音作りをやめる覚悟で送った音源に返ってきたメール
やりたいと思うことに真剣に向き合う小さな自信を一番最初にくれたのは、坂本龍一さんでした。
私が坂本さんとお会いしたのは1度だけ、ZAKさんのアシスタントをしていた2015年頃です。その前後で、メッセージでのやりとりをしばらくさせていただいていた時期がありました。私以外の方々にとっては大したことではないと思うのですが、私の人生の軸に関わることでした。なぜあまり言わないようにしていたかというと、自分の実力と自信を見失う未来が見えたからです。自分で自分の表現を世に出してから、そこでやっと、さらに然るべきタイミングだけに話してよい、大切なことにしようと決めてました。今がその時だと思います。最後のひと押しは坂本美雨さんがSNSにアップしていた“知らなかった父を発見し嬉しくなります”という言葉でした。恐れ多いですが、坂本さんは10年前の私みたいな、迷い多き人間に対してもこんな方だったんだ、と、少しでも記憶の一部を共有できたらうれしいです。美雨さん読んでるかな。実は一回美雨さんのバック・コーラスをやったことがあるんです。美雨さんに会ったときに、坂本さんに“うちの娘と名前が一緒だね、みうもみゆも言うときは同じだから”って言われたという話をしたら、美雨さん“もーほんと適当だよね〜!”と笑っていた、懐かしいなあ……。
2013年、当時大学2年生。高校で先生の意向で不思議な曲(武満徹、マリー・シェーファー、三善晃など)をよく演奏していたので、大学の音楽の授業に物足りなさを感じていました。音の授業で課題を出しても先生もそんなに響いていないし、周りは流行の音楽に近いものを提出していて、“私が興味あることって掘り下げてもそんなに面白くないのかな?せっかく大学に入ったし、ほかの可能性も見つけたいな”と思っていたタイミングで、東京都現代美術館で開催されていた『アートと音楽-新たな共感覚をもとめて』という展示を見つけます。そこで武満徹の図形楽譜を発見して衝撃。“あれ、私が高校のとき歌ってた作曲家だ。これ楽譜なんだ……。”展示の最後で“総合アドバイザー 坂本龍一”の文字を見つけ“坂本龍一、知ってる!”。この、私にとって衝撃だった展示の監修をしている坂本さんに私の音が伝わらなかったら、音を掘り下げることはやめる決心が付きそうだから、最後に音源を送ってみよう、と思い立ったのでした(文字にしてみて、この思考が若気の至りすぎて恥ずかしいです)。愛知から上京したてで、勉強と部活漬けの日々だった少女にはあの展示がキラキラ輝いて見えたのでした。
そして私は当時触りたてだったAPPLE GarageBandとABLETON Liveを使って3〜4個、自分の声を使った音遊びみたいなものを送ります。当時の私はもうやめる覚悟でしたから、聴きやすいとかそういうことは一切考えず、自分が本当に面白いと思うものを作っていました。誰にも共有していないので私と坂本さんしか耳を通していないはずです。これからも出すことはありません。CDと一緒に私が音について考えていることと、最後にメール・アドレスを書いて出しました。プチプチの封筒に入れて、最初なぜかユニバーサルミュージックに送ったんです。たぶん検索して事務所っぽく感じたのかな……。即返送されてきました。レーベルとか事務所も分からない中、いろいろ調べてやっと事務所を発見し、再度送ります。重ねて恐縮ですが、もうやめる覚悟でしたから、どうせ届いてもご本人の手には届かないだろうと、確かその差出人不明のハンコが押された同じ封筒に住所を上書きして送った気がします。本当に失礼ですね。それからしばらくして、忘れた頃にメールが届きました。“細井さん、とてもおもしろいです。(略)いろいろやってみてください。また聴かせてください”。車の教習所で実技講習の待ち時間に震えて、その後の実技の教習所の先生に、信じられないと思うけど返事が来たんだ、って言いながら教習所内の坂で初めてエンストしました。
お返事の中には、湯浅譲二、メレディス・モンク、キャシー・バーベリアンの名前とそれぞれの作品のリンクがありました。教習所から帰って、坂本さんはあの汚い封筒を開けてCDを取り込んで手書きのメール・アドレスを打ってメールをくれたんだ……そうか、私は音のこと、続けて大丈夫なのかも!!とじわじわ実感が湧いて、その日で音から離れようとするのを、やめたのでした。あのメールがなかったら、サンレコだって読むこともなかったかもしれない。坂本さんにはその後も音に限らず、美術館という場所のこと、新宿の昔の風景、たくさんのことを教えていただきました。
