マスタリング・エンジニアが使うWaveLab Pro 9〜木村健太郎

老舗マスタリング・ソフトのSTEINBERG WaveLabがユーザー・インターフェースも新たにPro 9へとバージョン・アップを遂げた。M/S処理やCubaseとの連携など、モダンな制作環境を見据えたパワー・アップがなされ、個人レベルでさらに細やかなマスタリング作業が行えるようになったのが最大のポイント。今回は、自身で作品を最後まで仕上げる注目のプロ・クリエイターゆよゆっぺと、マスタリング・エンジニアの木村健太郎氏にWaveLab Pro 9を試してもらい、その使用感や音質をクリエイター/エンジニアの両目線から検証する。WaveLab Pro 9を活用した“セルフ・マスタリング”で、自身の楽曲の音質クオリティを1ランク上げていただきたい。

デジタル領域でのM/Sの有用性をあらためて確認できました

【木村健太郎 Profile】KIMKEN STUDIOを主宰するマスタリング・エンジニア。SAIDERA MASTERING、オレンジという名門スタジオを経て独立。独自の審美眼で選び抜かれたマスタリング用のアウトボード/ソフトウェアを駆使し、メジャーからアンダーグラウンドまで幅広いレンジの作品を手掛けている。Photo:Takashi Yashima 【木村健太郎 Profile】KIMKEN STUDIOを主宰するマスタリング・エンジニア。SAIDERA MASTERING、オレンジという名門スタジオを経て独立。独自の審美眼で選び抜かれたマスタリング用のアウトボード/ソフトウェアを駆使し、メジャーからアンダーグラウンドまで幅広いレンジの作品を手掛けている。Photo:Takashi Yashima

本誌のマスタリング企画でも、確かな理論に基づいたテクニックを披露してきた木村健太郎氏。普段のマスタリング作業は再生側のDAW→アナログ・アウトボード→録り側のDAWというルーティングで行っているそうだが、今回は録り側のDAWとしてWaveLab Pro 9をインストール。音質面を中心に検証してもらった。

正確なM/Sエンコード&デコード〜Mid/Sideを個別にエフェクト処理可能

WaveLabを「随分前に一度触ったことがある」という木村氏は、音の印象について次のように語り始めた。

「当時からマスタリングで使っていたSTEINBERG Nuendoと同じ音質傾向と言うか、ハイファイなイメージがありました。今回のWaveLab Pro 9もそこから印象は変わっておらず、いろいろな楽曲の2ミックスを読み込んで聴いてみましたが、滑らかで奇麗な音がします」

機能面については、「まずオーディオエディターの画面から2ミックスをM/Sに分けて表示することができ、それぞれに対して個別にプラグインで処理を施せるのが新鮮でした」と続ける。

「以前はマスタリング時にアナログ機材でM/S処理を行っていたのですが、L/Rに戻した際にセンターに3dBほど音が残って、中央に定位するパートが強く聴こえるようになるのが嫌で、このところは使っていなかったんです。その点WaveLab Pro 9はM/Sをデジタルで処理するので、ワイドな音像のままデコードしてくれます。今回使ってみて、デジタルでのM/Sの良さや有用性にあらためて気付かされました」

エフェクト・ラックでは、プラグインの“チャンネル処理”を選択可能。ここで“Sideインサート”を選ぶと、Side成分のみにプラグイン・エフェクトを適用することが可能。インサートだけでなくセンドも使える エフェクト・ラックでは、プラグインの“チャンネル処理”を選択可能。ここで“Sideインサート”を選ぶと、Side成分のみにプラグイン・エフェクトを適用することが可能。インサートだけでなくセンドも使える

普段のマスタリングにおけるM/S処理としては、「Side成分にのみプラグイン・リミッターをかけて持ち上げる」手法を使用する機会が多いという。

「2ミックスに対して、通常のL/Rでリミッターをかけると音像が詰まった感じになりがちなのですが、M/Sに分けた状態でSide側だけをリミッターで持ち上げると、詰まった感じは無いのに全体の音量感を上げられるんです。WaveLab Pro 9のエフェクト・ラックではプラグインごとにインサートするパートを“Mid/Sideのいずれか”“L/Rのいずれか”“ステレオ”などから選べるので、単体ではM/Sに対応していないプラグインもM/S処理に使えるのが便利です。2ミックスのSide側だけを持ち上げる手法は、音量感が上がると同時に音像に広がりも出るので、今の感覚的にも良い音に聴こえるのではないかと思います。特に若いロック・バンドなど、元気な音像に仕上げたい場合などに有効ではないでしょうか」

