、そのアーカイブをVimeoで発売するというのは一つの手だと思います」
Rittor Baseに備わった“PAとレコーディングの中間”と呼べる特性は、マネタイズ面でも生きてくるという。
「AVID Pro Toolsも導入しているので、マルチトラック・レコーディングをすることもできます。Rittor Baseでライブをすれば、イベントのチケットや配信の投げ銭、アーカイブの販売、録音したマルチトラックを使った音源のリリースと、複数の場所から収益を得ることが可能です。アーティストにとってCDよりもライブでの収入が大きくなっている昨今ですが、そのライブも断たれている今、こういったワンソース&マルチユースな方法でのライブ・ストリーミングに活路を見出せるのではないでしょうか。Rittor Baseはそれを支援できる場所としてありたいと思っています」
音楽の表現、そして収益化まで、多角的なアプローチができる機能を持ったRittor Base。この時世におけるアーティストたちの助けとなれれば幸いだ。