メディア・アーティスト後藤英の最新作 「Body in zero G」が12月7日@渋谷WWWで公演!

フランスの音楽研究機関IRCAMに所属する作曲家/メディア・アーティストであり、本誌連載「Eureport」(2002~06年)でも健筆を振るっていた後藤英が、オーディオ・ビジュアル・パフォーマンスとしての最新作「Body in zero G」を引っ提げて12月に東京・渋谷WWWにて来日公演を行う。今年の3月にCD/DVD『CsO』、および書籍『Emprise』をリリースするなど多角的な活動を通し、独自の視点からアートの表現を追求し続ける彼。今回のパフォーマンス作品が一体どんなものなのか聞いてみた。

ステージ上で無重力空間を演出する

──まずは、これまで後藤さんが行ってきた制作/研究内容について簡単に教えてください。

後藤 もともと私はクラシックを勉強し、現代音楽の作曲をしていました。その後、パリにあるIRCAMでの作品制作/研究をきっかけに、徐々にコンピューター音楽がメインとなっていきました。もう少し厳密に言えば、私が師事していたドイツ人の作曲家ディーター・シュネーベルの影響によるミュージック・シアター、そしてIRCAMでのコンピューター音楽が混ざったマルチメディア、さらにニュー・メディア・アート、インタラクティブ・アートなどが統合された形で、バーチャル・ミュージカル・インストゥルメントというインターフェースが元となる楽器の開発と、それを用いた作品制作を中心に活動してきました。これはセンサー、プログラミング、パフォーマンスのコンセプトなどがすべて合わさって一つとなる考えに基づいています。

そのバーチャル・ミュージカル・インストゥルメントの発展形として、楽器ロボットも開発しました。かつて北野武氏がベネチア国際映画祭で賞を獲得したことでも知られるベネチア・ビエンナーレにて、ロボットを扱った作品を発表したこともあります。さらにインターネット上のアバターより操作される、ダンサーが装着するためのパワード・スーツなるものも自ら開発しました。IRCAMでは“人工の口”というテーマで、金管楽器を演奏するロボットの研究にも随分長い間かかわり、そのころの研究が後にいろいろな影響を及ぼしています。そうした経緯を経て、現在はメディア・アートとコンピューター音楽を中心にヨーロッパのフェスティバルにて作品を頻繁に発表しています。

──この2016年はCD/DVD『CsO』のリリース、そして書籍『Emprise』も出版しましたね。

後藤 『Emprise』はかつて本誌で連載していた「Eureport」をまとめたものです。確か4年ほど続いたと記憶しています。このように、長期間にわたったものなので、一冊の本にまとめてしてほしいという要望を多くもらったのが出版のきっかけです。さらに書籍化にあたり、補足または部分的な修正を加えました。『CsO』に関しては、ほぼこの10年間に作った主な作品をまとめたものです。この中にはIRCAMのスタジオで制作されたものも含まれます。

そして、CDに収録されている「BodyJack」「Continuum」「CsO」に対して、新たに映像を付けたものがDVDです。上記順にカナダ人の映像作家パトリック・デファステン、イタリア人の映像作家ルシオ・アレーズ、フランス人の映像作家アントワン・シュミットに担当してもらいました。来年6月には、パリを皮切りにヨーロッパ・ツアーも予定しています。

──今回、世界に先駆けて日本で初演される「Body in zero G」はどのようなものになる予定でしょうか?

後藤 例えば、日本では東京駅の改装のこけら落としでプロジェクション・マッピングのイベントがあったと聞いています。プロジェクション・マッピングはオーギュメンティッド・パフォーマンスとも言われるのですが、これを舞台効果として用いることができます。実際にはアナモーフィック・パースペクティブという、ヨーロッパではルネサンス期より用いられている遠近法と目の錯覚の技術が今回の作品では使われています。ある視点から見ると映像が立体的に、しかも空中に浮いているように感じます。その中で、ダンサーがあたかも無重力空間で踊っているように見えるものです。

この「Body in zero G」は“2020年までに地球上で無重力状態を作り出すプロジェクト”と題されており、無重力空間をあらゆる技術を用いて実際に再現することが目的となっています。その第一歩として、映像技術によって無重力空間を舞台上でシミュレーションするのが今回のアイディアです。2020年というのは東京オリンピックとかけており、そのころまでには実際にその技術とそれを用いた作品が完成する予定です。重力があるのは誰も疑うことない事実であり、その中で当たり前のように我々は生活しています。人間の身体もそれに従って進化してきたわけです。ダンスを含むあらゆる芸術もそれに従って発展してきました。その通常の状態を根本から覆し、あらためて我々の現代生活、我々の身体性について問い直すというのがこの作品の主旨です。“もし今、急に無重力状態になったら、あなたはどうするか?”と問いかけながら作品は進行していきます。

──具体的にはどんな技術が使われるのですか?

