ソニーの360立体音響技術を使用した新しい音楽体験=360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)。全方位から音に包み込まれるようなリスニング体験を実現するその制作手法や聴きどころに着目。今回は、360 Reality Audio版のTM NETWORK「Get Wild」『LIVE HISTORIA DX ~S Selection~』、小室哲哉「RUNNING TO HORIZON(206 Mix)」をピックアップ。小室からの各楽曲へのコメントに加え、エンジニアの原田しずお氏、坂元達也氏による制作過程の紹介をお届けしよう。
Photo:Hiroki Obara 取材協力:ソニー
今月の360 Reality Audio:小室哲哉&TM NETWORK
配信サービス
Amazon Music Unlimited、Deezer
※360 Reality Audio版はスマートフォンで試聴可能です
ARTIST|小室哲哉
こんなにトラックを作っていたんだなと新鮮だった
これまで多様な最新技術をいち早く導入してきた小室。初めて360 Reality Audioに触れた印象をこう語る。
「偶然かもしれないし、時を同じくしてかもしれないですけど、ちょうど“メタバース”という言葉が出たころからお話をいただいたので“見えない空間に存在する音作りを始めているのか”というのが第一印象です。球体の中で聴こえる音を独立してというよりは、これから先の新しい空間に向けての音像を研究されているのかなと感じました」
続けて、360 Reality Audio版の各楽曲について尋ねてみよう。「Get Wild」を聴いて再発見もあったという小室。
「30年以上前の曲なので、だんだんデフォルメされて、若い人がピアノで弾いたりするとメロディくらいまでそぎ落とされている感じで。最近自分でもそぎ落とし切った「Get Wild」しか聴いていないから、あらためてトラックに入っている音がいろいろなところから出てくるのを聴くと、こんなにトラックを作っていたんだなと新鮮でした。スタジオを使わせてもらっていた時代に、やれる限りのことをやろうという若さみたいなものも感じましたね」
自身がボーカルも務めるソロ曲「RUNNING TO HORIZON」は制作時から挑戦的な手法を導入した一曲。今回は昨年配信されたリミックスの「RUNNING TO HORIZON(206 Mix)」が360 Reality Audio化されている。
「オリジナルの「RUNNING TO HORIZON」は、時代的にはすごく早いんですけど、NEW ENGLAND DIGITAL Synclavierでのハード・ディスク・レコーディングでボーカルまで録っていて、1個ずつのトラックがはっきり分離しているので、360 Reality Audioの素材として使いやすかったんじゃないかな?という気もしました。360 Reality Audioは元のトラックによって随分音像が違ってできると思います」
360 Reality Audio独自の音作りについてこう続ける。
「自分の特徴でもあるシンセサイザーのシーケンスのループが、2ミックスだと左右に飛ばすくらいしかできないですけど、360 Reality Audioでは回ったり下の方に潜ったりできて使い勝手が良かったんじゃないかなと。2ミックスでは1カ所から出るギターのディストーションの音が360 Reality Audioでは回っていたりとか、全然別物のサウンドに聴こえますね。あえてボーカルだけ動かさないことで歌う人の周りをミュージシャンが丸く囲んで演奏しているような感覚になりますし、歌う人の立ち位置で聴ける感じが面白いです」
1980〜90年代のTM NETWORKのライブが臨場感たっぷりに再生される『LIVE HISTORIA DX ~S Selection~』は、現在のライブを取り巻く状況と重ね合わせてこう語る。
「自分がセンターにいて、ベスト・ポジションのいい席で聴けているような効果があると思います。コロナ禍もあって、臨場感を忘れかけていた人たちもたくさんいると思うので、後ろからの声援や歓声が聴こえてくるのはこういう感じだったな、という感情を味わえるんじゃないかなと思います」
“あって当然”なスタンダードになればいい
360 Reality Audioの特徴の一つが、スマートフォン+ヘッドホン/イヤホンという手軽な環境でのリスニングを実現していることだろう。小室はこの手軽さを高く評価する。
「移動しながらでも常に球体と一緒に動くような感じで、左右のイヤホンやヘッドホンだけで球体の音像を感じられるのが360 Reality Audioの技術的に最もすごいところだと思います」
そして360 Reality Audioの将来性について、小室は仮想空間とともに発展していくことに期待を寄せる。
「こういう音があると仮想現実みたいなところにストンと入るときに没入感が得られると思うので、いつか合流して一緒に歩んでいくんじゃないかな。音像を楽しむだけで終わっていくのはもったいないというか、前後左右に広がる仮想の空間でこそ360度の音像がもっと生きると思うので。最初は特殊であることを楽しんでいいと思うんですけど、だんだん“あって当然”なスタンダードになればいいと思います」
なんと、TM NETWORK楽曲の360 Reality Audio化には今後の展開も予定されているという。
「TM NETWORKのストーリー仕立てのアルバム『CAROL』も今ミックスしていただいています。自然の中を駆け巡るような音や歌詞やストーリーがあるので、360 Reality Audioにする作品として良いと思います」
【LIVE Information】自身初となるオーケストラ編成のソロ・ライブを開催。『billboard classics 小室哲哉 Premium Symphonic Concert 2022-HISTORIA-』11月27日:Bunkamura オーチャードホール、12月9日:兵庫県立芸術文化センター
