宮川麿が使う Studio One 第3回

第3回 AIによるスピーチを素材とした
ボーカル曲の制作プロセス②

コンポーザーのMaroです。前回はJ-WAVEの番組『INNOVATION WORLD』のラジオAIアシスタント=AI Tommy(以下Tommy)が歌う楽曲「INNOVATION WORLD」について、PRESONUS Studio One(以下S1)での制作工程を紹介しました。S1はサラウンド対応のDAWではありませんが、同曲のために工夫して“11.1chのサラウンド・ミックス”を行ったので、そのプロセスを解説します。

K-20メーターを使用し
ヘッドルームに余裕を持たせる

筆者は普段からS1でミックスを行っており、32ビット・フロートで作業しています。これにより、チャンネルでレベル・オーバーしてもマスターで±0dB(0dBFS)以下にすればクリップしませんし、小さな音の解像度も上がります。マスターのレベル・メーターは通常のピーク・メーターではなく“K-20”に切り替えて作業。K20に設定すると±0dBの目盛りを10dB近くオーバーしてもひずむことがなく、ピーク・メーターのように赤いインジケーターが灯(つ)くのを気にせず作業でき、書き出し時のクリップなどの防止にもつながります。

ミックスの下準備として最初に行うのは、“ステムをエクスポート”機能による各チャンネルの書き出し。これが終わったら、各オーディオ・ファイルを新規のソング・ファイルにインポートしてミックスを始めます。曲作り用のソング上でミックスするよりもCPU負荷を減らせ、視認性も良くなるため、全体を俯瞰(ふかん)しやすくなるのです。ソフト・シンセのオーディオ化は各インストゥルメント・トラックの“オーディオトラックに変換”機能でも行えますが、一度に複数のトラックを変換すると結構な時間が必要。その点“ステムをエクスポート”なら短時間でオーディオ化できるため、作業の効率化につながります。

▲K-20のレベル・メーターは、マスターのメニュー(Macではレベル・メーターをcontrolキー+クリック、Windowsでは右クリックで出現)から呼び出すことができます(赤枠) ▲K-20のレベル・メーターは、マスターのメニュー(Macではレベル・メーターをcontrolキー+クリック、Windowsでは右クリックで出現)から呼び出すことができます(赤枠)
▲“ステムをエクスポート”機能のメニュー画面。左側に並んでいるのは書き出す対象のチャンネルの名称です ▲“ステムをエクスポート”機能のメニュー画面。左側に並んでいるのは書き出す対象のチャンネルの名称です

チャンネル・センドやバスを駆使し
12台のスピーカーに音を送出

さて、今回は「INNOVATION WORLD」の11.1chミックスを作成し、10月22日〜24日に行われるTIMM(東京国際ミュージック・マーケット)へ出展することになりました。ミックスはS1の国内輸入代理店、エムアイセブンジャパン本社のサラウンド・システムを借りて実施。スピーカー構成はフロントL/Rとセンター、LFE(Low Frequency Effectの略で、サブウーファーを指す)、サイドL/R、リアL/R、トップ(天井設置)のフロントL/RおよびリアL/Rの計12台です。コンピューターはAPPLE MacBook Proを使用し、アナログ12イン/12アウトのオーディオ・インターフェースRME Fireface UFX+を接続。Fireface UFX+の各出力は、12台のスピーカーそれぞれにつなぎました。S1では前後や斜め方向の定位調整ができないため、工夫しながらミックスを行いました。ポイントをピックアップして、音作りの方法を紹介しましょう。

▲ミックスを行った環境。写真左奥にはフロントL/Rとセンター、その上にはトップのフロントL/Rが見え、手前やや左にはサイドL、右上にはトップのリアLのスピーカーが認められます ▲ミックスを行った環境。写真左奥にはフロントL/Rとセンター、その上にはトップのフロントL/Rが見え、手前やや左にはサイドL、右上にはトップのリアLのスピーカーが認められます
▲S1のアウトをオーディオI/Oのどの出力に割り当てるのか決める画面。フロント、サイド、リア、トップのフロント、トップのリアについてはデュアル・モノラルとステレオのいずれかで出力できるようにしています ▲S1のアウトをオーディオI/Oのどの出力に割り当てるのか決める画面。フロント、サイド、リア、トップのフロント、トップのリアについてはデュアル・モノラルとステレオのいずれかで出力できるようにしています

●サラウンド定位の作り方
モノラルのトラックを複製し、オリジナルとコピーの各トラックを左右に振り切ると音像がセンターに定位しますよね。この現象を利用し、各スピーカーの間に音を定位させました。例えば“ElectricGuitar”というトラックは、基本的にはフロントL/Rに送っていますが、センド(AUXバス)からサイドL/Rにも出力することで、フロントとサイドの間から聴かせています。モノラル音は、こうした方法でいろいろなところに配置しました。