後藤 この作品の中で、ダンスの動きをあらかじめMICROSOFT Kinectでモーション・キャプチャーして、そのデータを元に映像が用意されています。さらにレンダリング技術だけではなくopenFrameworksなども部分的に用いています。サウンドに関してはCYCLING '74 Maxに加えて、Csoundのスコア・ファイル部分をIRCAMのOpenMusicを用いて生成して、サウンドを合成しました。音楽的にはナラティブなものを目指しています。しばらくインタラクティブを中心にやってきたのですが、インタラクティブの関係性や抽象的な部分を超えて、もっと表現や内容を考えているためです。ちなみに自分は勝手に“デジタル・ナラティブ”と呼んでおり、新たな方向性を考え始めています。

パフォーマンスはアクシデントとの戦い

──今回の公演で、後藤さんが特にお勧めする“見どころ”はどこになりますか?

後藤 今回は、アソル・ハーモニクスの森堅一さんのプロデュースの元、この企画が構成されました。“日本人ダンサーとのパフォーマンス作品”という森さんからの強い要望で行われることになったのです。先日、ある雑誌でRhizomatiksの真鍋大度さんと対談した際も話によく出たのですが、テクノロジーを用いたライブでのパフォーマンス作品はとても大変なのです。技術的な問題だけでなく、制作や企画、運営なども関係してきます。複雑な話を省略すると、実質的には完ぺきに行うのはほぼ無理で、何らかのアクシデントを乗り越えながらいかに無事に公演を行うかがポイントと言っても過言ではないようなものです。これまでも何度も心臓が止まりそうな経験をしてきました。

そこで、冗談みたいな話ですが、本番がいかにアクシデントを克服しながら行われているのかを想像してもらいながら見てもらうのが最もお勧めの見方かもしれません。そして無事に最後までたどり着けたら、拍手をいただけたらうれしいです。また、私自身が公演後にそっけなくなっていたら、限度を超えた疲労を感じている状態ですので、大目に見てやってください(笑) 。

──ところで、ヨーロッパと日本のアートに対する温度感はやはり違いますか? また、しばしばアートは難解になることがありますが、大衆が理解できる範囲に落とし込むことは重要だと思いますか?

後藤 数年前に作曲家の三輪眞弘さんとお酒を飲みながら話をさせてもらったことをふと思い出しました。三輪さんはご存じの通りかつてドイツで生活をしており、現在は日本で活躍されている方です。そのとき、三輪さんが繰り返し言っていたのが、“日本にはアートが無い”という言葉です。そのとき私は“純粋な素晴らしい意見だな”と聞いていたのですが、実はその本当の意味を理解していなかったのです。早くから海外で学んで、そのまま生活しながら作品発表を行ってきたためか、アートについて考えたことがなかったのです。アートの中にある哲学やスタイルについてはいつも考えています。しかし、ヨーロッパに長く住んでいると、アート自体の存在について全く疑うことがありませんでした。言い換えると、それが当たり前の状態だと思っていました。しかし日本に来ることが最近増え、そのことについて注意を払うようになりました。そこでよく耳にするのが、日本でアートをすることがいかに大変かということです。

自分のことで恐縮ですが、先日のヨーロッパでの公演では会場がいっぱいでした。これは特に私の公演ということとは関係なく、一般の人のアートに対する興味/認識が高いからです。そこには学生らしき若い人から専門家らしき少し高齢の人もいました。そこでは各自が好きなような聴き方をして、好きなように判断してくれます。私はそれでいいと思う上に、それが当たり前だと思っていました。そこで作品に関しては、特に作家が一般に向けて何をするかどうかということのレベルでなく、何もそれに対してはアプローチしなくてもいいと考えていました。高尚なアートにすがって傲慢に自分のアートは一般に理解してもらわなくてもいいということではありません。むしろいろいろな人が、100人居れば100通りの解釈があるので、しょせん何もするすべが無いと言う意味です。作品というものは長いプロセスを経て作られるものなので、どうしても制作者の個人でのかかわりが根本的なものとなります。そこでは長い時間を経た個人的経験が背景となります。それ自体は複雑なものではないのですが、他者には理解は容易ではありません。また、プロセスの中でいろいろな考えも交差します。これも必ずしも複雑なものではなく、個人で完結してしまう言語レベルなので他人には理解し難いものです。それここそがアート、特に現代のアートが難解と言われる要因でしょう。そのようなものが背景となり、インスピレーションされるわけです。