▲オーディオエディターの波形ウィンドウでM/S表示したところ。上がMid側(オレンジ色の波形)で下のSide成分(黄色の波形)はMid側と比べて音量が小さいことが分かる。このSide成分のみをリミッターで持ち上げることで、詰まり感が無く音量が上がった音像を演出可能。この波形ウィンドウではM/SとL/Rや、波形とラウドネスを組み合わせて表示することもできる ▲オーディオエディターの波形ウィンドウでM/S表示したところ。上がMid側(オレンジ色の波形)で下のSide成分(黄色の波形)はMid側と比べて音量が小さいことが分かる。このSide成分のみをリミッターで持ち上げることで、詰まり感が無く音量が上がった音像を演出可能。この波形ウィンドウではM/SとL/Rや、波形とラウドネスを組み合わせて表示することもできる

マスタリングにおいて「M/Sでの処理が有効な場面は少なくありません」と木村氏は続ける。

「シンプルですが、マスタリングでボーカルの歯擦音を抑えるためにディエッサーをかける際、ほかの楽器パートに影響が及ばないよう、Mid側にだけにかけるといった場面は容易に思い付きますね」

音像を崩すことなく音量を持ち上げるMasterRigのLimiterモジュール

普段からさまざまなデベロッパーのプラグイン・リミッターを使用しているという木村氏、「そうした製品の中には“原音忠実”をうたうものも少なくありませんが、それぞれ微妙に音のクセがあり、それらの個性や組み合わせを音源によって使い分けてきました」と語る。

「そんな中で、MasterRigのLimiterはかかり方が自然で、感覚的にしっくりきました。僕はマスタリングにおける“音作り”はアナログ機材で行っているので、録り側のDAW(マスタリング・ソフト)では、アナログ・コンプ/EQなどで処理が施された音源にプラグインのリミッターをかけて最終的な音圧を調整することになります。その場合、これまでのプラグイン・リミッターは確かに音量は上がるのですが、アナログ機材でプロセッシングした音のニュアンスが損なわれると言うか、音像がこぢんまりしてしまうことも少なくなかったんです。その点、MasterRigのLimiterはふんわりと自然に音量が持ち上がるので、すごく良かったです」

木村氏は「Limiterモジュール自体の細かな作り込みにも好感が持てます」と続ける。

「動作モードを“MAXIMIZER”“BRICKWALL”で切り替えられるのですが、前者は倍音が増える反面、空間が詰まって“壁”ができる感覚。一方の後者は不自然な響きが無く、空間のニュアンスを残したまま音圧が上がります。音源や仕上げのイメージによって使い分けるとよいのではないでしょうか。ほかに“TRANSIENTS”セクションでは各バンドごとにアタックを付けたり、リリースを増やせるのも気が利いていると感じました。ツマミをグッと大きく回しても音像が崩れないんですよ」

▲木村氏が“音圧を上げても音像がこぢんまりしない”と評価するMasterLigのLimiterモジュール。左の“BALANCE”では“MID”“SIDE”の音量を個別に調整できるなど、ここでもM/Sの考え方が組み込まれている。続く“TRANSIENTS”ではアタック/リリース・タイムとゲインをバンドごとに調整可能。続く“HARMONICS”では“DRIVE”のほか、二次/三次倍音の量を個別に調整可能。右端の“LIMIT”セクションでは“BRICKWALL”“MAXIMIZER”で動作モードを切り替えられるほか、オーバーサンプリングやステレオ・リンクの設定が可能 ▲木村氏が“音圧を上げても音像がこぢんまりしない”と評価するMasterLigのLimiterモジュール。左の“BALANCE”では“MID”“SIDE”の音量を個別に調整できるなど、ここでもM/Sの考え方が組み込まれている。続く“TRANSIENTS”ではアタック/リリース・タイムとゲインをバンドごとに調整可能。続く“HARMONICS”では“DRIVE”のほか、二次/三次倍音の量を個別に調整可能。右端の“LIMIT”セクションでは“BRICKWALL”“MAXIMIZER”で動作モードを切り替えられるほか、オーバーサンプリングやステレオ・リンクの設定が可能