●リズム隊の処理
ドラム・キットの各打楽器はバスに送り、そのバス・チャンネルからフロントL/Rに出力。また、それと同時にセンドからLFE(サブウーファー)へも送出しています。キックとスネアはセンターからも鳴らし、一歩前に出て聴こえるような定位感を創出。ハイハットとシェイカーはセンドからサイドL/Rにも送り、真横に近い位置から聴こえるようにしました。フロントL/Rのドラム音に各打楽器のサラウンド出力を混ぜることで、目の前180°からドラムが聴こえるような定位感にしています。ベースは、フロントL/RとLFEから鳴らしています。あえてセンターから出していないのは、キックとの干渉を最小限にするため。サラウンドならではのすみ分け方です。

▲ElectricGuitarのチャンネル。フロントL/Rのほか、センド(S1におけるAUX/赤枠)からサイドL/Rにも出力し、フロントとサイドの中間に音像を定位させています ▲ElectricGuitarのチャンネル。フロントL/Rのほか、センド(S1におけるAUX/赤枠)からサイドL/Rにも出力し、フロントとサイドの中間に音像を定位させています
▲白いスピーカーはサイドとリアのもの。写真中央やや左のスピーカーはサイドRで、奥右はリアRです。リアRの上には、トップのリアRが設置されています ▲白いスピーカーはサイドとリアのもの。写真中央やや左のスピーカーはサイドRで、奥右はリアRです。リアRの上には、トップのリアRが設置されています

歌はフロントL/Rだけでなく
センターからも鳴らし輪郭を確保

●シンセの処理
ステレオのシンセ類を3次元的に広げるために、サード・パーティ製ステレオ・イメージャーSOUNDTOYS MicroShiftをバス・チャンネルにロード。広げた音をサイドL/Rから出力するためのバス、リアL/Rから出すためのバスという2系統を用意しました。広げたいシンセは、センドからここに送っています。例えば、サビでは最も大きな広がりが欲しかったので、メインのシンセ・バッキング(スーパー・ソウ)を6つのスピーカーから出力。フロントL/Rからは原音、サイドとリアの各L/Rからは広げた音を鳴らし、包み込むようなサウンドにしました。

イントロの“Swell SynthBrass”は、出音が前から後ろへと周期的に移っていくよう設定。フロントL/Rへの出力、サイド&リアL/Rへのセンドにボリューム・オートメーションを描き、前→後ろという音の流れを一拍単位で繰り返しています。

▲“Swell SynthBrass”は、フロントL/Rへの出力(画面の2段目のトラック)、サイドL/Rへの出力(3段目)、リアL/R(4段目)にボリューム・オートメーションを描き、1拍の中で出音が前から後ろに移動するように聴かせています。赤い枠で囲んだところが、1拍分となります ▲“Swell SynthBrass”は、フロントL/Rへの出力(画面の2段目のトラック)、サイドL/Rへの出力(3段目)、リアL/R(4段目)にボリューム・オートメーションを描き、1拍の中で出音が前から後ろに移動するように聴かせています。赤い枠で囲んだところが、1拍分となります

●ボーカル/ボイスの処理
Tommyのメイン・ボーカルは、基本的にはフロントL/Rとセンターから出力しています。フロントL/Rだけでなくセンターからも鳴らすことで、ステレオのダブルをフロントL/Rから出しても中央音像の輪郭を保ったまま左右に広げられます。Bメロ〜サビの2声のコーラスはフロントL/R+トップから鳴らしていますが、こちらはフロントL/Rを低めに設定。音が縦に積まれたように聴こえ、ハーモニーの重なりが立体的に感じられます。

S1ではサラウンド・リバーブが使えないので、代替案としてプリディレイの値が異なるリバーブをスピーカー・ペアの数だけ用意。歌の残響が全スピーカー・ペアから聴こえるようにしつつ、プリディレイの違いで立体感を出しています。広い空間に居ながら、目の前で歌われているような響きとなりました。

今回はサラウンド・パンナーなどを使用できなかったので、音がスピーカー群を一周するような演出はできませんでしたが、歌モノをイマーシブ・オーディオとして鳴らす可能性に一つ踏み込めたと思っています。さて来月は、S1を使用したマスタリングについて書かせていただく予定です。

▲リバーブをスピーカー・ペアの数だけ用意し(赤枠)、それぞれのプリディレイを異なる値に設定しています。画面は、ボーカルを各リバーブにセンドから送っているところ ▲リバーブをスピーカー・ペアの数だけ用意し(赤枠)、それぞれのプリディレイを異なる値に設定しています。画面は、ボーカルを各リバーブにセンドから送っているところ

*Studio Oneの詳細は→http://www.mi7.co.jp/products/presonus/studioone/