ミックスだけで、年間300曲をこなす男=ニラジ・カジャンチ。レコーディング/ミキシング・エンジニアとして多忙を極める彼だが、このところ夢中になっているのが“ステレオ・マイク”だそう。厳密に特性をそろえた2つのカプセルを1つのボディに収め、一本でステレオ収音を可能にするマイクだ。「ステレオ・マイクに関しては、世界で一番と言えるほど使っているでしょう」と自信を持つ彼に、主宰するスタジオNK SOUND TOKYOで語ってもらう。
Photo:Hiroki Obara
ニラジ・カジャンチ
NYやLAでエンジニアとして活動し、ボーイズIIメンやマイケル・ジャクソンらの作品に携わる。日本移住後は三浦大知、氷川きよし、Little Glee Monster、安室奈美恵、SUGIZOなどを手掛ける。近年はジャズのセッションも多い
物量を減らせるし歌モノの録音にも有用
ステレオ・マイクを買い始めたのはここ5年くらいで、今年もSTAGER SR-2Nというモデルを購入しました。特性のそろった2本のマイクをステレオで立てる“ステレオ・マイキング”はキャリア初期からやってきましたが、いかんせん現場の物量が増えるので、マイク・スタンドに人がぶつかって角度が変わってしまったり、ミュージシャンに圧迫感を与えてしまうなど、さまざまなリスクが付き物です。それを軽減するのが“1本でステレオ・マイキングできる”というステレオ・マイク。バンドを一発録りするときなどは、マイク・スタンドを6本や7本、減らせますからね。またステレオ・マイクで楽器を録ると、モノラル音像である歌が際立つのもメリット。アニメ・ソングのセッションで声優の方々とかかわるようになって、その効果を実感しています。
ステレオ・マイクには、さまざまなタイプがあります。真空管コンデンサー型やリボン型といった形式違いのほか、カプセルを動かしてステレオ幅を調整できるものがあったり、その可動域がモデルによって異なっていたりと多様です。とは言え、ステレオ・マイクは世の中に25機種くらいしか存在しないはず。僕は17機種所有していて、大半が30~100万円ほどのものです。安価な機種には、カメラに装着して使う映像制作向けのものもありますが、スタジオ・ワークに使用するなら精度の高いモデルが良いでしょう。
モデルによっていろいろなキャラがある
では、どういうソースに立てるのでしょうか? 僕はドラム・キット全体を録るために使うことが最も多いです。設置する場所はキットの真正面1mくらい。オーバー・ヘッドのマイクで全体をとらえるのと似たような感覚かもしれません。キックは通常のモノラル・マイクをオンで立てて録りますが、ステレオ・マイクで拾う音に求めるのは、スネアとシンバルをいかにうまく汚せるか。そのためにアウトボードのコンプを併用し、ミュージシャンがノリ良く演奏できるよう音作りしてから録っています。
立てるのは1本ではありません。大抵、同時に3機種ほどを設置します。まずはリボン型のステレオ・マイク。ダークな音がするものですね。次にナチュラルでフラットな特性のコンデンサー・ステレオ・マイク。そして、ものすごく派手なサウンドのコンデンサー型モデルです。これらをミックスの際にブレンドして音作りするのですが、肝心なのは定位感を録りの段階で決めておくこと。例えば、Lchとセンターの間のどこに何のドラム・パーツを配置するか、というのをマイクの向きで決めるんです。録音後にDAWで定位を調整すると、ステレオ・マイクでとらえた反射音の感じなどが変質してしまうからですね。これについては後述するとして、具体的にどんな機種を使うのか紹介しましょう。
最もよく使うのは、ROYER LABS SF-24とJOSEPHSON C700S、AKG C422、BRAUNER VM1Sの4つ。次点を挙げるなら、ROYER LABS SF-24VとSONTRONICS Apolloの2本ですね。これらは僕のデフォルトで、楽器やプレイヤー、部屋、音楽ジャンルなどを問わずゴールに近付けやすい機種かもしれません。“どの機種をメインにするか”は狙っている音によるのですが、例えばアニソンで派手なドラムが欲しければ、ブライトな音質のJOSEPHSON C700Sを基準にすることが多いです。もっとオーセンティックなポップスで、ナチュラルなドラム・サウンドが得たいならAKG C422がメイン。2022年1月にリリースされる、つじあやのさんのアルバム『HELLO WOMAN』のドラム録りにはC422をメインで使うことがほとんどでした。ダークなドラム・サウンドが欲しいときは、リボン型のROYER LABS SF-24が主体になりますね。
