佐藤純之介が使う「Pro Tools」第4回

現場のスピード感に対応する
ボーカル録音とエディットの作法

 今まで勤めていたレーベルを2019年に退職した後も、アニメや声優の楽曲制作を中心に活動しているのですが、最近は新しいエンジニアやスタジオとの出会いが非常に新鮮で楽しいです。たくさんの現場をやっていると、マイクのチョイス、マイクプリやコンプのアレンジでエンジニアの人柄やルーツまで見えてきます。しかし、どういうタイプのエンジニアと一緒に仕事をしても、自分の音に導くのがプロデューサーの仕事のだいご味。知識と経験で瞬時にその場を支配できて初めて一人前です。今回はボーカル・レコーディングにおけるAVID Pro Toolsのセッティングについて説明したいと思います。

ハードウェアもPro Toolsも
良いテイクを録るための準備を万全に

 シンガーがスタジオに到着し、マイクの高さやポップガードの位置などが調整できたら、いきなり収録するのではなく、まずはテストとしてフルサイズを歌っていただきます。エンジニアには1コーラス目のサビが終わるまでにプリアンプのゲインとリミッターの調整をしてもらい、2コーラス目からはレベルが決まった状態でテスト・レコーディングできるスピード感で対応してもらいます。この間にシンガーにはキュー・ボックスを調整してもらい、歌いやすいバランスを作っていただきます。ディレクターはマイク/プリアンプ/リミッターのアレンジと、ボーカルの口とマイクの距離や位置関係を確認。もし相性が悪ければベストの音色になるまで機材を変更してテストを続けます。音色が決まったら、一度再生してシンガーに聴かせてあげましょう。自分の声がどういう音色で収録されるのか、事前に意思の疎通を取っておくと、後の信頼関係につながります。また、この際にヘッドフォンのバランスが歌いにくくないか?、リバーブの量は適切か?、そのほか何か違和感が無いのか?をヒアリングして、根気良く歌いやすい環境に導いてください。

 ボーカル・ディレクションの手順には幾つか方法があります。スタンダードなのは“最初から最後まで何回か歌ってセレクトする方法”“Aメロだけ、Bメロだけ、などパートごとに数テイクずつ収録しセレクトする方法”の2つです。どちらも、Pro Toolsのプレイリストを使って、いわゆる“裏チャンネル”にテイクを重ねていきます。

プレイリストを展開したところ。Pro Toolsではトラック内に複数のプレイリスト(クリップの配置)を持つことができるため、テイクを重ねる際に、同じトラックのまま別テイクを録音できる。プレイリストを複製して、元の状態をキープしたまま編集することも可能 プレイリストを展開したところ。Pro Toolsではトラック内に複数のプレイリスト(クリップの配置)を持つことができるため、テイクを重ねる際に、同じトラックのまま別テイクを録音できる。プレイリストを複製して、元の状態をキープしたまま編集することも可能

 もし、録音がリアルタイム・モニタリングできるPro Tools|HDX環境であれば、録音トラックにヘッドフォン内やコントロール・ルーム用に、聴きやすくするためのEQやリミッターなど、低遅延なプラグインを挿しておくのもよいかと思います。マイクやプリアンプ側でローカットしてしまうと、ミックス時に必要な成分まで削ってしまうことがあるので、慎重に判断してください。

 コンディションや本人のこだわりにも左右されますが、通常、声優のキャラクター・ソングだと4本から5本、シンガー/アーティストだと8〜10本程度のテイクをパートごとに収録します。このとき、例えばサビを収録する際に、同じテイクの続きからレコーディングすると、サビ前のBメロの歌を聴きながらパンチ・インすることになります。しかし、テイク1〜2辺りの若いテイクの際はまだ歌唱に慣れておらず、様子見で歌っていたり、しくじっていたりすることが多く、それを聴きながらサビを歌うのは、歌唱者としても気分が萎えてしまいます。ですので、歌唱者が常にそのときそのときの最上のテイクをモニターに返してあげるために、パートごとにトラックを分けて収録するのがお勧めです。優秀なエンジニアは、事前に“このサビの前はどのテイクを聴いてから歌いますか?”とディレクターにヒアリングしてくれるので非常に助かります。

クリップ群がAメロ、下のクリップ群が別トラックのBメロ。曲のセクションごとにトラックを分けることで、Aメロの最善と思われるテイクを聴きながら、続けてBメロを録音するのが容易になる クリップ群がAメロ、下のクリップ群が別トラックのBメロ。曲のセクションごとにトラックを分けることで、Aメロの最善と思われるテイクを聴きながら、続けてBメロを録音するのが容易になる

