サウンド・プロデューサーのクボナオキ氏が2018年に設立したクリエイティブ・レーベルM-AG。本誌ではこれまでもクボ氏のスタジオを紹介してきたが、新たなスタジオが渋谷に造られたということで、取材に向かった。そこに広がっていたのは、レコーディングに訪れるミュージシャンにとって快適かつクリエイティブが活性化されるように試行錯誤して練られた空間。アコースティックエンジニアリングによる設計/施工で造られたSTUDIO M-AG 1stの様子をじっくりとレポートしていく。
音楽制作以外の“余白”を重視し、クリエイティブに特化したレコーディング・スタジオ
M-AGの社用スタジオは、以前から所有していた渋谷駅前に位置するSTUDIO M-AG 2ndと、ここで紹介するSTUDIO M-AG 1stの2拠点で展開。クボ氏がその変遷を語る。
「アコースティックエンジニアリングさんに造ってもらった1個目のスタジオ(現2nd)でも作曲やプリプロ、レコーディングをしていたのですが、エンジニアのカモ(ショウヘイ)が所属してくれてレコーディング業務が増えたので、レコーディングに特化したスタジオも造ろうと決めました。長時間の音楽制作に耐えるためには“余白”がすごく大事だと思い、リラックスできる空間というのもセットで考えたかったんです」
話の通り、スタジオ内の大きな面積を占めるロビーにはゆとりある空間が広がり、ダーツなども置かれている。
「遊びものも大事なポイントで、アーティストやスタッフの方々がコミュニケーションを取るきっかけになっています。そういう音楽を作る以外の“余白”に、音楽を作る上で必要なものが詰まっている気がしていて。リラックスすると本来の力が発揮できたり、想像もつかなかったことが思いつく。そういう空間にしたくて“クリエイティブに特化したレコーディング・スタジオ”を造ろうという意識はすごく大事にしました」
施工を行ったアコースティックエンジニアリングの入交研一郎氏もクボ氏が描いたコンセプトをこう振り返る。
「会社内の制作スタジオですが、外貸しできるレベルで造るというのがコンセプトでした。同じフロア内にあるバック・オフィスもいわゆる“事務所”という感じにせず、あらゆる環境をクリエイティブな発想ができるようにしたいと当初から伺っていました。広さや立地も良い物件で、唯一の弱点は天井高でしたが、少しでも高くできるようにギリギリで遮音構造を設計したので、音響的なデメリットもなくせたと思います」
各スタジオのキーワードを挙げるとしたら「2ndが“シティ”で1stは“ネイチャー”」だと話すクボ氏。「自然っぽいぬくもりが欲しかったので、木質系のデザインを意識しました。ただ譲れなかったポイントが“かっこ良くありたい”ということ。防音の性能や吸音性を保ちながらも、空間が広く見えるようになったのは入交さんのマジックだと思います」と続けた。
そのために入交氏はどう音響設計を進めたのだろうか。
「クリエイターやエンジニアの方が内装のビジュアル的な意味で気に入られるものには、潜在的に音のイメージも含まれると思うんです。例えば、板張りの部屋が好きな方は、音も含めてその空間が気に入っている。なので、クボさんのビジュアル的なイメージを元に、求める全体の響き感を把握して音響設計をしっかり行って進めました。木の硬さによって響きの硬さも変わるのですが、ここではスタジオでよく使われるレッド・シダーという針葉樹系の材を中心に採用しました」
クボ氏はこのようにして造られたスタジオの音環境を気に入りつつも、既に将来的な展望も見据えているようだ。
「音の響きを自分たちでもコントロールしていく必要があるので、適度なデッド感が欲しかったんです。デッドな分、素直に出るので音を作り込みやすいですし、どんな音を出してもかっこいい。とはいえ、音は時代によって変わる部分もあるので、今はこの状態でしっかりと戦って、新しいエッセンスを入れたくなったら吸音部分に拡散材を足していってウェットな感じにしていくのも面白いのかなと思っています」
同社エンジニアのカモ氏も「2ndより広くなって音が見えやすくなりましたし、かゆい所に手が届くような聴こえ方で、すごく作業しやすいです。長時間作業しても疲れにくいです」と、作業環境の改善を実感している様子を話してくれた。
持ち込まれた各種DAWに対応可能なシステム。使い慣れた環境でレコーディングが行える
レコーディング・ブースは「バンドからオケまですべての楽器に対応したい」というクボ氏の要望がかなえられている。
「ボーカルはできるだけドライに録りたいけど、ストリングスやアコギは鳴りを含めて録りたい。そこで、このサイズ感をフルに使うためにドライとウェットを向きで変えられるようにしたんです。コントロール・ルーム側を向くと木の反射によりウェットに録れて、向きを変えると吸音面によりデッドになるような空間をしっかりと作れるように意識しました」
さらに、ユーザーに合わせて柔軟なレコーディング環境を構築できるのも、このスタジオの大きな特徴だという。
「備え付けのAPPLE Mac StudioにもDAWが幾つか入っていますが、エンジニアやクリエイターが持ち込んだコンピューターに入っているそれぞれのDAWでもこのスタジオの仕組みが使えるんです」
システム構築を手掛けたのは、クボ氏とも親交の深い宮地楽器RPMの柳田将秀氏。詳細を後日、柳田氏に尋ねた。
「クリエイターが持ち込んだコンピューターにドライバーを入れて、ケーブルをつなぐだけでそれぞれのDAW環境のままレコーディングが行えます。具体的には、使いたいコンピューターにApollo 8P、Pro Tools HDX、MTRX|Studioのコントロール・アプリDADman Controlのドライバーを入れ、オーディオI/OのUNIVERSAL AUDIO Apollo 8Pと接続するためのThunderbolt3のケーブルを接続するだけです。必要なドライバーはスタジオに常に用意されていますし、一度接続してしまえば、再度訪問した際はすぐに使用可能です」
このように、クリエイターとエンジニアそれぞれの視点から使いやすさを熟考して造り上げられたSTUDIO M-AG 1st。クボ氏は今後さまざまなアップデートも予定しているようだ。
「やっと本格的なアップデートが始まった状況で、機材も日々増やし続けている最中ですし、Dolby Atmos仕様に変更できる部分も造ってもらったりしているので、半年後くらいには全然違うものになっていると思います。関わるクリエイターが増えていくのでその度にカモの作る音も変わりますし、僕らを成長させてくれるスタジオだと感じています」