NancyがWONK「Rollin'」のミックスを解説

NancyがWONK「Rollin'」のミックスを解説

WONKの「Rollin'」を題材曲にしたミックス・ダウン・ツアー特集、ここではエンジニアが作成した自身のミックスについて解説していただく。羊文学、DMBQ、ピノキオピー、おとぼけビ~バ〜など数々のバンドのPAや、主宰レーベルkazakami recordsの作品のエンジニアリングを務めるなど、幅広い音楽分野で存在感を発揮するNancy氏。主にPAエンジニアとして活躍する彼女ならではのミックス・テクニックについて、詳しく話を伺った。

Text:Satoshi Torii Photo:Chika Suzuki

今回のミックスについて

 初めに考えたのが、PAミキサーでラフ・ミックスを作るということでした。普段からPA業務を行うことが多いので、スピーカーから大きな音で聴いた方が絶対インスピレーションが湧くと思ったんです。それで、港区のライブ・ハウス、青山月見ル君想フに協力してもらいました。PAミキサーを使えばトラックを各チャンネルに割り当ててすぐにフェーダー操作できるので、直感的な作業も可能ですしね。結果的に自宅から作業をスタートするよりも、断然良いものが出来上がったと思います。

 実は今回、「Rollin’」オリジナル・ミックスを聴いてしまうと、そのイメージに引っ張られてしまうと思って作業の終盤まで聴かないようにしていました。だから、各素材のトラックだけで聴いていた段階では上品でユニセックスな印象を持っていたのですが、作業の後半で原曲を聴いてみると、力強い印象でビックリして。ただ私が最初に感じたイメージは崩さず、逆にもっと空気感を出していこうと思って取り組みました。最終的な仕上げの段階でも、エンジニアの大城真君のスタジオをお借りして、大きな音で鳴らしてチェックしています。小さな音でもヘッドフォンでももちろん作業はできるのですが、やっぱり完成前にもう一度空気を通った音で確認しておきたかったですね。

 コンテストの応募作品を聴くのを、非常に楽しみにしています。個人的には、全く異なるアプローチのミックスも聴いてみたいです。

東京都内にある自宅の一角に構えたNancy Private Studio。モニターのADAM AUDIO A7は長く使い続けているスピーカーで、昨年オーバーホールを施したそう。ミックスの際に使用したオーディオ・インターフェースUNIVERSAL AUDIO Apollo X4は、持ち運びできるサイズ感や遅延の少なさからPA現場でも使用している

東京都内にある自宅の一角に構えたNancy Private Studio。モニターのADAM AUDIO A7は長く使い続けているスピーカーで、昨年オーバーホールを施したそう。ミックスの際に使用したオーディオ・インターフェースUNIVERSAL AUDIO Apollo X4は、持ち運びできるサイズ感や遅延の少なさからPA現場でも使用している

Point 1:PAシステムを使ってボリュームを調整

 最初にラフ・ミックスを制作しました。主な作業としては各トラックのボリューム調整で、どのパートをどれくらいの音量で出せば一番格好良くなるかというのを調節しています。PAするときと同じように、ベースとドラムから始めて、それから上モノをどう共存させていくかを考えました。

 今回協力してくれた青山のライブ・ハウス、月見ル君想フとは長い付き合いで音もよく知っているし、常設されているYAMAHA CL5は自分にとってすごく扱いやすい卓です。瞬発力と言いますか、自分の中に湧き上がってきたインスピレーションをすぐに形にできるんです。コンピューターとミキサーをDanteで接続すればすぐにイン/アウトのチャンネルを割り当てられて、簡単にマルチで録音できるという便利さもあります。

ライブ・ハウス青山月見ル君想フのミキサーYAMAHA CL5

APPLE MacBook Proを持ち込み、Dante接続を行って作業を進めた

Nancy氏が今回ラフ・ミックスを行ったライブ・ハウス、青山月見ル君想フのミキサーYAMAHA CL5(写真上)。APPLE MacBook Proを持ち込み、Dante接続を行って作業を進めた

 ボリュームのほかにも、大音量の中でパンを振ったときの聴こえ方とか、リバーブの感じとか、構成として盛り上げどころはここだな、というのを決めていきました。ラフ・ミックスとは言いつつも、最終的なビジョンまでこの段階で練り上げています。

Point 2:シンセ・ベースを格好良く聴かせるための低域作り

 次に自宅で細かくミックスしていきました。ここでも低域のパートから行っています。ラフ・ミックスの段階から特にシンセ・ベースが印象的で、一番はっきり聴こえるようにしたいなと。クリップゲインで最大6dB上げていて、ここまで上げているパートはほかにないですね。それからFABFILTER Pro-Q3とWAVES L3を使って、低域を持ち上げつつシンセ・ベースらしい2kHz近辺の鋭角的なサウンドも強調しました