【SNS】TM NETWORK Twitter:@tmnetwork_2014 / 小室哲哉 Twitter:@tetsuyakomurotk / TETSUYA KOMURO STUDIO:https://fanicon.net/fancommunities/3914
ENGINEER|原田しずお
【Profile】日本工学院専門学校を卒業後、ソニー・ミュージックスタジオへ。YUKI、加藤ミリヤ、ZILLION、Tani Yuuki、SIX LOUNGEなどを手掛ける。
していたであろうミックス作業の耳コピから始めた
360 Reality Audio版「Get Wild」「RUNNING TO HORIZON(206 Mix)」のミックスを手掛けた原田氏。
「今回の「Get Wild」の360 Reality Audioミックスは元の世界観を残しつつ行いたかったので、2ミックスを聴いてミックス作業の耳コピから始めました。当時アナログでしていたであろうEQやコンプなどをプラグインで寄せてみて、扱いやすいようにマルチからステム化しています」
「Get Wild」では、各楽器で複数の音色が入っている場合には重心の位置を変えて配置したという。
「キックは2種類あって、アタックのあるキックは重心高めの3点、低域に膨らみのあるキックは重心の低い2点に配置しています。ベースも、アタック・ベースはセンターのLR、膨らみのあるシンセ・ベースは重心を低くして前後4点で出し、包まれるようなベースの音作りを意識しました。あとは、全体的にLRのスピーカーの比重が少し重くなったので、ボーカル・バスを4点で面になるように配置して平面より少し上に定位させることで、キックやベース、キーボードとずらしてスピーカーのピークが行きすぎないように調整しました」
「RUNNING TO HORIZON(206 Mix)」では、2番のAメロで小室のボーカルがぐるっと回る大胆な動きを見せる。
「2番のAメロはもともとドラムにフィルターがかかるギミックがかけられていたので、360 Reality Audioでは思い切って歌とオケを完全に分けて回しました。ヘッドホンでもはっきりと分離できるようにしています」
リスナーの聴取環境を重視した作業スタイルも注目だ。
「ヘッドホンで聴く方が多いので、ソニーのヘッドホンMDR-M1STで作業を始め、スピーカーを挟み、MDR-M1STに戻って締めることが多いです。ヘッドホンでのミックスで後ろに配置すると普段聴き慣れない位相感になることがあり、それを避けてオブジェクトが前に偏ってしまうことがあるんです。そこでスピーカーでのミックスで後ろの空間を埋め、ヘッドホンに戻して前後の境目の剥離部分を埋めています」
今後の展望については「曲ありきだけでなく、映像を元にして音を合わせてオブジェクトを配置していくような360 Reality Audioミックスも面白そうですね」と語ってくれた。
ENGINEER|坂元達也
【Profile】1981年スタジオ・テイクワン入社。吉野金次氏に師事し、1983年フリーランス・エンジニアになる。佐野元春、BOØWY、吉川晃司など数多くのミュージシャンのレコーディングを担当。
リバーブで“音のシャワー”のような感覚を出す
『LIVE HISTORIA DX ~S selection~』の360 Reality Audioミックスを手掛けた坂元氏。まずはどのような部分に注目して聴いてほしいのか、その聴きどころを尋ねた。
「ライブ会場の音空間を体感してほしいです。フロントのステージ、リアや天井から聴こえる残響、床を鳴らす重低音など、ライブ会場を意識したサウンド・メイクをしています」
アルバムには1980〜90年代に収録されたライブ音源を収録。これらが現代の聴取環境で再生されるにあたり、気をつけた点や工夫したポイントなどはあるのだろうか?
「アナログからデジタルへ移行した時期なので、シンセサイザーの音が今ほどの深みがない印象があったため、奥行きや広がりを感じられるような処理をしました。当時はオーディエンスに多くのトラックを使うことができないので、フロント、ミドル、リアというマイク・ポジションによって分かれておらず、ステレオにまとめられて収録されている曲もありました。そこで、ステレオのオーディエンスにディレイをかけて擬似的なリア・オーディエンスとし、立体的な空間を作り出しています。その際に重要になってくるのがディレイ・タイムの設定です。あまり短いとフランジングを起こしてしまうし、長すぎるとビートのズレを感じてしまうので、その点を注意して制作しました」
続けて、360 Reality Audio化するにあたり、会場の空気が伝わるために行った音作りなどの具体的な手法を聞いてみよう。
「ライブ会場の音空間を作り出すために、オーディエンス・トラックとリバーブ・リターンをフロントとリアに定位させ、会場に響く音や残響に包まれた感覚を得られるようにしました。また、会場の天井からの残響感や、音が降ってくる“音のシャワー”のような感覚を出すために、リバーブ・リターンをやや上方に定位しています。さらにバス・ドラムとベースの低音を球体の底に定位させることで、PAのサブウーファーの重低音が床から伝わってくる感じを表現しました。このように、ライブ会場の空気感を体感してもらえることを最優先してミックスをしています」
最後に、坂元氏に360 Reality Audioのミックス作業の面白さをどのような部分に感じたか尋ねてみた。
「ライブ空間のような音の充満感が出せるのではないかと思いました。ステレオでも広がり、奥行きは表現できますが、360 Reality Audioだとリスナーを音が包み込む、球体内に音が充満する感覚が作り出せると感じます。楽器の定位を立体的にずらすことで、隙間なく音が存在し、音の壁に囲まれている感覚が得られます。一つの楽器でも、フィルターなどで高音と低音に分けて上下に定位することもでき、音が空気のような存在になりますね」