2人の愛好家が語る モジュラー・シンセの魅力
1995年にDOEPFERが設計したユーロラック規格も今では広く定着し、Tokyo Festival of Modularが約10年にもわたって支持されてきたように、ここ日本でも根強い人気を博すモジュラー・シンセ。ここでは、agraph名義での活動や電気グルーヴのサポート、劇伴作家としても活動する牛尾憲輔と、ベーシスト(ナンバーガール、Crypt City、ART-SCHOOLのサポート・メンバー)で音楽プロデューサー、近年はモジュラー・シンセによるライブも積極的に行う中尾憲太郎の特別対談が実現した。モジュラー・シンセをこよなく愛する2人の話から、モジュラー・シンセを既に使っている人はもちろん、まだ使ったことがない人にもその魅力を感じ取っていただけたら幸いだ。
熱量を失わずに演奏できる
──お二人はこれまでに面識は?
中尾 ありますよ。
牛尾 (田渕)ひさ子さんが間に入りますからね(編注:中尾はナンバーガールで、牛尾はLAMAで、それぞれ田渕ひさ子とバンドを共にしている)。あと、尾と憲が同じ漢字で。
中尾 その話、めちゃくちゃ覚えてる(笑)。
牛尾 ですよね? ユニットをやるときは、漢字で尾憲ズ(オーケンズ)だって(笑)。
──ではお二人に、まずモジュラー・シンセとの出会いを伺えますか?
中尾 僕がエンドースしているEARTHQUAKER DEVICESがユーロラック規格のリバーブをリリースしたんです。ブランドの宣伝部長みたいなことをやってるし、それを説明できないのはちょっとカッコ悪いなと思い、理解するためにモジュラー・シンセの基本セットを買い、そこから沼っていった感じです。
── エフェクターの延長のようなイメージ?
中尾 当初はそんなふうに捉えていたけど、“これは何か違うぞ”と。どうしても普通の楽器脳だと、アンプまで一直線に行くと思っちゃっているけど、モジュラー・シンセはそうじゃないですから。CVも理解しちゃえば、“何だよ、ああ~”みたいな感じなんだけど、そこに行くまで半年くらいかかりましたね。コロナのちょい前くらいから触り出して、コロナの時期にはライブが全部飛んで触る時間ができたから、もうずっと触っていましたね。
──牛尾さんは?
牛尾 僕はそもそもシンセ・オタクだし、いつかたどり着くものの一つと子どものころから思っていました。初めて触れたのは大学生のときで、音楽教室にDOEPFERのベーシック・システムA-100 BS-2があったんです。最初は全然分からなかったけど、ラッキーなことに同時期にCYCLING '74 Max/MSPを触っていて。この機能はMax/MSPで言うとこれだ、ユーロラックだとこれなんだと、行ったり来たりしながら理解することができました。
中尾 それ、ちょっと分かる。自分がどうベースを弾いているのかを今まで考えたことがなかったけど、モジュラー・シンセをやり出してから、“強くピッキングするっていうことは、強くエンベロープをかけることなんだな”って。自分のプレイを分解して考えられることに気づきました。
──牛尾さんが初めて自分でモジュラー・シンセを買ったのはいつでしょうか?
牛尾 最初にモジュールを買った履歴がメールに残ってたんで見てみると...
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