石川さゆり50周年記念作品『Transcend』〜ラッカー盤のサウンドがそのままCDに

『Transcend』LP版を抱える石川さゆりと、サウンドプロデュースを務めた内沼映二氏

『Transcend』LP版を抱える石川さゆりと、サウンドプロデュースを務めた内沼映二氏

 3月22日、西麻布LAB RECORDERSにて石川さゆり『Transcend』の発売記念試聴会が行われた。“石川さゆりの新作試聴会をスタジオで行う”と聞けば、“なぜ?”と思うのも無理はない。しかし、それには相応の理由があった。

「津軽海峡・冬景色」がビッグバンド・ジャズに

内沼映二

内沼映二氏。テイチク、ビクター、RVCを経て、1979年にミキサーズラボを設立。ミキサーズラボ会長、日本音楽スタジオ協会(JAPRS)名誉会長。石川さゆり作品には長年携わっている

 昨年歌手デビュー50周年を迎えた石川。その50周年記念第2弾作品となったこのアルバムは、長年石川作品を手掛けてきたエンジニア内沼映二氏がサウンドプロデュースを務め、氏の音質へのこだわりが詰め込まれた作品に仕上がったという。

LAB recorders Ast

試聴会はLAB recorders Astで行われた。再生にはラージモニターのGENELEC 1035Bを使用

 この『Transcend』、音楽プロデューサーには石川/内沼氏ともに旧知の斎藤ネコを起用。「津軽海峡・冬景色」「ウイスキーがお好きでしょ」「天城越え」など、石川の代表曲6曲をビッグバンド・ジャズやストリングスとの競演で収録するという意欲的な取り組みだ。

ビクタースタジオ301stでのビッグバンド録音。ストリングスの録音はBunkamura、ミックスはLAB recorders Bstが使われた

ビクタースタジオ301stでのビッグバンド録音。斎藤ネコ(左)が指揮をする。ストリングスの録音はBunkamura、ミックスはLAB recorders Bstが使われた

2017年12月号「名匠に学ぶ正統エンジニアリング術」に登場した内沼氏。石川のボーカルや32ビット/384kHzへのコメントもある

2017年12月号「名匠に学ぶ正統エンジニアリング術」に登場した内沼氏。石川のボーカルや32ビット/384kHzへのコメントもある。Web会員の方はこちらからお読みいただけます

ラッカー盤をCD化したLacquer Master Sound

 『Transcend』は、CD、LP、SACD(SACDのみステレオサウンドストア限定)の3形態でリリースされている。

Transcend

Transcend

Amazon

 録音自体はAVID Pro Tools|HDXを使って32ビット/96kHzや32ビット/192kHzで行い、それをLAB recorders BstのアナログコンソールSSL SL9072Jでミックス。ステレオマスターはMERGING Pyramix Virtual Studioに32ビット/384kHzで収録された(SACDのみSTUDER A-820+2インチ・アナログテープをマスターに使用)。

 

 ユニークなのは、CD版のマスタリング。一度アナログカッティングをし、そのラッカー盤をマスターとして再生。マスタリングシステムへ24ビット/96kHzで取り込んだ後、CDの16ビット/44.1kHzへ落とし込むという手法が採られた。

Lacquer Master Soundの工程図

ミキサーズラボのWebサイトより、Lacquer Master Soundの工程図

 これはミキサーズラボが展開しているLacquer Master Soundという新しいサービス。内沼氏はこう説明する。

 「最近はアナログ盤の需要が増えていますが、カッティングにいらっしゃったクライアントには、ラッカー盤の音を聴いて、“オリジナルより良い”とおっしゃる方が多い。アナログ盤はこのラッカー盤から何度もコピーしてプレスのマスターを作るわけですが、その元となるラッカー盤にはツヤや滑らかさがあります。それをCDに反映できないか?と考えたのがこのLacquer Master Soundなんです」