全神経を集中させてとにかく音符を追いかけた映画劇伴の収録現場
その後私が当時アシスタントしていた澤井妙治さん経由でZAKさんと知り合い、ZAKさんの現場のお手伝いに行くことに。数回現場に入って、ZAKさんから楽譜が読めるか聞かれて“読めます”と答えたら、“じゃあ明日の朝8時にどこどこのコンサート・ホールに来られる?”と連絡があった。何があるかそのときは知らず、当日行ってみると明らかに空気が違う、ただの大学生が来る場所ではないことを確信しました。これが坂本さんが担当されていた映画の劇伴の収録現場でした。来てしまったものはもうどうしようもないですから、とにかくやれることをやるのみです。確かに事前に知らされていたら変な力が入っていただろうから、ZAKさんには一本取られました。今ではお世話になりっぱなしの國崎晋さんに会ったのもこの日です(後ろにずっと張り付いていたので、この人はどんな仕事の人なのかなあと思っていた)。
ZAKさんから受け取った楽譜の束に、レコーディング中にノイズが入ったら楽譜に記入して、最後にどこをつなげるかリストにする、それが私の仕事でした。坂本さん指揮の収録だったので、全神経を集中させてとにかく音符を追いかけノイズを聴き分けるマシンと化していました。よく考えればあの収録現場でZAKさんの隣で音を聴けていたのは本当にぜいたくなことなのに、びっくりするほどに、椅子、鼻息、きぬ擦れのノイズの音の記憶しかないのです。
すべての収録が終わった後、ZAKさんには音源を送った経緯を話していたので、“挨拶しに行ってみる?”と声をかけてもらい。あくまでレコーディングの現場ですし、ほかにもたくさんご挨拶されたい方もいるだろうし、お返事に救われてここまで来れたことなど音源も覚えていないかもしれないし、お話しできませんでした。
最初のメールの“また聴かせてください”から6年かかって、『RADIO SAKAMOTO』のデモ・テープ・オーディションでユザーンさんが2019年のお気に入りに「Orb」を選曲してくださり、坂本さんからもありがたい言葉をいただきました(*1)。YCAMに向かう飛行機の搭乗待ちでおにぎりを食べているときに自分の名前を呼ばれ、飛び上がるほどびっくりした。高校のとき、ASA-CHANG&巡礼でユザーンさんのタブラも散々聴いていた! この音に足すならどんな音がいいかな?という会話が面白くて、話している内容で音を想像してワクワクした。こんな幸せなことがあるのかな? 自分が聴いてきた人たちの耳に入り、その人たちの脳みその中をのぞける。デモ・テープの解説には曲のことだけを書いたけれど、坂本さんはあのときの手紙野郎であったこと気づいていたのかな。でもきっと毎日たくさん手紙をもらっていただろうから。いやいやこれ、連載じゃなくて片思いポエムじゃないですか。
*1:81.3 FM J-WAVE : RADIO SAKAMOTO
2022年12月11日、愛知県芸術劇場の新作のため滞在していたビジネス・ホテルで、弱い電波を頼りに『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』を見た。開始早々、あのとき私が必死に楽譜に書き込んだノイズが聴こえて、フラッシュバックしてホテルで号泣。ああそうか、あれはノイズじゃなかったんだ。
2023年1月17日、アルバム『12』、やっぱり全部入ってる。
2023年2月24日、ダムタイプの内覧会でZAKさんに会う。あのときのノイズの話をして懐かしむ、今回は全部入れたんだと聞く。
坂本さんへ
10年前お返事をいただけたおかげで今があります。まだいろいろやってみています。また、音源送ります。
『12』
坂本龍一
Commmons:
RZCM-77657(CD)
RZJM-77717(アナログ盤)
細井美裕
【Profile】1993年生まれ、慶應義塾大学卒業。マルチチャンネル音響を用いた空間そのものを意識させるサウンド・インスタレーションや、舞台公演、自身の声の多重録音を特徴とした作品制作を行う。これまでにNTT ICC無響室、YCAM、札幌SCARTS、東京芸術劇場コンサートホール、愛知県芸術劇場、国際音響学会AES、羽田空港などで作品を発表してきた。