ソニーの最新技術Sonic Surf VRを体感するインスタレーション展 Touch that Sound!

音響/映像分野をリードしてきたソニーが独自開発した波面合成アルゴリズムによる空間音響技術、Sonic Surf VR(SSVR)。このSSVRを使って中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)ら5組のアーティストがオリジナル作品を作り上げたインスタレーション展「Touch that Sound!」が御茶ノ水Rittor Baseにて開催された。今回はソニー担当者による技術解説や協力アーティスト5組のコメントなどを通して、SSVRを掘り下げていく。

波面合成技術とは

TTS_ORB 「Touch that Sound!」の会期中、会場となった御茶ノ水Rittor BaseにはSSVR専用のマルチチャンネル・アクティブ・スピーカーRYZ-AS108を横一列に16台設置。来場者は会場を歩いたり、最もバランスよく聴こえる位置に設置されたイスに腰をかけたりしながら、非日常的な音響体験を堪能していた(Photo:Yusuke Kitamura)

簡単に波面合成技術の特徴を説明しよう。例えば、人と人が向かい合って話をした場合、声の音場は球面状の音の波(=波面)として口の周りに広がる。この波面を人間は両耳で受け取り、そこに人が居る(音源が存在する)ということを知覚する。これをスピーカーで再現しようというのが波面合成技術だ。

波面合成には3つの特徴がある。一つ目は、あたかもそこに音源が存在するかのような飛び出す音像だ。音源を自由に動かすことが可能なので、耳元を音がすり抜けるような感覚を味わうことができる。

二つ目は、スイート・スポットが存在しないことだ。2chでのリスニングの場合、Lのスピーカーに寄れば左が大きく 聴こえ、Rのスピーカーに寄れば右が大きく聴こえてしまう。しかしSSVRの場合、空間上に自由に配置した音像の定位は絶対位置になるため、L/Rのバランスが崩れるというようなことが起こらない。そのため、音像に自分の方から向かっていくということも可能となる。

三つ目が、一つの空間を異なる音響空間に分割できる点だ。特定のゾーンだけ音圧を上げ、ほかの音圧を下げることが可能なので、マルチコンテンツを扱うということができるようになる。

今回のTouch that Sound!では、上記の特性を生かした作品を中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)、Cornelius、evala、Hello, Wendy!+zAk、清水靖晃ら5組のアーティストが制作。1ユニットに8chのスピーカーを内蔵した専用アクティブ・スピーカー16台で非日常的な音響空間を作り上げた。会期中は、音像を捕まえに行くように回遊しながら音楽を楽しむ来場者たちの姿が印象的であった。

ソニー担当者が語るSonic Surf VR

▲光藤祐基氏(Photo:北村勇祐) ▲光藤祐基氏(Photo:北村勇祐)

波面合成技術をソニーが独自に製品化したSSVR。音源を空間上の任意の場所に配置したり、自由に移動させたりすることで立体的な音響空間を実現する画期的なシステムだが、まだなじみが薄いのも事実だ。ソニーのオーディオ技術開発部2課統括課長を務める光藤祐基氏に、波面合成とはそもそもどのような技術なのか、そしていかにして製品化に至ったのかなど話を聞いた。

そもそも波面合成という技術はいつごろ確立されたのでしょうか?

 光藤  アカデミックな領域では20年以上前から存在する考え方なんです。複数個の点音源を合成することにより波面を作り出せるということが発見されたのが出発点でした。ただし、複数個の点音源を同時に鳴らすだけではだめで、時間と音量をうまくコントロールする必要があります。また、波面合成を実現するという点でも、理論と現実の世界にはギャップがありました。波面を正確に再現するためには無限かつ連続的に点音源が並んでいなければならないんです。スピーカーの距離が空いてしまうと、周波数の高い方から順に波面を再現できなくなっていきます。これはアナログ・データをデジタル・サンプリングすることをイメージしていただくと分かりやすいかと思うのですが、サンプリング・レートが上がれば上がるほど高い周波数を再現できますよね。波面合成技術も同様に空間を細かくサンプリングできれば、その分高域までコントロールできるんです。しかし、当然無限に間隔無く並べるというのはスピーカーの持つ最低限の大きさや質量の問題やコスト的にも不可能なことだったので、商業的にはなかなか展開されなかったんです。

不可能に近かった波面合成を実現させるきっかけのようなものはあったのでしょうか?

光藤  スピーカーの技術的進化とそれに伴うコストの低下が大きかったですね。以前はスピーカーがカバーできる帯域の広さは、筐体の大きさに比例する部分があったのですが、ある程度小さくても低域から高域までしっかりと鳴らすことができるようになったんです。それによって間隔無く並べるとまではいきませんが近距離にスピーカーを並べて配置できるようになりました。

先ほど話に出た時間と音量のコントロールというのは具体的にどのようなことなのですか?