作品制作は個人の段階であると考えていますが、作品が発表され、さらにそれを見聞きしてもらう段階は別問題だと考えています。作品発表は、大学の難しい哲学の講義をしているものではありません。そのような背景となる哲学を押し付けるようなものであるべきではないと考えています。作品自体は一般の人に好まれるように変える必要は無いことは上記で述べましたが、それを表現する段階では明確な方法を用いることは大切だと最近考えています。そこで何かしらの、コミュニケーションの題材となるものが必要となってきます。時には、それは分かりやすく語りかける切り口のようなものであっても良いと思っています。私の場合、それがテクノロジーとなっているのです。現在の我々の生活の中では、テクノロジーというのはおどおどしい科学研究ではなく、毎日の生活の中でのコミュニケーションの媒体であり、時にはそれを容易にしてくれるものです。そこで誰もが接するコミュニケーションの媒体が少し変化した形で、作品となって用いられているのです。

しかし、人はまだまだ、その段階で人に取って代わって別のものになるのを嫌います。それに関してはなかなか理解しようと心を開くのを嫌がる傾向です。例えば、ヒューマノイド・ロボットを見て、誰もがすごいと感心します。そのような未来を感じさせてくれるようなものに憧れます。しかし、それらが人に取って変わって、楽器を演奏したり、作曲をしようものなら、すぐに嫌悪感と恐怖をいだきます。しかしこれは時間の問題で、慣れが関係してくるものです。人はすぐに慣れ、そして、すぐに飽きます。そして新しいものを探しては、矛盾するかのように恐怖も同時に抱きます。上記を質問の回答とするならば、この繰り返しが理解と不理解にあたる部分だと思います。

──最後に、作品のアイディアやインスピレーションなど、後藤さんの創作/研究意欲の源はどこにあるのですか?

後藤 この歳になって言うのは少し気恥ずかしいくらいですが、いまだに作品を構想しているときが楽しくて仕方がないです。その間はすべてを投げうって、1日中作品のことを考えているくらいです。いろいろなアイディアが溜まってきて、もやもやした状態から抜け出して少しまとまってきたくらいの段階で、急にすべてが見通せる瞬間があります。それがいわゆるインスピレーションということでしょうか。作品が天から急に舞い降りてくるような大げさな話ではなく、実際にサウンドや視覚的なものが明確に見えて来る瞬間です。その後は機械的な作業と、私の場合はダンサーやパフォーマーと練習をしながら作品を修正していきます。そうした時間ももちろん大切なのですが、私の創作のモチベーションの源は構想時の楽しさだと思います。

私の研究の本当の意味は、このようなアイディアのひらめきの後に、それを実現するための技術を調べたり、開発するときが研究と言えるでしょう。技術やあらゆる物事を学ぶ際には、このような強い目的がとてつもないエネルギー源となります。私は電気的な技術やプログラミングなどをそうやって学んできました。学んだというよりも、一心不乱になっているときに、気が付いたらそうなっていたのです。

GotoSuguru 後藤英 / ニューメディア・アーティスト、作曲家。アメリカのニューイングランド音楽院で作曲を学び、ドイツでディーター・シュネーベルに師事。フランスのIRCAMにて バーチャル・ミュージカル・インストゥルメントの開発&プロジェクトの制作を行う。音楽、芸術、科学、哲学すべてにおける深い造詣を、前衛的に表現する。

【公演概要】
「Body in zero G」
日時:2016年12月7日
会場:渋谷WWW
出演者:後藤英、駿河暁子、鈴木綾香
イメージ・デザイン : Lucio Arese(ルシオ・アリーズ)、Patrick Defasten(パトリック・デファスン)、海野崇彬、Damien Serban(ダミエン・セルバン)
OPEN 19:00/START 19:30

※パフォーマンス後、専門家による パネル・ディスカッションも開催
登壇者:草原真知子(早稲田大学文学学術院/文化構想学部表象・メディア論系教授)、佐々木敦(HEADZ代表)、サンソン・シルヴァン(アンスティチュ・フランセ東京 文化プログラム主任)

問合せ:note@athor-harmonics.co.jp
http://sugurugoto.com/shibuyawww/

【後藤英Recent Work】

<CD>

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『CsO』
Suguru Goto
Athor Harmonics:ATHO-3009(CD)


<書籍>

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『Emprise(エンプリズ)〜現代音楽の系譜から、コンピューター・ミュージック、エレクトロニック・ミュージック、ニュー・メディア・アート、新たなパフォーマンスへの進化』
後藤英
(スタイルノート)