個別録音からオケの響きを生み出すPSOレコーディングの手法 〜オンラインでのオーケストラ録音を可能にする『Private Studio Orchestra』【後編】

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ゲーム音楽を中心に制作するノイジークロークが、オーケストラをリモートで録音するという新たなプロジェクト「Private Studio Orchestra(PSO)」をスタートした。前編では、ノイジークロークの代表を務める坂本英城氏に、PSOをスタートした経緯やその取り組みを伺ったが、後編では、PSOのレコーディング手法を見ていこう。通常、オーケストラはスタジオやホールにて合奏をレコーディングするわけだが、PSOでは各奏者の独奏を重ねてオーケストラ・サウンドを生み出す。録音場所は奏者の自宅であり、その環境もさまざま。果たして、どのようにレコーディング、そしてミックスをしているのだろうか? ノイジークロークのエンジニア込山拓哉氏に解説いただいた。

Photo:Takashi Yashima

 

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違う部屋の響きで補い合う
トラック同士の相互関係を考えた録音

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【Profile】音響ハウスに10年間所属したのち、2018年よりノイジークロークのエンジニアに。これまで培ってきた生楽器録音の経験を生かし、同社初のエンジニアとしてゲームやアニメを中心に、レコーディングからミックス、マスタリングまで手掛けている。担当作品に『文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~』『三國志14』などが挙げられる。

― 録音環境を持っていない奏者の方には、機材の貸し出しから行ったそうですね。

込山 オーディオ・インターフェースはSSL SSL 2を選んでいます。PSOの機材を探しているときにSSL 2を試したんですが、マイクプリの癖が少なくて印象がすごく良かったんです。PSOでは後から録り音を調整することが多くなるかもしれないと考えていたので、SSL 2の特徴はぴったりでした。マイクの種類は楽器によって変えていて、「ボレロ」の場合、弦楽器にはオンマイクとオフマイクの計2本、管楽器はオンマイク1本でしたね。部屋の広さなどの問題から誰か1人がマイク1本で録ることになると、同じセクションの人たちも同じ本数で録ることなります。そういう理由から本数に差が出ているんです。DAWはAVID Pro Toolsで統一しています。マイクの位置調整やDAWの使い方などは、Zoomを使ってオンラインでみなさんにレクチャーしました。

 

― 奏者の部屋によっては響き方が全然違うと思いますが、調音パネルなどでの調整は行っていたのですか?

込山 お持ちの方は使っていたりしますが、こちらからお願いして設置してもらったりはしていません。住環境を崩してまで調整はしないようにしています。その部屋の響きを生かす意識で、マイクや奏者の演奏する位置を考えていきました。

 

― 不要な鳴りが起きていたりする場合も、マイクの位置だけで対処している?

込山 もちろんカバーできていない場合もありますが、同じセクション内でデッドな部屋とライブな部屋があるとして、それらの音が合わさったときにお互いを補うようなイメージで考えて録りました。全体像を予想しながらレコーディングし、トラック同士の相互関係で仕上がりを良くする感じです。ありがたいことにノイズは少なかったですし、もしどうしても気になる部分があればEQで調整したりもしましたが、「ボレロ」のセッションではEQが1つだけ挿さっているくらいでしたね。

 

― 録音時点では、オーケストラ特有の響きとは全く違うものになっていると思います。ミックスではそのオケの響きをどう再現しているのでしょうか?

込山 まずはオンマイクとオフマイクのトラックの扱いをどうするのか。また、やはりリバーブをどう使うのかが重要になってきます。ここはPSOの要の部分ですので多くは語れませんが、かなりの試行錯誤をしました。でも、一番大切なのは録音時。奏者とのやり取りに時間をかけ、完成形を想像しながら録ったからこそ、ミックスではそんなに時間はかかっていないんです。

 

PSOのリモートRec風景 Case.1
萱谷亮一(パーカッション)

 PSOにはオーケストラをはじめ、さまざまな分野で活躍するトップ・プレイヤーたちがコア・メンバーとして参加している。ここからは、そのメンバーの自宅に構築された録音環境を見ていこう。最初に紹介するのはパーカッショニストの萱谷亮一。膨大な種類、そしてダイナミクスに富む打楽器たちをどのように収音しているのだろうか?