 光藤  まず時間というのは、ある場所に音源を作り出したい場合、そこから一番遠いスピーカーを最初に、一番近いスピーカーを最後に駆動することによって、ちょうど同じところに結像できるんです。そうすることにより結像した点で音圧が最大化され、そこを中心に波面が広がっていくことになります。また、連続的なカーブを持つ奇麗な波面を作り出すためには音量差をコントロールする必要があるんです。これも先ほどの時間と近い部分があり、遠いスピーカーから出た音の方が減衰量が大きいので、遠いスピーカーの音を大きく、近い音を小さくするというような処理を行っています。さらにSSVRにはソニー独自の波面合成フィルターというものが入っており、この時間と音量のコントロールで満足できない部分を補完しています。

独自のフィルターを使用されているということですが、そのほかにSSVRならではの仕組みはありますか?

光藤  BGMというチャンネルがあります。現状、SSVRはDAWからオブジェクトとBGMという計11個のチャンネルを受け取ることが可能です。このBGMという独立したチャンネルは波面合成をせずに鳴らす音源となっており、同じスピーカーから波面合成した音源とそうではない音源を鳴らすことができます。というのも、SSVRは既存の音響に寄り添うというコンセプトで設計されているので、すべて波面合成しなければならないという形にはするつもりはそもそもありませんでした。例えば主役となる音は波面合成で、それを引き立てる観客の声や拍手などはBGMで、というような音の役割分担が行えます。

確かに今回の制作でも多くのアーティストがBGM機能を活用していましたね。

 光藤  皆さん形にとらわれず制作していただき、こんな使い方があるのかという驚きがたくさんありました。中野さんはブレイクビーツに挑戦し、音を空間に散りばめるように配置したり、清水さんは録音した残響を活用してスピーカーの奥を感じさせるように非常に広い空間を作ったりしてくださいましたね。今回得た演出をSSVRのさらなる進化に反映させていきたいです!

▲SSVRの接続図。DAWで制作したWAVファイルを、SSVR専用の音場デザイン・ソフトRYZ-ASWがインストールされたコンピューターへコピー。RYZ-ASW内で音像移動などを実際にデザインし、プレーヤー・ソフトRYZ-PSWがインストールされた別のコンピューターへ。そこからMADIでコントール・ユニットRYZ-CU164に送られた信号は、イーサーネット・ケーブルで接続された専用スピーカーRYZ-AS108から出力される ▲SSVRの接続図。DAWで制作したWAVファイルを、SSVR専用の音場デザイン・ソフトRYZ-ASWがインストールされたコンピューターへコピー。RYZ-ASW内で音像移動などを実際にデザインし、プレーヤー・ソフトRYZ-PSWがインストールされた別のコンピューターへ。そこからMADIでコントール・ユニットRYZ-CU164に送られた信号は、イーサーネット・ケーブルで接続された専用スピーカーRYZ-AS108から出力される
▲「Touch that Sound!」の際に、御茶ノ水Rittor Baseに組まれたSSVRのシステム。上からマスター・クロック・ジェネレーターのAVID Sync HD、SSVR専用コントロール・ユニットRYZ-CU164が2台、SSVR専用のプレーヤー・ソフトRYZ-PSWがインストールされたHP Z6 G4 Workstationという構成だ。RYZ-CU164は、音声データと稼働電力をイーサーネット・ケーブル経由でSSVR専用スピーカーRYZ-AS108に送っている。1台で8ユニットまでサポートが可能で、今回は2台使用し16ユニットのRYZ-AS108へ音源と電源を供給した。また、RYZ-PSWはオーサリング結果をリアルタイム処理して波面合成を行うことが可能だ。使用にあたってはサブスクリプション・ライセンス(RYZ-SL Series)の購入が別途必要となる ▲「Touch that Sound!」の際に、御茶ノ水Rittor Baseに組まれたSSVRのシステム。上からマスター・クロック・ジェネレーターのAVID Sync HD、SSVR専用コントロール・ユニットRYZ-CU164が2台、SSVR専用のプレーヤー・ソフトRYZ-PSWがインストールされたHP Z6 G4 Workstationという構成だ。RYZ-CU164は、音声データと稼働電力をイーサーネット・ケーブル経由でSSVR専用スピーカーRYZ-AS108に送っている。1台で8ユニットまでサポートが可能で、今回は2台使用し16ユニットのRYZ-AS108へ音源と電源を供給した。また、RYZ-PSWはオーサリング結果をリアルタイム処理して波面合成を行うことが可能だ。使用にあたってはサブスクリプション・ライセンス(RYZ-SL Series)の購入が別途必要となる(Photo:北村勇祐)