シンセ・ベースに使用したWAVES L3。リミッターとマルチバンド・マキシマイザーの機能を有するプラグインだ

シンセ・ベースに使用したWAVES L3。リミッターとマルチバンド・マキシマイザーの機能を有するプラグインだ

 ドラムはキックからで、最初にWAVES API 550Bを使いました。50Hzを2dBブースト、180Hzを2dBカットして、3kHzと10kHzを4dBブーストしています。あとPro-Q3、WAVES L1、SSL Native Drumstripも挿しました。Native Drumstripもドラムでよく使っていますね。ロー感とアタック感を調節して、最後にゲインを決定。すごく使いやすくて重宝しているプラグインです。キックの低域も、やっぱりシンセ・ベースが格好良く聴こえるかを意識しながら作業していきました。

ドラム用プロセッサーのSSL Native Drumstrip。ゲート、トランジェント・シェイパー、低域/高域のエンハンサーのほか、SSLコンソール伝統のリッスン・マイク・コンプレッサーも備わっている

ドラム用プロセッサーのSSL Native Drumstrip。ゲート、トランジェント・シェイパー、低域/高域のエンハンサーのほか、SSLコンソール伝統のリッスン・マイク・コンプレッサーも備わっている

 ほかにフロア・タムとタムを、当初は鳴っている部分以外すべてファイルを切り刻んでカットしていたんです。すると、分離は良くなったんですが奇麗になりすぎてしまって。聴き比べてもかぶりが残っている方がグルーブが出ていたので戻しました。その分オーバーヘッドのかぶりは不要に感じたので、250Hz以下をEQでカットしています。

Point 3:ボーカルのリバーブはオートメーションで抑揚を

 上モノは同時進行で進めています。ボーカルはどれも元の素材がすごくよくできていたので、プラグインはSSL Vocalstrip 2くらいしか使っていないです。あまりコンプをかけすぎないことを心がけながら、3~4kHz付近を持ち上げて芯が出るようにしています。

 ボーカルは音作りよりもリバーブに時間をかけましたね。WAVES Trueverbが声質的に合っているように思ったので、オートメーションを細かく書いて使用しています。ほかにAVID D-Verbでもリバーブを足しました。D-VerbはPA現場でもよく使っている、一つの基準にしているプラグイン。変に迷うくらいなら1回D-Verbで音を作って、そこからいろいろ変化させて試していくことが多いです。

ボーカルに使用したWAVES Trueverb

オートメーションを書き、展開に合わせてリバーブのかかり具合を調節している

ボーカルに使用したWAVES Trueverb(画像上)。メイン・ボーカルとダブリング・ボーカルのリバーブに使用したプラグインの一つ。オートメーションを書き、展開に合わせてリバーブのかかり具合を調節している(画像下)

 ギター・ソロは、WAVES Maserati GRPを挿しています。微妙なサチュレーションというのか、少し変わったひずみを加えられるので好きなんです。ギターのリバーブもD-Verbです。

Point 4:パートの役割を意識したEQ処理

 ピアノは“PF_2”のトラックが、リズムと絡んでくるピアノだったのでその役割をはっきりさせようと、Pro-Q3で硬めのサウンドにしています。これはピアノに限らずですが、EQをかけるときはそれぞれの役割を意識しています。音量を決めるときと同じように、パート同士の絡みを見つつ、どこの帯域を調節すれば格好良く聴こえてくるか、みたいな部分ですね。

Nancy氏がさまざまなトラックで多用するEQ、FABFILTER Pro-Q3。ピアノ・トラックの“PF_2”では、200Hz付近からQ幅を広めにしてカット。リズムがより強調されるよう硬めのサウンドを意識した処理を行っている

Nancy氏がさまざまなトラックで多用するEQ、FABFILTER Pro-Q3。ピアノ・トラックの“PF_2”では、200Hz付近からQ幅を広めにしてカット。リズムがより強調されるよう硬めのサウンドを意識した処理を行っている

 Pro-Q3は、デフォルトで周波数ポイントが設定されていなくて、自由に選択できるのが好きなんです。感覚的に作りやすくてスピード感もあるので、思考が遮られることなく作業できます。音もしっかり変化してくれるので、いろいろなパートに使っています。

Point 5:ギミックを追加してイントロにアクセントを

 ミックスの順番としてはイントロが最後になったんですが、少しアクセント的なギミックを加えたいなと。「Rollin'」の歌詞を読んでみた印象で、ちょっと壊れた感じが欲しいと思ったんです。その時期にたまたまCHASE BLISS Generation Loss MKIIというエフェクターを試す機会がありました。VHSやテープのひずみを再現するだけでなくて、ランダムなエラーを生み出しノイズのような効果を付け加えるエフェクターで、これを使ってみようと。