Photo:Takashi Yashima

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【Profile】8歳よりドラムを始め、中学でマーチング、高校でブラス・バンドを経験。東京芸術大学音楽学部器楽科にて打楽器を専攻し、卒業後はクラシックだけでなくミュージカルや演劇、アーティストのライブ・サポートなど、幅広いフィールドで活動している

ピアニッシモなどの強弱の考えを
ほかの奏者と共有しておくことが大切

 PSOでは、録音環境を持っていない奏者へ機材を貸し出し、そのセットアップまでノイジークロークがサポートしている。しかし、萱谷の自宅には楽器置き場兼練習用スペースがあり、萱谷自身も自宅録音の経験があったため、PSOのレコーディングはこの場所で行っているそうだ。

 

 「やはりマイキングに関しては素人なので、込山さんに音を聴いてもらいながらマイク位置を調整していきました。今まではとりあえず録って、後はエンジニアの処理に任せるという感じでしたが、今回はミックスまで見越した上で込山さんにサポートいただいたので、この場所でもスタジオ・クオリティまで近付けることができたと思っています。打楽器奏者が感じる良い音というのはやはり生音なのですが、マイクを通した良い音というのはPSOの制作を通じて学べましたね。今後の活動にも生きてくると思います」

 

 ほかの奏者や指揮者がいない中で録音をするというのは、演奏にどのような影響があるのかを聞いてみると、「タイミングとアーティキュレーション」という答えが返ってきた。

 

 「PSOのデモ曲として演奏した「ボレロ」は、スネアのタイミングを指揮者に合わせてキープするのにかなり緊張感を要する曲なのですが、PSOの録音時は一人で演奏することになるのでクリックを使いました。なのでリラックスして演奏ができましたし、例えば3連符の部分を少しプッシュ気味にたたいてみるなどのアプローチもやりやすいのではないかと思います。ソリストの人などは歌い回しにかなりこだわって録音ができるんじゃないでしょうか。時間をかけて何回も録れるのはメリットですね。また、自分の考えているピアニッシモやフォルティッシモの大きさと、別の奏者の大きさが違うこともあります。PSOの録音では、そういった部分の考えを共有しておくことも必要です」

 

 このような試行錯誤の上、PSOのデモとして完成した「ボレロ」。萱谷はどのような印象を持ったのだろうか?

 

 「全く違和感が無く、しっかりと「ボレロ」になっていることに驚きました。もちろん、スタジオやホールで録ればまた違った響きになるのだと思いますが、PSOの音もちゃんとオーケストラとして成立しています。デモでは「ボレロ」というインテンポな曲でしたが、逆にテンポが揺れる曲などクリックから逸脱した曲にも挑戦してみたいです」

 

Engineer's Comment
壁に向けたQTC40で部屋の響きをキャプチャー

 萱谷さんは既に録音機材が整っており、オーディオ・インターフェースのUNIVERSAL AUDIO Apollo X8Pやマイクプリ&AD/DAのBEHRINGER ADA8200があり、マイクもAKG C214やNEUMANN U87などをお持ちなので、それらを活用しています。音の確認は、一度録ってもらったものを送ってもらう以外に、DAWの音を別のコンピューターからストリーミング再生できるAUDIOMOVERS ListenToも使用しました。

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萱谷が所有するレコーディング用機器。上からUNIVERSAL AUDIO Apollo X8P、BEHRINGER ADA8200、FOCUSRITE Scarlett 18I20が並ぶ。「ボレロ」の録音ではApollo X8Pが使われており、UADプラグインのかけ録りなどはされていないそうだ

 「ボレロ」のティンパニには、オンマイクにC214、ルーム・マイクとしてEARTHWORKS QTC40を使っています。最初はかなり打面に近い位置にC214を立てていましたが、それでは点のような印象で録れてしまったため、もう少し広がりを持たせるために距離を空けて設置しました。QTC40は部屋の端に置き、壁に向けて設置することでルーム感を収音しています。

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楽器の響きを生かすため、ルーム・マイクとしてEARTHWORKS QTC40を使用した。L/Rに1本ずつ、部屋の端に立てられ、壁を向けて設置されている

 グランカッサの録音ではオンマイクにNEUMANN U87とSHURE Beta 52Aを使いました。最初はグランカッサの前にU87を立てて、低域を拾うためにBeta 52Aを裏側に立てたのですが、思ったほどホールのような響きが得られなかったため、U87を上から狙うように立ててみたところ、良いサウンドをキャプチャーできました。グランカッサにおいても、ルーム・マイクとしてQTC40を立てています。

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グランカッサ録音時のセッティング。上部にNEUMANN U87が立てられ、下を向けた状態にセットされている。グランカッサの背面には、低域をとらえるためのSHURE Beta 52Aを用意。ルーム・マイクのQTC40も合わせて使われている

 部屋の広さや機材面も含め、日本のパーカッショニストでこのようなリモート・レコーディングに対応できる環境を持っている方はいらっしゃらないと思います。萱谷さんの存在は心強いですね。

 

PSOのリモートRec風景 Case.2
今野 均(バイオリン)

 次に紹介するのは、バイオリニスト今野均の録音環境だ。ストリングス・セクションがどのようにレコーディングされているのか見ていこう

Photo:Hiroki Obara

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【Profile】5歳よりバイオリンの演奏を始める。東京音楽大学に進学後、在学中よりスタジオ・レコーディングからステージでの演奏まで、さまざまな場で演奏を行なってきた。演奏家としてだけでなく、アレンジャーやプロデューサー、音楽監督としても活動している