五者五様の音像表現 〜作品解説〜

中野雅之(BOOM BOOM SATELLITS)

「untitled #01 -SSVR mix-」

TTS_Nakano

「インスタレーション的になり過ぎず、ちゃんとSSVRで楽しめる音楽を作ろうと考えました。せっかくなら既存曲よりも新曲の方が喜んでくれる人が多いだろうなということも加味しましたね。ジャンル的にはジャングルを意識していて、速いビートとゆっくりした上モノが立体的な音像を作り出しています。また、今回はBOOM BOOM SATELLITESのラスト・シングル『LAY YOUR HANDS ON ME』から抜き出した川島道行の声も使っているんです。存在感を目の前で感じたり、人の気配が自分の周囲を回る感じ、フラッシュバック的に声が目の前を走り抜けていく感じを味わってもらえたかと思います。別次元のエンターテインメントへの挑戦でした」

nakano1 ▲中野による、オブジェクト(音源)の配置や動きをデザインするSSVR専用のオーサリング・ソフトRYZ-ASWの画面。中心にある水平の線がスピーカーを表しており、画面下側がリスナーの立っている方向となっている

Cornelius

「あなたがいるなら -SSVR mix-」

TTS_Cornelius

「既に「あなたがいるなら」の5.1chミックスは作ってあったんです。なので、エンジニアの髙山徹さんと一緒にSSVRでできることを確認して、それぞれの楽器をどう配置するのが良いかあらためて話し合いました。BGMを4ch使っていて、ハイハットなど縦方向を感じにくいものは横に配置し、エレピなどの前後感が分かりやすいものをオブジェクトとして動くようにしています。リスナーに知覚してもらいやすくするため、オブジェクトは幾重にも同じ軌跡を描くように工夫しているんです。SSVRにはたくさんの可能性があると思います。四方八方がスピーカーというのにも挑戦してみたいですね」

cornelius1 ▲CorneliusによるSSVR専用のオーサリング・ソフトRYZ-ASWの画面

evala

「See/Sea/She -SSVR mix-」

TTS_evala 「企画当初から考えていた今回のテーマは“音だけの映画”です。主にフィールド・レコーディングの音で構成しており、音色は一切装飾していません。風や波の音が生々しく聴こえたかもしれませんが、空間の配置や運動を操作することで現実ではあり得ない響きになっているんです。そこから、これまで体験したこともない知覚や感情が立ち上がってくる。ちなみに、BGMを使うとステレオの延長にある空間性を出しやすいんですが、今回はオブジェクトだけの作曲に挑戦しました。BGMには無音のトラックを配置して、曲の尺だけを管理しています。わずか1面でこれほどまでに空間的な創作ができるので、いろいろな妄想が膨らみますよね」

evala1 ▲evalaによるSSVR専用のオーサリング・ソフトRYZ-ASWの画面

Hello, Wendy!+zAk

「Katyusha -SSVR mix-」

TTS_HW

「今回SSVR用にリミックスした「Katyusha」という曲は、もともと立体的な音響をイメージして作っていたんです。渋谷の夜道で見かけたネズミの親子がモチーフになっていて、ネズミが動き回っているイメージが頭の中に浮かんでもらえたらいいなと思います。基本の配置はzAkに決めてもらった上で、トリッキーな音は奥行きが生まれるように、などオーダーして意見を擦り合わせていきました。本来オーサリング・ソフトの座標軸から外れてはいけないんですけど、zAkは“平気やで”と(笑)。結果的に面白い音像に仕上がったと思います。立体的な構造を作るのは楽しかったので、別の作品でも挑戦してみたいですね」(大野由美子)

▲zAkによるSSVR専用のオーサリング・ソフトRYZ-ASWの画面 ▲zAkによるSSVR専用のオーサリング・ソフトRYZ-ASWの画面

清水靖晃

「コントラプンクトゥスⅠ-SSVR mix-」J.S.バッハ「フーガの技法」より

TTS_shimizu

「品川のソニーを訪問した際に、エレベーター・ホールで試しに手をたたいたり、声を出してみたところふくよかな響きだったため、ここでレコーディングをしたいと思ったんです。4本のマイクを等間隔に並べて空間をシミュレートし、正面に無指向性のマイクを立ててサックスを録りました。さらに、奥の両端にも単一指向性のマイクを2本設置し、ホールの響きもキャプチャーしたんです。エレベーターが昇降する音や、停止する際の音もいい味になりましたね。さらに、サーっというノイズも空間の臨場感を醸しだす役割として作品を色っぽくしていると思います。SSVRには可能性を感じたので、音だけのドラマなんかも作ってみたいですね」

shimizu1 ▲清水によるSSVR専用のオーサリング・ソフトRYZ-ASWの画面

サウンド&レコーディング・マガジン 2019年6月号より転載