Compressorモジュールについても「効き具合はLimiterと同じ傾向で、きっちりかかるのですが、音像が小さくならないところがいいです」と続ける。

 「マスタリング時に“ここはマルチバンド・コンプで処理したい”と感じる局面は少なくないのですが、これまではクロスオーバー近辺が不自然になって、あまり好きではないニュアンスになることが多かったんです。その点、MasterRigのCompressorは音質変化が非常に少なく、通常のステレオ・コンプを触りつつ、同時に低域などのニュアンスを操作できるイメージ。効き味にフィルターくささが無いところが好きですね。Equalizerなども同様の音質傾向で、これはMasterRigのモジュール全般に当てはまる個性だと思います。MasterRigは単体プラグインとして欲しいくらい気に入りました」

WaveLab Pro 9のオーディオモンタージュでは、アルバムを構成する複数のオーディオクリップを並べて編集が行える。木村氏は「これまで、録り側のDAWではアルバム収録曲の分だけトラックを用意し、それぞれの楽曲に対して異なる設定のエフェクトをかけてアルバム全体の音像を調整していましたが、オーディオモンタージュでは各オーディオ・クリップに対して異なるプラグイン・チェインを適用できるので、よりアルバムとしてのイメージを持ちやすくなりました」と語る。

「この画面ではアルバムの曲間を調整してPQを打ったり、CDバーニングやDDPイメージを作成できるのですが、先述したインターフェースの明快さもあって、操作は分かりやすいです」

▲アルバム収録曲を並べて調整などが行えるオーディオモンタージュ画面。各オーディオクリップに対して個別にプラグイン・チェインを設定できるので、アルバム収録曲分のオーディオ・トラックを用意する必要が無く、曲間などを視認しやすくなっている。ディザー・プラグインは“MBIT+ Dithering”や“UV22HR”などを用意 ▲アルバム収録曲を並べて調整などが行えるオーディオモンタージュ画面。各オーディオクリップに対して個別にプラグイン・チェインを設定できるので、アルバム収録曲分のオーディオ・トラックを用意する必要が無く、曲間などを視認しやすくなっている。ディザー・プラグインは“MBIT+ Dithering”や“UV22HR”などを用意

オーディオ・レストレーションも含めマスタリング・ソフトとして万全

ハイレートの音源を16ビット/44.1kHzに変換する際の量子化誤差の影響を低減するディザリング・プラグインは“Internal Dithering”のほかに“MBIT+ Dithering”、定評あるAPOGEEのUV22の高機能バージョン“UV22HR”を用意。木村氏は「いずれも優秀ですが、UV22HRが特に良かったです」と語る。

「ほかのプラグインなどではディザーによって音質が変化するので、それを見越して音質調整することもあるのですが、UV22HRは全く音が変わらないんですよ」

▲波形ウィンドウで“スペクトラム”タブをクリックすると現れる画面。スペクトラムエディターと組み合わせてオーディオの編集が可能。直接編集(Surgery)モードは破壊編集となるが、ノイズの範囲を指定して“削減”などの処理が可能 ▲波形ウィンドウで“スペクトラム”タブをクリックすると現れる画面。スペクトラムエディターと組み合わせてオーディオの編集が可能。直接編集(Surgery)モードは破壊編集となるが、ノイズの範囲を指定して“削減”などの処理が可能

木村氏はWaveLab Pro 9を「プロ仕様のマスタリング・ソフトとして不足を感じない」と評価する。

「オーディオ・レストレーション機能も優秀です。“直接編集”モードでは波形そのものを書き換えていくのですが、ここも処理後の音質にフィルター臭さが無いところが気に入りました。それも含めてWaveLab Pro 9はマスタリングで必要になる機能はおおよそすべて備えていますし、音質的に優秀なMasterRigに加えて、手持ちのプラグインをM/Sで使えるアドバンテージもある。これから仕事で使ってみたいと感じさせる仕上がりでした」

関連リンク:
WaveLab 9 - Steinberg製品

問合せ:ヤマハ スタインバーグ・コンピューターミュージック・インフォメーションセンター
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