セクションとなったときの結果を考える
高度な想像力が必要です

 今野の自宅には練習部屋としてのスペースが用意されており、防音処理も行われていた。

 

 「レコーディング用の機材がありますが、これらを導入したのはコロナ禍になってからです。こんな状況の中でも自分でできることはやっておこうと、周りのエンジニアなどに助言をもらいながら機材をそろえていたところ、ノイジークロークからお声掛けいただきました。これまでのレコーディングでは、スタジオに行ってエンジニアの方にすべてをやっていただいていたので、自分で録るとなると分からないことだらけで。まずはAVID Pro Toolsの使い方から込山さんにレクチャーいただいて、最低限のところまで自分で録音できるように教えてもらえましたね」

 

 PSOに参加している奏者たちは、今野主導の下で選ばれていったそうだ。どのような基準で参加メンバーを考えていったのだろうか?

 

 「演奏技術はもちろんですが、最低限の環境を持っている人は前提にしていました。PSOの録音において、一番難しいのはある程度ノイズを遮断できるような場所を家の中に持っているのかどうかです。ご家族で住んでいらっしゃる方もいますし、それぞれで環境が全く違うので誰でもできるわけではありませんから」

 

 自分が納得できる演奏をじっくりと録音できるのが自宅録音の魅力ではあるが、オーケストラのサウンドにおいては注意しなければいけない点もあると言う。

 

 「オーケストラでは、各弦楽器奏者のちょっとしたピッチのズレが揺らぎを生み、それが音の豊かさにつながっているという側面があります。一人きりで演奏をすると、セクションとして聴いたときの音ではなく自分の演奏のみでのジャッジになってしまうので、みんながピッチを丁寧に合わせ過ぎるかもしれません。そうなることで、セクションとして合わさった結果、音が細くなってしまうということもありえます。セクションとなった場合の結果を考えて録音するという、高度な想像力が必要になってくるんです」

 

 「ボレロ」の制作を通して、「PSOの可能性が見えた」と今野は言う。

 

 「奏者ごとのパラデータになっていることで、自由自在にバランスを取れるというのはこれまでに無かったこと。コンサート映像を見ながら、ある奏者の演奏だけを聴くというようなこともできるかもしれません。PSOはいろいろな可能性を秘めていますね」

 

Engineer's Comment
逆算的な考え方でリバーブを使う

 今野さんはオーディオ・インターフェースのUNIVERSAL AUDIO Apollo Twin Xと、マイクのAUDIO-TECHNICA AT4050をお持ちでしたので、「ボレロ」ではそれらを使って録音をしました。AT4050を2本用意し、1本はオンマイクとして上から狙う配置に。もう1本はオフマイクとして部屋の隅に置き、壁に向けてセッティングしました。

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今野の作業用デスク。オーディオ・インターフェースはUNIVERSAL AUDIO Apollo Twin X、スピーカーはYAMAHA MSP3を使用している

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バイオリン録音時のマイク・セッティング。今野は座った状態で演奏し、写真左側のオンマイクで上から収音するように設置されている。写真右側は壁に向けてセットされたオフマイク。部屋の響きを含めて収音している

 今野さんはAT4050のみでしたが、ほかの弦楽器奏者の方はAT4050とLEWITT LCT 540 Subzeroを組み合わせて録っています。LCT 540 Subzeroはクリアで、AT4050は温かみがあって強めのキャラクターです。奏者の録音環境に合わせて、どちらをオンマイクまたはオフマイクにするかを決めていました。

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今野が使用したマイクはAUDIO-TECHNICA AT4050。ほかの弦楽器奏者はAT4050とLEWITT LCT 540 Subzeroを使い、その奏者の録音環境に合わせて2本のマイクのセッティングを変えていたという

 同じ弦楽器でも、やはり録音環境による影響で各奏者によって音の違いは生まれます。ミックスではEQを使うと同時に、各奏者のトラックに合わせたリバーブもかけました。それからセクションとしてまとめることで均一化と一体感を出しています。まとまったときにどういう聴こえ方をさせるのかを考えた上で、先にリバーブを使うんです。ほかの楽器においても同じで、逆算的な考え方でミックスをしています。

 

 PSOデモ・ソング「ボレロ」

トップ奏者である今野均(vln)、最上峰行(oboe)、福川伸陽(horn)、辻本憲一(tp)、萱谷亮一(perc)をはじめとするPSOの奏者たちがラヴェルの「ボレロ」(編曲:坂本英城)を演奏。奏者の自宅で録音が進められ、エンジニア込山拓哉氏によるミックスで自然なオーケストラ・サウンドを実現している。

 

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PSOへの依頼や問合せ

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