2019年4月1日にデビューし、作詞、作曲、編曲を自ら手掛けるアーティスト=くじら。GYNOID V4 Flowerを用いたボーカロイド曲、yamaやAdoといった一級のシンガーをフィーチャーする作品、SixTONESやDISH//らへのジャンルを超えた楽曲提供などで知られ、頭角を現している。8月17日にメジャー・リリースされた『生活を愛せるようになるまで』は、初の自身歌唱アルバム。詩情あふれる歌声が、R&Bやエレクトロ、ロックを昇華した鮮やかなサウンドに乗る。STEINBERG Cubaseを核とするプライベート・スタジオで、くじら本人にインタビューを試みた。
Text:Tsuji. Taichi Photo:TAKESHI YAO(アーティスト)、Takashi Yashima(スタジオ)
ブラック・ミュージックへの関心
ーご自身で歌おうと思ったのは、なぜですか?
くじら もともと“歌いたい”という気持ちはあったんです。でも歌っていうのは一人に一つしか無い声を使って勝負するものですし、僕はかねてから音楽で食べていきたいと思っていたので、歌で失敗したときのことを考えるとリスクが高すぎるなと。だから、まずは曲を作って、どういう音楽がリスナーに届けるものとしてベストなのかを模索するところから始めました。ただ、この2~3年はボーカロイドやインターネットといった“音楽を発信するための窓口”が従来より拡大した印象なので、自分も活動の幅を広げたいと思って歌い始めたんです。「悪者」という曲がきっかけで。
ー「悪者」には、くじらさんが歌うバージョンと女性シンガーの相沢さんをフィーチャーしたバージョンがありますよね。
くじら “feat.相沢”の方が最初にできたんです。僕は普段、あまり男女の恋愛の話は書かないんですが、「悪者」の詞はそういう内容で。これにどういうMVを付けようかな?と考えたときに、男性目線と女性目線の2パターンを作って、“片方からだけだとこう見えるけど、もう片方からも見てみると実はこう”みたいなギミックを作ったら面白いんじゃないかと思ったんです。それを実現させるために男性ボーカルのバージョンが必要だったので、気に入っている曲というのもあり、自分で歌ってみることにしました。
ーくじらさんは歌の経験をお持ちだったのですか?
くじら 普通に歌が好きで、中高時代に軽音楽部でやっていたバンドではベーシストでしたが、たまにベース&ボーカルとして歌うこともあって……歌唱力に自信を持っていたわけではないんですけどね。そのころ、個人的にはボーカロイドの文化にどっぷりハマっていたものの、軽音楽部にいると邦ロックのコピー・バンドとかをやるので、KANA-BOONさんやTHE ORAL CIGARETTESさんといったバンドも自然に聴いていました。それにベースが好きだから、もっとうまくなりたいと思ってマーカス・ミラーやヴィクター・ウッテン、ジャミロクワイのようなグルービーな曲も練習していて。ブラック・ミュージック的な音楽は、初めて聴いたときに“すごく好きだ”と思ったんです。
ー2019年4月1日に発表された「アルカホリック・ランデヴー」をはじめ、くじらさんの楽曲にはR&Bやソウル、フュージョンの匂いを感じるものがあります。
くじら いろいろな音楽に接する中で、やっぱりベーシストとして食べていくのが一番やりたいことなんじゃないかと思い、ベースで“弾いてみた”をしたり、まだコロナ以前だったからストリート・ライブをやってみたり。でも“これで大きくなるのは無理だ”と思った時期があって、半年くらい音楽から離れたんです。その後、もう一度、曲を作ってみようかなと思い、作っていくうちに“自分のやりたい音楽はこれだ”と、進むべき道を見つけたような瞬間があって。それが「アルカホリック・ランデヴー」につながるんです。“ボーカロイドを使って活動したい”という気持ちに、自分の作曲の技量が追いついたタイミングだったのかもしれません。
ー「アルカホリック・ランデヴー」以前に作った曲は、どこかのレーベルに送ったりしていたのですか?
くじら いえ、ただただインターネットに公開していただけです。バンド時代も一人になってからも、きちんとした形で音源をリリースできていなかったんです。僕は音楽をやっている人間なので、人から“あなたは何をやっているの?”と聞かれたら“音楽です”って答えるわけですよ。でも“曲を聴かせて”となったときに聴かせられるものがない。もしくはバンドでライブしたときの動画を見せても“へぇ~”みたいな反応だけで……それがすっっっっごい悔しくて。だから“自分が音楽をやっている確たる証”が欲しくて、音源を製品としてリリースするには、どんなプロセスが必要なのか調べてみたんです。そしたら曲作りの後にミックスやマスタリングという工程があって、仕上がりに絵をつけてYouTubeへ上げるにはイラストレーターの方に依頼する必要があってという“製品化”の流れが見えてきて。
ーミックスやマスタリングを手掛けるエンジニアは、どのようにして探したのでしょう?
