飛澤正人が使う「Pro Tools」第3回

Dolby Atmosでオブジェクティブ・オーディオの世界へ

 VRミックスは、音作りを楽しくしてくれます。通常のL/Rでは表現しきれなかった空間定位、奥行き、Ambisonicsで回したときに見えてくる180度相対する音の広がり感など、これまで感じることのできなかった定位感を表現することは、ミックスする者の感性をも刺激します。それはとても斬新でいてスリリングなミックス手法です。またミックスだけでなく、アーティストの創作段階でもこれまでと違ったイマジネーションを与えることができる手法であり、音楽の可能性を何倍にも広げてくれる次世代のサウンドとなって行くことでしょう。

Dolby Atmos RendererとPro Toolsを接続する

 前回はAmbisonicsを使ったかなり高度なVRミックス手法について解説をしましたが、今回は通常のミックスに近いバイノーラル・ミックスについて解説をしたいと思います。“順序が逆なんじゃないですか?”という声も聞こえてきそうですが、初めに高度な方を解説したのにはちゃんとした理由があります。VRミックスにおいてはAmbisonics Bフォーマット、そして“1トラックで多チャンネルを扱う”という概念は必ず持っていなければならない知識であり、これを抜きにしてバイノーラル・ミックスは語れないからです。

 さて、Pro Tools|HD(現Ultimate)はバージョン12.8以降からDolby Atmosイマーシブ・オーディオ・フォーマットに対応しています。Pro Tools|Ultimateソフトウェア上でミックスが可能となるDolby Atmos Production SuiteにはDolby Atmos Rendererというソフトが収録されており、これを介して、チャンネル・ベースの7.1.2ch(スピーカー・アウト)とオブジェクト・ベースの118ch(Pro Tools上にあるトラックを3D空間に配置できるチャンネル数)を、Pro Toolsでコントロールすることが可能です。VRミックスではその118個のオブジェクトを使って3D空間を作っていきます。

 ベーシックな手順は以下の通りです。

手順① Dolby Atmos MonitorとRendererを立ち上げ、ペリフェラルの中にある“Atomos”を開き、オンにチェック。“RMUホスト”のポップアップから、使用しているコンピューターの名前を選択

Pro Toolsの“ペリフェラル”設定。Atmosを選択して、オンにチェックを入れ、RMUホスト(自身のコンピューター・ネーム)を選択。これでDolby Atmos Rendererとやりとりができるようになる Pro Toolsの“ペリフェラル”設定。Atmosを選択して、オンにチェックを入れ、RMUホスト(自身のコンピューター・ネーム)を選択。これでDolby Atmos Rendererとやりとりができるようになる

手順② I/O設定で任意の数のバスを新規に追加し、オブジェクトへマッピングする

▲I/O設定でオブジェクトへ送るバスを作成。入力のNo.が11からなのは、1〜10が7.1.2ch固定スピーカー(7chサラウンド+サブウーファー+ハイト2ch)用のため。オブジェクトへの割当は11〜128の118chとなる ▲I/O設定でオブジェクトへ送るバスを作成。入力のNo.が11からなのは、1〜10が7.1.2ch固定スピーカー(7chサラウンド+サブウーファー+ハイト2ch)用のため。オブジェクトへの割当は11〜128の118chとなる

手順③ 任意の数のAUXトラックを新規作成し、Dolby Atmos Rendererへのセンド・プラグインをインサート。インプットを割り当てる

手順④ ステレオAUXトラックを新規作成し、Dolby Atmos Rendererからのリターン・プラグインをインサート

手順⑤ Pro Toolsの編集ウィンドウからオブジェクトを表示させ、任意のトラックをRendererに送る

編集ウィンドウで“オブジェクト”を表示し、Dolby Atmos Rendererへアサインしていく 編集ウィンドウで“オブジェクト”を表示し、Dolby Atmos Rendererへアサインしていく

 Dolby Atmos Rendererは通常7.1.2chのスピーカーへマッピングするためのレンダリング・エンジンですが、ヘッドフォンでその情報をバイノーラル・モニターするための出力も備えています。この、言わば“仮チェック用”のモニター出力を“音楽のバイノーラル・ミックス用のツールとして使用する”わけです。

Dolby Atmos Rendererでの設定。ここで大切なことはOutput Renderers(赤枠)のBinaural monitoringをオンにすること。Speaker monitoringはオフにしておく Dolby Atmos Rendererでの設定。ここで大切なことはOutput Renderers(赤枠)のBinaural monitoringをオンにすること。Speaker monitoringはオフにしておく