Nancy氏がイントロに使用したCHASE BLISS Generation Loss MKII。前モデルから改良されステレオ入出力が可能となった

Nancy氏がイントロに使用したCHASE BLISS Generation Loss MKII。前モデルから改良されステレオ入出力が可能となった

 イントロ部分の2ミックスをGeneration Loss MKIIを通して10パターン以上録音し、最終的に3トラックをイントロに混ぜてみました。PAエンジニアという職業柄、ノイズには敏感で、悪いノイズって倒れそうになるくらい嫌いなんですが、これはすごく音楽的な良いノイズを足してくれますね

Generation Loss MKIIを通したイントロの2ミックスを、3種類混ぜた模様。“GL11”と名付けられているが、実際はもっと回数を重ね、ランダムに発生するノイズの中から吟味していったそうだ

Generation Loss MKIIを通したイントロの2ミックスを、3種類混ぜた模様。“GL11”と名付けられているが、実際はもっと回数を重ね、ランダムに発生するノイズの中から吟味していったそうだ

 イントロにはROLAND TR-808系のキックも入っていて、これをバランスが崩れない限界までボリュームを上げています。ノイズとうまく共存させたくて、ベース・ミュージックのような低音が出したいという意図ですね。

 あとは歌の節の終わり際に、ちょっと変わった印象を付けたいと思って部分的に少しだけディレイを足しました。AVID Tape Echoというプラグインが、妙に使いやすくてアクセントとしてよかったです。

AVID Tape Echoは、Nancy氏いわく「絶妙なテープ感があり、ボーカルに部分的に足したことで少し印象が変わったと思います」とのこと

AVID Tape Echoは、Nancy氏いわく「絶妙なテープ感があり、ボーカルに部分的に足したことで少し印象が変わったと思います」とのこと

Point 6:再度スピーカーから大音量で出力し低域を確認

 ある程度出来上がってきた中で、大きな音でスピーカーから出力して低域を確認したいと思い、仲の良いエンジニアの大城真君のスタジオをお借りしました。自宅でも小さい音でチェックはできるけど、やっぱり最後に空気を通した音は絶対確認しておきたいなと。

Nancy氏とは旧知のエンジニア、大城真氏のスタジオのスピーカーTANNOY SGM108。大城氏のスタジオにはほかにもNEUMANNのモニター・スピーカーやサブウーファーを常設している

Nancy氏とは旧知のエンジニア、大城真氏のスタジオのスピーカーTANNOY SGM108。大城氏のスタジオにはほかにもNEUMANNのモニター・スピーカーやサブウーファーを常設している

 自宅で作業していたものをスタジオで聴いてみると、“あれ? ちょっと奇麗にミックスしすぎているな”と感じて、マスター・トラックにPro-Q3を挿して聴きながら低域と高域を調節しました。その次にTOKYO DAWN LABS TDR Kotelnikovというマスタリング・コンプレッサーを挿していて、フリー・ソフトなんですがすごく優秀なコンプ。スレッショルドとメイクアップを調節したら絶妙に音圧が出て良かったです。今回初めて使ってみたんですが、ぜひお薦めします。

フリー・ソフトのマスタリング・コンプレッサー、TOKYO DAWN LABS TDR Kotelnikov。適度な音圧を付加することができて使いやすい

フリー・ソフトのマスタリング・コンプレッサー、TOKYO DAWN LABS TDR Kotelnikov。適度な音圧を付加することができて使いやすい

 あとは原曲を聴いてみて少しパキッとした硬めの音像にしたいなと思って、いろいろと試してみながらIZOTOPE Ozone 9 Maximizerを挿しました。IRC(インテリジェンス・リリース・コントロール)モードのIRC IIとIRC IIIの質感が好きなんです。最後にWAVES L2を挿して完成です。

IZOTOPE Ozone 9 Maximizer。スレッショルドを下げていったときの独特な輪郭の出方が気に入っているとのこと

IZOTOPE Ozone 9 Maximizer。スレッショルドを下げていったときの独特な輪郭の出方が気に入っているとのこと

Nancyのミックス・アドバイス

Nancy

★まずはボリュームを調節して全体像をつかむ

★各パートの役割をはっきりさせるEQ処理

★空気を通した大きな音でチェック

【Profile】Nancy a.k.a. 溝口紘美。羊文学、シャムキャッツ、DEERHOOF、DMBQのツアーPAや、DOMMUNE、BLACK OPERA、Asian Meeting Festival、MultipleTapの音響など国内外で幅広く活動中。2020年からはオウンド・レーベルkazakami recordsをスタート!

【特集】ミックス・ダウン・ツアー2022

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