くじら それまで僕が聴いていた曲は、YouTubeの“説明”欄にMIX師さんのお名前がクレジットされているんです。エンジニアの名前を載せる、という文化があって、自分好みの音を作っている人を片っ端から調べました。すると“この人は個人からの依頼でも受けているんだな”と分かってくるので、今度は依頼する。就職していなかったので、めちゃくちゃバイトして、稼いだお金の大半を制作費につぎ込む生活でした。2020年の半ばまで、2年ほど続きましたね。
ーそのような下積みがあったとは……。
くじら チームで何かをやる、っていうのが苦手で。“自分は会社で働けるような人間ではないんだろうな”とも思っているし、個人でいろいろな方にお仕事をお願いしながら形にしていく方が向いているなと。父が真っ当な社会人なんです。朝早くに起きて会社へ行って、夜遅くに帰ってくる……小さい頃、土日はいっぱい遊んでもらったけど、自分はそうはなれないと思っていて。だから就職とは違う自活の方法を探しつつ、一生やっていきたいものって何だろう?と考えたときに“それは音楽だな”と思ったんです。
サブスクに曲を出すことの意味
ー“くじら”として曲を作り始めた頃は、YouTubeでの発表を目指して制作していたのですか?
くじら サブスクも視野に入れていました。こんなに需要があるんだから、個人で音楽を作っている人もApple MusicやSpotifyに自分の作品を出したいはずですよね。だから個人とサブスクを仲介する会社が存在しないわけないと思ったんです。調べてみたら予想通りたくさんあって、TuneCoreに登録しました。Apple MusicやSpotifyに出せると“音楽をやっています”って人に見せられるし、YouTubeで曲が聴かれた後、リスナーの方の生活に落とし込まれるためにはサブスクに上がっている必要があると思うんです。
ー従来は、CDやバイナルのような物理メディアでリリースするというのがミュージシャンの目標の一つだったと思うのですが、くじらさんくらいの世代になるとサブスクで再生回数を上げる方が重要なのでしょうか?
くじら そうですね。特にここ2年ほどで、サブスクの比重が飛躍的に大きくなったと思います。この間、同い年の友人に“CDから携帯に曲を入れるのって、どうやってやるの?”と聞かれて……そういう時代だよな、って感じました。とはいえ、ギリギリ僕はCDを買ってリッピングして携帯で聴いていたので、フィジカルで出したいという気持ちもあるんです。でも、最初からめちゃくちゃ売れるわけないだろうとも考えていたから、思い残しが無いようにというか、ほとんどグッズとしてCDを作ってきました。
ー『ねむるまち』(2019年)や『寝れない夜にカーテンをあけて』(2020年)といったCDアルバムは自主制作盤?
くじら はい。エンジニアの方にマスタリングを依頼して、マスタリングが終わったらデータをCD-Rに焼いてプレス工場に送って、返ってきたものを倉庫に発送しつつ納品先を伝える……みたいなことを一人でやっていました。
ーくじらさんのバイタリティには驚かされます。シングル『悪者』(2021年)と今回のアルバムはソニーミュージックからのリリースですが、メジャー・レーベルと契約しようと思ったのは、どのような動機からでしょう?
くじら 『寝れない夜にカーテンをあけて』をリリースした後、思っている以上に多くの人たちから自分の音楽が求められていることに気づいたんです。それで、何もかも自分でこなしていると肝心の音楽に割くリソースが減って、求められるものに見合うクオリティが出せなくなってしまうと思い、人の力を借りる段階まで来たんだなと。ソニーミュージックのA&Rの方とは、仕事に全く関係のないプライベートなところで出会って普通に仲良くなったんです。だから、そういうご縁もあって契約することにしました。
インタビュー後編に続く(会員限定)
インタビュー後編(会員限定)では、 今作の制作手法について使用した楽器や機材の写真とともに話を聞きました。さらに収録曲「うそだらけ」のCubaseプロジェクト画面やお気に入りのソフトなどたっぷり紹介します!
Release
『生活を愛せるようになるまで』
くじら
ソニー:SRCL-12191-2(完全生産限定盤)、SRCL-12193(通常盤)
※完全生産限定盤(8,800円/税込):楽曲CD+浅野いにお描きおろしTシャツ(XL)/特殊パッケージ仕様
※通常盤(3,630円/税込):楽曲CD
※アートワークは漫画家の浅野いにお描きおろし
Musician:くじら(vo、prog、g、b)、関口シンゴ(g、prog、etc.)、サトウカツシロ(g)、渡辺裕太(g)、櫻井陸来(b)、中西道彦(b)、Matt(ds)、GOTO(ds)、望月敬史(ds)、坂本暁良(ds)、水槽(cho)、相沢(cho)、Ado(cho)、アユニ・D(cho)、菅原圭(cho)、yama(cho)、春野(p)、平畑 徹也(p)、Naoki Itai(prog、arrange)、モチヅキヤスノリ(p、arrange)、瀬恒啓(strings arrange)、Satoshi Setsune Strings(strings)、maeshima soshi(additional arrange)
Producer:くじら、関口シンゴ、Naoki Itai
Engineer:染野拓、照内紀雄、金子実靖、yasu2000、小森雅仁、釆原史朗
Studio:GIALLO PORTA、Aobadai