 例えば通常の2ミックスでは、奥の方に配置するパッドなど、いわゆる“壁”扱いの音源を、このDolby Atmosを使って奥ではなく手前やリスニング・ポイントより後ろ側に配置することが可能。こうすることで実際は奥にあるべき壁の音源が“頭の後ろから聴こえてくる”というような演出ができるのです。同様にこの3D空間にオブジェクトを散りばめるように配置させれば、これまでの2ミックスとは全く違った定位感を作ることも可能になります。

 最終的な空間表現方法は人それぞれとは思いますが、この数カ月VRミックスをしていて有効に感じたのは、“正面にあるものをきちっと設定しておく”ということ。例えばドラムは正面にいつものステレオ定位で置いておくなど、そのセッションの中で“基準となる正面位置”があることで横や後ろが生きてきます。

 これらの正面となるトラックはDolby Atmosは通さず、そのまま2ミックス・バスへ送ればOKで、最終的にこの2系統を合わせて、バイノーラルでのVRミックスが完成するという流れです。

Pro ToolsのパンもAtmos対応
頭上を飛び越えるような動きも可能に

 一方、Dolby Atmos Production SuiteにはPannerプラグインが付属していますが、先の手順で設定を終えるとPro Toolsのパンが3Dへと変化し、Dolby Atmosのパンナーとして機能するようになります。

Dolby Atmos時のPro Tools|Ultimateのパンナー。オブジェクト下の赤枠部で、動きのカーブを指定できる。ダイバージェンスの“サイズ”の数値を増やすと、位置を示すオレンジ色のオブジェクトの周囲を覆う空間(立方体)が大きくなり、全体のサウンドの中になじむような効果を生む Dolby Atmos時のPro Tools|Ultimateのパンナー。オブジェクト下の赤枠部で、動きのカーブを指定できる。ダイバージェンスの“サイズ”の数値を増やすと、位置を示すオレンジ色のオブジェクトの周囲を覆う空間(立方体)が大きくなり、全体のサウンドの中になじむような効果を生む

 もちろん通常のパンと同じようにオートメーションを描くこともできますし、Dolby Atmos Pannnerプラグインより直感的に操作できるので、私はこちらの方でパン設定をしています。このパンナーの情報はDolby Atmos Monitorと連動しているので、Pro Tools上で設定した各トラックの位置やオートメーションをまとめて視認することができます。

Dolby Atmos Monitor。画面右のエリアで、スクリーンが正面に相当し、リスナーは床面の中央に位置する。黄色いオブジェクトはPro Toolsの編集ウィンドウから設定し、パン設定を反映したもの Dolby Atmos Monitor。画面右のエリアで、スクリーンが正面に相当し、リスナーは床面の中央に位置する。黄色いオブジェクトはPro Toolsの編集ウィンドウから設定し、パン設定を反映したもの

 このパンナーで面白いのは、頭の上を放物線状に飛び越えていくような動きなどができること。Dolby Atmosではこの上下の動きがとても特徴的で、他のVRプラグインには無い空間作りが可能となります。またこのパンナーのパラメーターにある“サイズ”を増やしていくと、その音源が3D空間にマッチングしていくように変化していくので、“音源をなじませる”ためのツールとしてとても効果を発揮するでしょう。

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 私の連載担当は今回まで。お付き合いいただきありがとうございました。360°定位はそう簡単に作れるものではありませんが、感覚的には従来のステレオ・ミックスで奥行きを作っていく感じに似ています。また、初期反射などの空間を見せてあげることも重要なのですが、そのためには個々の音源のEQ処理なども必須で、ミックスの難易度は相当高いものになります。だからこそこれからのサウンド構築法として発展していくフォーマットであり、リスナーに新しい感覚を与える“斬新なサウンド”として地位を築けるものと思っています。またこのサウンドにより音楽業界全体を盛り上げることを念頭にさらに研究を進めて参りたいと思います。

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*AVID Pro Toolsの詳細は→http://www.avid.com/ja

飛澤正人:レコーディング・エンジニア。スタジオ所属を経て、1980年代後半からフリーランスとして活躍。1990年代末にDIGIDESIGN(現AVID)Pro Toolsでのミックスを始め、Dragon Ash、GACKT、SCANDAL、yucatなどの作品で手腕を発揮してきた。作編曲やプロデュースなどをエンジニアの枠を超えた活動も行う。
www.pentangle.jp

サウンド&レコーディング・マガジン 2018年7月号より転載