前回は、ほかのエンジニアと協力してのミキシングや、スタジオでのアコースティックな録音と自宅での緻密なエディットのハイブリッドなど、Avid Pro Toolsならではの制作について書いた。今回は“編集感覚そのものを作品にできないか”というアイディアにチャレンジしたソロ・アルバム『Betsu No Jikan』の編集プロセスについて書いてみたいと思う。このアルバム制作の幾つかあるテーマの1つが、“できる範囲で、できる限りクリエイティブにPro Toolsを使い倒す”というものだった。
Pro Toolsを使い倒し匂いや手触りのあるレコードを作る
本題の前段階に、録音された音楽における“香り”や“手触り”について考えを巡らせたい。空気振動である音には、当然、匂いもなければ触感もない。それでも香りや手触りを感じさせる音は間違いなく存在すると思う。例えば、1950年代にチェス・レコードで録音されたマディ・ウォーターズのレコードからは、土や汗の匂い、密集し熱狂した人々の湿度、あるいはシカゴの街角のなんとも言えない臭気が伝わってくる。ヤン・ガルバレクのECM録音からは、寒い日に外に出たときに嗅いだことのある乾いた空気の匂いを感じる。
主観的で感覚的な意見だが、DAWでグリッドから外れた音を正したり、ピッチの揺らぎを数値的に正しい場所に直したりするほどに、このような香りや手触りを失っていくような感覚を覚えたことはないだろうか。またそれは、そもそもの演奏によるところも大きい。ブレイク・ミルズのギターの音色も、マッドリブのトラックも、現代のアメリカのレコードでは、DAW時代においても匂いを放っているようなものが多いと感じる。そうした視点で私たち日本人の録音の潔癖さ、匂いのなさに思いを巡らせれば、ネット時代におけるシミや汚れのない質感は、ある種リアルでもある。街では至るところで注意書きを目にするが、日本には特に多いと感じる。先日、友人の結婚式で行った品の良い式場の池の前にあった“飛び込まないでください”には面食らった。
こうした注意書きを無意識に“見逃しながら従う”ようにDAWを操作してはいないだろうか。そんな自問自答が、『Betsu No Jikan』でPro Toolsに向き合おうと考えた根底にある気がしている。DAW時代における香りや質感への問いに向き合い、あくまでDAWでしかできない編集や作曲法にトライする。本作はそんなアイディアに対して、幾つもの手法を用いて挑戦した作品だった。中でも「If Sea Could Sing」は、アコースティックな録音とDAW的な手法を組み合わせて仕上げた。
別の曲のサックス・トラックを波形編集して旋律を作成
「If Sea Could Sing」は欧州的なモーダル・ジャズ風だが、非常にややこしい過程を経てアコースティックなアンサンブルに聴こえるよう仕上げている。もともとは私が録りためていた環境音のストックから、水の流れる音がリアルタイムに変化するようプログラムを作り、それを聴きながら、石若駿のドラムと私のBOSS SY-300を用いたギター・シンセによる即興演奏をするところから始まった(流動的にハーモニーが変化するプログラムをSY-300に仕組んだ)。クリックはなし。スタジオで2テイク録ったのち、ドラムの流れを基本に、もう少し楽曲的な様相が浮かび上がるように、ギター・シンセの波形をcommand+Eで細かく刻んだ(この制作で1億回以上押した……。ショートカットを用いた編集はPro Toolsが圧倒的に便利)。ある種この作業も即興的で、ドラムを聴きながら、“ここを起点に和声が変化すると美しいのでは?”というファースト・インプレッションを頼りにベーシックを作った。
その後に、同アルバム収録の「Deep River」のために録ったサックスのアウト・テイクを、ベーシック上に散りばめた。キーを合わせた上で作業を行い、欲しいメロディ・ラインを作り出すために異なるテイクのフレーズをつなぎ合わせたり、CELEMONY Melodyneでメロディに変化を付けたり、音の長さを縮めたり伸ばしたりした。
また同時進行で、ベーシックを元に即興演奏してもらったコントラバスでも同様の作業を行い、楽曲的に聴こえる地点を探りながら編集を施した。さまざまなテイクを組み合わせながらも自然なダイナミクスを作るのに、クリップ・ゲイン機能やオートメーションはとても重宝した。
こうして、この曲ではPro Toolsでのクリップの編集で和声や旋律を生み出すという作曲方法を試した。サンプラーは用いず、あくまで波形編集のみで作り上げつつも、やはり私は匂いや手触りという点でアコースティックな録音への執着があるからだ。またこのトラックでは、匂いや“自然”の流動性を音楽に持たせる、または演奏者に意識してもらうために、積極的に環境音を用いている。これはともすれば、人口公園や温室の草花のような“人の手が入った自然”的なものになりかねないが、グラニュラー系のソフトを活用してピッチやダイナミクス、エフェクトをランダムに変化させ、できるだけ演奏者がこれから起こることを予測できないような仕組みを用いた。自然は美しくもあるが、常に人類にとっての脅威でもある……というわけで、また次回。
岡田拓郎
【Profile】シンガー・ソングライター/ギタリスト/プロデューサー。2012年にバンド“森は生きている”を結成し、2017年にソロ・デビュー。2022年発売のソロ・アルバム『Betsu No Jikan』では、アンビエントやニューエイジなどに通じる新たな表現を試みている。
【Recent work】
『熱のあとに Original Sound Track』
岡田拓郎
(NEWHERE MUSIC)
Avid Pro Tools
LINE UP
Pro Tools Intro:無料|Pro Tools Artist:15,290円(年間サブスク版)、30,580円(永続ライセンス版)|Pro Tools Studio:46,090円(年間サブスク版)、92,290円(永続ライセンス版)|Pro Tools Ultimate:92,290円(年間サブスク版)、231,000円(永続ライセンス版)
REQUIREMENTS
Mac:macOS 15.1、最新版のmacOS 14.7.x/13.6.x/12.7.x、M3/M2/M1あるいはINTEL Dual Core i5より速いCPU
Windows:Windows 10(22H2)/11(23H2)、64ビットのINTEL Coreプロセッサー(i3 2GHzより速いCPUを推奨)
共通:15GB以上の空きディスク容量
*上記はPro Tools 2024.10時点