アナログレコードのカッティングからプレスまでの工程

アナログレコードのカッティングからプレスまでの工程

 ミキサーズラボでさまざまな検証をしたところ、ラッカー盤に記録した10kHzのサイン波は、50kHzくらいまで倍音が出ていることが確認できたと内沼氏は言う。反対に、10kHzの矩形波をラッカー盤に刻むと、角が取れてサイン波の波形に近づいていったそうだ。この2つのエピソードは相反するようだが、「倍音は増えるが耳障りなひずみ感にはならない」とでも言えばいいのだろうか。内沼氏が語る“ラッカー盤のツヤや滑らかさ”の秘密はここにあるようだ。

会場では石川さゆり本人も、参加したメディア各社とともに試聴した

会場では石川さゆり本人も、参加したメディア各社とともに試聴した

 試聴会ではビッグバンド・アレンジの「ウイスキーが、お好きでしょ」「津軽海峡・冬景色」、ストリングス・アレンジの「風の盆恋歌」、ストリングスに奄美の三線とチヂン(太鼓)が加わった「朝花」をプレイバック。Pyramix Virtural Studioでの32ビット/384kHz再生が基本だが、「風の盆恋歌」のみ、カッティングしたラッカー盤からの再生となった。

「風の盆恋歌」のラッカー盤。Lacquer Master Sound制作とは別に、試聴会用にカッティングしたもの

「風の盆恋歌」のラッカー盤。Lacquer Master Sound制作とは別に、試聴会用にカッティングしたもの

2007年11月号より、CM曲「ウイスキーが、お好きでしょ」のプロデュースを手掛けた大森昭男氏へのインタビュー

2007年11月号より、CM曲「ウイスキーが、お好きでしょ」のプロデュースを手掛けた大森昭男氏へのインタビュー。Web会員の方はこちらからお読みいただけます

同録ならではの音でのコミュニケーション

内沼氏と石川のトークセッションも行われた

内沼氏と石川のトークセッションも行われた

 一聴して分かるのは、歌唱と演奏のダイナミック・レンジの広さ。内沼氏によれば、このダイナミクスを生かすために、マスターにはEQもコンプレッションもかけていないそう。

試聴再生に使われたPyramix Virtual Studioの画面。波形を見ると、過度なコンプレッションやマキシマイズがされていないのが分かる

試聴再生に使われたPyramix Virtual Studioの画面。波形を見ると、過度なコンプレッションやマキシマイズがされていないのが分かる

 『Transcend』収録曲を聴くと、シンバルレガートの立ち方や低域の出方など、オーディオスペックに依存する部分も確かによく聴こえるが、それ以上に石川の歌唱とバンドの演奏との緊張感を生々しく捉えていることにゾクゾクする。そのドキュメンタリー性の高さこそが、このアルバムの高音質企画の真骨頂だとさえ感じられる。

 

 ビッグバンド/ストリングスともテンポチェンジの多い演奏だが、石川にしっかりと寄り添う。特に「風の盆恋歌」ではアカペラとストリングスとのかけ合いのようなパートもある。実は、石川は普段からバンドとボーカルの同録を好み、今回もそのスタイルで収録したそう。「仮歌のつもりで同録したものが使われることが多い」と石川。今回もほとんどが1stテイクだという。内沼氏がこう続ける。

 

 「ミュージシャンと一緒に録ったときは、さゆりさんの気持ちが高揚していくのが分かるんですよ。ですから、ダビングのときは高揚度が全然違うので、音楽としてつながらない。同録の空気感が絶品なんです」

 

 それを受けて石川はこうコメントする。

 「私の歌を聴きながら斉藤ネコさんがずっと指揮している。演奏のない歌だけのときも、演奏者も同じように気持ちが流れてるんです。だから私が歌ってるときは、皆さんも息を詰めてるんですね。そこから同時にみんなで出ていく……あの感じがたまらなくて。これが音楽っていうものなんだなということを、あらためて幸せに思いましたね。音楽をやってきてよかったなって、そう思いました」

石川さゆり

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