ダブル・トラックを効率よく録音する
トラック・アサイン方法

 一通り、レコーディングが終わると、プロデューサーの作ったキュー・シート(歌詞カードにOKテイクを示したもの)を参照しながら、プレイリスト上にOKトラックを作成。プレイバックしながらも、歌詞カードのOKテイクを選び、ドンドンつないでいきます。歌詞を見ながら、キーボードの↓で選択範囲の始点、↑で終点を決め、shift+option+↑でOKトラックにまとめます。個人的な感覚ですが、メインの歌1本だけのセレクトですと、曲の実時間×2〜3倍くらいの時間でまとめ上げるのが理想です。

▲最上段のプレイリスト(ターゲット・プレイリスト)がOKテイク。個々のテイクの選択範囲決定を↓↑キーで行い、shift+option(WindowsではAlt)+↑でOKテイクへコピーする ▲最上段のプレイリスト(ターゲット・プレイリスト)がOKテイク。個々のテイクの選択範囲決定を↓↑キーで行い、shift+option(WindowsではAlt)+↑でOKテイクへコピーする

 メインの歌の収録が終わり、コーラスやダブルのトラックに移ります。このとき、メイン・トラック・テイクにOKを出してから、ヘッドフォン用キュー・ボックスのモニターを切り替えたりするのが煩雑で、これから録るトラックの録音準備に時間がかかることがあります。

 歌唱者やプロデューサーとしては、歌唱者が歌ったテイクの感触を覚えている間にダブル・トラックを重ねたいので、ここの準備で無駄な待機時間を作らないことが、レコーディング・エンジニアに求められます。事前にトラックを作っておいて準備するのは常識として、私がエンジニア時代に使っていた方法を紹介します。

 ハモリのパートを2本録るとして、1つ目のハモリの録音時点で、Hamo1、Hamo2の2tr同時にレコーディングをします。

コーラス(ハモリ)を2本録る想定で、上のHamo1が1本目、下のHamo2が2本目用。ポイントは、Hamo1のパンがLch、Hamo2はRchに振り切っている点。Hamo2に見えるセンド・フェーダーはキュー・ボックスに送られるセンド用 コーラス(ハモリ)を2本録る想定で、上のHamo1が1本目、下のHamo2が2本目用。ポイントは、Hamo1のパンがLch、Hamo2はRchに振り切っている点。Hamo2に見えるセンド・フェーダーはキュー・ボックスに送られるセンド用

 2本目を収録する際はHamo1のRECを外し、Hamo2のみ再度レコーディングします。こうすることで、1本目録音中はモノラル定位(正確にはデュアル・モノ)でHamo2のセンドからキュー・ボックスに単独を送ります。2本目の録音中はHamo1のRECが外れますから、2ミックスではHamo1が自動的に左定位、Hamo2が右定位。そしてキュー・ボックスの単独にはHamo2のみが送られるセッティングになります。

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 1本目を録音して、2本目の収録準備に掛かる手間はHamo1のRECを解除するだけ。わずか1秒未満です。歌唱者やディレクターや微塵のストレスも与えない方法ですので、ぜひ試してみてください。この方法は、ベテラン・エンジニアに“無駄なオーディオ・ファイルが生まれる”と指摘されたことがありますが、ストレージが大容量化した昨今、数百メガ節約するよりも、歌唱者やプロデューサーを待たせない方を優先すべきだと私は考えています。

 いかがでしたでしょうか? Pro Toolsを使う職業である以上、オペレーションが遅くて現場にストレスを与えるのはもちろん言語道断。アーティストやプロデューサーをスピーディにアシストして、よりよい作品に導くのが新しい時代のエンジニアの役目だと思います。

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*AVID Pro Toolsの詳細は→http://www.avid.com/ja

佐藤純之介

1975年生まれ、大阪出身。1990年代後期より音楽制作の仕事を始める。2001年に上京し、レコーディング・エンジニアとして活動した後、2006年ランティスに入社。音楽プロデューサー/ディレクターとして、多数のアニメ主題歌やアーティストの音楽制作に携わる。シンセサイザーやオーディオ機器にも造詣が深く、新製品開発やモニターにも参加。2020年1月に音楽制作会社Precious toneを設立する。

※サウンド&レコーディング・マガジン2020年2月号より転載