LAビート・シーンをつなぐ“SP-404”という共通言語
SP-404がビート・シーンで注目されるようになった背景には、LAビートの隆盛がある。そのシーンのアーティストたちと交流を持ち、自身もSP-404MKIIを愛用しているDJのMayumikillerに、LAビートとSP-404の関わりをひもといてもらった。
LAビートの興隆と共に広がったSP-404
LAのビート・シーンにおけるSP-404の存在は象徴的で、その背景には1999年に創設されたインターネット・ラジオ局dublabの影響と、その中心人物であるマーク“フロスティ”マクニールとアレー・コーエンから広がった自由な音楽コミュニティがあった。さらに、いち早くフライング・ロータスを輩出したプラグ・リサーチや、ブレインフィーダー、リーヴィング・レコーズ、ストーンズ・スロウ、アンチコンなどのインディペンデント・レーベルがSP-404シーンを形作ったと言える。
特に、ダディ・ケヴ主催の伝説的なイベント“ロウ・エンド・セオリー”は、ヒップホップやエレクトロニカの枠を越えた新しいスタンダードを生み出し、SP-404はその中心にあった。SP-404の魅力は、電池駆動で持ち運びが容易な点と、その独特の太いサウンド。海外の某ビート・メイカーが語る“高価な機材をそろえずとも、SP-404のコンプレッサーがあれば十分だ”という言葉は、その魅力を象徴している。ロウ・エンド・セオリーを中心としたムーヴメントが、SP-404とLAビートの確固たるつながりを生み出した。LAシーンにとってSP-404は欠かせないものである。
LAビート・シーンの興隆とほぼシンクロするように、SP-404の広がりが起こったように見える。これはフライング・ロータスやロウ・エンド・セオリーでLAビートが大きな盛り上がりを見せたことにより、ティーブスやラス・G、そして彼らの周りのビート・メイカーたちがSP-404を手に世界中を飛び回ったためだろう。電池駆動で簡単に動くSP-404は驚くほど持ち運びやすく、使い勝手が良い。そして、低域を重視するLAビート独自のサウンドを一台で簡単に表現しやすかったというのも、彼らが好んでSP-404を使った要因だ。
当時、私がロウ・エンド・セオリーに遊びに行ったときも、会場にたどり着く前のはるか彼方から低域がずしりと響いていて、それを聴くたびに胸が高鳴り、今から浴びるビートに期待でワクワクしたものだった。ラス・Gも、自身のライブでは必ず低域をフルで効かせた独自の音を鳴らしており、その音量によってシステムの音が止まり、やっと再開したと思ったらまた低域が響きすぎて音が止まる。でも彼はそれを絶対にやめない。彼のプライドとLAビート・シーンの伝統、そして愛用しているSP-404がそこにあった。
仲間とつながる奇跡の瞬間がある
ティーブスもほかのビート・メイカー同様、SP-404に魅了された一人だった。2025年の来日公演の際、私の店Select Wear and Music Shop LOSERを訪れたティーブスはSP-404について語ってくれ、愛着を持って使い続けている様子が印象的だった。特に彼は初代SP-404をこよなく愛し、今も自分でリペアしながら大切に使用している。
LOSERではMndsgn(マインドデザイン)やラス・Gなど、LAをはじめ世界中から訪れる多くのビート・メイカーがSP-404でライブを行っている。私自身もSP-404MKIIを使いはじめて2年。SP-404は単なるサンプラーではなく、ビート・メイカーたちの共通言語であり、仲間の証なのだと感じている。言葉はなくとも、この機材を通して仲間とつながり、音楽を共有できる。その瞬間はまるで奇跡のようである。
SP-404は、私にとって単なる機材以上の意味を持っている。SP-404を使う、たったそれだけで尊敬する大好きなビート・メイカーと友達になれたような気持ちにすらなる。これからもその流れは永遠に続いていくだろう。SP-404は気軽に使えるサンプラーとしての枠組みを越え、LAビート・シーンとのかかわりの中で進化し続ける。この20周年の節目にSP-404がもたらした奇跡と感動を振り返り、その流れがこれからも続いていくことを確信している。