JOSEPHSON C700S
AKG C422
ROYER LABS SF-24
以上の3本を混ぜて音を作ることが多く、C700Sとは違うブライトさを求める場合はBRAUNER VM1S、SF-24よりも重心の低い音にしたいなら真空管バージョンのROYER LABS SF-24Vを使います。EQを使うことなく、マイクの周波数特性で音作りしたいのは、敬愛するアル・シュミット先生からの教えによるものなんです。
BRAUNER VM1S
ROYER LABS SF-24V
日々、検索しまくっている
残り一本のSONTRONICS Apolloは、僕が所有するステレオ・マイクの中でも安価な機種。音が悪いわけではないんですが、さまざまなシチュエーションに使える万能型という感じではなく、“この音が欲しい!”といったときに登場させる個性派です。例えばストリングスを録るとき。ハイエンドなステレオ・マイクだと、分離が良過ぎてビオラやチェロなどが個別に聴こえてくるんですが、曲によってはそれらの“間”を埋めたいたい場合があります。もっと同じ部屋で鳴っている感じにしたいとか、プレイヤー同士が近い感じになるようにしたいときですね。その際にApolloを使います。ハイエンドなモデルに比べて位相特性が甘いのか、個々の楽器が良い具合に滲(にじ)んでくれるからです。
SONTRONICS Apollo
GOLDEN AGE PROJECT R1 STも安価な機種で、Apolloと同じく個性的な一本です。例えばモノラル・マイク1本ではどうにも音像がナローで、しかしステレオにすると広過ぎるという場合、R1 STやApolloに替えると程良く左右に広がってくれるんです。
ステレオ・マイクの用途としてドラムとストリングスの録音を挙げましたが、アコースティック・ギターにもかなりの頻度で使用します。と言うか、ステレオ・マイクをアコギに立てない理由が無い。広がりのある音像が得られるから、相性が良いんですよ。ベースに関しては、エレキベースには向きませんが、アコースティック・ベースと好相性。ボディの鳴りだったり、ふくよかな成分のある楽器に向いていると思います。
ステレオ・マイクの魅力は語り尽くせませんが、特にリボン型の機種にはフィギュア8のカプセルが2基備わっているため、部屋の鳴りまでたっぷりと収められるという面白さもあります。僕は、スタジオの個性として部屋の鳴りを含め録音するのが好きなので、ステレオ・マイクの周りに置く吸音材とその材質などを選りすぐってレコーディングに臨むことがしょっちゅうです。COLES 4050など買えていない機種もありますが、日々インターネットで“Stereo Microphone”と検索して、新しいステレオ・マイクを探していますね。
ニラジからの提言!
機材を買うこと自体にはワクワクしませんが〝すべての機材を買うこと〟に意味を感じます
僕は基本的に、デモ機の試聴などをせずに機材を買うんです。マイクにしても、試してから購入したものは1本もありません。音を知りたいのなら、自分でお金を払って買って、学ぶべきだと思うからです。勉強代だと思っているところもあるし、そこに対する投資は荒いかもしれないけど、惜しまないことにしています。
いろいろ試した中で一つ選んで購入すると、“買ったものが一番だ”というマインドになりがちだと思うんです。それが嫌なんですよ。5つのマイクを購入前に比べるんなら、その5つを全部買った方がいいと思います。裏を返せば、僕はモノに対する気持ちの入り方が人より薄いかもしれません。壊れても、売却しても、はたまた買っても、それ自体には何も思わないんです。もう、買い物にワクワクしないんですよ。すべては勉強だと思っているので、だからこそ全部買いたくなる。むしろ、すべてを持っていることにワクワクしているし、満足もしています。僕には、より多くの選択肢があります。それが気持ち良いんです。10年前は、買うこと自体がめちゃくちゃ楽しかったです。でも今は、とりあえず全部買う。これが僕のスタイルです。